こすぱに!

18  

 暗い昏い世界。落ち着くような、それで不安を掻き立てられるような。真っ白よりは、真っ黒の方が好きだけど少し先の道すら見えないその黒は、自分の手すら確認できないその黒は怖い。
 並盛に戻ってきたところまではしっかりと記憶がある。泣いたことも、覚えている。その後ベンチに座った瞬間にぐにゃりと歪んだ気がしていつの間にかこの暗闇の世界だ。
 うずくまっているつもりだけどそれすら出来ているか分からないこの黒の中、ようやく思考が動き始める。


「夢……の、続き?」

 会う前の怯えからこんな夢を見るようになるぐらい私は繊細だったろうか。
 元の世界に戻ってきてから、悔いがあったのだろうと分かる夢はたくさん見た。嘘つきと詰られながらトンファーを振りかぶられた夢を、あの最後の日の学内で不良たちに追い回され、屋上から落ちた夢を。

 初めて来た時から楽しいことばかりじゃなかった。
 けれどどういった理由だかわからないけどせっかくリボーンの世界に来たのだから楽しまなければという当初の気持ちが前回何も知らずにやってきた私を突き動かし、辛い思いは無かったことにした。

 私は自分の中で、私なりのルールを課した。
 彼らがまだ知らないことを話せない、話してはならない。誰に止められた訳でもないけれど私、藤咲ゆうが決めた事だ。
 最後を知っているからこそこの世界を、物語を歪ませてはならない。彼らと深く関わってはならない。私が私であるために。この世界がこの世界のままであるために。
 私が知っている終わりに進むために。

 恐らく私が消えてからも、元の世界に帰ってからも物語は何一つは変わらなかっただろう。異物を受け入れた世界は元にあったように吐き出しただけ。私という存在は何も与えることもなく、何も変えることも無く私の知っている原作通りの話が進み、そして世界はハッピーエンドに向けて歩んでいく。
 押切ゆうは存在しなかった。いや、存在はしていたかもしれなかったけど彼らと関わってはいなかった。異端でイレギュラーな、骸の言葉を借りると先読み。それが私。

 元の世界に戻ってから後悔した。沢山泣いた。
 こんな思いをするのならば、こんな辛い思いをするぐらいならば、初めから関わらなければよかったと。初めから、……そこまで考え、きっとそれは無理だったのだろうとも分かっていて自嘲気味に笑う。


「…どうせ、無理だったんだ」

 どうあっても彼らと関わる事は避けられず魅力的な日常に惹かれていただろう。だからこうやって、また傷つく事も厭わず並盛に自分の意志で、自分の足で帰ってきた。
 会ってどうするかなんてことはまだ決めてもいない。もし前回のことがなかったかのようにリセットされていたならば、忘れられていたら、もし前に来たリボーンの世界とはまた違った…例えばパラレルワールドの1つだったりしたらその時はその時で考えよう。悔いのないように。今度こそ、後悔しないように。

 立ち上がる。一歩一歩踏みしめて歩き始めた身体が少しだけ軽く感じたけど現状に変わりはない。
 自分の手を、頬を軽く叩くとその感覚はある。夢、ではなさそうだけど、じゃあ一体ここはどこだ。


「うーん……」

 どこに壁があるのかも見えないこの黒の世界は不良たちと鬼ごっこをした時のあの暗闇に似ていた。恭弥の姿をしてでざいなーずるーむから出ようとした、あの時の闇と。
 私が私であることすら疑問になるほどの暗闇。私とその闇との境界線は見えない。身体が溶けて、この黒と一緒になりそうなそんな気すらしながら先の見えない前へ。いやこっちも前かどうかは分かったもんじゃないけどさ。


『ゆう』

 その声が聞こえたのは突然だった。
 短い言葉。いや、言葉じゃない。それは、私の…名前?そう気付くと今度は前や後ろではなく、上へと引っ張られていく。やっぱりこれは夢で、私は今から目覚めるらしい。意識が浮上するというのはこういう事を言うのだろうか。暗闇がほんの少し薄くなり一瞬見えた紫色。恭弥の色だ。
 その声も何だか彼の声に似てるだなんて私も都合が良すぎるんだけど、ね。


