33



「また会いましたね」
「…ソウデスネ」

 部屋の中にいた人と会うのは実に約一ヶ月ぶりな気がするけど何も変わっちゃいなかった。髪型は彼のトレードマークなので当然として、例えば服も例の制服のまま。これまた嫌味なほど長いその足を優雅に組み、私の部屋の真ん中にある赤いソファを我が物のようにして陣取っている。ちらりとこちらを見て目を細めたものの私が入って来ることは想定内だったらしく驚いた様子は欠片ほども見られなかった。
 私も私でこの現状に驚きはしたもののこう言ったことには悲しきかな慣れてしまった。ついでに言うとこういう形で彼と会うのも三度目ともなればさすがに少しは耐性もつく。どうやら懲りずにまたやって来てしまったらしい。私も、…それからこの人も。

「おや、意外としぶとく生きているようですね」
「…まあおかげさまで」
「座ったらどうですか」
「言われずとも」

 私の部屋なのにまるで主人が骸に成り代わっているかのよう。座れと言われたもののそのソファを譲る気は微塵も見当たらず、とりあえず部屋へと足を踏み入れ、骸の前にあるテーブルのそばに座ってみた。各所に置いてあるコスプレグッズを骸に見られるのも何だかなあと思うけどこの辺りはもう気にしたら負けだと思うことにしている。慣れとはホントに恐ろしい。本来ならば穴があるなら入りたいと思うほど恥ずかしいことなのに。

 さっと素早く見渡したこの部屋もまた、何も変わっていなかった。ここで好奇心からウィッグに触れてまた他の人の姿になってしまうのは避けたいから自分の部屋のものだけど触れることができないという悲しさ。こんなに長い期間ウィッグや小物、衣装作りをしなかったのはそうなかったので特に今はうずうずしているという。実際ここが本当にこれまで私が過ごしてきた本物の部屋なのかどうかはちょっと分からないけれど、それでもやっぱりそう思ってしまうのは悲しきかなコスプレイヤーのサガなのだろう。
 …部屋のことは気になるけどそれより対処に困るのは目の前の骸だ。この人がどうやってこの部屋へ侵入してきたのかは置いておくとして、今、この人と対話が逃れられないのであれば今頃彼が原作でどの辺にいるかどうかを考えなくちゃならない。
 漫画に描かれていることはかろうじて記憶にあるけれど、描かれていないシーンに関しては記憶頼みな上に想像。この世界は私にとって漫画やアニメで描かれてはいるものの、実際この世界へやって来てしまってからは厚みを持ってしまっている。キャラクターが生きて、紙面に描かれていない場面でも動いている。各々が思考を持ち、私と会話している。それがどれだけ私にとって不思議で、ワクワクして、そして不安を煽るものか彼らは知りやしないだろう。

(……嵐戦のあと、だから)

 次は雨戦で、スクアーロと山本が明日の夜戦う算段になっているはず。チェルベッロがきっとそれについて発表しているだろうし、ならヴァリアーの面々は早々にホテルに帰っただろう。その前に恭弥と彼らが対面したシーンもあるけれど、そこで私の姿が見られているとなるとちょっと厄介になっていそうだ。図書室で放置されているのなら万々歳、もしも連れていかれたまま対面していたとしてフードで顔が隠れているだろうからそれでバレなかったらさらに嬉しい。…いやいや、家に帰ったら即バレてしまうので全然良くはないんだけど。
 とまあ原作軸は多分、こんな感じ。まだ骸や黒曜組がツナと会うまで一日早かったはずだ。彼らの存在がチラついたのは確か霧戦の宣告があった翌日…つまり、霧戦の当日だったと記憶している。ということはまだ骸は姿を現していないのだろう。だけどツナの父親である沢田家光さんとは既に話が済んでもいるはず。

 正直、自分の記憶に自信はない。

 趣味のために生活をしていたあの頃ならこんなことはなかったんだろうけど、この生活になってからは毎日生きることに必死で、先々の記憶は曖昧になってしまっている。スクアーロが日本へ初めてやって来た日のことはもちろん、特に日付の事なんてもってのほかだ。さらに言えばこの後、未来編やら何やらへ巻き込まれた場合もっともっと覚えていない。物語の流れは分かっていても、誰がキーマンで誰がどんなことを企んでいるかは知っていても日にちなんて分からないし漫画の一コマ一コマまでも覚えられているはずもなく。こんなことになるのであればもっと覚えているあいだにメモでもすれば良かった。…後の祭りだけれど。

「じゃあ、今はもう……彼女も近くに?」
「流石は先読み、その通りです。なので僕は久々に会いに来てあげたんですよ。君の世界はなかなか入り込むのが困難なんですけどね」

