「委員長、変な女がいました」
「…変な女?」
何とも言えないその発言に思わず眉根を寄せた。
そんな曖昧な報告を許した記憶はなく、僕の思惑などすぐに気付いたのだろう僕が言葉を発する前に草壁がゴホンと隣で大きく咳払いをして続きを言うように促した。
慌てて再度敬礼した風紀委員は詳細を報告する。
「体育館傍のベンチで寝ていたので起こそうとしたんですが、うんともすんとも言わず…」
「顔も青ざめていたようなので保健室に連れていこうかとも思ったんですが、」
言いにくそうな彼らの言葉の先は聞かずともわかる。
彼らの脳裏に過ぎっているのはDr.シャマル。臨時の保健医はどうやら女生徒しか見ないという噂があり、しかもその言動もあまり風紀的にもよろしくはない。僕としては並盛の風紀を一番に考え排除すべきだと思ったけど赤ん坊の知人だと聞いているし腕は良いらしい。仕方なく彼処の領域に関して風紀委員としてはノータッチでいた、という訳だった。
そんな所にわざわざ女生徒を放り込むわけにもいかないし、やはり人命は1番優先すべきこと。並盛中で死人はあまり、いただけない。
「…僕が行くよ」
だから、僕は立ち上がったのだ。
草壁が不思議そうに僕のことを見ていたがどうだっていい。目の前の新人風紀委員の報告は僕を無性に苛立たせた。
変な女は一人で十分足りているのだ。今はいない、彼女だけで。だからこそあそこで寝ているだなんて、例え女であれ許されない。そう思いながら。トンファーを握る手は何時もよりも力が籠もったらしくカチリカチリと金属質な音を出していた。
皆が押切ゆうを忘却し既に3ヶ月が経過していた。あの女生徒の存在はすっかり消え去り、そもそも本当にいたのかとたまに思える事もある。
並盛において彼女の為に残されているのは2-Aにずっと休んでいる生徒のものとして机がひっそりと置かれている事のみ。
『オレが何を忘れるってんだよ』
ついうっかり、彼女が消えた数日後に獄寺隼人へと声をかけた時の返答が不意に呼び起こされた。僕の言葉に対し不思議そうな表情を浮かべ、可笑しいのはお前だろうという副音声まで聞こえてくるようだった。
彼女こそ僕の作り出した妄想か何かだったのだと考えた方が納得できる結末だ。
いっそのこと自分の記憶からも消え去ってくれればと思わなかったことも、ない。
彼のように忘れてしまえば、…いや、忘れている事すら忘れている方が救いだったのかもしれない。けれどそう思った翌日、あの家で彼女の置き土産が残っているのを確認しホッとする自分もいて僕自身のことながら全てが驚くほど矛盾していた。
忘れたくはなかった。
忘れてあげたくなかった。
この世でただ1人、僕だけが覚えていたとしても。
それだけいつの間にか自分の中に根付いていたのだと彼女が消えてから、失ってから気付く。
もう二度とあんな思いをするものか。あんな、引き裂かれるような、辛い思いをするぐらいならば他人に気を、心を許すことなんてもう二度としない。
そう思えば思う程に彼女の存在を強く思ってしまうのだから病気なのかもしれない。囚われていたのは何時からだったのだろう。
『私の事は忘れてください』
……忘れてあげるのが、優しさならば。
「…だからこそ、」
忘れてなど、あげるものか。
そんな優しくなんかない。僕の行動を言葉を、否定せず包み込むように居てくれた彼女の温もりは失った後に気付く。もう遅い。何もする事も、できることもない。
当然だ、彼女は帰ってしまったのだから。
その原因の一つは他校からの、他学区からの侵入。ゆうを襲ったあれは僕の行動に対し恨みを募らせた奴らの集まりだった。
もうあんなことはこの並盛で起こさせない。戦闘に明け暮れ、特に他校生からの攻撃には更に容赦も無くなり追撃の手は緩めない。最強で最凶の名を欲しいがままにしていたがそんなこと、どうでも良かった。
今回もそうだ。女であったとしても、病人であったとしても関係ない。あの場所を汚す人間は容赦はしない。彼女が消えた場所。ゆうとの、最後の記憶の場所だ。
『待ってて』
