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 コツ、コツ。

 廊下をこんな靴で歩く日が来るだなんてなあ、と響く自分の靴音を聞きながらしみじみと思う。当然だけど校内では上靴を履くように定められていて、こんなことをしていたら先生に怒られていただろう。並中の学生として通っていた頃にはこんな不良みたいな行いはしなかったんだけど当然今の私にそういう靴が用意されている訳でもない。
 ちょっとだけヒールの入った、黒のブーツ。至ってシンプルなのに恐ろしく自分の足にフィットしていてしっかり水を弾いてくれるものだから庶民の私には想像もつかないけれどこれも高価なものに違いない。今の私はなんというか、悪役そのものだ。憧れだったとはいえ全身真っ黒な格好をして夜中にこんな風に歩き回るだなんて。
 それに今となっては度重なるリング戦のせいで校舎がボロボロになってるし、廊下は窓ガラスやら何やらでひどいありさま。履いている靴を脱いでまで歩こうとは残念ながら思えなかった。……誰が掃除するんだろう。私には関係ないことだけど。

「あとは無事に帰るだけ、か」
「……へぇ、どこにだい?」
「どこってそりゃ……あ、れ、?」

 独り言のつもりだったのに問い掛けがきた。見知らぬ声だったら警戒していたのかもしれないけど恐ろしく聞き覚えのあるもので、それでいて恐ろしく穏やかなものだったから私も返答をしようとして。
 どうせここで私とやり取りしてくれる人なんてヴァリアーの人間しかいないだろうな、なんて思ってもいたのに、見上げた人物の姿をしっかりと目でとらえ、言葉を失う。

 階段を降りようとその場所で、彼は優雅に佇んでいた。
 私と負けず劣らずの全身真っ黒の格好は一見同じく夜の闇に溶け込んでいるように見えるけれどその手に握られている鈍色に輝くトンファーはとっても物騒だ。ちなみにそれで何度か殴られたことはあるけどかなり痛いと思う。痛みを感じにくい体質じゃなかったらそれを見るだけで逃げたくなるほどのトラウマになっていたはず。
 …まあ彼がここにいることになんの不思議もない。ここは彼の職場で、テリトリー。むしろヴァリアーが余所者で、侵入者だ。あまりにも気さくに声をかけてくるものだから驚いただけであって。

「久しぶりだね、ゆう。そんな顔をしてどうしたの」

 私も雲雀恭弥という人間と共に生活をしてそう長くない。ただ漫画で、アニメで見てきたよりは断然短い。そんな中でもなんとなく分かっていることはある。風紀委員長として名を馳せ、基本的には戦闘狂で暴力的で、だけどいざと言う時には頼りになるツナの先輩。多分周りもそう思っているように私もまたそんな風に認識していたはずだった。
 だから実際この世界に来たときには住む家を提供してもらえたり、何かと融通きかせてもらったりして安全な生活を送ることができて正直困惑したところはある。どうやら私自身は彼が一番重きを置く並盛の風紀を乱す存在、までには値しないようだった。
 結果的に私は彼に気に入られている、のだと思う。もちろん少し前…一か月前の黒曜編の時までは、少なくともその感情にほんの僅か、恋愛感情に似ているようなものが寄せられていたことには覚えがある。
 けれどそれ以降、その件に関して何の言及もないまま今に至る。これに関してはのらりくらりと交わしてきたという自覚があるので、私にも非があるといえば断然あるのだ。要は、今となっては彼との関係は未だ曖昧で、よく分かっていないということ。敢えて言うならちょっと過保護な家族というところだろうか。
 だから、恭弥がそう怒ってもいなさそうなところを見てほんの少し安堵したところもある。これはもしかして私がイタリアに連れていかれたことはもちろん、しばらく家を離れていたことにも気付いていないんじゃないだろうか。意外と放任主義?

 や、黙っているつもりはないんだけどね。

 今後も一緒にいるつもりで、また、今後はツナ達と顔を合わせることをさらに徹底付けることを考えている以上、どうしても情報の共有というものが必要になってくる。ホウレンソウが大事だってのは私も社会人経験者なのでちゃんと分かっているつもり。
 ただ、それは今じゃない。
 今、話をしたとして一番困るのは恭弥が原作ではしなかった何らかのアクションを自発的に行うことだ。私の知っている物語では彼は今回特に何かすることもなく、明日の雲戦でゴーラ・モスカを壊し、ちょっとだけXANXUSとも対峙する。そこで何かが起こってしまうのが怖い。例えば雨戦の真っ最中の今から乗り込みにいったりだとか。例えばその次の大空戦で、ヴァリアーの人達と私関連で一悶着あったりだとか。考え出すとキリがないけど有り得ない話じゃない。だから慎重になってしまうのだ。
 と、言うわけで諸々の報告はできるだけ後回しにしておきたい。黙っておいたところで何が起きるか、嘘をつけばどうなるか、そんなことは後悔とともに色々学んだからね。

