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 藤咲ゆうは異端で異質な部外者だと僕は評価している。せっかく持ったその能力を自分のために活かすことなど考えたこともないだろうし、そもそも頭もそこまで良くはない。だがこれがひとたび他人のためとなると恐ろしいほど己のことには無頓着になり、がむしゃらに動く。そんな愚かしさを兼ねている莫迦な女。それがあの女の本質であり、それ以上でもそれ以下でもない。単純そのものだ。
 前回あの女を利用した時にはその体質がどう言ったものなのかを知らなかったとはいえ千種の毒などものともせず、また小高い崖から落ちても致命傷と成り得なかったそれを目の当たりにし、ほんの僅か畏怖を抱いたのも認めざるを得ない。

「…ええ、認めましょう」

 あの時、僕は藤咲ゆうをおぞましいと思ったのだ。そのような体質の人間を僕はかつて見たことがなかったからだ。それでいて、例えば他の研究機関でできあがった被験者だったとして、それならばそれであんな楽観的な女を見たことはない。
 無自覚というより無頓着。
 自身の体質が如何に異例のものなのか知ろうとしないのは僕には到底理解もできない。あんなにも異質で、不可思議な特質を持っているにも関わらず自分でもそれを大した強みだと思うこともなく、まるで他の一般人と同様の動きをする。だから気付くのが遅れたのだ。知るのが遅れてしまったのだ。黒曜センターでの出来事はまだ記憶に新しく、あの時はたまたま奇跡的に怪我を負わなかったのか、はたまた毒が効かない体質だったのか―――などとはじめはそう思っていたのだが、後に彼女と話をしたことにより、やがてひとつの仮定に辿り着く。その異質っぷりはただ単純ではあったが、しかし複数個持ち得たせいで複雑に見えていたという事だ。

 まずアレの異様な体質。
 死ぬ気の炎なくては生きていけないこの世界において、恐らく唯一それを作り出すことの出来ぬ特異な身体を持っている。その理由はただひとつ、彼女が他の世界からやって来たことにより肉体が変質してしまっているからだ。もしくは、彼女の居た世界には死ぬ気の炎という概念がなかったか。それが原因なのか定かではないが結局その影響でアレはアレ独りで生きることは不可能となっている。恐らく今蓄えている死ぬ気の炎が尽きてしまえば動作を止めるか、あるいは元の世界に戻ることになるだろう。
 普通であれば元の世界とやらへ帰ることを願うだろう。だがアレは違う。よほどあちらの世界が気に食わなかったのか、こちらの世界が気に入っているのか…。とにかくこの世界に依存している様子で、本人は口にこそしなかったが戻るつもりはなく此処へ居座る方法を模索中と言ったところだった。

 これまでは雲雀恭弥という男がその肉体にわずかな炎を注ぎ生き永らえてきたが、それは非常に効率が悪かった。人形に近いモノとはいえ一応人の身体、他人から受けた若干の炎だけで肉体を十二分に動かすことなどやはり出来るはずがない。燃費が悪いと言い換えてもいい。当然だろう。人間の身体ひとつを動かすにはやはり人間一人分の死ぬ気の炎を要し、それを他人一人で賄えるはずがないのだから。
 だがある時彼女は不思議なモノを受け取った。
 それが空(カラ)の指輪。
 透明で薄く、すこしでも力を入れればすぐにでも割れてしまいそうなそう大きくもない指輪だ。他の人間にとっては何の変哲もないモノでしかないが、それは藤咲ゆうがこの世界で生きることにおいて必要不可欠な、心臓の役割を果たすことになる。その小さな指輪に炎を注ぎ込むとどういう原理だか、それの何十倍もの体積のある肉体にも炎が最高率で循環し、動くことができるようになる。つまりその指輪さえ身につけてさえいればこれまで通りわずかな供給でも十分に生きていけるようになるのだ。
 とりあえず、とその指輪を手に入れた際に応急処置に僕の炎を与えている。
 属性云々の話はそう詳しいわけではないが結果的にあの指輪はインディゴの色を灯し、僕の炎を受け入れた。あの女の意思なのか、はたまたその物体自身が意志を持っているのかソレは貪欲に僕の炎を吸い取って。…そこから彼女がどうしていたか当然知る由もない。先日のアレが実に1ヶ月ぶりの再会となる。

 死ぬ気の炎を循環させることのできる不思議な容器。

 そんなモノがこの世界にあったのか、と僕は驚かずにはいられない。そんなモノを必要とする人間が居なかった為に作られてすらいなかった、というわけではない。現にエストラーネオではそれに酷似した実験を執り行い、何度も失敗している。下位互換のものを製造することすらままならず、結果的に何人もの生命が失われていることを僕は知っている。
 僕は神など信じてはいないが、それはまさに神の所業。奇跡の一品。普通の人間にはそれがどれだけ高精度であるか分かっていないだろう。研究者の類の人間であれば藤咲ゆうの身体とセットでぜひとも手に入れたい代物であるに違いない。

