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 校舎B棟、一階二階の天井をぶち破った滅茶苦茶で原形もとどめていない広々とした空間。それが山本とスクアーロの戦いの場として選ばれたところだった。未だ正体不明のチェルベッロ達に連れていかれ、オレ達がその悲惨な状況に驚愕している中、ヴァリアーの奴らも続々と姿を現し、にらみ合う。どうでもいいがコイツらの登場は大体オレたちを見下ろすかのように上からで、それが何となく苛立たしいと感じているのは恐らくオレだけじゃないだろう。今日もご大層にあちらさんも全員出席。ちなみにこっちは未だ霧の守護者って奴がどんな奴か知らねえし姿を見せる様子もない。そういった意味じゃ向こうの方が優秀でもある。

「うししし! 朝起きたらリングゲットしてんの王子すげー」
「くそっあんにゃろ!」

 まずは、ご挨拶に昨夜戦ったアイツからの一言。オレはしばらくあの戦闘を忘れられることはないだろうが既にあのベルフェゴールっていう男は記憶にないらしい。…いや、つーか普通に意識はトんでたんだろう。血を流した後からそうだったがマフィアの世界でもかなり上位に喰い込まれるだろう、かなりヤバい性格をしているということは嫌というほど思い知らされた。アレがボンゴレの一人なんて信じられねえ。信じたくもねえ。
 悔し紛れに一言返したあと、ちらり、と視線をそいつの横に。
 そんな昨夜の勝負でリングを勝ち取ったあの男の斜め後ろには当然、代わり映えのないあの女の姿もあった。戦う気満々のスクアーロとは正反対にフードを目深に被ったそいつは周りの暗さも相まって今にも闇に溶け込みそうな、そんな印象を受ける。

(……やっぱり、お前もそこに居るのかよ)

 これから戦闘が行われるというのにオレはその女から目を離せない。この場にいる中でスクアーロでもなくXANXUSでもなくあの女に注目しているのはきっとオレだけだろうと断言できる。

 オレはあの女に見覚えがあった。

 最初こそ記憶違いじゃねえかと自分自身信じられずにいたのに、声を、それから顔を見た時にああ、あいつだと思い出してしまったのだ。あの日、あの時、何も知らなさそうな、人の良さそうな顔をして野球場の入口を聞いてきたあの紺色のワンピースを着た女のことを。忘れまいと思ってしまったあの女のことを。
 それは少し前、六道骸を10代目がぶっ倒した翌週、山本の野球の試合を皆で見に行ったあの日の喫煙所。天気は良かったものの少し肌寒くなり始めたあの日の、オレとあいつしか知らない出会い。球場への入り口がわからず迷子になったといった様子でひょっこり姿を見せオレに話しかけたあの無警戒な表情。――間違いない、あいつだ。
 グラウンドを悲しげな顔で見つめていたその姿は、いつの間にかオレの中でほんの少しのしこりになった一場面だ。――間違いなく、あいつだった。
 以降そいつの顔を見ることはなかったが忘れることはなかった。若干記憶も薄まっていたのは確かだったが忘れ去ることは出来なかった。それが何故だったのか考えてもオレにはからなかった。だがそんなに長くなかったあいつと接触した時間を忘れるなと心が強く思ってしまった。例えもう二度と会うことがなかったとしても、だ。
 だからこそオレとナイフ野郎との勝負の後、あいつの顔が外れたフードから見えた時、一瞬息が詰まったような感覚に陥ったのは間違いない。

 何でお前がそこにいる、と。そう叫びそうになったのをぐっと我慢して。

 結果的に二度と会わないどころか一カ月以内で再会を果たすことになっちまった。思ってもみない場所で。
 藤咲という名前はスクアーロが呼ぶまで知らなかった。当然だ。野球観戦の為に話しかけたあの女は名乗ることもなかったからだ。オレ達とヴァリアーの連中との勝負が決まったあの夜、突然後ろから蹴られ、押し出されるようにしてオレ達の前に姿を見せたあいつはヴァリアーの中では浮くぐらい、普通の人間だった。他の連中は見てるだけで何かしら普通じゃねえ感じはしていたってのにあの女は至って普通。むしろ、…そうだ一般人のように感じ取れないこともなかった。
 誰に聞かずとも気付いていただろう。ランチアからの伝言だと言う10代目の言葉に対し大きく張り上げ、否定したその声はわずかに震えていたということに。そして、仲間にしてはあまりにも雑すぎる、まるで人間じゃなくモノとして藤咲が扱われているということに。

