ドアを開いたその先、私は一番乗りじゃなかった。
まだ朝も早い時間だ、部活動に精を出す生徒なら運動場や体育館に居るだろうし普通の生徒であれば8時を超えチャイムが鳴る前に登校するのが常だったというのに。
まさか誰かいるなんて考えてもなくて、それとその思いもしない人物の姿にそのまま回れ右をすることも出来ずに居た。
「……山本?」
見間違いようもない。
私からの位置では横顔だったものの何も言うこともなくフェンスを握ったまま物憂げにグラウンドを見下ろすその姿はなかなか声をかけられる状態ではない。思い詰めた表情の疑念が湧き上がる。
…まさか、飛び降りたりしないよね。
この世界が私の知っている通りに進んでいるのであれば、彼は既にそんな経験をしているはずだ。
だけど随分前にツナがそれを止めているはず。当然私は目にしたものでもないし、この世界にやってくる前の出来事だったけど彼とツナがそれをきっかけに仲良くなっていた話を覚えている。
彼はフェンスの内側にいた。きっと私の思い過ごしであるに違いない。でもどうするべきか。何かするようであれば、止めなきゃ。
最大の不安要素だった、押切ゆうのことは忘れられているという情報を考えると安易に話しかけるのは躊躇われる。だけどこれは一大事にも成り得るのだ、そんなことに構っていられない。
非常事態に備え黙って彼の動向を見続ける。突然知らない女に「早まらないで!」なんてすがられても困るだろうし変人だとレッテルを貼られるのは真っ平だ。
…慎重に、慎重に。
──バタンッ!
「あ」
開けっ放しだったドアが私の後ろで大きな音を立てて閉まった時には顔を手で覆いたくもなった。オーマイガッ。何というタイミング。どうやら私に隠密行動というものは出来ない仕様らしい。ドアが閉まってしまった以上隠れられる場所なんて私に与えられているはずもなくビクリと驚いて身体を震わせた山本がこちらを見る。
目が合った。
「お、ゆうじゃん。久しぶり!」
ハッとしたように目を見開いた山本は私の姿をしっかり目にするとさっきの表情は見間違えだったのかと思えるぐらいに、私の記憶にあるようなニカッと笑みを浮かべ手を挙げる。
「ええっと、…久しぶり、山本」
何を話すべきかは悩んだ。
もしも忘れられたままで、誰だと問われるようであれば『休学してた押切ゆうです、よろしくね』その挨拶の言葉を口に乗せる練習だってしていたぐらいで、だからこそ戸惑ったところはある。
山本は平気で私の名前を呼び、久しぶりと言葉を投げてきた。フェンスから手を離しこちらへと歩んでくる山本に変わった様子はまったく見られない。
「体調、もう平気なのか?」
「あ、うん。おかげさまで」
「じゃーまた体育で1位だな!」
山本との共通点は運動、それだけだった。
体育中に測定されていた記録が私、押切ゆうの分だけ他の女子よりも飛び抜けていたようで前回は熱心な部活勧誘を受けていたっけ。
もちろん私自身、学生時代に身体を動かす事は嫌いではなかった。だけどそこまで出来た記憶はない。どうやらこの世界においての私は怪我をし難いという点と、高い身体能力が与えられているようだ、というのが前回自分が発見した特異なところだった。それのお陰で…まあ、校舎を逃げ回った時だとか、色々と助けられたことだってある。
そうだ、山本と初めて2人で話したあの日も確かそんな話題だったっけ。
雨になったあの日。朝練が無くなった山本と早く登校した私は教室で自己紹介をして、
『じゃ、さ。今度応援来てくんね?』
『んー?いいよいいよ。全然行く』
あの時も一番乗りだった教室、山本との会話。
この世界において約束というものは非常に恐ろしいと思ったところはある。
だって私は異質な人間で、この世界の人間ではない。
コスプレイヤーの友達とイベントの予定を練ったりするのは好きで、携帯にはそういうイベントの予定が沢山入力されてあるけどこの世界ではそうもいかない。いつ、自分が元の世界に戻るのかわからないのだから。守れない約束はしない主義だ。決して蔑ろにすることはできず、それはこの世界でも適応する。
「…試合、見に行けなくてごめんね」
だけど最終的に、山本との約束は守れなかった。
野球の試合を観に行くことは出来なかった。雨が降ったのか、晴れていたのか。勝ったのか、負けたのか。何も知ることはなかった。「ああやっぱり」暫くして、山本は少しだけ顔を強張らせ、笑った。
「あの紺色のスカート、ゆうだったんだな」
「紺色…?」
咄嗟に思い浮かんだのはディーノさんに買ってもらったワンピースだ。それ以外の私がこちらで用意していた私服と言えばシャツとジーンズと言う動きやすさ重視の格好ばかりのものだったわけで。
どうして試合の約束の話に、そのワンピースが登場したのか分からない。その困惑が伝わったのだろう、ポリポリと自分の頬をかいて山本は苦笑する。
「…オレさ、お前の事忘れてたんだ」
「え」
「酷い話だよなー、ダチの事忘れちまうなんて。ま、言ったところでゆうも混乱するだろうけどさ。」
悪いと頭を下げ謝罪される内容に動揺した。
その後、野球の試合は勝ったのだと嬉しそうに報告してくれたのも、今度は秋にまた試合があるのだということを上の空で聞く。
あまりにも自然に山本が私と話すものだったから。
あまりにも自然に、山本が私のことを覚えていたものだから。
恭弥から教わった情報が誤ったものだったのかもしれないと、全ては私の考え過ぎだったのかと安堵したところがあったのにやっぱり彼の、恭弥が教えてくれたことは間違いなかったのだ。
忘れていた。
ハッキリと山本は言った。きっとそこに深い意味が含ませられていることもなく、本当に忘れていたのだろう。
じゃあいつ思い出したというのだ。恭弥が手続きをとってくれたのは昨日。その日に?それとも――…私がこの世界に再度やってきた、あの日に?
色々と聞きたいことが浮かび上がるけれどきっと彼に聞いたところで答えという答えは返ってこないだろうということは分かる。かと言って誰が教えてくれるか、となれば誰も思いつかないけど。
「オレは難しいことわかんねーけどさ、…まっ、これからもよろしくな」
「あ、うん。よろしく山本。それでさ、」
彼は彼なりに納得したということだろうか。その言葉は山本らしいと言えばとても山本らしく、それでいてとても安心の出来るものだった。
それでも聞いておきたいことはある。
せめてどういう風に思い出したのか。できれば忘れていた時の事とかも。聞いて、持ち帰って恭弥に相談する材料として彼から聞こうとして顔を上げたその時だった。
――バンッ!
「いだぁっ!」
お尻と背中に何か堅いものが当たり、ふっとばされる感覚。気が付けばベシャリと私は無様に屋上の冷たい床に転がっていた。
「ゆう!?」
「…お前、何してんだ」
タイミングというものにも愛されてはいないらしい。
…あのね、私だって女の子なわけです。え?OL?いやそうだけど、少なくとも今は中学生なわけですよ。
地味な女子がクラスで大人気の野球少年と屋上で会話する。そんな夢のようなシチュエーションの最中、まさか漫画みたいにドアでドンッと押され前のめりに吹っ飛んだ後、地面に手と膝をついてOTLみたいな姿になるとは思わないじゃないですか。
話している内容はそりゃ甘ったるいものではなかったけど。
あ、もう既にこの世界は漫画じゃないかって?
そうだよ、このリボーンの世界は確かに私にとって漫画であるに違いない。
だけどそう、そうだけどさ!
「ドアは急に開けないの!」
後ろを振り向いてポカンとした隼人の姿を確認した後、久々の挨拶なんて何のその、噛み付くようにして怒鳴った私は決して悪くはない。そう思いたい。
まだ朝も早い時間だ、部活動に精を出す生徒なら運動場や体育館に居るだろうし普通の生徒であれば8時を超えチャイムが鳴る前に登校するのが常だったというのに。
まさか誰かいるなんて考えてもなくて、それとその思いもしない人物の姿にそのまま回れ右をすることも出来ずに居た。
「……山本?」
見間違いようもない。
私からの位置では横顔だったものの何も言うこともなくフェンスを握ったまま物憂げにグラウンドを見下ろすその姿はなかなか声をかけられる状態ではない。思い詰めた表情の疑念が湧き上がる。
…まさか、飛び降りたりしないよね。
この世界が私の知っている通りに進んでいるのであれば、彼は既にそんな経験をしているはずだ。
だけど随分前にツナがそれを止めているはず。当然私は目にしたものでもないし、この世界にやってくる前の出来事だったけど彼とツナがそれをきっかけに仲良くなっていた話を覚えている。
彼はフェンスの内側にいた。きっと私の思い過ごしであるに違いない。でもどうするべきか。何かするようであれば、止めなきゃ。
最大の不安要素だった、押切ゆうのことは忘れられているという情報を考えると安易に話しかけるのは躊躇われる。だけどこれは一大事にも成り得るのだ、そんなことに構っていられない。
非常事態に備え黙って彼の動向を見続ける。突然知らない女に「早まらないで!」なんてすがられても困るだろうし変人だとレッテルを貼られるのは真っ平だ。
…慎重に、慎重に。
──バタンッ!
「あ」
開けっ放しだったドアが私の後ろで大きな音を立てて閉まった時には顔を手で覆いたくもなった。オーマイガッ。何というタイミング。どうやら私に隠密行動というものは出来ない仕様らしい。ドアが閉まってしまった以上隠れられる場所なんて私に与えられているはずもなくビクリと驚いて身体を震わせた山本がこちらを見る。
目が合った。
「お、ゆうじゃん。久しぶり!」
ハッとしたように目を見開いた山本は私の姿をしっかり目にするとさっきの表情は見間違えだったのかと思えるぐらいに、私の記憶にあるようなニカッと笑みを浮かべ手を挙げる。
「ええっと、…久しぶり、山本」
何を話すべきかは悩んだ。
もしも忘れられたままで、誰だと問われるようであれば『休学してた押切ゆうです、よろしくね』その挨拶の言葉を口に乗せる練習だってしていたぐらいで、だからこそ戸惑ったところはある。
山本は平気で私の名前を呼び、久しぶりと言葉を投げてきた。フェンスから手を離しこちらへと歩んでくる山本に変わった様子はまったく見られない。
「体調、もう平気なのか?」
「あ、うん。おかげさまで」
「じゃーまた体育で1位だな!」
山本との共通点は運動、それだけだった。
体育中に測定されていた記録が私、押切ゆうの分だけ他の女子よりも飛び抜けていたようで前回は熱心な部活勧誘を受けていたっけ。
もちろん私自身、学生時代に身体を動かす事は嫌いではなかった。だけどそこまで出来た記憶はない。どうやらこの世界においての私は怪我をし難いという点と、高い身体能力が与えられているようだ、というのが前回自分が発見した特異なところだった。それのお陰で…まあ、校舎を逃げ回った時だとか、色々と助けられたことだってある。
そうだ、山本と初めて2人で話したあの日も確かそんな話題だったっけ。
雨になったあの日。朝練が無くなった山本と早く登校した私は教室で自己紹介をして、
『じゃ、さ。今度応援来てくんね?』
『んー?いいよいいよ。全然行く』
あの時も一番乗りだった教室、山本との会話。
この世界において約束というものは非常に恐ろしいと思ったところはある。
だって私は異質な人間で、この世界の人間ではない。
