40



 目を開き、身体を横たえたまま周りを見渡す。
 物騒な物音、なし。騒がしいやり取り、なし。天井からぶらさがっているのはシャンデリアじゃなく普通の一般家庭にあるライト。そこまで広くはないけれど生活するには何ら支障もない一部屋には必要最低限のものがあるだけで、他には何もない。けれど部屋の片隅にはこの世界へ来た際に共にやってきたキャリーの姿も記憶そのままにあって、
 ああ、ようやく帰ってきたんだなとほっと息を吐く。

 一夜明け、私は無事に生きていることがまだ実感できずにいる。並中の校舎の中で恭弥と再会してからのことはよく覚えていないし、何ならボロボロになった校舎を2人で降りているときのこともすでに記憶は曖昧だ。あの時はあの時で他の人に見つかりませんようにと祈っていたはずなんだけど。
 とにかく疲れていたってことぐらいかな。連れていかれた先でも何だかんだ毎日ぐっすり眠ってたような気もしないでもないけど、それでも家と出先だと緊張感が違う。身の保証がされてあるところとそうでないところとの差だって大きい。早く帰らなくちゃって焦る気持ちも、殺されてしまうかもしれないという不安からはとりあえず抜け出すことができた以上ちょっと気が緩んだってところもあるのだろう。おかげさまで途中で起きることもなく、今だ。寝起きだけどぼんやりとした感覚はなく、意識はしっかり。十分な睡眠が取れたようだった。

「……夢、じゃないんだよね」

 イタリアに行ったことも、ここに帰ってこれたことも。
 ぽつりと呟いたあと、ゆっくり身体を起こす。小さいながらも部屋に響く時計の針の音、外では遊んでいるのだろう元気な子どもの声が聞こえていたりして平穏だ、と漠然と思える空間だった。昨夜まで毎日血を見ていたというのが本当に嘘みたい。というか嘘であって欲しい。…残念ながらそれらは供給され続け真っ赤に染まった指輪があの日々を肯定しているんだけど。

 なんというか、よく生き残ったなって自分でも思う。ヴァリアーに連れ去られた日々はあまりにも異常すぎたのだ。毎朝訳の分からない時間に叩き起こされ、体質の実験を行われたり、かと思えば最近流行りのゲームに強制参加させられたり、だだっ広い敷地内を走らされたり、睡眠薬やらなにやらが入った食事を食べさせられたり、皆がイタリア語で喋っている中で長時間放置され続けたり。
 人を傷つける方法を教わらなくてよかった、と今になって安心している。
 スクアーロいわく私は既にヴァリアーの人間のような扱いだったみたいだし、普通に考えるとそういう類の知識を与えられる可能性だってありえないわけじゃなかった。服だって提供してもらったし。どうせ私に人殺しの才能なんてあるわけもないし、あって欲しくもなかったのでその点はお荷物扱いにされていて助かったとホントに心の底から思ってる。そんな中、基本的にはベルについていく日々だったけどその都度、王子さまの機嫌により部下らしい人にひゅんひゅんとナイフが飛んで行ったり、精鋭部隊の人達同士で喧嘩勃発したかと思うと人命に関わる規模にまで発展したりして生きた心地がしなかった。最終的に私へ危害が及ぶことはなかったから良かったもののほぼ無傷でここへ帰ってこれたのは奇跡だと思っている。帰れない、とまで少しは覚悟したぐらいだもの。
 私の知っている彼らは主人公の立場から言えばヴァリアー編では敵で、未来編以降としては味方に近い中立。目的を共にした時には強い味方にもなるけど本来は非常に残忍で、狡猾。そんな人たちが集まる場所にほんの数日と言えど留まり、体質の実験と称し怖いことも痛いこともたくさんされたものの特に命の危機に陥ることがなかったのは本当に運が良かったとしかいいようがない。あとはこれからどうするか、ということだけを考えればいい。

(何もしない、が正解だけどね)

 色々あったし、これから何が起こるか知っている私としてはヴァリアー側へと身を投じることになり、さらには原作に多少の介入というか、ちらっと顔を出してしまった形になった時には冷や汗ものだったけれどまだ修正がきく範囲だと思う。ここから元に戻せばいい。それがちゃんと上手くいくかどうかがこれからの自分の課題である。

 そもそも、上手く逃げることができたのは私1人の力じゃない。複数の人の力を借りてようやくこの場所へ戻ることができたわけだけど、たとえばヴァリアー側から探されていたりしたら面倒だ。…そこまでするほどに私に価値があったのかと言われれば今振り返ってみてもやっぱり考えられないのでそうはならないと思うし、もう会うこともない、とも思うんだけど。
 それに、ポジティブに考えるとすればここを知っていたのはスクアーロだけだ。
 私の記憶の通り、原作の通りに物語が進んでいるのであれば彼は今頃ヴァリアーのところには居ないだろう。私がこの家へ帰る間か、その後ぐらいか……勝負はそう長くはなく、彼は山本に負けたはずだ。そして傷だらけの彼はディーノさんたちに保護され、手術しているところぐらいじゃないだろうか。無事であって欲しいとは思うし、もちろんそうであるとは分かっている。理解しているつもりだからこそそこまで深く考えなくなって、ちょっと冷たすぎるというか、一応彼の生命の危機であるというのに特に不安や心配をしていない辺り、ある意味知識があるということはあまりにも他者に無関心になれるんだなと自分でもちょっと怖くなってしまう。
 まあここまできたら私に何かできるというわけでもないし、あとはなるようになるしかないんだけど。

