7:猫の記憶-前編-




「聞いてんのかラスト!あいつをどうするんだ!」

そう怒鳴り終わった頃には、聞かぬ振りを決め込んでいるらしいラストの姿が完全に見えなくなった。



「…、っ」


…未登録が、焔の大佐に連れて行かれただって?

なんだっていきなりそんな事になってんだよ。


立ち上がろうにも頭がぐらぐらして、延々と揺らされている様な感覚に連動して視界が歪む。
細かい再生が皮膚の表面で繰り返されているものの、回復を担う機能としては馬鹿馬鹿しい程に空回りしていた。


ラストが単独で動こうとしているなら、既に何らかの命令を受けているのかもしれなかった。
だけど、終始その表情を窺い知るだけの視界も得られず、真相は想像するのみで無駄に苛々する。


俺は額から顎へ流れ続ける汗にも構わず、目を開くにも意識的にならざるを得ずに息を吐き出していた。

さっきから頭の中はぐちゃぐちゃで。
とにかく外に出たいのに、てんで思い通りに動かないこの身体。


あれからどのくらい経った?




「前に怪我を治してやった娘か?」


その時、上からそんな声が降ってきた。
呼吸のままに言葉もなく、顔面を流れる汗の感触を携えて振り返る。

「あいつと言うのは、あの人間の事だろう」

混乱の最中で掛けられた言葉は、酷く唐突に感じられた。

「錬金術を使える、リゼンブール出身のエルリック兄弟の幼馴染み…、ああ、確か父親も錬金術師だったか…」

まるで小さな引き出しの中身を一つずつ探り出すように、お父様はゆったりと言葉を紡いでいく。

そして、その首を大きく傾けた。


「お前を患わせているモノは何だ?」

目を見開いたまま問われて。

嫌だな、と脳裏で呟いた。
無意識に下がってくる目蓋のせいで、何度となく視界が狭まって鬱陶しい。
俺はその時、裏切り者の背中を思い出していた。


「息子よ。お前をあるべき姿にするには、元に戻すだけでは不十分なのか」

どちらの問いの答えも俺は持っていなかった。
だけど深く考える必要も無かった。

自分に起きた不調も、これから起ころうとする何かも、俺には避ける理由が無くて。
何がどうなっても、今は受容する姿勢しか持たない。
本当なら最初から、然るべき“道理”に介入する要素なんてこの世には無かった。


張り詰める空気の中、お父様の口元が動いて淡泊に告げる。

次にはその内容に目を見開いて。


全身に緊張が走る。
大よそ未知の領域に足を突っ込もうとしていた。



それでも、ゆっくりと近づいてくるお父様の掌を前に、俺はその場を動かなかった。









俺達は、お父様の為に存在している。



お父様の望みの為に生きている。


それは至極当然の事であり、絶対であり、俺達がこの世に存在する上での真理だ。

それに叛くような馬鹿な人造人間は一人で十分で、最優先すべきはお父様の願いだという事に微塵の疑いもない。

そう分かっていながら、俺はラストを呼び止めた。

生温い事実に自分で笑いが出る。



この世で安穏と生きる時、理に背いたら何が待つか知らなかった訳じゃない。
知らなかった訳じゃないけど。

それでも今、此処に来て、この状況で思い出すのがホムンクルスの真理と何の関係もない人間の顔で。

誰でもない、あいつの顔で。




立ち込める煙の中で見た姿は遠かった。
そのせいか、街の片隅で別れた時の表情ばかり蘇ってくる。







…馬鹿だ、今更。






こんな事なら。



矛盾も身勝手も承知で、
もっとお前に沢山伝えておけば良かったかもなんて。




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