7:猫の記憶-前編-



損傷したその身体は、広く開かれた暗闇の中央に安置されていた。

容易には運べないエンヴィーをアジトまで連れ帰るには、他の兄弟の力を必要とした。
エンヴィーの顔や身体の表面についた小さな傷は、僅かながらゆっくりと薄くなっていく。
それでも、時折微かに唸る以外は動かない。


「何をしてるのよ」

横たわるエンヴィーの傍らで、ラストは呟いた。

床へ散らばった、エンヴィーの長い髪の一房を掬い取り、すぐにその手を離す。
自分も目の前の兄弟も、爆発に巻き込まれたくらいで生命の根本に別状が出る程やわではない。

そう。本来なら決して。








…こんな姿を晒して。

命令に背き、自分の生を使い、こんな惨めな姿になってまで。
そうまでして貴方が何を望もうと言うの。





エンヴィーは微かに眉間を寄せ、また小さく唸る。


「…忠告したでしょう?深入りしないで、と」

余計な手間を掛けさせないでちょうだい。
彼女がそう言い終わった時、エンヴィーはうっすらとその目を開いた。



「…ラスト」

幾分掠れた声で、視界に映るものを確かめでもするように名を口にする。


「あら、もう口も聞けずに死ぬのかと思ったわ」

そんな嫌味を投げてみても、エンヴィーが普段の様に言葉を返してくる事はなかった。
反応は無いに等しく、呼吸に専念するばかりで腕はおろか指も殆ど動かさない。
意識が戻っても一向に起き上がる気配のない彼に、ラストは改めて重症だと認めた。


「もう少し待ちなさい。もうじき、」

「未登録は?」


二言目に浮上した名前に、ラストは神妙な面持ちで瞳を瞬く。



「お嬢さんは戻らないわ。マスタング大佐達に連れて行かれたの」

「な…」

其処で初めてエンヴィーは明確な表情を見せた。
不快にか苦痛にか顔を歪め、息を詰めて身体を起こそうとする。


「よしなさい。動けやしないわ」

「…っ、うるさいな、口出すなって言っ…」


「エンヴィー」

その時、重厚な声が暗闇に響いた。



夜と洞窟とを掛け合わせた様なこの闇の深淵で。
声の主はゆっくりと二人に近づき、やがてその青白い姿を浮かび上がらせる。



「…お父様」

「お呼び立てをして申し訳ありません。お父様」

「顔色が優れないようだな。それに…」

言って上半身を起こして喘いでいるエンヴィーの身体に触れると、
お父様と呼ばれたその人物は、何事かを思案しながら口元に手をやった。


「ふむ。やはり無理があったか」


「……全て、戻してやろう」




顰め面ながら、エンヴィーは黙って大人しくしていた。
その様子を目の端で確認すると、ラストは髪を払って部屋を出て行こうとする。

遠ざかる靴音を聞くや否や、エンヴィーは彼女を振り返った。



「…ラスト!これからどうする気だ…!おい!」


背後で怒鳴る彼の声に耳を貸さず、ラストは大きな扉の向こうへ消えていく。



そうして一人、呟いた。






「…馬鹿な子」







私達はお父様の物よ。

そうでしょう?








親への愛情、
五感、感情。



その上、他人を想って変わっていくのなら。








そんなの、まるで人間じゃない。




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