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 ――ぱちり。

 目を開き、一番に確認するのは自分が今どこにいるかということだった。骸との対話が精神的な世界で起きたことなのであれば意識を放り投げる前の私は嵐戦があった日の夜、悲惨な状態になってしまった図書室にいたはず。そこからどれぐらい経過したのか、私がその後どう扱われたのかを速やかに知る必要があった。彼に願ったことが無駄になってしまわないように。
 白い部屋だった。
 無駄に高い天井、明らかに高価そうな家具。……ヴァリアーが利用しているホテルの一室だった。どうやらまだ私はヴァリアー側の人間として、或いは荷物のような感じで取り扱われているらしい。相変わらず拘束されてもいないのがその証拠。どうせ藤咲ゆうという人間は何もできないと、そう思われているに違いない。そしてそれは、間違いではない。ヴァリアーの人たちからすれば私なんて邪魔になればすぐ殺すことだってできるし、逃げ始めてから捕まえることだって余裕でできるだろう。私に付与された能力は確かに他の人に比べれば異質ではあるけれど、大して役立てないものなのだから。

「……さて」

 暗くなりがちな気持ちも思考も切り替えることにする。
 ホントにこれまで色々あった。いわゆる黒曜編が終わってから以降の話だとスクアーロに拉致されるわゴーラ・モスカの中に突っ込まれるわベルにも殺されかけるわで散々だったけどそれでも私はなんとか生きている。
 …ううん、それだけじゃない。
 この体質を知っても怖がることなく受け入れてくれるような奇特な人間がいると分かった。自分が生きていく上で必要な死ぬ気の炎を供給してもらった。お腹はちょっとすいてるけれどバッテリー的な意味では満タンの状態にさせてもらっている。…イタリアに行ってから色々大変だったし本当に死ぬかと思ったけどメリットがなかったわけじゃない。むしろ生存のみを考えれば良いことづくしではあったはず。問題だったのはその間に一切恭弥と連絡もとることすらできなかっただけっていう…まあ、ある意味最大の問題が残っただけ。
 ならそれを今から取り戻そう。それをするには、だ。

(…うん、まだ居るね)

 部屋の向こうから聞こえてくるスクアーロの声から今日が雨戦でありスクアーロの日、山本と戦う日だと推測する。雨戦以降、最終である大空戦まで姿を消すはずだし、それにいつもより大きな……おっと、機嫌が良さそうにも聞こえるのは多分戦う当日だからだろう。要は嬉しくて仕方ないわけだ。私には一生分からない感覚なのだけれど。だからこそ私はこの日を使うことにした。この日しか考えられないからこそ、それを利用する。

「よいしょ、っと」

 ちなみに、だけど私はベッドで眠らされていたわけじゃない。床だ。せめてソファであって欲しかったけど、…あ、どうなんだろう。もしかするとソファで寝かせてくれていたけど私が寝返りを打って落ちたのかもしれない。こういうとき痛覚がすべて麻痺しているというものも考えものだなと思う。ええ、もちろんありがたい能力なので文句はあんまり言いませんとも。
 そして私の前にはベッドがひとつあり、そこには美しい金髪の男の子が静かに眠っていた。
 ……スクアーロは私を誘拐し、勧誘し、また警戒している割に、妙に詰めが甘いというか信頼されているのかなと思われるような行動をとる。逃げられないと思い込んでいるだけなのかもしれないし、また私が起きたところでここで眠っている相手に何もしないと決めてかかっているようだった。その読みは当たりだし、彼に何かをしでかす予定は当然ない。
 起こすつもりも、もちろんない。布団を引き剥がすわけにはいかなかったけどとりあえず血は見えないしきっと暴走することはないだろう。ルッスーリアに施したような処置もきっといらないはずだ。

