こすぱに!

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 不思議そうな顔をしたゆうには特に説明もせずエレベーターに詰めて14階のパネルを押した。
 何か聞きたそうな表情をしていたけれど残念ながら、これだけは話すことはできない。大人しく素直に頷いた彼女を乗せた箱が上へとあがっていくのを確認すると私はゆっくり後ろを振り向いて声をかけた。


「尾行だなんてあんたらしくないじゃない」

 逃げる必要も、戦う必要もない相手だと分かっていたからこそ武器も持たずに出歩いていた。
 彼が後をつけていることなんて私が骸ちゃんの元から帰る時からずっと気付いていたわ。私がクラリネット無しでは使えない女だと甘く見すぎじゃないかしら。それに野生動物的な力を持っているといっても気配を消すのも尾行も下手くそだなんてそれで本当に獲物が捕まるものなのかしらと馬鹿にもしたくなってしまう。


「ちぇー、バレてたか」

 やがて、建物の影から現れたのは私の予想通り一人だけだった。
 城島犬。
 骸ちゃんと同じタイミングで私が入っていた牢獄にやってきた3人組の内の1人。一番黙って行動するのに適していない彼がこの役に抜擢されただなんて骸ちゃんらしからぬ人選ミスじゃないかしら。それでも彼を少しだけ褒め称えてもいいと思ったのはゆうの前に姿を現さなかったこと、ゆうに手を出さなかったことの2つ。それだけ。

 最初こそ疑っていたけどゆうは一般人だったわ。
 荷物を持たせてもあまり力仕事をしたこともなさそうな細い両手で一生懸命持ち上げて汗を流しながら私の後ろを歩いてきたし、ちょっと日本人らしいといえば日本人らしい押しに弱そうな性格も、礼儀正しい様子も私は結構気に入っている。だから彼女を雇ったのだから。面倒くさそうじゃないし、旅行で来たのなら数日私が預かったとしても警察沙汰になりそうじゃないし。しばらくは荷物持ちで、私の暇つぶし相手になるために雇った子。
 私が拾った私の子に、誰も手なんか出させる訳はいかないじゃない。


「オレは骸さんに命令されただけだし」
「…そう。じゃ、もう私の居場所は分かったから帰ってくれる?」

 骸ちゃんも骸ちゃんだわ。私に直接聞けばよかったじゃない、何処に場所を手配したかどうかなんて。そう思ったけれど私と彼の間には信頼関係というものは一切なかったことを思い出す。
 私は彼に雇われた身。お金を得て、それから成功した時の達成金を受け取る為に私は日本にいる。雇い主である彼は聞く権利もあるし、私はそれを聞かれたとしたら答える義務が発生する。そういう関係。だけどきっと骸ちゃんのことだ、どうせ私が何を返したとしても犬を尾行させていたのだろうとそれも理解は出来た。

 だけど、ここまでよ。
 私のテリトリーに入っていい人なんていないわ。吐き捨てるように言うと煽り耐性のない犬は骸ちゃんに用意された制服の胸ぐらを掴む。遠慮のないそのやり方に少しだけ身体が浮くけど私だって譲れないところがある。視線を外さず犬を睨みつけると彼も同時に私のことを睨みつけていた。


「……」
「…かっわいくねー女」

 骸ちゃんの言うことが絶対の犬。お金が全て、お金だけが絶対の私。
 彼と私には埋められない溝と、理解のできないものがある。
 骸ちゃんは確かにお金を持った人間だけど、何を考えているかわからないし全部を信じきれるだなんて私には考えられないわ。世の中お金。お金以外何を信じられるっていうの。口が無いから私に命令することもない、私を縛ることも、かき乱すこともないお金が全て。
やがて犬は胸ぐらを掴んだそのままの体勢で私を壁に押し付けた。ガンッという音がして後頭部をぶつけたとしても私には関係ない。骸ちゃんの言うことは確かに聞くけれどこの人に私が従う義務はない。


「お前に友達ごっこなんてしてる暇はねーんらよ」
「”友達”?…それ、何のジョーク?あの子は使えるから私が雇っているのよ」
「へぇ〜おまえがねえ」

 どうして骸ちゃんがこんな頭の悪い男を部下にしたのか私には分からなかったわ。
 これならまだ冴えない眼鏡男の方が使えそうだもの。切り上げるに越したことはない。


「話はもう良い?待たせてあるんだけど」
「オレも骸さんからお前のツレをちょっと見てこいっていう命令だかんさ〜。悪く思うなよM・M」

 ヒャハハ!なんて頭の悪そうな笑い声にとうとう舌打ちは止められなかった。気が付けば犬は私を壁に追いやりながらエレベーターを呼んでいたらしい。開いたと同時にエレベーターの中に投げ入れられ顎で示され渋々14階を押す。暴力的な男ね。いつか痛い目に合うと良いわ。


 エレベーターの中はもう最高に居心地が悪かった。
 骸ちゃんの命令だから仕方ないけどゆうと一目見せたら早く帰さなくちゃ。余計な事を言わせないでおかなくちゃ。
 まだあの子には私の事をバラされたくはないと思えたのはどうしてなのか、私にもよくわからなかった。邪魔なら消せばいい。クラリネットを手にして、あの子に一吹き。それだけで全てが終わるのはわかっているし今まではそうしてきたというのにどうしてだかあの子は、あの子だけは壊したくはなかった。
 元々、私の仕事が本格的に始まる前には手放すつもりだもの。今だけ、私の、私だけの子をどうしてこんな男に見せなきゃならないというの。

 苛立ちを募らせながら到着すると何故かゆうはドアの外にいて、そこでようやく彼女に鍵を渡していなかったことに気付く。


「…っあ、おかえり……あれ?」

 私の姿を見かけるとホッとした様子をしたゆうは、だけど私の後ろにいる犬を見て目を見開いた。まさか知り合いなわけ…もないか。有り得ない。きっと大人しそうなゆうのことだしガラの悪そうな男が来たから驚いたのかもしれない。
 犬は私の隣に移動し、説明しろとばかりに私を見て頷き、仕方なく彼を紹介した。


「…仕事、仲間なの」

 本当に、嫌々だけど。
 ゆうは私の言い付け通り名乗らず、静かに「こんにちは」とだけ小さく頭を下げて挨拶をした。大きい黒の縁眼鏡をした、おさげのゆう。見たところ真面目そうだし、服こそどうしてだか制服だったけど私達だって制服姿だからあまり違和感はない。
 それっきりゆうは私の顔色を伺うように不安げにこちらを見るから私はようやくそこで口元を緩めてゆうに微笑みかけた。

 そう、それでいいの。

 ゆうは繋がる必要なんてないの。あなたは私が見つけたから。私のだから。こんなヤツと出会う必要も本当はなかったけど。
だけど残念ながらこの城島犬っていうのは人の気持ちも考えられなければ、場をとことん楽しむ気質らしい。


「お前こいつの何?」
「えっと、」

 突然の質問にこれもどうしていいかわからなそうなゆう。早く切り上げないと。この男が変な事を言う前に。ゆうの、私を見る目が変わる前に。私の手を、離す前に。
 ――だというのに、


「お友達です」

 なんて、言われたら。
 楽しげに、嬉しげに、律儀に買い物袋を持ったまま、きっと重いだろうに汚さないように一生懸命その非力な腕で持ち上げて私の帰りを待って、それにこんな変な男の不躾な質問に対して答えるゆうを見たら私は何も言う気すら失ってしまった。
 友達ねえ?とニヤニヤしながらこちらを見てくる犬が憎たらしいけどそんな事どうでもよくなってしまったわ。
 思わず駆け寄ってゆうに抱きつくとびっくりした彼女は袋を一つ落としてしまったけどそんなの関係なかった。

 ”お友達です”、だって。

 それ、私が一番笑えないって。何の冗談?って今、切り捨てたところなのよ。
 どうしてそう答えたの?妥当な答えが見つからなかったからその単語を選んだの?全部聞いてしまいたくなったけどどうでもいい。犬に後ろから口笛を吹かれたけど、どうでもいい。


「じゃー、オレは帰るから」
「あの、これよかったら」
「んあー?」

 ゆうが私を抱きしめたまま、何かゴソゴソと袋から取り出した。
 私はゆうに抱きついているから何か見えなかったけどふんわりと甘いフルーツの匂いがしたのだけはすぐに分かった。スーパーの果物コーナーで小難しい顔をしたゆうが選んでいたものに違いない。嫌いだったら選ばなかったらよかったのに、と何気なく思ったのはよく覚えていた。


「お仕事仲間さん、よかったらどうぞ」
「…サンキュ」

 私のお金で買ったものだけどそれを言及することもなかった。早く犬が帰ってくれるなら何でもいい。ゆうに疑いの目がかからなければ、何でもいい。
 ゆうの周りを一周回って少しだけ首を傾げた後、「匂いはねーな」と一言呟き、そこでやっと私は骸ちゃんが犬を寄越したのは鼻が利く彼の特技を活かしゆうから血の匂いがないことを確認するためだったということ、それから骸ちゃんの用心深さを再度思い知ることになった。


「じゃーなー」

 犬はそれ以上何もいう事なくヒラヒラと手を振ると行きとは違ってスーパーの袋を一つ引っさげて去っていく。
 エレベーターのドアが閉まったのと同時に私はやっと安堵の息をついたのだった。
 

「…M・M、怒ってるの?」
「怒ってないわよバカ!」
「ぐえっ、苦し」

 本当にあんたは馬鹿だから言ってあげない。
 あんたに言われた言葉が嬉しくおもっただなんて、絶対に教えてあげないんだから!


「骸さん見てください!M・Mにもら「クフフ、君は本当に、学びませんねえ!」
「キャンッ!」

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