12



「結局、私が人を選んだ意味」
「仕方ないだろ、アレもなかなか忙しいんだ」

 藤咲ゆうという女は拍子抜けするほど普通で、平凡だった。ボスがこのヴァリアー邸に帰り、いの一番に僕へ粘写を頼むほどのものなのかと、今僕達の目の前にある事案と並行すべきだと判断するほどの人物なのかと思っていたのに期待外れもいいところ。

 ただ、…そうだね、そこまで頭は悪くはないんじゃないかな。
 さっきの部屋の件、本人は何も意識していなかったのかもしれないが藤咲にとっては命に関わる問題だ。もしも何も知らない一般人であれば感じ取れる雰囲気からルッスーリアを選ぶのが妥当。次点あたりに一言も発することのなかったレヴィ、気さくに話しかけていたベルを選んでもおかしくはなかっただろう。人間、やっぱり生き延びたければ平穏に過ごせそうな相手を選ぶのは当然のことさ。

 なのにあの女は自分を怖がらせただろう、自分を連れてきたスクアーロを選んだ。一般の感情を持っている人間の選択としてはハズレで、だけど生き延びるためであれば満点の答えだ。どいつもこいつも自分の欲望に素直に生きすぎている輩ばかりだし、その中でもスクアーロだってそれに近いけど僕達しか知らない企みがある以上あいつは誰よりもそれに縛られ無駄な殺生を行わない。ま、流石にそこまで読みとれたとは思えないけどね。

「君は金を持ってなさそうだね」
「…そう、ですね。出来れば支払い関係はあの人にしてもらえれば」
「そうさせてもらうよ」

 結果どうなったって? 藤咲に選ばれたはずのスクアーロはボスから他の命令が入ったらしくそれにつきっきりになることになり、結局僕の部屋に来ることになってしまったというわけさ。
 どうせゴーラ・モスカの最終調整だかボスが連れ帰って来た妙な連中との打ち合わせか何かだろう。僕だって有幻覚を使えば若干の手伝いが出来たのかもしれないけどこれから何が行われるか分かっている以上、あまり力は使いたくない。そうだね、確かにこの人間は僕の求める報酬の百分の一すら支払えやしないだろう。だから君が言っている通りあいつに支払いを求めることにする。
 だけど僕がスクアーロからの依頼に頷いたのは報酬だけの話じゃない。

「で、君は一体何者なんだい」

 唐突な疑問を口に乗せるとへらりと媚びを売るように笑っていた女の笑顔が一気に凍りつく。それから強張らせながらも深く息を吐く様子にこれは図星ってところかなと見定めるようにして藤咲ゆうを上から下まで遠慮なく見回した。
 ボスが言ってるだけじゃなく多少の自覚はあるというところか。糸が切れたかのように手がパタリとソファの上に落ちると僕の横に居たファンタズマが興奮し、藤咲の手の上に乗る。ぺたぺたとそのまま移動し膝の上に降り立ったかと思うと藤咲に媚びるように擦り寄るその姿は異常だ。特殊な人間には反応するようになっているとは言え、僕から離れることはほとんどなくましてや慣れてしまうなどこれまでの僕の人生の中では見たことがない。ただの術士程度じゃこんな事は起きない。ならば僕には判断出来ない何かがこの女にあると見て間違いはないだろう。

「君は術士なのかい?」
「…いいえ」
「ムム」
「……ええと、術士じゃないけど霧の炎は多分、あります。…残って、たらですけど」

 この人間は普通じゃない、それは認めてあげる。僕の質問の意図を汲みその先を答える程度の知識を藤咲は有している。そんな事が本当に可能なのか? ただの一般人が。ただの、何も出来ないはずの人間が。
 強烈な違和感を覚えたのはその時だ。本当にこの女はただの一般人なのか、と。そもそもどうしてそんな疑問を抱いたのかは分からなかった。ファンタズマを指で撫ぜるその姿は普通の人間じゃないか。多分僕がこの場で幻術を出したところでこの女は敵いやしないだろう。スクアーロが日本へ捕まえに行った時でもただの女だったと吐き捨てていたのに談話室につれて来た頃にはその態度が変わっていたことも紐付けで思い出す。アレは、あの表情は思い通りにいかなかった時の態度だ。きっとスクアーロも僕と同様一般人だと抱いていた印象を覆すような何かを見てしまったに違いない。

「君、どうして僕にだけ敬語なんだい」
「……あ、」
「なるほど、僕が何たるかを知っているというわけだ」

 否の言葉はなくああなるほどね、と納得する。
 藤咲の話している内容だけじゃなくただ純粋に思っただけのことを聞いてみたというのにしまったとでも言いたげなこの人間は到底術士向けとは言えない。人を騙すことなんて出来なさそうだからね。そうか、この女は強いわけじゃない。戦えるわけじゃない。そういった点では恐らく使い物にならない。ヴァリアーの為になるかどうかさえ分からないけど色々と”識って”いる。漠然とした感想だったけどあながち間違いじゃないだろう。

「今すぐソレやめなよ」
「分かった。気をつけま、…気をつける」

 違和感の正体は僕に対しての態度。まるで目上に対しての態度だ。間違ってはいないさ。稀にいるんだ、僕達のことを知っている奴はね。
 そりゃそうさ、僕達だってアルコバレーノと呼ばれ最強だと言われてはいるけど”こう”なってからは長い。もはや生きる伝説だと言われていることもあるしいつまでも姿が変わらぬ化け物だと影で呼ばれていることも知っている。永遠の生命を持っている訳じゃない僕たちは、だけど皆の前では長年同じ姿で居るんだからその感想を抱くのは当然。怒りもしなければ恨みもしない、当たり前のことだ。ならばその知識を有している人間はさっきの時点で気付いただろう。今日居た談話室の中で一番年上だったのが僕だということに。そういう意味で敬語だったのか、はたまた違った意味なのかは僕には興味がないから知らないけど。
 …ボスの命令じゃなきゃこんな得体の知れない奴をそばに置きたくはないんだけどね。

「他言は無用だ。…さ、早く寝なよ。僕は忙しいんだ」
「分かった。じゃあおやすみ。…毛布、借りるね」
「ああ。後でそれも請求するから」

 一切の敵意も抵抗も見せず部屋の隅に用意したソファに転がり、やがてくる静寂に僕はホッと安堵する。

 ――この僕が、安堵するだって?

 いつの間に僕は浅く呼吸をしていたんだ。いつの間に僕が、僕の方が緊張していたって言うんだ。眠ってしまった藤咲に飽きたのかようやく僕の元に戻ってきたファンタズマは満足したのか僕の頭の上で丸まり眠っている。お前は呑気でいいね、ファンタズマ。僕は考えなければならないことが増えて頭痛がしそうだよ。

 …藤咲ゆうか。

 眠っていることを確認しに近寄り、マジマジとその容貌をインプットする。やはり僕には見覚えのない顔だ。幻覚を使っている訳でもなく、筋力も大してなさそう。つまり想像の通りこの女に戦闘能力は見込まれない。しっかりと閉じられた瞼のその奥にある諦めたような濁りを感じられる瞳。年のほどはベルと同じぐらいのように見えたけど日本人は幼く見えるというしもう少し上なのかもしれない。だけどそれにしてはあまりにも僕たちのような人間の集まりでも怯えもしない度胸はある。不思議な人間だった。

「ん?」

 規則正しく上下に動く肩、胸元で堅く握りしめられた両手から僅かに溢れた光が気になり音もなく近付くとその正体を探る。少し引っ張ってみると両手からずるりと抜けたのは細かな銀色のチェーンに括り付けられた透明の指輪だった。これから嫌でも見ることになるリングとはまた違ったものだったけどそれに興味を覚え、そして僕のそれに反応したのかファンタズマがまた少し目を見開き指輪を凝視する。それに触れるのは何だか憚れたけど好奇心ごときが僕を止められる訳がない。

「っ!」

 だけどその瞬間、冷たい指輪に触れた瞬間何かを吸い取られるような感覚に陥り、慌ててそのネックレス、否、トップに引っ掛けられたリングから手を離す。

 …何なんだ、今のは。

 ずるりと抜き取られるような感覚は。心臓が、ずくりと痛むこの感覚は。長年感じたことのない不快さに眉根を寄せると最後にこんな風に感じたのはアルコバレーノになった日であることに気付く。今日、僕は全然ツイていない。全部この女のせいだ。どうしてあの日の事を思い出す羽目になったんだ。
 今度は少し距離を取り、もう一度ソレを、指輪を観察する。材質は分からないし玩具のようなものだと思っていたけどどうやら違うらしい。よくよく見るとその指輪はただ光を灯しているだけじゃなかった。不思議な沢山の色は混ざることもなく蠢いている。まるで生きて、動いているかのように。それはまるで僕達のおしゃぶりのように。一番色濃く浮かんでいるのは…これは、もしかして。
 ごくりと唾を飲み、僕はもう一度それに目をそらすことなく触れる。ぽうと更に輝きを増しそこに追加されたのは淡いインディゴ。間違いない、この色は。この輝きは。この、…感覚は。

「……そうか。この女も、呪いがかかっているのか」

 思わず呟いたそれがいちばんしっくりと馴染む。玩具のようなものだったけどこれこそがファンタズマの興奮した原因、そして──そうだこれは呪いだ。だってこの女は生きているのにまるで僕と同じじゃないか。触れるこれは僕のおしゃぶりと同じなのかもしれない。ならばこれは。


「…使えるかもね」

 ボスが欲しがっていた人間に違いないけど僕にとっても有用性がある。まだほかの誰にも言ったことのない、呪いを解く鍵があるのかもしれない。これは何かに使える可能性がある。…まさかこんなところでこんなモノに出会えると思ってもいなかったけど。
 僕は今日という不運な日だったにも関わらず久しぶりに笑みを浮かべ未だ眠りにつく女を見下ろし続けていた。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -