こすぱに!

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 骸ちゃんと出会ったのは彼の処刑予定日の前夜だった。

 私の武器は愛用している特殊なクラリネットから出る音波を利用し人間だって何だって沸騰させてしまうものだけど、それだけじゃなく体術だってそこそこ自信がある。こう見えて今まで誰ともチームを組まず、どこにも所属せずにそれなりに諜報活動も暗殺だってこなしてきた。大丈夫、これからも1人でこなせるわ。
 だって私は強いもの。
 今回はちょっとドジって牢獄に入れられたけどそれだって何の問題もなかった。誰も逃げることのできない脱獄不可能とされるヴィンディチェの牢獄、あそこに投獄される以外であれば活路を見出す力も、知恵もあるつもりよ。

 それでもあの時あまり逃げるつもりがなかったのは私の死刑執行期日がまだ先であったこと、それから次の行動潜伏場所も雇い主もどうやって探そうかしらと悩んでいたからであってその面倒臭さから私の行動は随分ゆっくりだった。
私のことをいやらしく見てくる見張りの男をかわしつつ、でもこの男だったら弱そうだしちょっと泣いてみせて飴でも与えてみせてば脱獄だって可能だという安心感だってあった。
 これからもこの生活は変わらない。

――そう思っていたのに。あの日、すべてが変わった。


 あの日もそうだった。そんなに変わらない一日の終わり。時計なんて与えられてはいないけど彼がやってきたら夕食の時間であるということだけは分かった。飴を与えている馬鹿な見張りの彼が静かにコチラを見ている事に気付いて小さくウインク。だけど何の反応もなく、何時ものようないやらしい視線じゃないこと、そしてある違和感を覚えて私は彼が用意した食事を取りに、檻の方には近付かなかった。


『あんた、だれ?』
『…』

 静かに俯いていた男はゆっくり顔をあげる。
 その顔は驚くほど無表情で、だけど私と目が合った途端楽しげに笑んだ。ぞくりとするその顔に近付いていなかった自分の本能を褒めたたえたい気分にもなったわ。

 だって、彼の手にはいつの間にか三叉の槍が握られていたから。
 彼の目は、赤く、そして怪しげに輝いていたから。


『何故、見破ったのですか?』
『私たちは秘密の関係でね、合言葉を用意していたの。知らないあんたは、誰?』
『…それはそれは』

 男は小さく呟いた。
 君のことを見くびっていました、と。それはこの牢獄の中でただでさえ冷えている私の身体をさらに震わせた。目の前のあの男は、私が脱獄をするのに使おうとした男じゃない。

 あなただけ特別ね。
   あなたにだけ教える。

 そんな言葉に酔いしれ、ここの牢獄の情報を私にベラベラと話した、あの頭の悪い男じゃない。見た目は確かにあの男ではあるけど、これは。


『僕は六道骸と、言います』
『……聞いたことあるわ。でも、一つ下の牢獄に』

 囚われているはずなのに、と紡がれるはずの次の言葉は喉の奥に消えた。…本当に、六道骸が下の牢獄に?そんな疑惑を抱いたから。

 此処はマフィアを収容する牢獄の中では小さい方だった。彼、六道骸の罪状を聞いた限りはこんな小さな場所に大人しく閉じ込められているような男じゃないことは私も前から気にはなっていた。
 それに、彼の死刑執行日は明日だ。私の処刑日と彼の処刑日は前後していたはずだから間違いの無い記憶。だから私はそれに乗じて逃げようと思っていたのに。


『脱獄まで大人しくしていた、というわけかしら』

 私が六道骸なら同じことを考えるだろう。
 逃げるのであれば行動を移すのは今日に違いない。つまり、彼は大人しくわざと捕まっていたということなのか。それとも、そもそも下に閉じ込められているらしい六道骸は六道骸なのか。
 疑問は浮かんだけれど当の本人が六道骸を名乗るのだから疑う必要はない。それより今、心配しておかなければならないのは私の身だ。私の問いに答えることもなくクフフと笑う彼は、私の味方でないことだけは、確かだったのだから。


『…その食事に何を混ぜたの?』
『聡い女性は素晴らしく非常に厄介だ。…いえ、ただの毒薬です。どうせ同じ死ぬのなら建物に押し潰されるよりはこっちの方がいいと思いまして』