『…もしかして今の私の状況が分かる、の?』

 話は逸れたが、藤咲ゆうという女の価値はそれだけでは留まらない。彼女は異世界からやってきた人間だ。どうやらそちらの世界でも六道骸という人間は存在しており、僕は同じようなことをやってきたらしい。その力、その、知識。それがあの女が持つ、かつて僕が必要としていた能力の方だ。しかし今はそれも不要。彼女の能力は今回において、あまり利用できるものだとは思えなかったからだ。
 どうやら先日会話した彼女の反応からして今の状況は経験したことがないらしく困惑しているようにも見えた。以前、黒曜センターへと拉致し、話している時とはまた違った印象を受ける。――迷子のようだ、と。無知は恐れるべきもの。大概のことを知っていた藤咲ゆうにとって今置かれた位置は予想外のものなのだろう。だから恐れていた。だから助けを求めていた。
 そんな彼女に手を差し伸べた理由を、恐らく知らない。助けてくれるのだ、親切な人なのだ、などと甘い考えをしているに違いない。そんな縋った顔などに僕が流されるわけもないのに。

「……気分が良かったんですよ」

 僕は人間が嫌いだ。なまじ絆だの愛だの、そう言った物には吐き気をもよおすほどに、人間が築く関係が大嫌いだ。しかし、浅ましい人間は嫌いではない。生きる為に藻掻く人間はそこまで嫌いではない。
 さて、では藤咲ゆうはどちらだろうか。あの女が生き延びるためには他人からの死ぬ気の炎の供給を必要とする。それは本人もよく分かっているはずだ。しかし、まだその時ではない、だの何だのと理由をつけ唯一の理解者であっただろう雲雀恭弥からの供給を得られずにいた。それが、先月までの出来事。死ぬなら死ぬでそれでも構わない――そう思っていたのがつい一ヶ月前だ。供給の炎を受けないなど自殺行為でしかない。しかし、

「―――あの、色は」

 毒々しい、あの色は。詳細は知らないし興味もないが、…あれはあの男のものではない。あの男の炎の色ではない。それでいてその炎はまさに、藤咲ゆうを延命させている。見たこともないほど煌々と輝く、命の色。

 それがどれだけ愉快だったことか!

 どうせまた巻き込まれているに違いない。ああ、あれが他の男からのものとわかった時アレはどういう反応をするのだろう。愉快で愉快で仕方がない。だから僕は彼女の他愛も無い願いに是と頷いたのだ。自力で逃げてみせるが、何かあれば助けて欲しい、と言う願いに。日時は不明、場所は並盛中学校内。そんな曖昧な条件だったが、それでも藤咲はさらに条件を狭めていく。
 例えば、だが現在軟禁されているホテルから逃がせと頼んでくるようならそれを聞くのも一興だと思っていたのだ。こちらの事をコソコソと調べ回る輩に一泡吹かせてやるのも悪くはない、と。しかし彼女はそれを選ばなかった。最終的に決めたのはそう、本当に僅かな、ちっぽけな願い。

『六道骸と藤咲ゆうが同時に並盛中学校に居る時』
『藤咲ゆうが逃げる素振りを見せた時』
『藤咲ゆうの傍にいるであろうヴァリアーの人間からどうしても逃げられない時』

 その三点が重なった時、という条件で救いを求めたのだ。
 指輪の守護者同士が戦っている最中にでも逃げるつもりだったのだろう。安易だが、藤咲ゆうにはそれしか方法がない。彼女には知識と頑丈な身体という力しか備わっていないのだ。
 今回の逃亡は上手く成功したようだが僕は何一つ手伝ってさえいない。一応彼女が雲雀恭弥と合流し、家に帰るまでも確認はしたが結局僕が手を加えることはなかった。結局、藤咲ゆうには幸運の女神が微笑んだということだ。

「君はいつまでも弱いままなのに」

 何も変わらないくせに。
 誰かの庇護を受けながらでなければ生きられないくせに、施しを受ける側であると言うのに。そうやって足掻くのであれば僕はそれを認めてさしあげましょう。弱々しくも果敢に立ち向かう、―――そう、弱者なりの無謀さと狡猾さと知恵を持っているのだ、と。

 せいぜい足掻くがいい、藤咲ゆう。君の行動で結果が実るように。その瞳が淀むことのないように。

 そう思いながら口元に笑みが浮かんでしまった理由を考えることもなく。拗れに拗れたその感情に名前を付けることもまた、なく。
 夜は、静かに更けていく。



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