こすぱに!

25  

「獄寺、今日は早いのな」
「あ、ああ…まあな」

 どうしてここに隼人が来たのか。
 もしかすると山本と何か特訓でもするつもりで待ち合わせをしていたのかもしれない。…そんな話あったっけと思い返したけれど残念ながら私の記憶には無かった。
 いや、この世界は漫画の世界ではあるけれど今私の目の前には奥行きもある3次元の世界そのもので、漫画に描かれていないことだって当然あるに違いない。それに数ヶ月も読んでいなければ記憶だって薄れていく。大丈夫、ここは原作にある話ではない。私がいたって何も歪まない、…筈だ。


「怪我ねえか?」
「うん、大丈夫。ありがと」

 山本がしゃがみ込み私と視線を合わせながら手を伸ばす。
 こういうところがきっとクラスの女子のハートを射止めていくポイントであるに違いない。どうもそういったことにはとことん鈍感そうではあるけどそれも彼の良いところだ。

 よいしょ、とその手をとり掛け声と共に起き上がり隼人の方を振り向く。
 どうやら先ほどドアに押し出され床についた手と膝に怪我は無い。実際びっくりしただけで何の痛みもなかったけれどこれはただ私が”押切ゆう”の身体だからだろう。結構な勢いだったけどこれも無傷で無痛なのかと改めて便利な身体だなと思わざるを得ない。


「……」

 私がこの世界から離れて数ヶ月。
彼らに何か変わったところは見られるかと聞かれれば答えは否、だった。日常編の最中だ、まだ何も変化なんてものはない。それに少しだけ安心しているところもある。

 だけど驚いた隼人の目は。
 その表情にさっきの山本が見せたような緊張が含まれていることに気付く。山本は口にしなかったけれど隼人はどうだろうか。
 彼がそうだったように隼人だって私の事を忘れていた可能性が高い。ならば私の事を忘れていたという事についてどう思ったか。不思議な事象が好きな隼人であっても自分の身に起きた事は嫌うかもしれない。皆にとって私は異質で、普通でない存在であるということにいち早く気が付きそうだ。


「…隼人も久しぶり」
「生きてたのかよお前」
「うん、まあ1回死んで生き返った感じ」

 そう返したら意味わかんねえと眉を顰められた。生きていたかという質問、この世界の私の状況を示すには一番正解に近い返事と思ったんだけどな。当然ながら、彼にそれを説明することは出来ないけれど。…まだ、今は。


「…ハァ、お前も変わりねえな」

 大きく溜息をついた隼人はそのままカチッとライターに火を点し煙草を吸い始め辺りに煙草の煙が広がっていく。

 ちなみに私は非喫煙者だ。
 友人に喫煙者はいるし別に二十歳を超えての喫煙は違反ではない。が、目の前の彼は学生で、しかもまだまだこれから成長していく中学生だ。改めて喫煙を目の前にするとつい親心で注意したくもなるけどこればっかりは目を瞑るしかない。禁煙を始めるスモーキンボムなんて可愛いけど原作を外れさせる訳にはいかない。
 …でも彼らが小道具を出す時にどうしても気になるのがヲタクの、そしてコスプレイヤーの性だ。何という銘柄なんだろう。見たことのないその柄をジィッと見たけれど判断のしようがない。


バヒュン!


「え」

 私の横を何かが通り過ぎる。
 あまりにも早いそれは私の目で追えるものではなかったけど僅かな風、黒い残像。その音の後、遅れて髪の毛がヂリリと焦げ付く匂い。
手をやると髪の一部が不自然なところでぶっつりと切れていた。

 …え、一体今何が起こったの。


「敵襲か!」
「ゆう!」

 山本が私の名前を呼んだと同時に、頭を思いっきり上から押し付けられしゃがみこまされる。直後、後ろに去っていった何かが爆発する大きな音と共に盛大にあがる粉塵。地面が揺れ思わずぎゃあ!と叫びながら這いつくばって山本の足にしがみついた。
 敵襲ってどういうことだ。2人に声をかけようとした瞬間にはバンッバンッと音がして何か黒いものが私の足元に飛んでくる。


「ヒィッ!」

 屋上のコンクリートにめり込んだものは見たこともなかったけど銃の弾ということで認識していいでしょうか。

 たらりと冷や汗が伝う。
 速やかに、可及的速やかに退散したい。もちろん誰にも怪我はして欲しくないけど。こういう場合どうするんだ。ヒーロー!ヒーローを呼ぶべきなのか。主人公が助けてくれる場面だろうけど残念ながらここにはツナはいない。いやしかし相手は何なんだ、マフィアか。敵なのか。まさか私がそんなシーンに立ち入ってしまったというのか。


「ジッとしてろ!」

 1人であたふたしていると言うのに山本も隼人も動くことはなかった。本当に彼らは中学生だろうかと言いたくなる落ち着きよう。2人とも私の前に立ち、お荷物である私の事を庇ってくれていることは聞かずとも分かる。

 1人じゃなくて本当に良かった。

 コクコクと声もなく頷きながら立ち上がり、ジリジリと後退し校舎の中に入ろうとしているのに動きを合わせ、ゆっくりと下がっていく。そのまま後ろへと歩み続けると最終的に一番後ろを歩んでいる私の背中に扉が当たり、視線を皆と同じく前にやったまま手探りでノブに手をかけた。
 恐らく誰かの合図がくる。それを見逃す訳にはいかない。
 これを開けて、一斉に皆で、校舎の中に入る。言葉がなかったけど多分そういうことだろう。何処から飛んでくるかわからない銃を持つ相手に背中を向けるわけにはいかない。その隙に狙われることだってある。
 今すぐ走り出したい気持ちを抑え、今はまだ待てと手で合図し続ける隼人が次の行動をとるのを待った。銃撃はいつの間にか止まっている。