『……うん』
あの場所を隔離し人避けをしようとも考えなかったこともない。
だけどそうすれば余計に虚しくなりそうだったし何よりも、待っていろと言ったのは他ならぬ僕だ。そこを撤去したり区別をつけると、今度こそ彼女は帰って来れないじゃないか。
「……なんて、ね」
帰ってくるわけがない。いや、彼女にとっては帰って来るのではなく、元にいた世界からこちらに再びやってくることは無い、というべきか。
ゆうはゆうの世界に戻ったんだ。こっちに未練なんて、あるわけが無い。
僕を、残して。
僕に、刻み付けておいて。
彼女の事を許さない、と思ったのは最初の数日だけだった。その後は1人、誰もが忘却した中でゆるゆると過ごしていた。ぬるま湯に浸ることはこの上なく不快で、だけどこの気持ちの処理方法を僕は知らない。
もう3ヶ月だ。そろそろ前に進まないと、とは思っているのにそれがどうにも上手くいかない。それに先日の電話も、それからこの学校に突如やってきたスーツケースも気にはなっている。
例の場所へと辿り着くと誰かが横たわっているのが見えて命知らずな人間もいたものだと半ば感心もした。けれど青ざめていたのであれば本当に救急車を呼ぶ羽目になるかもしれないと、ベンチに寝転がる女生徒に近づいて行く。
―――ドクン。
心臓が高鳴ったのはその、寝転がった女生徒の小ささだった。
―――ドクン、ドクン。
その、珍しく膝丈の校則通りのスカートだって靴下だって、真面目な学生ならありきたりで。
近付けば近付くほどに思い描いた彼女に似ていた。最早息の仕方も忘れ、駆け寄る。静かに身体を横にした女生徒はうつ伏せになっていて顔を見る事は叶わない。
手を伸ばす。半ば確信に近いものを抱きながらその頬にかかった髪を退けようとしたその時だった。
「お前はそいつのこと、覚えてたのか?」
「!」
話しかけてきたのはいつの間にかベンチの傍にいた赤ん坊だった。
相変わらず強さが垣間見えるその小さな体は、だけどこの目の前の彼女で頭がいっぱいになっていたことで気が付かなかった事に自分でも驚いている。
「君もかい?」
「いや、…つい最近思い出したみてーだ」
そうか、彼とも面識があったんだ。そういえばゆうは自分の交友関係も自分からロクに話すことはなかったっけ。クラスも一緒だったしそれはそれで十分にありえただろう。けれど今はそんな事を話している場合じゃない。それよりも大事な事が、ある。
目の前の彼女は、この人はゆうだ。きっと先に赤ん坊は彼女の顔を見てそう確信しているのだろう。”忘れたこと”も思い出している、知っている。つまり忘却していた彼らも思い出し始めるのかもしれない。彼女が此処へ、やって来たことによって。だけど、
「悪いけど後にしてくれるかい?」
「落ち着いた頃、そいつから話を聞かせてもらうぞ」
「…好きにしなよ」
そう答えるとほんの少しだけ赤ん坊の口元が歪んだ気がするが今は、どうでもいい。
小さな気配が完全に去った事を確認すると地面に片膝をつき、未だ静かに眠る彼女の顔を隠す前髪を指で避けるとそこには見慣れた、……しばらく、見ることの無かった、焦がれた顔がそこにあった。
「ゆう」
恐恐と触れるその頬は僕の記憶の通りに柔らかい。
顔色は悪く、そして腕にはさっきまで爪を立てていたのか痛ましい跡が残っていた。それから目尻には、一筋の涙。
けれど、彼女は生きている。
浅い呼吸をしているのはもしかしたら夢の中で魘されているのかもしれない。起こしてやりたくなるのを、彼女に声をかけ抱きしめたくなる衝動を抑えながら僕は静かに彼女の額に自分の額を合わせた。温かいこれは夢じゃない。
「…ゆう、君は」
君はいつもみたいに困った顔をしながら許してくれるだろうか。
泣いている君が此処へ来たのはもしかすると望んでではなく世界に振り回され嫌々ながらだったのかもしれないのに、再会に安堵する僕を嫌いにならないだろうか。
まるで約束を守りに此処へ、別れたこの場所へ来てくれたのかと自惚れる僕の思考を嘲笑うだろうか。
…君は、
こすぱに!
