こすぱに!

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 並盛へと帰ろうとしたもののまさかここへ来てM・Mに出会い、一緒に住むことになるだなんて数時間前ブランコをキーキー漕いでいた私に果たして予想ができただろうか。
 M・M。
 私の記憶が正しければクラリネットを武器にする女の子で、確か彼女が登場するのは黒曜編だ。つまり雇い主っていうのは骸のことかというところまでは分かった。分かったけど、それを知ったところで私は彼女に何をされたかと言えば荷物持ちに抜擢されたぐらいだ。後はむしろ宿泊先が無い私を泊めようとさえしてくれた優しい人でしかなく、彼女を怖い人だとは思えなかった所為で、だからこそ危機感なんてものはなかったのかもしれない。


「ゆうー!早く早く!」

 彼女はやっぱり、とても強引だった。
 すぐに帰ってくるという宣言の通り何故だか行きよりも随分機嫌よく帰ってきたと思うと、お説教をするつもりだった私の話を一切聞かないまま手を引いて外へと連れ出し、スーパーで買い物をしているという状態だった。M・Mとスーパー、何てちぐはぐしているんだろう。
 それでも隣を歩く彼女のあまりの上機嫌さに骸に出会えたことがそんなに嬉しかったかのかと微笑ましさすら感じてしまう。恋する乙女というのは何てかわいいのだろう。京子ちゃん然り、まだ出会ったことのないハルちゃん然り。

 …いや待てよ、もしもM・Mが骸に恋をして狙っているのだとするのならば私はここにいる事で彼女の恋路までも邪魔していることにならないのだろうか。
 それに、彼は私を迎えに来ると言った。それってまさかの修羅場展開になるんじゃないかと思うと私の予想が当たってしまう前に黒曜から離れた方が良い気もしてきた。私のためにも、M・Mのためにも。
 骸に会いたいのであれば私という人間は不要なはず…なんだけど彼女はそんな様子を見せず、初めて入ったのだというスーパーに目を輝かせこれは何に使うのか、アレは食べられるのかと私をナビ係に使っている。


(…黒曜編、ね)

 私の知っている通りに物語が進んでいるとするならば彼らは無事に日常編を終えたのだろうか。未来へ、ハッピーエンドの最終巻を送るために誰一人欠けることもなく。
 前回この世界に来たときも特に大きなことを彼らにした訳でもないし私がいたことで何かが大幅に変わったということはきっとないだろう。私がいても居なくても不変のこの世界は、彼らには優しくあってほしい。

 …気にならないと言えば嘘にはなる。
 並盛に行かなくちゃと考えたのは破ってしまった約束を、守れなかった約束を謝るため。
 野球、見に行けなくてごめんね。
 待っていろって言われたのに待っていられなくて、帰ってしまってごめんね。
 もうあれからどれだけ経っているのだろう。それでも行かなくちゃならない。…出来れば黒曜編が始まる前に。ややこしいイレギュラーが混じって皆が混乱しないように。
 その為にはこの、手を離さなければならない。


「…あのね、M・M」
「ゆうは」

 …だけど。

「ゆうは何処にも行かないわよね」
「…」

 どうにも、女の子のそういう顔には弱いらしい。
 私が何を言おうか彼女はわかったというのだろうか。

 迷子のようなそんな不安げに揺れる瞳で見られれば例えそれが演技だとしても断れる自信はない。気が付けば私の手を握るM・Mの手は少しだけ力が加えられていた。
 まるで離さないと、子供が親から離れまいとしているようなそんな仕草を跳ね除けることはできなかった。


「…そんなに長い期間いられないからね」
「!分かってるわよそんなこと!」

 案外寂しがり屋なのかもしれない。
 彼女がその年で人を殺したりするような生活を送ってきた経緯も、どんな生活をしてきてそこまでお金に執着したかだとかそういった事は何一つ知らなかったけど彼女には今の彼女になった歴史がある。海外から日本にやって来たのなら尚更、不安なところもあったのかも。
 それに骸の仲間ってまだきっと登場していないクローム以外は全員男の人だし、いくら好きな人がいるからって男所帯で住むのは流石に躊躇いもあったのかもしれない。全部私の予想でしかないけどそう考えると辻褄だって合う。


