7:猫の記憶-前編-





「あいつが怪我ぁ!?」

「兄さん、『彼が怪我した』って、誰の事?」

「あ、そうか。アルは知らないんだっけ」

「ええ?なんだよ、兄さん達は僕にも隠してる事があるんじゃないか」

不満そうなアルの横で、未登録は些か落ち着かない様子をしている。

「まあ、なんつーか、未登録の世話をしてる奴が居るんだよ」

この数日間、血を流すエンヴィーの姿が未登録の目に焼き付いて離れなかった。
怪我をしたままぐったりとしていた。
再生能力が効いていなかった。
思い出していると、また突然に真っ暗な断崖の前に立った様な感覚に陥る。


「だったら尚更早く帰りたいんじゃないか」

膝に置いた組み手の間から、未登録は足元に視線を落とした。
エドに告げた通り、帰りたいとは思っている。

「大佐達はお前を監視する気はないみたいだしさ。今すぐはまずいかもしれねぇけど、
隙を見てこっちから帰ればいいじゃないか」

「うん…」

「まさか帰り道が分かりませんとか言わないよな」

「そんな事ないよ!大丈夫だと、…思う、多分」

「ほんとに大丈夫なのかよ…」

エドとアルは不安げに顔を歪ませた。
アジトへの出入り口は一つや二つではなく、奥まった隠し扉のようなものばかりだが、未登録はその幾つかを知っている。
二人と話す内、扉の先の通路には侵入者避けの猛獣の影がちらつく事を思い出したのだ。

いつもはエンヴィーに連れられて特定の出入り口を使っていた。
一人で自由に出入りしていた訳ではなく、別行動をしても最終的には何処かの段階で落ち合って帰っていた。
見張られていないのであれば、出入り口付近で辛抱強く彼等を待てば、その件はなんとかなる気がする。


何より心配なのは。



思いの行き着く先で、鮮やかな赤い瞳が未登録を見つめ返した。


「戻っても私、もう邪魔者になってるかもしれないから」

「そうか、大佐に捕まったから」

「秘密が漏れると思われてるって事?じゃあ、また前みたいに」

誰かが未登録を殺しに来るかもしれないのか。
アルは静かに拳を握り締める。

未登録の立ち位置は危うい。
両親を殺害し、自分の命を脅かす者達が居る場所に、未登録は戻りたいと言う。
アルには、どうして未登録がホムンクルスと共にあるのかが理解出来ない。
それが未登録の幸せに繋がるとはとても思えなかった。
仮に未登録のエンヴィーに対する気持ちを知ったとしても、それは変わらないのかもしれない。


…この前だって大怪我したばかりなのに。

その時、アルはふと違和感を感じた。
でもそれが何なのか分からない。


「大佐に、何も話さなかったんだろ?」

首を傾げるアルの隣で、エドがそう尋ねた。
未登録は一度だけ頷く。

「そうか。そうだよな」

伏し目がちに笑うエドに、彼女も申し訳なさそうに笑った。
重要な情報を持っている時は、その秘密を話さないでいる状態こそが危険な場合もある。
また本来なら未登録とマスタング大佐との接触には多くの可能性があった。
彼等の、ホムンクルス達の良からぬ企みを食い止める側に付く事も出来ただろう。
両親の死の意味を考え、過去の清算を果たし、新しい生き方を始める契機にもなったかもしれない。


…真っ当な、未来の可能性に蓋をしてまで優先させたがっているものが、この感情ひとつなんて。

不恰好だと未登録は思う。

それでも彼の瞳の色や、時折見せる柔らかさが、不意の温度が。
エンヴィーの齎すものが、未登録にとっての芯と呼べる部分に刺さって抜けてくれないでいた。

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