こすぱに!

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 やっぱり学校は始まっているらしい。
 授業中の時間ではあるけど突然授業道具も何もかもを持たずに教室に入るほどの勇気はない。
 それは流石の恭弥も分かってくれたのかどうやら見逃してはくれるようで。どこかに移動しようとしているのは分かるんだけど一体…どこへ。前を歩く背中に問いかければすぐに答えは返ってくる。


「家は覚えてるの」
「えっ、と…泊めてくれるの?」
「…嫌なら「い、いやいや!ありがたいですほんとに!宿が無くてどうしようかと思ったから!」……そう」

 当然というぐらい極々自然に聞かれたせいで覚悟していた野宿生活の選択肢すら消えてしまった。本当に私は少しの間ここを離れたのかと問いたくなるぐらい恭弥の態度は変わらない。
 私の顔を見ることなく歩きながら会話する恭弥は、けれど手を離してくれる様子はない。それどころか強く握りしめられたままで段々右手の感覚が無くなってきたんだけどこれは一体どうすべきか迷ってしまう。


「…」

 ちらりと校舎の方を見た。
 特に視力が良いという訳ではないけど取り敢えず誰かが廊下を歩いてこちらを見ている様子はない。あの時のような嫌な感じもない。
 今まで家の外でこうやって触れた事がなかったせいか、他の誰かに見られていないかやけに周りを気にしてしまうというのに当の本人は慌てる素振りすらない。何とか離そうと試みても無駄に終え、もうこれは私は知らないぞー…なんて、諦めながら溜息を小さくついた時だった。ピタリ、と私の一歩前を歩く恭弥が後ろを振り向いたのは。
 突然止まったものの引っ張られ続けた私がそう簡単に止まれるわけもなく恭弥の肩に思いっきり鼻をぶつけ悶絶する。


「っいだぁ…」

 車も私も急には止まれません。
 大して高くもない鼻が折れるかと思った。本当に。あまりの痛みに空いた手で鼻を抑え抗議の声をあげようとしたけれどそれは喉の奥に消えていった。
 いつの間にか振り返っていた恭弥はさっきと同じ表情を浮かべていて、その目は逸らすことなくジッと私を見ている。


「僕は別に、見られても構わない」
「…え」

 手は、更に強く握られた。
 ちょうど同じことを考えていたに違いない。まるで心を読まれたのかと思えるそのタイミングに言葉を失う。それはどういう意味だか、本当に分かっているのかと問いたくなったというのにそれすら彼の視線は許してはくれなかった。
 思わず空いた手でぎゅうっと握りしめた紙袋がくしゃりと音を立てる。


「あれぐらいのこと、僕が気にすると思ってるの?」
「………」
「貴女がしたことを無駄とは言わないけど、こんな事を弱味だなんて思わないよ」

 あの時の事だ。
 2人で撮られた写真を弱味だと思って、恭弥の姿に転じて並盛中学を走り回った日。きっと彼はあの後、私がどうして恭弥の格好をしていたか知ったに違いない。

 あの時、前回の、別れの日。
 2人でいた時の写真を隠し撮りされたその写真をネタに呼び出された押切ゆう。私は恭弥が呼び出されたものと思い込んで、……”でざいなーずるーむ”で彼の姿になり、それから呼び出した人間と対峙した。
 結局私に何かできたわけじゃない。私が何もしなくても解決されただろう。
 それはこの世界が何事もなく原作通りを進んでいるのと一緒だ。私がいようが居まいが、関係なかった。だけど間違いなくあれは私が現れたせいで起きてしまった事件で、だからこそ私が動くべきだと思って。…だけど、結局は恭弥が全部1人で片付けてしまって。ただ私が負傷し、元の世界に戻っただけで。

 恭弥からすれば面倒な話だったに違いない。余計なことをしたお陰で、事態はややこしくなってしまったのだから。だからこそ怒られると、嫌われて、殴られるぐらいは覚悟していたのに。
 無駄じゃないと。お節介だと言われなかった。あの時の自分の行動を否定されなかった。
 それだけでホッとしたところはあったというのに彼は尚、言葉を紡ぐ。ふ、とその視線が柔らかくなったと思ったのは私の自惚れだろうか。


「…おかえり、ゆう」
「あ、」

 違和感はそこにあった。

 やっと、名前を呼ばれた。
 お帰りと言われた。

 ここは決して私の帰る場所ではない。私の元居た場所ではない。だけど、おかえりと。ここは、彼が作ってくれた私の居場所。それがどうして、こんなに。
 泣きそうになりながらも私はそこでようやく、笑みを浮かべ。


「ただいま恭弥」

 自分なりに最高だと思う笑顔だったというのに「馬鹿面」だって。その言葉さえ嬉しいのだ、重症である。




 しばらくぶりの家は何も変わってはいなかった。
 また最近は風紀の仕事が増え始めていたらしく、少しだけ生活の跡がある。食器棚には私が買っておいた食器なんかがまだあって、捨てられていなかったことに少し驚いたところはあるけどきっと恭弥のことだ、こんなところまで気にしていなかったに違いない。
 奇跡的にも冷蔵庫の中には僅かながら食材があり、何とか付け合せで簡易な夜ご飯。私も結構歩いたりしていたせいか意外とお腹は空いていたらしい。育ち盛りだから仕方ないよね、と自分に言い訳。ええ、もう成長期なんてないんですけどね!わかってますとも。


「…ふふ」
「何」
「ううん、何だか…本当に久々だなあって思って」

 M・Mと生活をしていた上で知ってはいたけどやっぱりここの世界に来る時は大体、時差というものが存在しているらしい。元の世界では1ヶ月しか経過していなかったというのにここの世界では私が消えてから3ヶ月も経っていることになっている。それであっても随分彼と会うのは久々な気がしたけどこれはきっと毎日リボーンの世界の事を考えていたせいだろう。

 本当に、随分と久しぶりだ。さっきはお帰りなんて言われてびっくりしたけどそれ以外は静かにご飯も食べ今はゆっくりコーヒーを飲んでいる彼はあれから全く変わりのない恭弥だ。
 …何だか、私ばっかりが自分の世界に戻って泣いたりしていたのだと思うと少しだけ恥ずかしくなってしまったけど、あの時の私の様子は当然誰も知らないからこのまま闇に葬られればいい。


「ゆうが居なくなってからの事なんだけど」

 色々な考えが吹っ飛んだのは、とんでもない話を聞かされたから。
 驚くことに私が居なくなってから、元の世界に戻ってから皆は私の事を忘れたらしい。…とは言われても、そもそも押切ゆうという存在は私がやって来てから降って湧いたように作られたものである。誰だったっけな名前…ええと、押切という家族の中にひょっこりと現れた私。いつのまにか馴染んでいた、作られた私という存在を疑問に思わない訳がなかった。
 だから私が帰った事によってそれが無かったことにされたのであれば寧ろそっちの方が納得出来るものであって。しかも今もまだ誰が私の事を忘れてしまっているのか、覚えているのかは分からないと聞かされればもう一つ新たな疑問点が浮き上がる。


「何で恭弥は覚えてるの?」
「……知らない」

 少しだけ間が空いたけどそのままふいっと顔を背けてしまった。失礼ながら彼に何でも話せるような固有の友人がいることなんて聞いたこともない。私のことを覚えていたのがこの世界で彼だけなんて何と残酷なことなのか。元にいた世界で不思議な体験をしたのは私だけ。だから会社の同僚が、コスプレの友人が知らないのは当然だ。
 だけどこの世界は違う。
 私が押切ゆうとしてやって来て関わったのは恭弥だけではなく他にもたくさん居たのに、彼だけ私を忘れることがなかった。もしかしたらあまりにも、私が近付きすぎたからなのかもしれない。


「…ごめんね」
「何のことか分からないな」

 恭弥がしんみりとした空気を嫌うのはわかっていたけど謝罪の言葉が口をついて出てしまうことを、止める事はできなかった。
だって私は彼に謝ることしか、ないのだから。彼が許してくれていたとしても、私はここに存在しているだけで十分に面倒をかけていることはよくよく理解している。
 それでも彼はここに私の居場所を、居ることを許してくれているのだから余程寛大な心の持ち主というか、器が大きいというか…結局のところ当初私をここに置いてくれた時と同じ目的である並盛に害を成さないように見張っているのか、はわからなかったけれど。


「で、次にゆうの番」

 コーヒーを飲み終えた恭弥は足を組み換え目の前で座る私を静かに見つめた。この視線、何だかいつかの応接室でのやり取りのあの時に似ているな…なんて思うと首をすくめ身体を縮こませてしまうのは最早反射に近いのだろう。
 …だけど、私の番とは。
 その言葉の意図をいまいち掴む事ができずキョトンとしていると彼はハァと大きく溜息をついた。骸とは違って、恭弥の方が随分と人間味があるというか…いや、2人して私の事を馬鹿にしているのは確かなんだけど冷たさがきっと違うんだろうなあ。
 そんな事を思っているなんて当然知るはずもない恭弥は私が未だに何も言わないことに苛立ったのか僅かに眉をひそめ、そうして言い放つ。


「黙っていたこと、全部言いなよ」

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