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 藤咲ゆうは碌でもない事件に巻き込まれる体質の持ち主だったらしい。

 思い返せば僕と出会った時からそうだった。違う世界からやってきたゆうはただ趣味を楽しむ普通の会社員だったと言う。そんな彼女が突然こっちの世界にやってきたかと思うと、不思議な力を得てしまった。それこそ、――そう、そこらの人間には到底真似できないような力を。
 が、それで何かが出来たわけじゃない。僕より強くなったわけでもなければ世界を狂わせるような何かを成し得ることはない。ほんの小さな、平穏の中のちょっとした混乱。僕の姿を似せて、出歩いた。……彼女が起こした問題はせいぜいその程度で、それが限度。なのに、血なまぐさい事件にも問答無用で巻き込まれていく。元々そういう世界に身を置いていたのならまだしも、彼女は戦うことの出来ない一般人だ。僕がトンファーを振り下ろせばそれで終わるような。僕の動きなんて全くついていけないような、そんな人間。
 だけど、ゆうは決してただ食われるだけの弱者じゃなかった。並盛の新しい秩序なんてのさばった男に拉致された時も媚びもせず立ち上がり、物語のためにと事情の知らない人間からすれば訳の分からない理由で身を呈す。怪我をして血を流し、怖くて震えるくせに泣きつきもせず。弱いくせに強い。…僕は彼女をそう評価している。

 それは、果たして彼女の元々の性格だったのか。はたまた、世界が彼女をそう変えてしまったのか。

「……弱いままでいてくれたら、いいのに」

 ゆうはこれから先、僕や並盛がどうなるかを知っている。それがあの人の強味。恐ろしいことが起きても立ち続けるための活力。それでいて、その内容は決して僕に話そうとせず言葉を濁すばかり。……何も教えて欲しいというわけじゃない。僕だって未来の自分がどうなるかなんて興味ないからね。聞いたところできっと話してくることはないだろう。何だかんだゆうは強情だから。
 だけど、目は口ほどに物を言うという言葉があるようにあの人は隠し事が下手くそすぎる。何も言わずとも日々を共に暮らしていれば何となく、曖昧なもののわかってくることがある。そのひとつが例の小動物とその周辺に関与しているということ。赤ん坊がいずれゆうと話したいと言っていたこともあったように、きっと何らかの繋がりがある。そうじゃないなら、あの小動物達がゆうにとって重要な立ち位置に居るということなんだろう。そして今回も。

「どうした恭弥。浮かない顔してっけど」
「……別に」

 目の前には僕のことを鍛えるだとか言って突然応接室にやって来た人がいる。名前はディーノと言ったっけ。この人もまた、ゆうが知っている人間だ。

『うん、ディーノさんに宜しくね』

 振り返るのは変な形の指輪を僕に渡した次の日の朝。僕が家を出る時、確かにゆうはそう言った。
 僕の知らない、聞いたことのない名前。ゆうは気付いていなかったのかもしれないけどそうやってごく自然に情報をポロリと出してしまう。嘘をつくことができないのもそうだけど基本的にあの人は単純で、自分が知っていることは他の人間も知っているのだと思っている節がある。今回そうやって全然知らない人間の嘘くさい言い分を聞いてあげたのも、朝にゆうがその名前を言ったから。他に大した理由はない。
 …それに面白くなかったのも事実。
 いつこの人と知り合ったんだろう。最初に抱いたのは疑問だった。ゆうもこうなってからは小動物たちどころか人目を避ける生活をしていたのにこの人のことに関してはいかにも気さくと言った感じで話をしていたのが引っかかる。そうして色々彼女のことを思い返すとやっと思い当たるのが過去にあったほんの少しの変化。……あの紺色のワンピース。それしか思い浮かばない。そして、それが思いつくともうそれ以外有り得ないという判断に落ち着いた。
 ゆうはあまり自分のものを率先して買うタイプじゃない。僕は彼女の生活を僕の言葉で狭めた覚えも、縛った記憶もないけど前々から彼女は機能的ななもの以外の装飾品や衣類を買うような人間じゃないことは一緒に過ごしてきたからよく分かる。だからあの時は少しだけ不思議に思っていたっけ。問い詰めやしなかったけどアレはきっと与えられたもの。自分で買ったものじゃない。つまり自由に動いていた押切ゆうの時にあの男と接触し、買い与えられた可能性がある。なら、僕はこの人を警戒しなければならなかった。
 押切ゆうと藤咲ゆうが同一人物という事実を知るのは僕だけのはずだから。そうでなくちゃならないから。共通点を見出されるわけにはいかないから。