 優しさですよとにっこり微笑んだ彼の言葉が嘘ではないと分かったのは次の瞬間だった。耳をすませば誰かの苦しむ声が否が応でも入ってくる。

 喉が焼ける、と。
 肌がただれる、と。

 助けてくれ。許してくれ。

 ガンガンと頭をぶつけているような重い音、吐瀉する音、そして悲痛な叫び声に思わず眉根を寄せると六道骸は静かに笑った。けれど私はそれどころじゃない。その食事に混ぜられていたのであれば今度は私の番。私を、いや、ここにいる見知らぬ全員を殺す気なのだ。食べないと知ったら私に逃げ場はない。
 ここは檻の中。彼は外。

 そして、彼は鍵を持っている。…冗談じゃない。こんなところで死んでたまるものですか。やり残したことがたくさんあるというのに。
こんなところで、死ぬなんて有り得ないわ。


『……ねえ、私のこと、雇わない?』

 自分を売り出すのは初めてだったわ。
 そんな事するのって大体これから活動を始めるような新人か無名ぐらいで私のプライドがそれを今ならまで許さなかったわ。だけど生死がかかっている状態でそんなことを言ってられやしない。

 私らしからぬお誘いの言葉にほう、と六道骸は器用に片眉を釣り上げる。お前に何が出来るのかと問われているようで、それはつまり私の言い分を聞くつもりということでしょう?圧倒的に有利の立場である彼はそんな余裕さえある。


『長い間諜報活動をしてきたわ。マフィアを追放された貴方の為に欲しい情報を持っているかもしれない』
『ふむ』
『それと、……そうね、そこそこ聞き分けのいい使えそうな囚人を数人、選んであげられる』

 生きていたら、の話だけど。と苦く笑いながら答えると六道骸はその私の提示したものに関して少しだけ興味を示したらしく名前を問う。私が知っている限り使えて、だけどその中でも弱そうな人間を数人ピックアップしたら「それはもう死んでいます」と答えられ、残念ながらほんの一部しかもう生き残っていないことを知る。

 どうなることか。私の命はもう六道骸に委ねられている。


『良いでしょう』

 その間の時間は、とても短いようで、長かったことをよく覚えていた。
 合間でも助けを求める声が聞こえ、だけどここで怯えた顔をするわけにはいかない。六道骸の顔を静かに見返していると彼はようやく顔を上げて僅かながらに微笑んだ。


『…良いでしょう、君を雇います。名前は?』
『私は―――そうね、長いからコードネームで呼んでちょうだい。M・Mよ。』
『分かりました、M・M。どうぞ、宜しくお願いします』

 くれぐれも僕の期待を裏切らぬよう。
 その彼の微笑みを見て、私はとんでもない男に交渉したものだと激しく後悔したけれどもう全て遅い。


 それから行き方こそ皆別々だったけれど日本での集合が決まった。
 骸ちゃんはとても紳士で、優しい。あの時の好戦的で打算的で悪い顔はすっかり鳴りを潜め、女性には用意も必要でしょうと時間をくれて、それで今に至る。


『ところで、君の信じるものはなんですか?』
『金よ。それしかないわ』
『そうですか。クフフ、それはわかり易くてとても良い』

 彼との関係はただ、お金。
 当然よ、それが一番目に見えて分かりやすいもの。骸ちゃんはお金に関してはあまり頷いてはくれなかったけれど”気持ち”だとかいう目に見えないものを信じようと思わなかったところだけでいうと理解してくれた。

 そう、強い彼が肯定したのだから私は間違えてはいないの。
 好きなだけカバンを買って、服を買って、行く行くは骸ちゃんみたいなお金の払いのいい人間を虜にして、自由三昧の生活をするのが私の夢。そのために今の間に稼いでおかないと。自己投資は当然じゃない。

 私は私の為に動くの。誰のことだって信じられる訳ないじゃない。
 この世の中、簡単に他人を信じられる人間の気が知れないわ。ああ、でも、


『貴方の身体が一番、大事。…だから、体調だけは気をつけてね』

――『私は彼女の、お友達です』


「…」
「M・M?ちょっと疲れちゃった?」
「そうでもないわ。…ねえ、ゆう。私今日日本食が食べたいの」
「はいはい、可愛いM・Mの為なら何でも頑張るよ」

 ゆう、あなただけはちょっとだけ、トクベツ。
 ほんの少しの間だけ、私のもの。

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