「……留守中いろいろあったんだけど、この件が終わってから話をさせてね」
「またそれかい」
「…………ごめん」

 黙り続け、嘘をつき続けることも不可能じゃないとは思う。だけど恭弥にはもう隠しごとをしないとは決めてある、から。
 それはどうやら彼にも伝わったらしい。やや不満げな顔をしているもののそれ以上の言及はなく、「約束だからね」と念押ししたあとカツン、と音を立てて私の前までやってくる。……恭弥だ。会うのはほんの数日ぶり、ぐらいのはずなのにそれこそ色んなことがありすぎてしばらく会っていなかったような錯覚に陥る。

 よくよく見ると、恭弥は傷だらけだった。
 風紀委員として悠々自適に生活していたあの頃に比べれば、黒曜編でも骸からひどい怪我を負わされたことはまだ記憶に新しい。結果あの時は骨折だったみたいなんだけどそれも謎の回復力でさっさと治し、以来そう大きな怪我をすることもなかったんだけど。…これはディーノさんと派手に戦ってきた結果なのだろう。もちろん、別に大人げないとは言わない。むしろ、傷つくことこそ怖いし本当はしてほしくなかったけどそうしてもくれないとこれからもっとひどい目に合うのは分かっている。この世界では強くなるに越したことはないのだ、悲しいことに。特にこの人は自由枠のポジションにいる割と重要な勝負を任されていることが多い。1レベル足りずに敗北、なんてことはして欲しくないのだ。

「……変な格好」
「失礼な。これ結構動きやすいんだよ」

 綺麗に包帯が巻かれてあり、その辺りはヴァリアーの人たちとは違ってよかったなと変な安堵をしたりして、それからゆっくりと伸ばされる手を甘んじて受け入れた。ガシャガシャガシャと髪の毛をかき乱すような撫で方も相変わらずで、それがひどく落ち着く。
 そりゃこんな格好を恭弥の前でしたことはないもんね。それにこの隊服はヴァリアー側の制服。恭弥からしたら並盛の風紀を乱す人間と同じ服を着ていることもなんだかんだ不思議に思っているだろうにそれも聞いてこないのがとてもありがたい。ただ気になっていないだけなのかもしれないけれど。

「じゃあ僕と戦ってみる?」
「結構デス」

 ちなみに自殺志願者ではない。
 慌ててお断りの言葉を入れると恭弥がふっと口元を緩める。

 ぽう、と身体がほんの少し熱を帯びたような気がしたのはその時だ。ん? と思ったけどまさかここで服の下から指輪を引っ張りだすことははばかれた。まだこの指輪の説明を恭弥にしていない以上、今この人の前で確認するわけにはいかない。死ぬ気の炎関連が分かってからじゃないとまだ言えないしね。
 それに今はまだ、ベルからもらった炎で満たされているわけだし。

(……ああ、そうか)

 ここで、ほんの少し違和感を抱いた理由を私はすぐに思いつくことができなかった。そのあと、少しずつ炎の供給について考え出すとじわじわとイタリアに連れていかれてから起きたことを思い出していく。

 私への炎の供給方法は別に定まってはいないらしい。以前の恭弥には額にキスされたりしたことで流れ込んだりしていたし、骸からもそうだった。場所は問わないとは言えキスでパワーをもらえるなんて友人の口調で言うと『何それエロゲー?』ってやつ。
 ただ今回、ベルから毎日のように供給を受けていた時には腕を掴まれたり指輪に直接触れる形でも大丈夫だったはずだ。これは指輪という媒介ができたせいだと思う。指輪を手に入れる前なら私の身体自身が炎の供給を受けなければならなかったのでそういったことも必要だったんだろうけど今度からはそれも必要はなくなる。
 つまり、恭弥に今後供給をお願いするにあたってきちんと説明をしておかないといつものように私へ触れるたび、無意識に私へ供給を行ってしまう可能性が非常に高い。…炎切れを起こすことはないだろうけど、説明をきちんとするまでは出来るだけ触れ合わないように意識しておこう。死ぬ気の炎ってのは漫画を読破した私でもよく分かっていない謎システムのひとつだから。
 あとベルからキスをされたことも一緒に思い出してしまったけどあれは餌って本人も言ってたしノーカンってことにしておこう。私の唇はそう安くはない、つもりだからね。

「帰ろうか」

 まだまだ勝負の真っ最中なのか建物が震えているような気がする。それを背景に言うセリフじゃないんだろうけどそんなことを恭弥に言ったって仕方がない。
 それでも帰る場所があるということは、なんというか、嬉しいことなんだよね。それを彼に提案されたことも、これまで通りのところへ帰ってきていいんだよ、と言われているようで。

「…うん」

 この短い期間に起きた色々なことを報告するには紙にまとめた方が良いんじゃないだろうか。なんてそんなことを思いながら私は恭弥の言葉に首を縦に振る。とりあえず考えることは後回しだ。
 恭弥のいつも通りマイペースにぐいぐいと引っ張ってくる冷たい手に安堵を覚えながら足を動かす。

 切望していた平穏は、思っていたよりも目前までやって来ていたのだ。



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