「君は、僕を忘れてない、だろうね…?」
「…変な女?」
何とも言えないその発言に思わず眉根を寄せた。
そんな曖昧な報告を許した記憶はなく、僕の思惑などすぐに気付いたのだろう僕が言葉を発する前に草壁がゴホンと隣で大きく咳払いをして続きを言うように促した。
慌てて再度敬礼した風紀委員は詳細を報告する。
「体育館傍のベンチで寝ていたので起こそうとしたんですが、うんともすんとも言わず…」
「顔も青ざめていたようなので保健室に連れていこうかとも思ったんですが、」
言いにくそうな彼らの言葉の先は聞かずともわかる。
彼らの脳裏に過ぎっているのはDr.シャマル。臨時の保健医はどうやら女生徒しか見ないという噂があり、しかもその言動もあまり風紀的にもよろしくはない。僕としては並盛の風紀を一番に考え排除すべきだと思ったけど赤ん坊の知人だと聞いているし腕は良いらしい。仕方なく彼処の領域に関して風紀委員としてはノータッチでいた、という訳だった。
そんな所にわざわざ女生徒を放り込むわけにもいかないし、やはり人命は1番優先すべきこと。並盛中で死人はあまり、いただけない。
「…僕が行くよ」
だから、僕は立ち上がったのだ。
草壁が不思議そうに僕のことを見ていたがどうだっていい。目の前の新人風紀委員の報告は僕を無性に苛立たせた。
変な女は一人で十分足りているのだ。今はいない、彼女だけで。だからこそあそこで寝ているだなんて、例え女であれ許されない。そう思いながら。トンファーを握る手は何時もよりも力が籠もったらしくカチリカチリと金属質な音を出していた。
皆が押切ゆうを忘却し既に3ヶ月が経過していた。あの女生徒の存在はすっかり消え去り、そもそも本当にいたのかとたまに思える事もある。
並盛において彼女の為に残されているのは2-Aにずっと休んでいる生徒のものとして机がひっそりと置かれている事のみ。
『オレが何を忘れるってんだよ』
ついうっかり、彼女が消えた数日後に獄寺隼人へと声をかけた時の返答が不意に呼び起こされた。僕の言葉に対し不思議そうな表情を浮かべ、可笑しいのはお前だろうという副音声まで聞こえてくるようだった。
彼女こそ僕の作り出した妄想か何かだったのだと考えた方が納得できる結末だ。
いっそのこと自分の記憶からも消え去ってくれればと思わなかったことも、ない。
彼のように忘れてしまえば、…いや、忘れている事すら忘れている方が救いだったのかもしれない。けれどそう思った翌日、あの家で彼女の置き土産が残っているのを確認しホッとする自分もいて僕自身のことながら全てが驚くほど矛盾していた。
忘れたくはなかった。
忘れてあげたくなかった。
この世でただ1人、僕だけが覚えていたとしても。
それだけいつの間にか自分の中に根付いていたのだと彼女が消えてから、失ってから気付く。
もう二度とあんな思いをするものか。あんな、引き裂かれるような、辛い思いをするぐらいならば他人に気を、心を許すことなんてもう二度としない。
そう思えば思う程に彼女の存在を強く思ってしまうのだから病気なのかもしれない。囚われていたのは何時からだったのだろう。
『私の事は忘れてください』
……忘れてあげるのが、優しさならば。
「…だからこそ、」
忘れてなど、あげるものか。
そんな優しくなんかない。僕の行動を言葉を、否定せず包み込むように居てくれた彼女の温もりは失った後に気付く。もう遅い。何もする事も、できることもない。
当然だ、彼女は帰ってしまったのだから。
その原因の一つは他校からの、他学区からの侵入。ゆうを襲ったあれは僕の行動に対し恨みを募らせた奴らの集まりだった。
もうあんなことはこの並盛で起こさせない。戦闘に明け暮れ、特に他校生からの攻撃には更に容赦も無くなり追撃の手は緩めない。最強で最凶の名を欲しいがままにしていたがそんなこと、どうでも良かった。
今回もそうだ。女であったとしても、病人であったとしても関係ない。あの場所を汚す人間は容赦はしない。彼女が消えた場所。ゆうとの、最後の記憶の場所だ。
『待ってて』
『……うん』
あの場所を隔離し人避けをしようとも考えなかったこともない。
