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 ベルとの追いかけっこ…ううん、ただベルの背中を追いかけるってのは思っていた以上に骨の折れることだ。もちろん私が見失うことのないように加減はしてくれているだろう。そうじゃなきゃ私なんてすぐ巻かれてしまうに違いない。
 多分、だけど彼は私の事を犬か何かと勘違いしているんだと思う。いわばさっきの供給は餌、これは食後の散歩。…あ、そう思うと何だか私を構う理由がちょっとわかった気がした。遊び相手ではなくオモチャやペットと同じ扱いなのだ。
 それが嫌なのかと言われると、多分これがベルと同格の人間扱いになったとしたら遠慮なくサボテンにされたりしかねないので仕方なくこの立ち位置で我慢しようという気にもなる。仕方なくね。

「ちょっと待ってってば!」

 階段を上がっては下り、そこの角を右に、左に。
 とにかくヴァリアーの屋敷は広い。だだっ広い。どこまで行ってもベルは止まってくれず、一体そこまで大きくはないあの身体のどこにこんな体力があるのかと問いたい。あとちょっと分けてほしい。これがヴァリアーの人達なんだなと思うと感動はするけど実のところ結構私は瀕死だ。元の世界の私よりも若干身体能力が高いとは言え至って一般人域を出ないんだなと改めて思わされる。体力を無限大に欲しいとは思わないけどせめて登場人物は普通の人たちじゃないんだからそれに合わせてくれたって罰は当たらないはず。
 どこまでも待ってくれない意地悪な背中を追いかけ早数分。ああもう駄目だ、絶対無理。そう思いつつ足を止めたらナイフが飛んでくることはもう体験済みだったので重い足を一歩前へ動かした瞬間だった。視界がいきなりすてーんと揺らいだのは。
 
「ヘブッ」

 信じてほしい。
 断じて私はこのような少女漫画では絶対に出してはならない声を上げ転びたかったわけではないと。

 というか例え少年漫画でも許されまい。せいぜいギャグ漫画だ。そして転んだのは間違いなく私のせいじゃない。角を右に曲がろうとしたその瞬間、突然足元ににゅっと現れた黒いものに引っ掛かり顔面から床へと激突したのだ。ズシャッという勢いのある音と共に疲弊しきった私の身体は簡単に吹っ飛び、床に顔面を強打した。久しぶりの休息を予想もしていない手段で手に入れたけどこれは私の求めていた休憩方法ではない。今度は子供みたいなことをして! と一言怒ってやろうと思って顔をあげるとそこにいたのはベルじゃなく、ウワッと声をあげる。

「何寝てやがる」

 あの談話室で会って以来一度も会うことのなかった人だ。私を日本から拉致し、何度も足蹴にしてきた男。……S・スクアーロ。確か年齢的には私と同世代になるというのに若いのだか大人びているのかよく分からない風貌をしている。喋らなければ落ち着いて見えるのにいざ口を開けば声が大きいのと粗暴な言葉遣いがそれを助長させているのかもしれない。普段右手に括りつけられている剣は今は取り外されていて、ただ不機嫌そうに私のことを見下ろしていた。睨みつけていると言った方が正しいのかもしれない。ちょっと怖い。

「…そういうわけじゃない、けど」

 スクアーロという人間はこんなに意地が悪いんだったっけ。漫画で見ていた時から実際会って以来私の中での評価がどんどん下がっていく。
 ベルが私のことをペットか何かと思っているのであればこの人はさらにその下、ゴミか、さらにその下ぐらいにしか見ていないような気がする。いっそのこと客人扱いに引き上げてくれてもバチは当たらないだろう。というかそもそもそうだったのでは?何の理由か未だ教えてもらってないけど拉致され、挙句謎の実験を受けて、尚且つ日本に帰してもやえないと断言された今は特に。
 とはいえこの人が怖いことに変わりない。
 私も私で慣れたベルにならともかくこの人にあまり大きく物を言えず、だけどその代わり媚びへつらう理由もない。文句は言えなくとも態度に出すぐらい許されるべきだ。痛みの感じない体はこれぐらいじゃ負けないんだから。

「あ、先輩じゃん」
「ベル、お前も何してんだあ」
「だって暇だし」

 同じ幹部と言えどこの広い屋敷内ではあまり会うこともないのかな。どうやらここで会ったのは偶然のようだった。私を見捨てることなくひょっこり廊下の角から帰ってきてくれたベルが何となく頼もしく、思わず縋るようにして彼を見ようとしたのにそれはスクアーロの嫌味なほど長い足によって隠されてしまった。
 「まあいい」珍しくも小さな声と共にひょいと私の前で屈む。反射的に身構えたのはこれまでの経験のせい。この人に切りつけられでもしたらいくらベルに供給を受けていたとはいえ無事では済まない。だけど彼は特に何を言うでもなくおもむろに腕を伸ばしたかと思うとグッと後ろ襟を引っ張り持ち上げたのだ。

「ぐえっ」

 痛みは感じなくとも私は呼吸をしている人間。つまりこんなことをされれば喉元に服が食い込み息ができない。人のことを猫のように持ち上げてくれちゃって。
 こればかりは私の身体がもっと軽くても重くても同じ結果だっただろう。床から容赦なく引っ張られ、そのまま立ち上がらされ。目の前の整った顔が恨めしい。ギッと睨みつけたけど当然効果はなく。…あ、ちょっと今日は気分が良いのかな。なんてそう思えたのはいつもより怖くなかったからだ。

「喜べ藤咲。日本に帰れるぞお」
「え、」

 そして突然の言葉に私は何のリアクションもとれずにいた。
 スクアーロはそれが予想外だったみたい。もっと驚いて欲しかったのか、言葉のまま喜んで欲しかったのか。眉根を寄せたかと思うといきなり私の頬を片手で容赦なくむぎゅっと掴む。普通の人たちのような痛覚を持っていたらそりゃもちろん痛かったのかもしれないなと思いながら大人しくされるがままになった。何故って? そりゃもちろん怖いからだ。…だけど腹立たしいほどに恰好良いな。何を食べたらこうなるんだろう。
 ともあれ日本に帰してくれるということはありがたい。
 もうこれで家に帰れば何の問題もないということなんだから。そう考えるとこのイタリアの地で殺されなかったりしなかっただけまだありがたいと思っておいた方がいいのだろうか。それとも一般人を巻き込んで悪かっただなんて彼らなりにちょっと思ってくれたということなのだろうか。日本に戻った暁にはお礼ぐらいはちゃんと言おう。

「辛気臭い顔しやがって。笑え!」
「あ、え? ……へへ、」
「気持ち悪いなあ! 笑うな!」
「さすがにそれは理不尽すぎるでしょう!?」

 …前言撤回だ。イケメンでも言っていいことと悪い事がある。思わず大きな声でそう返すとベルが横でお腹を抱えて笑っている。まったくもって解せぬ。



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