5:待罪-前編-

「石なんて、持っていない」

「持ち出したんでしょう?研究所から」

未知の相手を前にして未登録の手が震える。

「…私は持っていない」

「…嘘吐かないで…」

懇願に似た声で、卑怯にも突きつけた切っ先。
拍を打つ心臓の音が酷い。


首元のナイフと父親との間を、恐怖と絶望の入り混じった眼差しが不安定に行き来した。


なす術もなく。


「…石さえ返せば、殺されないで済むかもしれません。だけど、早くしないと…」

未登録は緊張の中で訴えた。
彼が来ない内に、と思う事が、裏切りに類するものだと自覚する余裕はなかった。
石が、石さえ戻れば目の前のこの人達はもしかしたら殺されずに済むかもしれない。

この親子は助かるかもしれない。
そんな考えだけが頭を占領していた。

男は、苦々しい顔で未登録を見た。



「悪魔め…」

そんな呟きが聞こえた。


「そうやって脅し、騙し、お前達は今まで何人殺してきた。何故関係のない者まで巻き込もうとする」


未登録の顔が悲しげに歪んだ。
理由なんて、誰も語ってくれなかった。

殺されなきゃいけない理由なんてある訳がない。



齎されたものを受け入れるしかなかった。
長い間魘された。

何度も夢に見た。
そして、今も見る。



小さな子供が震えている。









あれだけ憎んだ。

苦しんだのに。





どうして同じ事をしているんだろう。
















未登録は少年から手を離した。


怯えた瞳が不思議そうに見上げてくる。

目が合った刹那、少年は未登録の腕を抜け出して父親の方へ駆け出す。

二人は後ろを何度か振り返りながら遠のいていく。






その時、親子の足が止まった。



「なんだ。何処まで行ったのかと思えば…」

こんなとこに居たの、と。前方の暗がりの中からよく知る声が聞こえた。
男が怯えた様な、短く引き攣った声を漏らす。
白く浮かんだその腕の先には、血塗れのナイフが握られていた。
先程の男に抵抗されたのか、その顔にも血が飛び散っている。


「も、もう勘弁してくれ。私は石を持っていない…本当だ」

男は振り絞るように言う。
エンヴィーは、にこりと笑った。

「知ってるよ。知人に金で売ったんだってね。何してくれてんのあんた」

次の瞬間、男の半身が大きくぶれた。

そして前のめりに地面へ倒れ込む。
未登録の目に、男の陰に隠れていたエンヴィーの姿がゆっくりと映し出される。
同時に、耳に響く甲高い悲鳴。


「父さん!父さん!」

舗装された地面へ血が広がっていく。

声が出なかった。
未登録は、動かない父親の身体にしがみついて叫ぶ少年を呆然と見つめた。

ぴちゃりと、血溜りを踏む音がする。
恐怖と、絶望に満ちた子供の目が彼を見上げる。




もうこれ以上は。


「運が悪かったね。こいつの子供じゃなかったらもう少し長生き出来たのに」








これ以上は。












「…何してるの」

静かにエンヴィーが言った。
未登録は何も答えられなかった。

震えながら首を横に振った。
唯、唯もうやめて欲しかった。

少年を隠すように立ちはだかった未登録に、エンヴィーは首を傾げる。

[ 133/177 ]

[*prev] [next#]

[page select]


[目次]

site top




×