だけどそうすれば余計に虚しくなりそうだったし何よりも、待っていろと言ったのは他ならぬ僕だ。そこを撤去したり区別をつけると、今度こそ彼女は帰って来れないじゃないか。
「……なんて、ね」
帰ってくるわけがない。いや、彼女にとっては帰って来るのではなく、元にいた世界からこちらに再びやってくることは無い、というべきか。
ゆうはゆうの世界に戻ったんだ。こっちに未練なんて、あるわけが無い。
僕を、残して。
僕に、刻み付けておいて。
彼女の事を許さない、と思ったのは最初の数日だけだった。その後は1人、誰もが忘却した中でゆるゆると過ごしていた。ぬるま湯に浸ることはこの上なく不快で、だけどこの気持ちの処理方法を僕は知らない。
もう3ヶ月だ。そろそろ前に進まないと、とは思っているのにそれがどうにも上手くいかない。それに先日の電話も、それからこの学校に突如やってきたスーツケースも気にはなっている。
例の場所へと辿り着くと誰かが横たわっているのが見えて命知らずな人間もいたものだと半ば感心もした。けれど青ざめていたのであれば本当に救急車を呼ぶ羽目になるかもしれないと、ベンチに寝転がる女生徒に近づいて行く。
―――ドクン。
心臓が高鳴ったのはその、寝転がった女生徒の小ささだった。
―――ドクン、ドクン。
その、珍しく膝丈の校則通りのスカートだって靴下だって、真面目な学生ならありきたりで。
近付けば近付くほどに思い描いた彼女に似ていた。最早息の仕方も忘れ、駆け寄る。静かに身体を横にした女生徒はうつ伏せになっていて顔を見る事は叶わない。
手を伸ばす。半ば確信に近いものを抱きながらその頬にかかった髪を退けようとしたその時だった。
「お前はそいつのこと、覚えてたのか?」
「!」
話しかけてきたのはいつの間にかベンチの傍にいた赤ん坊だった。
相変わらず強さが垣間見えるその小さな体は、だけどこの目の前の彼女で頭がいっぱいになっていたことで気が付かなかった事に自分でも驚いている。
「君もかい?」
「いや、…つい最近思い出したみてーだ」
そうか、彼とも面識があったんだ。そういえばゆうは自分の交友関係も自分からロクに話すことはなかったっけ。クラスも一緒だったしそれはそれで十分にありえただろう。けれど今はそんな事を話している場合じゃない。それよりも大事な事が、ある。
目の前の彼女は、この人はゆうだ。きっと先に赤ん坊は彼女の顔を見てそう確信しているのだろう。”忘れたこと”も思い出している、知っている。つまり忘却していた彼らも思い出し始めるのかもしれない。彼女が此処へ、やって来たことによって。だけど、
「悪いけど後にしてくれるかい?」
「落ち着いた頃、そいつから話を聞かせてもらうぞ」
「…好きにしなよ」
そう答えるとほんの少しだけ赤ん坊の口元が歪んだ気がするが今は、どうでもいい。
小さな気配が完全に去った事を確認すると地面に片膝をつき、未だ静かに眠る彼女の顔を隠す前髪を指で避けるとそこには見慣れた、……しばらく、見ることの無かった、焦がれた顔がそこにあった。
「ゆう」
恐恐と触れるその頬は僕の記憶の通りに柔らかい。
顔色は悪く、そして腕にはさっきまで爪を立てていたのか痛ましい跡が残っていた。それから目尻には、一筋の涙。
けれど、彼女は生きている。
浅い呼吸をしているのはもしかしたら夢の中で魘されているのかもしれない。起こしてやりたくなるのを、彼女に声をかけ抱きしめたくなる衝動を抑えながら僕は静かに彼女の額に自分の額を合わせた。温かいこれは夢じゃない。
「…ゆう、君は」
君はいつもみたいに困った顔をしながら許してくれるだろうか。
泣いている君が此処へ来たのはもしかすると望んでではなく世界に振り回され嫌々ながらだったのかもしれないのに、再会に安堵する僕を嫌いにならないだろうか。
まるで約束を守りに此処へ、別れたこの場所へ来てくれたのかと自惚れる僕の思考を嘲笑うだろうか。
…君は、
こすぱに!
「君は、僕を忘れてない、だろうね…?」
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