10
「起きろ」
XANXUSが初めて女に向けて声をかける。さっきまで死にかけていた女だったはずなのにオレの見間違いではなく苦しげな顔はどこへやら、ぐうすか馬鹿面を晒して眠っているのが無性に苛立った。こいつはあくまでも無意識かつオレ達の前では未だ一言たりとも会話をしていないわけで、言わば八つ当たりにもなるのだが知ったこっちゃねえ。
寝転がったままの藤咲の肩を軽く足で小突くとやがて瞼がぴくりと動きゆっくりと開けられていく。
その瞬間、こいつの動きをオレは見逃さなかった。
目を開き一番にオレを視界に入れると驚いた表情を浮かべたのだが次の瞬間には諦めたような疲れた笑みを浮かべ声もなく口を開いた。元々こっちは隠密行動から拷問まで何でもやらかす連中で、一般人の女が例え言葉を口にせずとも何を喋ろうとしたかぐらいは、直ぐに理解した。日本語だ、若干正答性に自信はねえがしかし読み取れたからこそオレは絶句する。
スクアーロ。
藤咲が呟いたそれはまさしくオレの名前。こいつに名乗ったつもりもねえし此処に連れてきてから誰かに名を呼ばれてもいない。またこいつが昨日会ったボンゴレの連中とコンタクトを取っているわけじゃねえことを知っている。なら何故こいつはオレの名前を知っているのか。何故、怖がることもなくオレを見続けているのか。
細っこくて力もなさそうな女。数分前のオレは間違いなくこいつを使えないと評したが今もそれに変わりはねえ。なのに、何故。
「てめえに選ばせてやる」
オレが抱いた疑問の解決はこの場において再優先事項じゃないからこそ口をつぐむ。XANXUSの機嫌は悪くはねえ。あの忌々しい事件から八年経ちオレ達の前に再度姿を現してから今まで大した興味を見せなかった男が今、幹部どころかマフィアでもない女に向けて言葉をかけている。それが不思議で仕方がない。
こいつは一体何なんだ。この時期に―――そう、こんな時期に必要な女なのか。オレの疑問に答えるはずもなくXANXUSはただ瀕死の藤咲を見下ろす。
「そこのモスカは中に入った奴の生命を吸い取って動く機械だ。お前か老い先短えジジイか、どっちが入るべきだと思う」
「おいボス」
「るせえ」
視線を寄越した先には拉致してきた九代目が藤咲と同じく布に包まれている。既に投薬もしているし暫くは起きることもないだろう。そして気が付けばゴーラ・モスカの中で死ぬ気の炎を吸い取られ、弱っていくという寸法だ。がこれは加減が難しく、沢田綱吉によってこのモスカごと焼き切らせるという役割がある。なのにその女を入れるということは。その選択肢を入れたということは。何でもないようでこいつはボンゴレの血筋の人間なのかと疑うのは自然だろう。聞いたことはなかったが。
しかしそれを聞く必要はあったのか。さっきまでその目の前にあるゴーラ・モスカによって殺されかけた女だ。原因が死ぬ気の炎を吸われて…なんていう説明をしてやる義理はないし何なのか分かってはいないだろうが兎に角あの機械の内部は危険だということぐらいはどれだけ頭が悪くても身体が覚えたことだろう。恐怖は何よりも人を素直にさせる。ジジイが入るか自己犠牲精神でまたあの苦しみを受けるか。一般人の答えは、この女の答えは。
「その人が、はいるべき、でしょう」
我が身可愛さでジジイを選ぶだろうと思っていた通りの答えでまあ当然かと納得はする。分からないでもねえし、むしろあまり考えることもなくジジイの事を選んだその意気はオレも嫌いじゃねえ。生き残りたいという気持ちはあって損はしねえよ。力が無いクセにそれを望むのはみっともねえけどなあ。
「そういう、役割だから」しかしオレの思考は、意味深な藤咲の言葉によって途切れることになる。こいつは何を知っている。こいつは何を理解っている?やっぱり殺しておいた方が良いんじゃねえかと思いつつXANXUSがそう命じない限りオレがそれをすることはねえ。ただの女じゃないとXANXUSに言われていたことの一端がようやく分かったような気がした。…化け物、ねえ。オレには未だ無力な女にしか見えねえが。
ともあれそこまでが藤咲ゆうの限界だったらしい。きっぱりと言い切った割に次の瞬間にはカクリと後ろにぶっ倒れ再度目を瞑る。声をかけても今度はピクリともしねえ。気絶してやがる。
「連れていけ」
「……ああ」
訳の分からねえことだらけだ。XANXUSは一体何を知っている。誰から色んな情報を得ているってんだ。オレがボスさんによって命じられたことはただ単純。再度並盛へ行き藤咲ゆうという人間を連れてくることだけだ。
ゆりかごから目覚めたばかりのXANXUSが何故そんな離れた場所にいる女のことを知っているのかはオレも分からなかったがなるほど、こいつの言動は全体的に意味不明だったがこれは確かに普通じゃねえ。直接聞くことは叶わなかったがこいつは間違いなく何かを知っている。そして無意識にXANXUSの炎を食った。吸い取った。他にどう表現すればいいのか分からなかったが少なくともオレにはそう見えた。それはまるでモスカみたいなものに近い。死ぬ気の炎を喰らえるなんざ、そりゃ人間じゃねえ。オレだって聞いたことはねえさ。
こすぱに!「う゛お゛ぉい、やっぱテメエ起きろお」
だがしかしこいつは生きている。その謎は俺には解けそうになったがなあ。胸倉を掴み持ち上げると肩に背負って俺は歩き出す。