25



「……朝だ」

 意識はまだぼうっとしてるけど既に日は高い。少し寒い季節になってきたけど陽の光さえ入ればポカポカと暖かく、むしろ少し暑いぐらいだ。見慣れない天井を数秒見た後、ゆっくり隣を見るとそこにベルの姿はなくホッと息をつく。
 ベルが夜中にここへ来て寝ただなんてあれは夢だったに違いない。いやに生々しすぎたんだけど、だってそんなことが有り得るはずがない、し。誰かに添い寝して欲しいと思うような年齢でもなければ焦がれているわけでもない。恭弥だったらならずっと私の横で寝て、起きたと思ったら二度寝するんだろうな。
 ……すっかり考えることを忘れていたけど今頃何してるんだろう。ディーノさんとの修行で毎日着実に強くなっているに違いないんだろうけど、傷だらけじゃなかったらいいなあ。戦闘狂のあの人のことだから何だかんだ楽しくやっているに違いない。そんなことを思っていると少しだけ気分が楽になったような気がする。

 …私も負けてられないや。
 身体を起こし、ぐっと腕を伸ばす。まだ寝ていたい気持ちもあったけど今日も今日とて脱走の機会を伺う必要があるのだ。窓を開け、新鮮な空気を取り込むと「よし!」と自分を叱咤するように大きな声をあげ、両頬をパチンと叩く。どうせ誰も聞いてやしない。ホテルの前を歩く人たちが私の声に気付くはずもなく、見上げることなんてない。
 ザアザアと降っていた昨夜に比べ今日は天気もそこまで悪くはない。夜は少しだけ荒れるだろうけど、…天候の話ではなく嵐の属性の人間たちが暴れまわるっていう意味でね。
いつの間にか用意されていた食事はすっかり冷え切っている。誰か持ってきてくれてたのに気付かなかったらしい。腹が減っては戦はできぬ、だ。いただきますと誰も聞いていないのを知りつつ、ホテルが用意してくれた食事を口に運んでいく。
 こうやって用意してくれているということは今日は誰も一緒じゃなくていいみたい。
 いつもならベルかスクアーロがそばに…というよりは監視していたんだけどそれもなく変な感じ。一応念の為匂いを嗅いでみたんだけどこれに毒が入っていたり睡眠薬が入っていたとして私がそれに気付けるはずがない。城島みたいな嗅覚があればなあと悩みながらも勿体ないしって結局全部食べてしまう。

 そこからは特にすることもなく部屋でゴロゴロしたり窓を開けて外を観察してみたり。部屋の外へ自分から出ることはない。今はどうせ外に誰かがいる。ならどちらかと言えば今は大人しくしていた方が確実なのだ。
 しかも昨夜の勝者であるレヴィがまた問題で、彼もかなりの怪我を負ったものの勝利したことによりハイになっているらしく逆にそれが恐ろしい。たまにうおおお! と嬉しそうな咆哮が聞こえてくると割と怖い。彼に危害を加えられたことはないけど近づかないほうがいいに違いない。
 分かってはいたけれど部屋の外は敵ばかりなのだ。こんな時こそ話し相手が欲しいなあと思うんだけど今日に限ってベルもスクアーロも部屋に来ない。

 3日目、だ。
 私は見ることが叶わなかったけど何もなければ、私の記憶の通りに進んでいるなら今日は第3戦目、ベルと隼人が戦う日。そして私が唯一逃げ出せる確率が高い日じゃないかと踏んだ日でもある。
 後半に進むにつれて私の不在が恭弥にバレる日が近付き、それと同時にヴァリアー内でも負傷人数が増える。今夜だと特に私のそばにずっと居たベルが戦うんだから私の周りは一時フリーになる。あの重々しく重ねられるであろう家具と今日も戦わなくちゃならないのかもしれないと思うと憂鬱だけど。

 ガチャリ。

 ノックもなくドアが開いたのはそれについての対処を考えている時だった。半ば反射でそちらを振り向くとそこにはベルが立っていてギョッとしながら立ち上がる。

(……まずい!)