 どうやら私の言葉の選択は間違いではなかったらしい。物珍しそうにほぅ、と感心したように声を漏らしたかと思うと特段隠すこともなく素直にそれを認め、首肯した。
 クローム髑髏の名前を出すかどうか少し悩んだのは下手にこの記憶や知識を他者に漏らさないようにするため。自衛のためだ。私にとって知識とは強み。自分の身を守るために手放せない、決して原作の流れを変えることのないよう必要なチカラ。時々ヘマしてポロッと喋ってしまっているような気もしないでもないけど今のところとりあえず大事には至っていない。多分。自信ないけど。

「……へえ、そうなんだ」

 ちなみに先読みというのは私が何でも知っているということからそう呼んでいるらしい。今はどう思っているのか知らないけど間違いなく黒曜編ではそう認識されていて、だからこそ骸の味方に引き込まれようとしていたのだった。そんな大それた能力でもなんでもないんだけどわざわざ訂正する必要もないだろうとその呼称に意を唱えてはいない。本当は気恥ずかしいので止めてもらいたいところなんだけど。
 ちなみに骸がこうやってよく喋ってくれたりほんの少し友好的になったのはつい最近の話だ。どういう風の吹き回しなのか分からないけど、ちょっと優しいというか、面倒を見てくれているというか。空の指輪の件だってそうだ。骸にとってメリットなんてないだろうに私に分かるようわざわざ説明してくれたことだって裏があるんじゃないかと疑ってしまう。……ほら、一応彼、百パーセントの善人、ではないから。それでも理解者だと私は思っている。恭弥へ伝えたこととはまた違う、私の一面を知る人。私はそんな認識で彼と接しているし、まあ、これでも恩人であると思っているわけだ。本人に伝えたらきっと嫌そうな顔をするに違いない。

「で、君はこれからどうするつもりですか」
「…もしかして今の私の状況が分かる、の?」
「ええ、おおよそは」

 ところでさっきも言った通り、私はリボーンの漫画は全巻読み切ったもののそう細かく覚えてはいない。流れは何となく掴んでいるし、大体の世界観、設定なんかは記憶にある程度。それぐらいだ。他に読んできたどの漫画だってそんな感じ。一ページ一ページがどうだったかまでは覚えられるはずもない。そして漫画に掲載されていない、裏側の状態はもっと分からない。想像するのみだ。
 だから今の骸がどんな状況にいるのかよく分からなかった。私が困っていたのはそういうわけだ。そして考えついたその先、何とも言えない気持ちになったのも確かなわけで。

 おそらく骸は日本にいない。
 彼の身体本体は復讐者に捕えられ、あの水で満たされた筒の中に閉じ込められている。クロームの力を借りてツナの父親である沢田家光さんとの取引も終え、彼女と城島、柿本はもう黒曜センターあたりに潜伏しているのかもしれない。
 少なくとも骸に余裕はないはずだった。ギリギリではないにしろ、間違いなく不自由な生活を強いられている。そんな状況の中、よく私のことまで推測できたものだと感心せざるを得ない。それに、

(……もしかして)

 ううん、これはもしかしなくとも、だ。

「…ねえ、骸。私に協力して欲しいって言ったら、笑う?」

 骸がこの時期、ただの暇つぶしのためだけに敢えてここへ姿を現すとは思えない。かと言って私なんかに助力を求めるようなことは死んでもしないだろう。当然私だって応じる力もない。ならば、

 ――チャンスだ。

 潰えたと思われていた道に、光が見えた。私は私でできることをしなくちゃならない。表に現れないよう、かつ、表を決して乱すことのないように。
 分かりにくい、伸ばされたように見える手は一体何を意図されているのか。鬼が出るか蛇が出るか。そんな博打みたいな危ういところに飛びつかなければならないほど私は詰んでいるのだ。

「いいでしょう」

 たっぷり数秒の後、骸は鷹揚に頷いた。まるで及第点と言わんばかりの表情だったけど私にはこれしか道が残されていない。考える時間も、あまりない。とりあえず骸の興味を得たということでまだ首の皮一枚で正規ルートにしがみついていられている。それだけしか今は分かっていない。…それでいい。
 「――それで、」骸は言葉を続けた。優しさが感じ取れる、だけど本当はそうでないことも私は知っている。例えるなら声を失う代わりに足を得た、好奇心旺盛な人魚姫と魔女の契約場面。元から何も喪うものなどない魔女はきっとこんな余裕があったのだろう。彼女にとって人魚姫は、また骸にとって私はどれほど愚かに見えるのだろうか。もっとも私は姫なんて柄ではなく、自分の足で力強く、情けなくもがくぐらいしか能がないんだけど。

「それで、僕は何をすれば?」

 すう、と細められた色の違う両目が妖しく輝いた気がした。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -