22



 痛覚はないけど感覚までは死んでいない。例えば殴られたとしても痛くはないものの殴られたという漠然とした感覚はある。視界が揺れる。殴られた箇所が腫れることはないけど身体が衝撃に耐えられるかどうかとなればそれは不可能で普通に吹っ飛ぶ。びっくりする。
 とまあ私が受けるものってせいぜいそれぐらい。ちなみに斬られたりしても感覚自体は鈍いような気がする。血は出るけどね。

 今もまさにそんな感じで、揺れを感じ何事かと目を開くと例の如く床でこれは驚くこともなくただあーあまたこれなのかと諦めの溜息。
 どうやら眠っていたようだけどこれは私が眠くなって床に寝転がっていたというわけじゃなく間違いなくベルの仕業だろう。スクアーロもそうだけどこう…何というか、誘拐のシーンでありがちな怪しげな薬を嗅がせるだとかそういう方にしてもらえたらスマートなんだけどそれをこっちから注文するのもなんだか変な話。というかそんなことすらされたくはないし。とりあえずゴーラ・モスカに入れられたり首が斬られている訳じゃなくて安心してしまう自分も相当ヴァリアーの人たちに感化されているんだなあと思うとちょっと複雑だ。

「ん?」

 ところで今は何時ぐらいなのだろう。窓から見える空はもうとっくに夜であることを示していて随分長い間眠ってしまっていたらしいと悟る。ぼんやりしていたのは数秒で今度はガタンと大きな音が身近に聞こえ慌てて顔だけをあげるとそこには月夜に照らされた金髪が佇んでいた。
 …この角度からなのに目はきっちり前髪に覆われ一切見えることはない。
 動かないでいると本当に人形のよう。冷え冷えとした感覚は、これはスクアーロに一度向けられたことのある殺意に近いのか。

 怖い、と。

 最近は彼らとそれなりに上手くやっていたせいで思わなくなった感情だ。だけど全然、そんなことはない。
 今まさに私は年下の彼に対し恐怖を感じた。彼にかかれば私なんて一瞬で絶命させられるだろう。そんなことをわざわざ思い出す程度に私は、彼を恐れている。「ああ藤咲か」けれどベルが言葉を放った瞬間、それはスッと驚くほどに収まる。もしかしなくとも私のことを忘れていたのか。排除すべき人間だと思ったのか。聞いて怒られるのも嫌だし慌てて取り繕うようにヘラリと笑う。

「…おはよう、ベル」
「しししっ、やっと起きたんだ」
「おかげさまでね」

 喋りながら状況を把握する。……ああ、そうか。私は留守番、だったっけ。部屋に時計はなかったけどベルの言い方を考えると私はあれからすぐに起きた訳じゃないんだろう。つまり彼はどこからか帰ってきたということで。…そこのベッドにルッスーリアが寝かされているということは、…あの人が大負傷して包帯まみれということはつまり私が眠っている間にリング戦の一日目は終わったということか。

 一戦目、晴の属性同士の戦い。
 京子ちゃんのお兄さんとルッスーリアによる肉体同士の戦闘がもう終わってしまったのだ。京子ちゃんもそのシーンを見ていただろうけど大丈夫だっただろうか。全くこういう世界とは無関係だった人にとって衝撃的だったはず。もう話す機会には恵まれることはないだろうけど何の非もない彼女にはあまりにも残酷すぎて、せめて彼と彼女の傷が少しでも早く癒えることを祈るばかり。
 かと言って、――非常に申し訳ないけど、だからといってこの目の前の人が憎いだとか恨みを抱いたわけじゃない。その辺りは読者視点ならぬ第三者視点なんだなと思わずにはいられないんだけど本当にそうなのだ。ただ見ていて傷が痛々しいなと思えただけ。もう読者と同じく主人公であるツナ側から全てを見られなくなっていることを悲しむべきなのかすら分からない。

「……ルッスーリアさん、怪我してるの?」
「起きねーんだよな、このオカマ」

 どうやら簡単な処置は受けているようであちこちに包帯を巻かれているものの、そんなもので傷が塞がる訳もなく既にじわりと血が滲み出している。その範囲、肩からつま先まで。大きく怪我を負ったらしい膝は他よりも頑丈に巻かれているもののやっぱり赤黒く染まっていた。こんな時、未来編である10年後ならルッスーリアの持つ晴れ属性の匣で治してしまうんだろうけど残念ながらそんなものは手元にないし私には人を癒すような便利なスキルを持ってない。ここまでベルが運んだとは到底思えなかったしレヴィかゴーラ・モスカ辺りなのだろう。

「包帯、巻きなおそっか」
「王子手伝わねーよ」
「いいよ別に。私がそうしたいだけだから」

 ぐっと自分の重い身体を持ち上げつつ、早々に近くのソファに座ったベルの前を通り、ルッスーリアのそばへと移動する。
 彼は静かに眠っていた。
 見た目の酷さとは裏腹に穏やかな呼吸だった。さてどうしようかと当たりを見渡してようやく気付く。昼にベルと話していたのは確か彼の部屋だったと記憶しているんだけど気絶している間に違うところへと放り出されたようで、この部屋は私も見覚えがないことに。
 どうやら彼らが日本に滞在している間はこの豪勢なホテルを利用するらしい。
 私も並盛にこんな建物があったのかと驚いたけど流石にそんなところには医務室なんてものは用意されていない。まあそもそもホテルにそんなところまで準備されてるはずがないんだろう。それに加え元々彼らは負けることなんて一欠片も思っていなかったに違いない。あまりにもそこに置いてあった医療道具が粗末過ぎる。適当にその辺で買って来たのか、或いはホテルの人たちにちょっと借りたのか。家にある救急箱の方がよっぽど揃っているし、…まあ無いよりはマシか。

 自分の手をまず消毒し、包帯を手に取る。全身を巻きなおすほどの量はなさそうだったから膝だけになりそうだとルッスーリアの膝周りに恐る恐る触れた。ベルからナイフが借りれたら便利なんだろうけど絶対貸してくれないだろう。怒られそうだし。仕方なくそこまで大きくはないハサミで周囲の包帯を一旦切り、そこから外れないようテープで張り付けた。それから慎重に血で濡れた包帯を取り外すと見えた患部に思わず眉をひそめ、手が止まる。

「……思い切りやられたんだね」
「こいつが力不足だったからだって」

 ……義足、だったのか。交じりあっているというか、違うものが埋め込んであるというのか。割合的に言うと機械的なものの方が多く占めている。それが粉々になり、彼の元々の身体を傷付けているというところなんだろう。
 これが普通の膝だったら多分卒倒するところだった。あと部屋があまり明るくないことも幸いだったかな。マジマジとあまり見ないようにして手早く包帯を巻きつけるとこれもまた外れないように縛り、巻きっぱなしだった包帯とつなぎ合わせるようにしてテープで張り付ける。…私にはこれぐらいしかすることができないけど。真っ赤に染まった包帯を袋の中へ入れて独特な匂いが漏れないよう縛るとゴミ箱に捨て、改めてルッスーリアを見る。

「……少なくとも背中の怪我は笹川さんにされたんじゃないでしょうに」
「お前、見てきたかのように言うんだな」

 致命傷は何も膝じゃない。晴れ戦を制した京子ちゃんのお兄さんには確かに足の傷が決定的だったんだろうけどこれじゃない。ゴーラ・モスカによって負った背中の傷だ。
 意識を失った男の人の身体なんて重すぎて誰かに手伝ってもらわないと包帯も変えられないから諦めたけどシーツはすっかり赤く染まっている。早く病院に連れていかないと不味いんじゃないかと思う。私に発言権なんて一切ないけど。
 「血とか」ベルの声はスクアーロと違っていつも静かだ。ベルは基本的に声を荒げることはない。だけどこの調度品もほとんどない小さな部屋には大きく響く。

「なあに?」
「お前さー、血とか怖くないわけ。一応日本じゃフツーの生活してたんだろ」

 ああ、さっきからベルがずっとこっちを見ていると思ったらそんなことか。ルッスーリアの治療が気になるとかそんなのじゃなくて私の手際を見ていたって感じなのかな。
 …そういや、今、やっぱり私はあまり怖いだとかそんなことを思わなかった。でもこれはあくまでも怪我をした人の治療なわけで、多分だけど私は戦闘を見ている方がとても辛いんだと思う。

「怖くないわけじゃないけど、それより大事なことがあるってだけ」

 私は戦えない。私は何もできない。この世界にやって来たものの、この世界で生活することができているもののそれ以上の事を望めない。原作に介入し流れを変えるわけにはいかない。
 ならこのギリギリのラインで私ができることをするだけだ。その一つが彼の治療だったっていうそれだけの話。私がこんなことをしなくとも彼は死ななかったんだろうけど。だって原作でも彼はしっかり生きている。異質の、異物の、異端者である私が何をしたってきっと変わらない。だけど目の前で起きたら動かずにはいられない。私は多分、こういう性分なのだ。

「お前誰が怪我してもこんなことすんの?」
「ちゃんと治療を受け入れてくれたらね」

 いやXANXUS相手にはさすがに怖くてできないけどね、と思いながらヴァリアー各自が怪我をした場合を考える。ただXANXUS以外を、と思い浮かべるともっと危険人物がいたことに気付く。…ベルだ。一番危ないのはベルで確定だ。
 血を流したあとに起こるアレはいわば暴走状態。もしかしなくとも私のことなんて誰だか分からないままナイフでサボテンの刑にされて終わりな気がする。…まあでも、多分、可能なら消毒ぐらいはすると思うけど。

「でもあんまり怪我はしないでね。見てるとこっちまで痛くなっちゃう」
「王子勝つんだけど」
「うん、ベルは勝つんだけどね」

 あー、ベルはどんな怪我をするんだっけ。後日松葉杖をついていたような気がするし骨折だったかな? あ、でも相手は隼人か。あれ、どうしてそんな怪我を負ったんだっけ。あと細かな傷をたくさん負ってた気がするから絆創膏とかもたくさん用意した方がいいんじゃないかなあ。包帯も全然足りないし。XANXUSにお願いしてみる? いや絶対無理。怖い。じゃあちょっとホテルの人にお願い…は無理だな、電話がない。連絡手段なんてなかったんだった。ダメ元でスクアーロにでも相談してみよう。
 ベルの言葉を生返事で返しつつうーんうーんと在庫が心もとない救急箱の前で唸っているとベルはどっかりとソファに座っていた。仲間の傷なんて興味ないか。そりゃそうだよね。それがベルらしいや。

「……変な女」

 うん、ちょっと悪口みたいなのが聞こえたけど無視だ。というか突っかかったらまた怒られるに違いない。
 私もそれを返すことなく黙っているとそれきり部屋は静寂に包まれた。あるだけの包帯をすべて変えてしまってからそっとベルの方を見てみたけど腕組みしたままピクリとも動くことはない。鍵はどうせかかっているだろうしドアを開閉して調べてベルを起こしても厄介だ。どうやら今夜はここで過ごすしかなさそう。
 ちょっと考えたけど床で寝るのももう飽き飽きしていたことだしベルの隣が空いていることに気付く。…座ったまま寝るっていうのは床で寝るのとどっちが良いんだろう。まあいいか、どちらにせよ隣に座るなってことなら蹴落とされるに決まってるし。ここはちょっと厚かましくなるしかない。

「おやすみ」

 チャレンジ精神旺盛、私もそのまま彼の隣に腰を下ろし、静かに目を瞑る。



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