09



「まだいいのか」
「ああ」

 女の悲鳴は悪くない。苦しくて苦しくて苦しくて、しかしその想像を絶する痛みを、恐怖から逃れられぬとわかった時に含まれたその絶望の絶叫はむしろ心地がいい。
 ゴーラ・モスカは先日のマレ・ディアボラ島で手に入れた製図を元に作成された機械だ。然るべき装置を身につけ、その機械にぶち込まれた人間の死ぬ気の炎を動力に動く非人道極まる戦闘兵器。詳しいことは知らねえし興味もなかったが何故九代目を入れる前にこの女を捕らえ放り込んだのかオレにはいまいち理解はできなかった。

 女の名前は藤咲ゆう。あのガキ共と同様並盛に住むただの女だ。オレを見た瞬間怯え、後ずさり、背中を向け逃げようとしたその動作はどう見積もっても戦える人間の行動じゃねえ。人を違えたかと思えるぐらいそれはいともたやすく達せられ持ち帰ってきた。本当に違いないのかとこの男に問うのも野暮なことだったがそう聞かずにはいられないほどの呆気ない追加の命令で女をゴーラ・モスカに突っ込みXANXUSが動くのを待った。結果がこれだ。
 相変わらず何を考えていやがるかさっぱり分からねえXANXUSは腕を組んだままモスカを睨みつけたままぴくりとも動きやしない。何かに期待している節はあるが流石にXANXUSが見つけたとあってもこの女は外れだろう。そいつは何も出来やしねえさ。

「っぁ゛あ゛あ……ッ!」」

 そう思っていた矢先だった。異変が起きたのは。
 一際高い絶叫が内側から聞こえたかと思うとグオン、グオンと動いていたモスカが突然止まる。文字通りピッタリ、忽然と。XANXUSの指示を待つことなくモスカに駆け寄りオレよりも遥かにでけえ巨体を見上げる。さっきまで元気に動いていた奴が止まったことに関し第一に考えられたのはモスカの故障。機械である以上仕方のねえ事だ。そして第二に考えられたのは、

「ちっ!」

 動力源、即ち中に入った人間の死亡。或いはモスカが吸い取るべき死ぬ気の炎が最低限必要な量を下回ったという可能性が考えられる。ヴァリアーでも選りすぐりの連中に作らされたそれがこんなすぐに壊れるとは思い難く、ならばその第二で挙げたものの方が有り得ることだった。
 この世界に生まれ落ちた瞬間、何かしらのイレギュラーがない限り人間は死ぬ気の炎を持っている。量や属性が決められている。モスカはそれを、何の属性でも関わらず動力源として吸収する性質を持っているはずだった。中の人間の炎が枯渇しない限り動くそいつは一般人をぶち込んだとしても戦闘時間を含み半日は持つ仕組みになっている。
 しかしこれは、あまりにも早すぎる。起動したところでまだ静止モード、まだこの時点ではさほど死ぬ気の炎を吸い取ってはいないはずだったっていうのに。

 ……元々スカスカだったってことか。

 そもそもモスカは拷問道具じゃねえ。戦闘用機械であり、死ぬ気の炎を吸い取るもののそこまでの量を必要としない。攻撃する対象は機械の外にいる人間たちであり内側の人間はいわゆる動力源。長時間使う必要があるからな。中に入れた人間をさっさと殺し動かなくなっちまう道具なんざ粗悪品もいいところだ。

「―――か、ハッ」

 モスカを壊さないよう慎重に、瀕死状態の女を引きずり下ろす。巻き付けていた布を取り去ると何の抵抗もなく倒れたそいつは顔を上げることすらなく必死に身悶えしながら荒い呼吸を繰り返すだけだった。
 ……こんなに、軽かったか。それとも死ぬ間際の人間とはこういったものなのか。胸元を抑え、息苦しそうにヒュッ、ヒュッ、と息を吐き出しっぱなしの女は青ざめ、呼吸が上手く出来ないでいる。医療関係はさっぱり分からねえがまるで溺れてでもいるようだった。酸素の有り余るこの空間で息が出来ないようなその苦しみ方に、このまま放置したら死ぬだろうとオレでもわかる。

 だが何だこの違和感は。

 何だ、この…ゾワリとする感覚は。触るのも躊躇しうつ伏せになった女の腕を小突きひっくり返すと青ざめたまま僅かに呼吸が楽になったのか大きく腹部を上下させ息をしていた。生きている。しっかり惨めに生き延びようとしている。震えた手がゆっくり動いたかと思うと胸元にあったネックレスを握りしめ、そのままグッタリとした様子で動く気配はない。
 カツリ、靴音を鳴らしXANXUSが立ち上がる。

「殺すのか」
「使えねえモンは要らねえ」
「…そうだな、アンタはそういう奴だった」

 もう飽きたっていうところなのか実験はここまでだったということなのか奴の右手が輝きを灯す。どんな人間だったかさっぱり分からなかったがXANXUSに目をつけられた時点で一般人としての人生は終わっている。どちらにせよここまで連れてきた以上ただで帰すわけにはいかねえ。モスカの件は未だ秘匿にされるべきだったからだ。ヴァリアーの動きは未だ誰にも知られてはならねえからだ。もしも万が一この女が、藤咲ゆうが戦えたとすれば引き入れる可能性も無いこともなかったのだがそれはもう有り得ないだろうと今の時点で断言できよう。そうだ、こいつは絶対に使えねえ。何の為に生きて何の為に死ぬのか分からなかったがまあ…そうだな、気まぐれな王に摘み取られた哀れな雑草として覚えておいてやるよ。
 一歩、一歩、ゆっくりとした足取りで女へと近付いていく。何たってでかすぎる力だ、僅かに込めた力で破壊した方がそりゃいいだろう。それに近付いたところで武器一つ持ってはいない女が今更何か出来るはずがねえ。久しぶりにその力を、その威力を目の当たりにするため哀れな生命の終わりを見届けてやろうと腕を組んで女を見下ろす。

「う゛お゛ぉい、そんななまっちょろい手じゃ何も出来ねえぞお」

 間もなくXANXUSの手に宿った炎が放たれようとしたその時、ピクリと藤咲ゆうの手が震えゆっくりと持ち上がった。何かするつもりなのかと一瞬身構えたがその小さな手は相変わらず何も持っちゃいねえし何かできるようにもとうてい思えない。XANXUSの炎が眩しくて避けようとしているのかやめろと言葉なく懇願しているのかオレには分からなかった。その頼りない手がXANXUSの手に触れようと更に近付く。ああそれでお前の死は確実だろうな。溶けて、消えちまえ。オレは流石にそれを受けたことはねえが何となく分かる。せっかく連れてきてやったわけだ、最期ぐらいは見守ってやろう。

 しかし、そうはならなかった。

「…は、?」

 女の身体は溶けてなくならなかった。
 女の身体は燃えてなくならなかった。
 ――XANXUSの手から放たれる圧倒的な力で女の身体が潰れることはなかった。

 何が起こった?オレも分かっちゃいねえ。だって有り得ねえだろうが! ボヒュンと音がしたかと思うとその部屋を照らしていた光が、XANXUSの手から炎が消えてしまったなんてそんな事があってたまるものか。
 予想を越えた結末にオレの素っ頓狂な声が部屋に響き渡る。その後駆け寄った隣で見えたのはXANXUSの凶悪で満足気な顔。おいおい、今のはなんだあ。オレは幻覚でも見せられてんのか。嘘だろと叫びながら駆け寄り女の手を確認する。火傷どころか小さな傷一つ見当たらない小せえ手。さっき掴んだ時よりも温かみを増しているような気がするのは何故だ。さっきよりも血の気が良くなっているのは何故なんだ。XANXUSが治療を施したっていうのか。ンなこと絶対に有り得ねえ。
 有り得ないついでだがXANXUSがこの女を殺す瞬間、炎を己の力で消したことも可能性の一つとして考えた。だがそうじゃねえ。オレには分かる。むしろさっきまで、本気で消しにかかっていただろうしそもそもXANXUSが考えを変えることも有り得ねえ。ならば、――まさか。

 XANXUSの死ぬ気の炎をこの女が止めただなんて、有り得て良いのか。

 ただの一般人だっただろうが。人の気配を読めやしねえ、逃げることも交渉することだって出来ねえただの女。モスカから逃れることも出来ず拘束具一つロクに外せやしなかった女の何処にそんな力があるって言うのだとそう信じたかった。奴の力は絶対で負けなど有り得ねえからだ。だからこそ信じたくはなかったのだが、しかし間違いなくあの一瞬、オレは見ちまった。藤咲がXANXUSの手を触れた瞬間からあの女は奴の炎を食らったことを。あのXANXUSの炎を。そんな芸当できる奴なんざ人間じゃねえだろうが。

「こいつはなんだ」

 だからこそオレは問うた。XANXUSはハッと鼻で笑ったまま「化け物だ」と答えた。



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