 静かな部屋だった。

 音楽もなく、やがて太陽の光が部屋を満たす。ベルの金髪は陽を受けてきらきらと輝き、まるで彼が天使のようにも見えた。
 ヴァリアーの人達って基本的に顔がすごく整っていてただし喋らなければ…というタイプが非常に多いけど、その中でも断トツなのがベルだと思う。口を開けばやれサボテンの刑だの、使えるようになれよだの悪口のオンパレード。口だけで脅してくるスクアーロと違い本当にナイフを投げてくるあたりが恐ろしいそんな彼は今、ただ静かに眠っている。時間帯的にはもうお昼だ。だけど起きてくる気配はない。よほど疲れていたんだと思う。よほど昨夜の勝負が尾を引いているのだと思う。
 だから私はベッドの傍にある椅子に座って、ただベルの寝顔に話しかけるだけ。
 勝者には褒美というか、それに応じた処置が取られるらしい。ルッスーリアは放置だったけどベルは誰かが包帯を巻いてくれたようだった。几帳面な性格をしているのだろう。綺麗に巻かれたそれは、だけどところどころじんわりと血が滲んでいて、色的に乾いているようにも見えるけどどうにも痛々しい。
 それに何も感じなかったわけじゃない。少なくともベルはそれなりに、私に対して良くしてくれた、はず。自信はないけどそれでも漫画で見ていた時より優しく感じられるし、実際若干の情けはかけられていたんだと思っている。私が彼に入れ込むのは現金な話だけどそういうことだからだ。だけど、だからと言って私はここで足踏みしてはいられない。

「…帰ろうと思うの」

 私の意思は変わらない。
 それだけが目的。それ以上でもそれ以下でもない。ただ帰るだけ。私の居場所へ。私のために用意してくれた、居場所へ。
 とは言え、それは今じゃない。さすがにこの部屋を出て堂々と外へ逃げ出せるわけがない。上機嫌とは言えスクアーロが見逃してくれるはずはないし今は機会を伺うだけ。狙っているのは今夜、学校へ連れていかれた時だ。そもそも連れて行ってくれるかどうかはまた賭けになるかもしれないけど全員が出向くことになるなら連行される可能性の方が高い。その時にベルにこんな挨拶するわけにはいかない。また、意識のある時にこんな話をしたらまた閉じ込められるに違いない。だから今。この、ほんの少しの間訪れた静かなこの時間に、どうしても伝えたかったのだ。

 本来私はここに来るべきじゃなかった。

 元をたどれば私はこの世界に居るべき人間ではないんだけど、それはそれと置いておくことにしたってこのヴァリアー戦を目にする立ち位置に居られることはなかったはずだし、だからヴァリアーの人たちと出会う予定じゃなかった。何の因果かスクアーロに見つかったあの日、原作の裏側にいる予定の私は表舞台に引っ張りあげられることになってしまった。幸い、今はまだストーリー進行の邪魔もしていないけれどいつどうなるか分からない。裏側へ引っ込むのはもう今日を除けばチャンスはない。一刻も早くそうしなくちゃならないと分かっていたのにこんなこと言いたくないんだけどギリギリまで居着いてしまった理由。本当ならヴァリアーの人たちを無理やりにでも嫌いになって、逃げ惑わなくちゃならなかったのにそうできなかった理由は。

(……そう、楽しかったんだ)

 嬉しかった。
 私は私でいいのだと受け入れられ、特別扱いもされず、また異物扱いもされず。彼らとしては特別な扱いをするまでもないとただそれだけだったのかもしれないけど。けれどそれだけで、途端に逃走しようという意志が削がれてしまっていた。ヴァリアー編のメインであるリング争奪戦の、血なまぐさい戦闘が始まるまでは少なからずここにも居場所を見出しかけていたのだ。
 だけどいつまでそうしてはいられない。この世界に居残るつもりであると決めたならばなおさらのこと。引っ張り上げられてしまった表舞台から姿を消すのは意地でもこの世界に居座ると決めたから。

 だから、早く言わないといけない。彼が目覚める前に。
 だから、早く離れないといけない。これ以上情が湧いてしまう前に。

 離別はいつだって、少し寂しい。だけどこの世界にいる以上、これは今生の別れでもない。これからもこの世界に居るようなら私はまた彼らに会えることだろう。その時に裏切り者として扱われるのか、はたまたこれまで通り接されるかは神のみぞ知る。私にできるのはどう転んでもそれを受け入れるだけだ。私の選択は物語を左右するわけじゃない。あからさまなストーリー進行の妨げをしない限り、私の選択は私にしか影響を与えないだろう。そう考えると少しは気分も楽になる。

「…ありがとね、ベル」

 これからの話の流れを知っている以上、それが変わらないと分かっている以上部屋の外から聞こえてくるスクアーロの声も、穏やかな呼吸をして眠るベルの寝顔も、何もかもが心苦しい。だけど時間は待ってくれないし悪夢のような展開は刻一刻と近付いてくるのは確かなことで。
 どうしようもないのだ、と自分を納得させるように小さく息を吐いて大人しくソファへ座り込む。今、やれることはない。体力温存するためにも動かない方がいいだろう。

 あとは夜を待つだけだ。



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