 そう直ちに思ったのは彼がいつもと様子が違うからだ。
 今日はそういやベルを見なかったなと思ってたけどまさか間もなくリング戦が開始されるだろう夜にふらっとやって来るとは思ってもみなかった。しかも――血塗れで、なんて。

 一体どうしてこうなってしまったんだ。
 ベルはワイヤーとナイフの扱いを得意とするけど恐ろしいのはそれだけじゃない。流れ出た自分の血を見ることによって自我を失い暴走することだ。幸いにも私はまだそのシーンを目の当たりにしたことはないんだけど漫画やアニメで目を通しているから知っている。
 あまりにも恐ろしすぎる変化。
 目に見えて分かる変化。
 元々洗練されていた戦闘センスは飛躍的に向上し、いつものベルじゃなくなる代わりに……何というか、キレるって言うのが近いんじゃないだろうか。
 多分、だけど意識を失う前に思ってることをやり遂げようとしているんじゃないかなと思う。とは言ってもそんなベルを見たのは漫画でも1度だけで、それは今じゃなく今夜の隼人との戦いの時だ。なのに今これが起きるのはまずい。何を考えているのかは知らないけど暴走されるのはまずい。打撃に関して頑丈である私の体質はベルの攻撃に何の意味も成さないのだ。しかも周りに今、ベルを止められそうな人はいない。

「藤咲」

 だけど私の恐れている事になっていないのでは? と考えたのは全く動けなかった私に対し悠々と近付いてきた彼が私の名前を呼んだから。どうやって逃げようか辺りを探っていたのにその一言で私はすっかり警戒心を削がれ、彼を見返す。
 隊服は真っ黒のせいでどうなっているのか分からないしその内側に来ている赤と黒のボーダーのシャツもあまり汚れが見当たらない。判断したのはその真っ白な肌が赤に染まっていたから。だけど彼が暴走していないということは2つ考えられる。
 暴走したけどもう戻ったか、もしくは返り血。…ああ、多分、そっちかな。きっと返り血だ。自我を失ったんじゃなく人を殺してきただか誰かと喧嘩してきたのなんだと思う。何となくだけど。

 今まで殺人なんてものを目にしたことがないというのにそう簡単に受け入れられたのは自分でもよく分からなかった。
 前々から分かってたけどやっぱり知識があるって言うのはこれ以上ない武器だと思う。もちろんこの人が人を傷付けたことに対し恐れていないわけじゃない。でもその相手は私じゃないし、きっと私の知り合いでもない。それが分かると不思議と受け入れられたりするんだよね。これもヴァリアーに感化されたってことにしておこう。

 私はあくまで一般人だ。
 今後も当然人に手をかけることはないし、これまでそういった人と関わってきたことなんてないけどリボーンの世界には少なからずそういう人がいる。特にこのヴァリアー側の人間にとって殺しの世界は何よりも身近であり、そう珍しいことじゃないんだから。
 もちろんこの状況、怖いか、怖くないかって聞かれればそりゃ怖いに決まっている。暴力はよろしくない。怖いし、見ているだけで痛いし。目の前に血塗れの少年がいるなんて割とホラーではあるんだけど知識のある私としてはその流れた血がベルである方がよっぽど怖い。生命的な意味で。

「お帰り、ベル。それどうしたの?」
「…何だよビビれよ」
「え、そんな無茶な」

 とりあえず顔がべっとりと血塗れっていうのも怖いし、何ならこれからベルは隼人と戦いに行く。そんな中でこんな顔中が血に塗れている人が来たなんて皆にトラウマを植え付けること間違いなし。きっとそうなる前にスクアーロにでも小言を言われるだろうけどとりあえず私も見てしまった以上どうにかしないと。
 ベルの無茶振りにハハと笑いながら近くにタオルを掴む。顔さえ拭えば後はどうにかなるだろう。むしろベルの部屋に戻るんじゃなくこの部屋に来たのは多分そういうことなんだと思う。拭けと。オレの世話をしろと。…仕方がないなあ。

「わっ、」

 水でタオルを濡らし、ベルの頬を拭こうとしたその時だった。不意にベルが腕をこちらへ伸ばし、1歩近付いたのは。ぬるりと血で濡れた手が私の頬に触れ、その冷たさにびっくりして後ろに下がろうとしたけどその先は壁だ。
 ドン、と肩に壁があたり私の歩みはそこで終える。

「…ベル?」

 彼は私よりほんの少し背が高い。
 細身だし隊服を着ているせいで全然感じる事は無かったけど、私の横の壁についた手は大きく何だかんだ私を俵持ちしたりするような力を持つ男の子なんだと思わせられる。人を平気で殺す暗殺者。自称王子。年上の私のことなんかペットだか何だかと思っているのか自由気ままに振り回す人。だけどこんな近付き方をされたこともなく、こんなことをされたこともなく私はただ黙って見上げるしかできない。
 長い期間ではなかったけど振り回され続けた結果、この人達の行動に対し無意識に完全受け身をとる形になってしまっているのだ。

「お前、マジで変な奴だよな」
「…ん? 褒められてる?」

 いやそれはないか。どうやら私は肉体同様メンタルまで鍛えられているようだった。いつの間にかどれだけ貶されたってああ、はいそうですねって受け入れられる体制ができている。確実に自分より勝っている人間だらけの場所にポイッと放り投げられたら多分人間ってこんな感じで受け入れていくんだろう。今回だってそうだ。
 「まあいいや」と小さく呟いたベルは相変わらず私の前から退かない。
 私たちの距離はもうあと一歩分。どちらかが足を少し出せば相手の足に触れる距離。ちょっと手を伸ばせば相手の首に触れられる距離。そしてベルの手は実際私の頬に触れている。…まさかそこで血を拭いているんじゃないでしょうね? そう問いたくなるほど執拗に触り続けている。正直くすぐったい。

「餌やるよ」

 それは一瞬だった。ちょっと周りの空気がいつものように軽くなってホッとした一瞬。文句を言っても怒られないだろうと口を開いた一瞬の出来事。
 戦えもしない私がそれに反応できたはずがない。
 ただ分かったのは目の前の金髪が異様な速度で近付いてきたこと、血の匂いというものがこんなものなんだろうなと思えたこと、そして、

 唇に温かい感触があったことだ。

「……へ?」

 それは近付いてきたのとだいたい同じ速さで離れていく。何が起こったのか自分でもさっぱり分からなかった。驚きすぎて何の反応もできなかったけど間違いなくベルの唇が触れた。……いま、目の前で起きたことが全て嘘だと思いたい。でもそうじゃないのだと首からかけられた空(から)の指輪が証明している。
 炎供給を受けたその瞬間は相手の炎の色に染まり、そのまま指輪の中にその色を蓄積させるという不思議な性質を持つそれはこの世界で生きていくのに必要な死ぬ気の炎を生み出せない私だけのもの。私にしか価値のないものだ。その特性に気付き教えてくれたのは骸だけど彼にすらバミューダから受け取ったものであると伝えていない。真ん中で渦巻く黒に加え、それを薄くコーティングするかのように覆う藍色。そして供給された分が入る空白の領域。そこに入り込むのが新しい色、ベルの色だ。受ける側である私はどうやって皆が炎を出しているのか分からないけどベルにはいつも触れただけで供給を受けていたんだけどまさかキスされて炎を得るなんて誰が思っただろうか。

 というか…餌って。

 意味合い的には間違いないけど、やっぱり彼にとって私はそういうポジションなのだろう。突っ込むことも今更過ぎて反応も困り、とりあえずへへっと笑ってみた。キスされたことに怒る、というのも考えたけどそれは残念ながらこの状況では非常に難しい。
 ベルは相変わらず黙って見下ろすだけ。それでもやがて、しししっといつものような笑みを浮かべ。

「いこーぜっ、王子のいいとこ見せてやっから」
「えっ!?」
「お前なら知ってんだろ。今日はオレの番ってこと」

 私の返答など関係ない。
 ベルはそのまま私が持つタオルでごしごしと自分と私の頬に付着してるであろう血を乱暴に拭くとそのまま腕を引っ掴み、部屋の外へと向かう。私はその勢いに対抗できるはずもなくただ連れていかれるままに歩くだけ。

「ちょ、べ、ベル!手がちぎれる!」
「ちぎれねーよ、お前って頑丈だけが取り柄なんだろ」
「ひどい!」

 私の胸元でぶら下がるリングは赤い。赤く赤く、血のように赤く。

 ――藤色は、そこに既になく。



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