 パチリ。

 目を開くと今度は視界が真っ赤。何か被っているのだと気付いてゆっくりと取り去るとそこには見慣れた顔がある。

「……」

 目の前に綺麗な顔があればキャーキャー言うものだと思ってた。けれど残念ながら今は驚きでいっぱいでこの事態を把握しようと目を見開く事しか反応ができず。
 …どこだっけ。この頭の下にある温かいものってなんだ。起きたての頭がゆっくりと回転を始めていく。
 ここは並盛だ。並盛の中学校で、この人は雲雀恭弥で、私は彼に膝枕をされていて。
 目を瞑る彼は私の記憶の通りで何も違いなかった。肩が上下している。生きている。呼吸している。
 本物、だ。


「……起きたの」
「あ、…うん」

 そんな私の困惑に気がついたのか恭弥が目を開く。その目がしっかりと私を映し出し紡がれるのは大して驚いていなさそうな声で淡々と。
思っていたような感動の再会シーンとは程遠い。いや期待していた訳でもなんでもないし、というよりはやっぱりこれも私の記憶通りの彼のこの薄い反応の方が彼らしいと言えば彼らしいのだろうか。
 返事をした後、ゆっくりと起き上がり掛けてもらっていた学ランを本人に返すと恭弥は黙って肩へと引っ掛ける。学ランといえば結構しっかりとした作りをしているというのに腕章と同様気合いでくっついているのだというのであれば相当な気合いなんだろう、なーんてどうでもいいことを考えながら彼の様子を伺った。ふわぁと眠そうに欠伸をする恭弥が何を思っているかなんて分かるわけがない。

 ……うーん、これは。

 予想外の事態だ。あまりにも恭弥が普通すぎた為に完全に話すタイミングと、考えていた内容がすっかり飛んでいってしまった。相変わらず恭弥は私の横で座りっぱなしだし、大人しいからこそ少し怖いところはある。 
 これなら睨みつけて夢の中でのようにトンファーで…っていやいやそれはそれで恐ろしいから却下な訳で。


「…ごめんね、恭弥」
「帰るよ」

 結局のところ謝罪の言葉しか出なかったけれどその後、恭弥は僅かに目を大きくしたような気がした。それも一瞬のことで、すぐに立ち上がり前を向いてしまった為に私はそれ以上彼の顔を見ることが出来ない。
 やっぱり怒っているだろうか。…いや、そうだよね。怒ってるよね。何を言われても仕方がない。覚悟は、してきた。また受け入れてもらいたいだなんて私の甘えでしかない。
 でも、帰ると言われても私にそんな場所はなく。私の帰る場所は元の世界しかない。彼の話す内容を理解しようにもあまりにも言葉が少ない。どうしていいのか分からず恭弥の次の言葉を待った。


「バイク、取ってくるから」
「?う、うん」
「君はそこで」

 ああ、何て懐かしいやり取りなんだ。君は覚えているだろうか。待つことが出来なかった、破ったその約束。今度こそそれは、守りたい。ただその後拒絶されたとしても。
 途中で言葉が途切れたけど、あの時と同じく待っててという言葉が出てくると思ったのに彼はそのまま黙ってしまった。


「…っ」

 どうしたのかと思わず顔をあげるといつの間にか恭弥はこちらを振り向いている。
 無言で私を見る彼から放たれるのは中学生とは思えない色気。
 そこにはいつもの余裕そうな顔などどこにもなく、ただただベンチに座りっぱなしの私のことを見下ろしていた。
 「君は、」少しだけ屈みこみ伸ばされる手。触れられる頬。じいっと見詰められて私はいつ彼から罰の、裁きの言葉がやってくるか待った。『嘘つきは嫌いだ』と本人から言われる日がようやく来たのだ。安堵と不安。けれど覚悟。それで、それを受け入れ私はようやくこの世界にやってきた一つの理由を喪失する。


「君はすぐどこかに行くから」

 けれど待っていたはずの拒絶の言葉が紡がれることはなかった。
 やがて彼は表情を一切変えることなく今度はもう空いた手で手を引っ張り立たせたかと思うとそのままずんずんと歩き始め、私はそれについていくしか出来ず。

「連れて行く」

 握られた指が、少しだけ痛い。

×
- ナノ -