「まあいいか。やっとお前が話を聞いてくれるようになったんだからな」
「僕に必要そうな情報だからね」

 今回の一連の件、これはさすがに僕も油断しすぎた。それは否めない。この人が僕を鍛えるだとか言って色んなところへ連れ回し、戦うのは正直思ったより楽しかった。一度でも僕に負け、地に膝をついていたようなら僕はさっさと並盛に戻っていたことだろう。
 だけどそうはならなかった。僕が優位に立つことはあれど決してこの人は僕に敗北することはなかった。そして攻略方法を気付かせないまま、この人の戦闘方法や動きに慣れさせることもなく色んなところへ移動する。僕も考えつかない、ありとあらゆるすべての場所。並中からさほど遠ざかりすぎることもない絶妙な位置での戦闘の日々。海も山も川も、竹やぶも。時に海水にまみれ、時に泥を被り、自由に駆け走る野生動物を視界に入れつつ、揺れる吊り橋の上でトンファーを振りかざし。
 色んな状況下、そこにある地形を利用するなんて戦闘は並盛中学からろくに離れたことのない僕にとって全てが新鮮だった。そこは認めざるを得ない。僕はそうやって、すっかり並盛から遠ざけられたことにすら気付くことがなく明日はどうやってこの人を倒そうかと頭の中はそれでいっぱいになっていた。半死半生、得物を本気で向けても未だ倒れない相手は初めてだったから。
 草壁から緊急で連絡が入らなかったらまだ並盛から離れっぱなしだったかもしれない。意地になってこの人を倒そうと躍起になり続けていたかもしれない。戻ってきた時の並盛中の変わり果てた姿に我を忘れたあの日、ようやく僕は計られていたことを知る。だけどそれは僕のミス。僕がそれらの意図に気付けなかったことが全ての原因。

 その間、ゆうのことはこの人との戦闘の日々の中で思い出すことはなかった。
 きっかけこそゆうの発言だったものの、いざ戦い始めるとそっちの方が楽しくてゆうのことはいつのまにか片隅に追いやっていた。…それを彼女が知ったとしても別に何とも思わないだろうと分かっているし、それが僕らしいだろうと彼女は笑うに違いない。互いに縛ることもなく、互いに干渉し合うことはなく。また僕はゆうのことを何一つ知らないのにあの人は何でも理解っている。…僕たちはそんな奇妙な関係だった。ゆうに対し色々投げかけ、問いかけてきた答えが返ってくるまではそれで良いと思っていたし、だから僕は何も深く考えることはなかった。
 だからこそあの銀髪の男の言葉は僕を一気に現実へと引き戻した。冷水を浴びたような気分。いや、それよりも不快な感覚をもって。


『――お前が、そうかぁ』

 並中へ戻った後、そこにいた黒ずくめの一人からかけられた言葉。僕は間違いなくあれらと初対面だった。なのに向こうはまるで僕を知っているかのように見ていた。嫌な笑みを浮かべながら。でもどちらかと言うと僕個人を知っていると言うよりは間接的に知っているかのような。…これはあくまでも僕の勘だけど。
 けれど、そこまで考えてそこでようやく繋がった気がしたのも確かだ。並盛商店街のボヤ騒ぎ、ゆうの不審な言動、指輪、戦闘を重なるにつれ並中から遠のく日々――…ゆうが何の意味も無い行動をとるはずがなかった。これは全てゆうの知っていた物語。これは全て、ゆうだけが知っていた物語の一端なんだと分かると寒気すら感じてしまう。
 ゆうのことはそう知っている訳じゃないけど生真面目であるということは知っている。これから先、僕や周りの人間がどうなろうともほら見たことかとせせら笑うような性格の持ち主じゃないこともよく分かっている。苦しいことがあれば唇を噛み締め、耐える人。辛いことがあっても決してそれらを悟らせることはなく笑みを浮かべ続ける人。僕の知っているゆうはそんな人間だ。
 だからこれら全て、全ての事柄にあの子が関わっているような気がして。
 一刻も早くあの家に帰らなければと思う反面、今度こそこの違和感から目を背けることはならないような気がして。

「…君たちは」

 ”井の中の蛙”。
 よく外国の人がそんな言葉を知っているねと少しだけ関心はしたけど僕はその言葉を許さない。そんなことはよく分かっているから。
 そう、僕に足りないのは情報。抜きん出て何もかも知っているゆうに及ばずとも、せめて僕の周りが持つ知識ぐらいは触れなければならない。

「君たちは、一体何と戦っているの」

 向き合わなくちゃならない。知らなければならない。僕は興味があることでもないことでも、彼女に関する全てを理解しなくちゃならないんだ。そうしなければアレはすぐに離れていく。
 それは最悪の末路。
 僕はその未来を真っ向から否定するために識らなければならない。



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