コスプレイヤーの友達とイベントの予定を練ったりするのは好きで、携帯にはそういうイベントの予定が沢山入力されてあるけどこの世界ではそうもいかない。いつ、自分が元の世界に戻るのかわからないのだから。守れない約束はしない主義だ。決して蔑ろにすることはできず、それはこの世界でも適応する。
「…試合、見に行けなくてごめんね」
だけど最終的に、山本との約束は守れなかった。
野球の試合を観に行くことは出来なかった。雨が降ったのか、晴れていたのか。勝ったのか、負けたのか。何も知ることはなかった。「ああやっぱり」暫くして、山本は少しだけ顔を強張らせ、笑った。
「あの紺色のスカート、ゆうだったんだな」
「紺色…?」
咄嗟に思い浮かんだのはディーノさんに買ってもらったワンピースだ。それ以外の私がこちらで用意していた私服と言えばシャツとジーンズと言う動きやすさ重視の格好ばかりのものだったわけで。
どうして試合の約束の話に、そのワンピースが登場したのか分からない。その困惑が伝わったのだろう、ポリポリと自分の頬をかいて山本は苦笑する。
「…オレさ、お前の事忘れてたんだ」
「え」
「酷い話だよなー、ダチの事忘れちまうなんて。ま、言ったところでゆうも混乱するだろうけどさ。」
悪いと頭を下げ謝罪される内容に動揺した。
その後、野球の試合は勝ったのだと嬉しそうに報告してくれたのも、今度は秋にまた試合があるのだということを上の空で聞く。
あまりにも自然に山本が私と話すものだったから。
あまりにも自然に、山本が私のことを覚えていたものだから。
恭弥から教わった情報が誤ったものだったのかもしれないと、全ては私の考え過ぎだったのかと安堵したところがあったのにやっぱり彼の、恭弥が教えてくれたことは間違いなかったのだ。
忘れていた。
ハッキリと山本は言った。きっとそこに深い意味が含ませられていることもなく、本当に忘れていたのだろう。
じゃあいつ思い出したというのだ。恭弥が手続きをとってくれたのは昨日。その日に?それとも――…私がこの世界に再度やってきた、あの日に?
色々と聞きたいことが浮かび上がるけれどきっと彼に聞いたところで答えという答えは返ってこないだろうということは分かる。かと言って誰が教えてくれるか、となれば誰も思いつかないけど。
「オレは難しいことわかんねーけどさ、…まっ、これからもよろしくな」
「あ、うん。よろしく山本。それでさ、」
彼は彼なりに納得したということだろうか。その言葉は山本らしいと言えばとても山本らしく、それでいてとても安心の出来るものだった。
それでも聞いておきたいことはある。
せめてどういう風に思い出したのか。できれば忘れていた時の事とかも。聞いて、持ち帰って恭弥に相談する材料として彼から聞こうとして顔を上げたその時だった。
――バンッ!
「いだぁっ!」
お尻と背中に何か堅いものが当たり、ふっとばされる感覚。気が付けばベシャリと私は無様に屋上の冷たい床に転がっていた。
「ゆう!?」
「…お前、何してんだ」
タイミングというものにも愛されてはいないらしい。
…あのね、私だって女の子なわけです。え?OL?いやそうだけど、少なくとも今は中学生なわけですよ。
地味な女子がクラスで大人気の野球少年と屋上で会話する。そんな夢のようなシチュエーションの最中、まさか漫画みたいにドアでドンッと押され前のめりに吹っ飛んだ後、地面に手と膝をついてOTLみたいな姿になるとは思わないじゃないですか。
話している内容はそりゃ甘ったるいものではなかったけど。
あ、もう既にこの世界は漫画じゃないかって?
そうだよ、このリボーンの世界は確かに私にとって漫画であるに違いない。
だけどそう、そうだけどさ!
「ドアは急に開けないの!」
後ろを振り向いてポカンとした隼人の姿を確認した後、久々の挨拶なんて何のその、噛み付くようにして怒鳴った私は決して悪くはない。そう思いたい。
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