 まさかあいつらに連れ去られたんじゃねえか。

 まずそう考えるのが妥当だろう。が、そうじゃなかった。藤咲という女は間違いなくあの男に対しボスと呼び、またXANXUSもその言葉を否定することなく、藤咲の言うことを聞くかのように頷いた。それが意味するのは紛れもない。――敵だ。オレが10代目を次期ボンゴレのトップだと確信しそう呼んでいるように、あいつは自らの言葉をもって自分の所属がヴァリアーであると肯定した。…敵なんだ。多少の疑問を抱いただろうが誰もがそう認識しただろう。オレだって否定したいぐらいだったが確証もない上にそんなやり取りを見せられてしまえばどうしようもねえ。
 そこで気になったのがあの女の出自。
 後にリボーンさんが教えてくれたが、どうやらそいつの顔どころか名前を聞いてもパッと思い当たる人間はいなかったらしい。どこぞで武勇伝を作り上げてきたどんな人間達にも藤咲という人間は当てはまらないと。ヴァリアーにはあいつらの他にも精鋭部隊っつう集団がいて、そいつらですらどいつもこいつも裏の世界じゃ知らねえ奴はいないってぐらいやばい奴らの集まりだという。新参者だってんならなおさら、この時期に人間を増やすとなりゃそれなりに有名じゃないとありえねえはずだが、そんな中、やっぱりその藤咲って名前には聞き覚えがなかったらしい。暗がりで見えたあの顔にも見覚えがなかったようだった。そもそも偽名や変装ならお手上げだったが。…まあ、そうだろうな、と思う。
 少なくともあいつは最近までこの並盛にいたはずだった。それどころか知り合いが野球部にいた。オレ達のことが知りたくて調べるつもりだったのならあんな野球観戦の場面じゃ何も知ることなんてできねえし、大衆に紛れるべきだろう。オレに話しかけたのは偶然だった。…何の根拠もねえけど、そう思えるぐらい自然のように見えたのだ。
 じゃあ、本当に野球観戦を見に来たとして、その相手は? 誰の活躍を見るつもりだったのか? ――山本だったのかもしれない。…そう、今になって思う。かといってあの女と山本の間に何か関係があるかと言えばそういうようにも見えなかったのだが。

「う゛お゛ぉい小僧!! なぜ防御の後打ち込んでこなかった!!」

 ズタボロになった今日の戦闘場所を紹介されたかと思うとオレ達はすぐにその場を追い出され、水が外に漏れないよう改造された厳つい扉が仰々しい音を立てて閉まった。あとは校舎に投影された映像を外から見守る形になり、オレ達はただ大人しくその勝負の行方を見ることしか許されなかった。
 まだまだ序盤、どちらも様子見といったところで勝負に大きな傾きはない。あいつの仕上がり具合を聞いちゃいなかったが何となく見てたらどうにかしちまえるんじゃねえかとすら思ってしまう。相手は山本がバットを振ってきた年数の何倍もの月日を剣士として、暗殺者として動いてきた人間だってのに。…腹立たしい。オレはあいつが同業者だっていうリボーン先生の言葉がどうも否定できないでいるようだった。入ファミリー試験の時も骸を倒しに黒曜センターに向かったあの時も、あいつは異様な力を発揮する。いつか追い抜かれてしまうんじゃないかと不安にもなる。…もちろん10代目の右腕の座は絶対に譲るつもりなんてないんだが。

 複数の複雑な感情が絡み合う中、戦闘はどんどん進んでいく。どっちが勝つか分からないこの一時も目を離せない状態の中、それでもオレはあいつが気になって仕方がない。敵であるはずの、藤咲のことが。倒さなけりゃならねえ相手の、部下であるはずの女が。

(……っ、んでだよ!)

 オレは一度似たような感情を抱いたことがあった。
 オレはつい最近、この焦燥感を味わったことがあったはずだった。

 全然関係のないことばっかりで辻褄も合わなけりゃ根拠もないことが勝手にオレの中で繋がっていく。有り得ない話だってんのに否定する根拠もまた、見つからない。
 ヴァリアーの隊服を身に纏い、10代目の言葉を、実はこっち側の人間なんじゃないかという言葉を、希望を、震えた声で否定した藤咲。今にも怖くて逃げたくて、でもそれができない。そんな様子だったあいつと、喫煙所で会った、何も考えていなさそうな無警戒で無防備だったあいつと、無表情に野球観戦をしていたあいつと。
 そして、あのとき。観戦を見に行ったあの女の視線の先が山本なんじゃねえかと閃いた時、途方もない考えに行きあたる。

 ハラハラした表情。唇をかみ締め怯えた顔。俺はあれを目にしたことがある。あの女、藤咲の顔を見たのは初めてだったが、似た表情を浮かべた女を知っている。何度後悔したか。何度謝ろうと来なくなったあいつの席を見たことか。 ―――ああ、何でオレは今、あいつのことを考えてしまったんだろう。一度は忘れてしまった後悔を、焦燥を、なんで今こんな時に思い出しちまったんだろう。

「……ゆう、」

 霧がかった思考はいつまでもオレを楽にしてくれそうになかった。押切ゆうを知っているか、とあの女に問えたらこの胸のつっかえは消えてなくなるのだろうか。そんなバカなことが、あるわけないのに。



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