「上だ!」

 パチパチと何かが燃えるような音が今度は頭上から。
 ハッと頭上を見上げるとドアの上、給水塔のところから何かがパラパラと落ちてきている最中で。ちょうど逆光になっていて全てが真っ黒だったけれどあれは隼人のダイナマイトと同じようなものなのだろうか。

 よく見える隼人の焦った顔、山本の驚いた顔。


「はや、…っ」

 この時、私なら平気なんじゃないかと思ったのは至極自然の流れだろう。だってこの中で一番身体が丈夫な可能性がある。鍛えているとかそういう問題ではなく、与えられた体質、性質として。
 これは前に怪我をしたナイフじゃない。火傷はどうだろう。私の身体は耐えられるのだろうか。そんな事を実験なんてしたこともないからどうだか分からないけど、私なら。いやもしも怪我をするのが私なら問題はない。…可能性は、ある。

 私の思考を肯定したかのように、ぐにゃりと一瞬視界が歪んだ。


「っ!」

 いや正確に言えば私の持つ手が、だ。
 どこかで感じたことのあるような感覚。あれ、これすごく嫌な気がする。このドアを開けるのが。待って。どうして今なの。私がやりたいのはそれじゃない。そっちじゃない!


「ゆう!」

 早く動かなきゃ。分かっている。鈍臭い私だってそれぐらい分かっている。
 だけど隼人の合図が出てるというのに身体が全く動かず、かといってノブを持つ手が離れない。心臓が大きく鳴っている。時が止まったように感じるというのはまさにこういう事なのだろう。

 駄目だ。

 彼らの身に危険が迫っているのはよくよく分かっているのに動くことが出来ない。
 私はこの手の感覚を知っている。何度も経験している。このドアの先にもしもあれが、私の予想通り”でざいなーずるーむ”が待っているのであれば私はともかく彼らも共に入ってしまうことになる。それだけは絶対に避けなければならない。イレギュラーなものを、彼らに知らせるだけじゃなく体験させる訳にはいかない。私がこの手をノブから離せば済むというのにそれさえも出来なかった。思えば思うほど手は私の意思とは反しグググとゆっくり回っていく。やだ、やめなきゃ、止めなきゃ、どうして、こんな。
 私の問題に巻き込んでしまうのであれば余計この手は、このドアは開けられない。


「馬鹿野郎!死ぬ気か!」

 だけど落下物は私を、私の言い訳を待ってはくれない。
 隼人の怒声と共にグイッと強い力でノブを持っていた手を捕まれ前に引っ張られた。バチンッと何かが弾けるような音が聞こえ、手が離れたのを感じたかと思うと息の出来ない程の圧迫感。グッと耳元で聞こえる誰かの苦しげな声。
青空と爆発物を見ていた視界が突然ぐるんと回り、何事かと思ったその時には目の前が真っ白になる。瞬間、お腹に響く衝撃。


「山本!」
「任せろ!」

 キィンと響く音。
 隼人の腕の中に収まったまま屋上の床を二転三転と転がり、山本がバットを剣に変化させそれを薙ぐ。
 恐ろしいほどそれは一瞬だったのに、何故かそれがコマ送りのようにして見えた。

 瞬間、静寂。

 耳元から聞こえてくる隼人の心音。少し離れたところから山本の荒い息。
 カランカランと乾いた音をたてて私の目の前に転がってきたのは山本によって導火線が切られたダイナマイトだ。もちろん本物を見たことはないけどこの形状は漫画で見たことがある。


「……大丈夫か?」

 どうやら助かったらしい。
 てっきり怒られるかと思ったけれど頭上から降ってくる隼人の言葉は意外に優しい響きがあった。だけど私はすっかり萎縮してしまって声さえ出ない。
 「ごめん」と呟いたつもりの言葉は、吐息となり漏れていく。

 ようやく嵐が過ぎ去ったのだと理解したのは少し経ってからで。何度目かの隼人が私に安否を尋ねてくるその言葉にもう大丈夫なのかもしれない、と思ったら今度はどうしようもない恐怖が今さらながらに湧き上がってくる。

──…情けない。

 戦えもしない人間が、この世界に立つ事すら碌に許されていない人間に何が出来るというのだ。彼らに結局、護られてばかりじゃないか。隼人が傷を負ったのは私の所為以外の何物でもない。
 変わった力を私が持つことができたのは世界の気紛れ。それを応用し何か出来たか。何か解決できたか。


『貴女がしたことを無駄とは言わないけど、』

 前回と私は何も、変わっちゃいない。後先考えず、人を振り回すだけの…この世界の住人でもないくせに。何も出来る訳がない。何も出来やしないのにどうしてそんな傲慢な考えを持ってしまったのだ。


「ごめん、なさい…」

 分かってた。
 知っていた。

 結局驚くほど無力でしかなかった私はただ煙草の匂いのする腕の中でガタガタと震えているしか出来ず、隼人は困ったように私の頭をポンポンと撫でるだけだった。

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