「…あれ、」

 そういえば恭弥がいないな、と思ったのはしばらくしてからだった。
 昨夜は一緒にこの家に帰ってきたんだけどそれからいつものように一緒の布団に潜り込んでくることもなく、さっさとリビングのソファで寝転がってしまった。家主は彼なのであのベッドは恭弥こそ使う権利があるんだけどそのつもりはないらしい。その厚意を無碍にする訳にもいかず私が使わせてもらっているわけだけど、…どうやら今はリビングにもいない様子。ディーノさんに鍛えられた日々だ、恭弥だって疲れているはずなのに。
 家の中をぐるっと見てみたけどやっぱり恭弥はいなくて、時計を見るともうお昼近いことを知る。…そりゃ学校ですよね、そうですよね。私と違って恭弥は学生なんだから。勉強しているかどうかはまた別として。

 ガラリと音を立て、窓を開く。

 イタリアへ連れていかれる前までは何となく毎日続けていたことだ。少しだけだったけど並中生として生活していたあの頃を懐かしんでいた数日前から一転、今度はこれまで以上に周囲に気を付けてすごさなくちゃならなくなってきている。
 いっそのこと並盛を出るというのも一つの手段だと思えるほどだ。頼れるところはあると言えばあるけど…骸のところは流石にいろいろあった場所だし嫌だなあ。もちろん向こうも全力で嫌がるだろうけど。

「黒曜の制服もいいんだよねえ…」

 本物のヴァリアーの隊服を着てから少し欲がでてしまったらしい。そう、あの女子の制服も捨てがたいのだ。
 リボーンのコスプレは男の子ばっかりの予定だったから隊服を作っていたけど、黒曜中の制服はちょっと作ってみたかったなと思っている。リアルでもあのデザインはあまりなさそうだし。あの首元とかどんな風に作ろうかな、とか型紙がこれもまた特殊で腕が鳴りそうだなとも思えてしまうのだ。次、М・Мに会えたらお願いしてみようか。その制服じっくり見せてくださいって。変な子、なんて以前のように笑われるに違いないけれど。それもまた、楽しみなのだ。

「あー…今日は霧、か」

 思考がぐるぐると色んなところに飛んでしまったけど、ようやく時系列を思い出す。
 昨夜が雨戦、スクアーロと山本の日だったのであれば、今日は霧戦の日。マーモンと骸、クローム髑髏の対戦の日になる。クロームとはちょっと会ってみたかったかなとは思ったけどいずれ、またどこかで会う機会があるかもしれないと早々に諦めた。変に欲を出すのはよくない。罰が当たってしまう。

 ぶんぶんと首を横に振り、今度は部屋の中から目の前にある学校を眺めてみた。
 耳をすましてみるとピーッと笛の音が聞こえる。ここから見えないけれど体育の授業でもしているのだろう。体育館もほど近いので、もしかすると今夜はここからでも音が聞こえてくるかもしれない。そう言えば校舎はすでにリング争奪戦仕様でかなり魔改造されているはずなんだけど、ここからは何も破損したような様子はまったく見えない。昨夜は校舎をド派手に改造していたように見えたけど……なるほど、チェルベッロはうまく隠しているようだった。幻術って恐ろしい。
 今日の勝負、もちろん見に行くつもりはない。
 もしそんなことをして、危ない目にあったら身も蓋もないからね。せっかく逃亡を手伝おうとしてくれた骸にも顔向けできない。

「今日は絶対、外に出ないんだから」

 気持ちを強く、持たなければ。
 冷蔵庫の中の食材が品切れ状態だったけどそれも大空戦が終わるまでの我慢だ。外にいるヴァリアーがツナたちに敗北し、イタリアに帰るまでのあと数日の辛抱。そこまで我慢すれば危険度はグッと下がるはず。少なくともしばらくはヴァリアーだっておいそれと日本に来てこっちにちょっかいをかける暇なんてなくなるはずなのだ。
 それに、昨夜の時点で恭弥からも出ない方がいいと後押しされたので今日は引きこもりデイとする。お腹が空いたら…まあ、その時はその時だ。デリバリーなり何なりして過ごすしかない。お菓子ならまだちょっとだけ残っているし。

「なんだい、久々の自由をもう少し謳歌すればいいのに。君は元々家から出ないタイプだったのかい」

 きっと疲れているだけだ。幻聴に違いない。と、そう思いたい。…思いたい、のに。

「……」
「ムム。聞こえているんだろ、藤咲ゆう。それとも日本語すら忘れてしまったのかい?」

 開けた窓のふちにちょこんと座った、全身真っ黒のこの赤ん坊。彼さえいなければ私はたぶんもっと穏やかな気持ちで日中を過ごせたはずだったのに。
 当然のようにそこにいる彼を見て絶叫しなかっただけ、偉いと思いたい。切実に。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -