08



 グオン、グオン。

 …何の音だろう。
 身体はひどく重いけれどゆっくりと水底から意識が押しあがっていくような感覚。研ぎ澄まされていく聴覚。ああそうだ、恭弥を見送った後まさかのスクアーロに会ったんだっけ。夢だと思い込みたかったけどそうもいかなかったのは何だか重い身体が証明している。逃げようとした。だけど逃げ切ることは出来なかった。誰かと間違われていると思った。だけど、…呼ばれたのは紛れもなく私の名前だった。

 藤咲ゆう、それが私の名前。
 呼ばれたって何らおかしくはない。そう考えるのが当然なんだろうけどこの世界において私が名乗ったのはほんの数人。そしてその中にヴァリアーに接点のありそうな人間は含まれてはいない。

 自分でも驚くぐらい冷静でいられたのはこういった拉致経験は初めてじゃないからだ。いや、城島によって黒曜センターに連れていかれた時も強引だったけどそれしか方法はないと分かったので了承した。そう考えれば今回は完全に人の意思なんて総スルーのれっきとした誘拐である。
 …知識があるって便利だけど厄介だな。
 怖いだとかよりも勘弁して欲しいという気持ちの方が強い。相手は誰なんだと怯えることもなく彼らだったら仕方ないかと思えるぐらいの自分の考えが悲しい。漫画を読んでいたからこそ性格を知っている。どんな人達なのかも知っている。ギャグっぽいところが見られたのは最後の方で初っ端は血も涙もない殺伐とした暗殺部隊だったか。

 グオン、グオン。

 これからを考えると頭が痛い。
 前回と言い他所の世界の人間を不要になれば容赦なく切り離すのにこういう時は巻き込もうとしているところ、ホント勘弁して欲しい。これで間違いなく何かしら原作の一端を知ることになってしまったんだから。また巻き込まれてしまうことが確定してしまったのだから。だけど私がここで捕まえられる意味は全くと言ってない。骸と同様先読みだなんて流石に思ってもいなさそうだし、むしろそういったことは信じなさそうな集団だし。そもそも今回彼らとの共通点は何一つとして、ない。
 それに彼らが修行を始めた今頃はボス候補がツナだと知っているはず。商店街であれだけド派手にやりやったぐらいなんだしそこには山本や隼人も居ただろうからある程度の守護者はヴァリアー側は予測ついているのだと思う。

 だからこそ、私のことを知られている理由がわからない。この姿になってツナ達と接触をしたことはないし、リボーンの姿すら見ていない。唯一接点があるのは恭弥ぐらいだけど、恐らく今の時点ではヴァリアー側も恭弥や骸のことを未だ知らないでいるはずなのだ。骸…じゃないな、クローム髑髏が戦うその日までマーモンが粘写していたように。恭弥は隼人の戦った嵐戦が終わる日まで。

「…っ!?」

 ここまで考えられるぐらいまで回復したんだからまずは起きなきゃと目を開くと周りが真っ黒。それどころか自分の想像していたような状態ではなくヒュッと喉から息が漏れる。
 寝転がされているわけじゃなかった。半分立ちっぱなしの状態でどこかに置かれている、そんな状態。よくもこれで倒れなかったなと思ったけど場所自体が狭く倒れることすらできなかったと言ったところか。物置にでも入れられているのかもしれない。

 それだけじゃない。

 黒曜センターの件の方がよっぽど自由だったと思ったぐらいに私は拘束されている。布っぽいものに身体中巻き付けられ、身動きひとつ取れない。今、私は瞬き以外の何事もすることは出来なかったのだ。

(…どうして、こんな)

 冷や汗が伝う。元々私に戦える力はない。ほんの少し身体が頑丈なぐらいだ。それを頼りに身体全体で勢いをつけ動こうと試みてもすぐ四面囲まれた壁にガツンとド派手に激突する。ぐあんぐあんと視界が揺れるもののもちろん痛みはない。だけど顔から前へ倒れたせいで額に痕ぐらいは残りそう。
 その合間にもグオン、グオンと音は絶え間なく鳴る。すぐ周りから。すぐそばから。
 ようやく暗闇に目が慣れてきたものの結局それが何なのか分からなかった。空気が薄く、澱んでいる。たったそれだけが私の判断できた自分の居場所。機械室的なところに放り込まれているのだろうか。それにしてはあまりにも狭すぎる。再度身をよじろうとしてもやっぱり身体ごとすぐ隣の壁にぶち当たりそれ以上移動できることは無い。

「やっと目覚めやがったか」

 やがて掛けられた言葉は大きな声の持ち主のはずだったのにひどく小さい。それだけこの入れられた場所が頑丈で、分厚いのか。私はどれだけ危険人物とみなされているのだろうか。それとも脱出するのに長けていると思われているのだろうか。視線だけを動かしても外の様子を見ることは出来なかった。ただそこに誰かがいる。たった、それだけ。
 意識を失う前に聞こえた声だ、間違いなく私に話しかけてきた相手はスクアーロだろう。私を拉致した張本人だ。だけど今更ながら疑問が湧き上がる。それは本当に、彼の一存だったのか。あの人はトップじゃない。城島が私を連れていったのは骸の指示だったから。なら、それと同じならば…そこに、あの人がいるんだろうか。

「悪いがオレ達は目にしたものしか信じねえ主義でなあ」

 むしろ上機嫌にすら聞こえるのはどうしてなのか。肌寒い時期になりつつあったというのにこの中は暑く、空気が薄く、籠もった匂いが悪寒を誘い居心地は最低だった。どうしてこんな目にあっているのか理由もわからないのが一番恐ろしい。不気味さが不快感をさらに煽り、落ち着かなきゃならないのにどうにかこの場を抜け出したいと涙さえじんわりと浮かんでくる。

 怖い、
 怖くない、
 怖くない、
 苛立たしい、
 分からない、

 怖い、
 怖い、
 怖い。

 自分を励まそうとする声はすぐに消え去り、その代わり逃げようと助けを求める感情で埋め尽くされていく。口を開いても何を話していいのか声すら出ない。泣きわめいてどうにかなるなら喜んでそうしよう。だけどそうじゃない。せめて彼らが何か話しているのを聞くことが出来れば。せめて現状を打開できる何かがあれば。そう頭では考えられるのにちっとも、何一つ私の言うことを身体は聞いてはくれなかった。

 ちらりと考え得た唯一の策は最近見たこともなかった”でざいなーずるーむ”の起動。保健室のカーテンのようなものでも良い、ドアのような何か、仕切る何かさえあれば色んなものと引き換えに私はそこに逃げることが出来る。だけど今は文字通り手も足も出ない状態で、一体私に何が出来るだろう。完全に私に、逃げ場など用意されていない。
 やがてガタンと壁の向こうから音がする。何の音なのだろう。そこにスクアーロ以外の誰かがいるのだろうか。

「起動しろ」

 今はいつなのか。ここはどこなのか。湧き上がり続ける私の疑問に答えるものはついぞなかった。
 だけどその低い声、スクアーロの声ではない別の声が聞こえた途端、周りで響いた機械音がどんどん大きくなる。グオン、グオン。さらに大きくなる音。グオン、グオン。耳に響く音はいつの間にか私の近くまで迫っている。グオン、グオン。いつの間にか目の前の壁が僅かに輝き始め、ようやくその全貌があらわになる。グオン、グオン。
 冷や汗が、伝う。私の周りにあった冷たい壁はただの壁じゃなかったことに気付く。すべてが今まで動作していなかっただけの機械の壁。
 ……まさか。

「あっ、や、」

 声が喉の奥に張り付いていてろくな声が出ない。
 光り始めたことにより見ることのできた、さっきから顔に当たっていた管のようなものは。私に巻き付けている布みたいなものは。私の顔に、腕に貼り付けられた何かの装置は。
 嫌な予感はさらに私を恐慌状態に陥れる。もはや何も考えることすら出来ず、目を見開き唇がわなわなと震え、浅く息が吐き出されていくだけ。ドク、ドクと聞こえたのは自分の心臓の音だろうか。やめて、こわい、だめ、たすけて、しにたくない。血の気が引くというのはこういうことなのだろう。急激に下がっていく体温、その代わりとばかりに輝きを増していく壁。
 思わず視線を落とし胸元のリングを見たのが私の記憶に残る最後の色。淡いもののしっかり巡っていた藤色。それが、

「っあ゛ぁ゛あ゛!!!」

 ゴーラ・モスカの起動命令と同時に、急激にその色、及び全身から力が失われていくのを私はこの目で、この身体で体験することになる。



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