「私も仕事はもうすぐ終わるもの。その後は自由だし、ゆうのところにも何時でも行けるわ」
「…そう、なんだ」

 …そうか、M・Mは骸の仲間ではない、のか。
 お金で雇われていると考えたとしても、確か未来編ではまだ彼らと一緒に居たような記憶もあるけど…今は、まだそこまでの仲に至ってはいないのか。そう思うと彼女の何気ない一言が心をじくりと痛ませた。

 当然だ、誰だって何か新しいことをやろうとしている最中に失敗なんか考えやしない。私がこの場で君たちの思惑は外れると言ったところで不変の事実。彼らは、失敗する。そうなると彼女は黒曜編が終わったらどこへ行くのだろう。
 主犯格である六道骸はこの件で失敗して、復讐者に捕まって、それから…何処へ、行ったっけ。
 そもそも記述はあっただろうか。もしかしたら何処かへ逃げたのかもしれない。けれど、もしも。

――牢獄、行きだったら。

 ゾクリと体が震えた。
 そうだ、M・Mも脱獄をしてきたんだった。ならば捕まったら最後、また牢獄行きに違いない。それも普通の場所のものではなく、恐らく骸と同じく復讐者の所へ。この、スーパーで目を輝かせながら買い物をしているこの子が?迷子の私の手を引っ張って、無意識のうちに私を元気にしてくれたこの子が?


「……ゆう?」
「お腹すいちゃった。早く帰ってご飯にしよう」
「そうね」

 知っていてもどうしようもないことはある。それは前回の時にも学んだ事だった。主人公の方に居たのであればどれだけ気分はまだ楽だったか。
 たった今、彼女がどうなるか”わかって”しまった。思い出してしまった。彼女が今私にした約束も、その今の仕事が終わったら私の元にまた来てくれるという話も、守られることがないことに”気付いて”しまった。

 それでも私は話すことは出来ない。
 顔に出すことも出来ず口を噤むだけ。それが思ったよりも、ずっとずっと苦しい。
 この世界に私を呼んだ人間はことごとく私を嫌っているとみた。…まあ今回に限っては骸の意図的なものだとしても、だ。こうやって、敵側の裏を見せておいて何をすることもできない、何も変えることのできない私に何を求めているというのだろう。
 そんな私の考えていることなんて気付く筈もないM・Mは今日買った袋を覗き見ながらご飯は何にしようかとはしゃいでいる。この、平穏な日は、あとどれぐらい続くのだろうか。彼女の笑顔がもう少しだけ続けばいい、と願わずにはいられない。


「ゆう」
「なあに?」

 マンションに着いてエレベーターを呼ぶ。
 ガコン、とドアが開き私が先に乗り込み彼女が入ってくるのを待っていると突然真面目な顔をして私を見た。彼女はそこから一歩も入って来ることは無かった。
 じっとりと、汗が吹き出す。この暑さのせいじゃない。何だろう、この重苦しい雰囲気は。それはさっきまであれだけニコニコと楽しげに笑っていたM・Mから放たれていて、私は静かに見返すしか出来なかった。


「先に行ってて」
「…え?」

 M・Mが持っていた袋を私の足元へと置く。がさりと音を立ててその中身が転がるけれど私は彼女から目を離すことは出来なかった。
 年下であるはずなのに、それを微塵も感じさせないその視線。最早それは以前、並盛の屋上で感じた敵意にも近かったけど明らかに違うのはその標的は少なくとも私ではないということだった。


「もし、私が誰か連れてきても名乗らなくていい。馴れ合う必要もないわ」

 分かったわね?と言う彼女の眼光は鋭い。
 訳の分からないまま頷き、私は1人入れられたままエレベーターで上へと送られたのだった。

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