5:待罪-前編-



辿り着いた街の古びた一角。
其処は、未登録が一度も訪れた事のない地域だった。



老朽化の進んだ建造物が犇き合い、色々な臭いが染み付いて、何処か空気が淀んでいる。
こうして連れてこられない限りは、まず足を踏み入れる事はなかっただろう。

「国外にでも逃げたのかと思ってたんだけどね。この近くに住んでるらしくてさ」

行きしなに見せられた写真には、白衣姿の男が一人写っていた。
エンヴィーの話によると、男は研究所から完成品の賢者の石を持ち出して蒸発したらしい。


「それからこれ、使いなよ」

徐に差し出されたのは、剥き出しのナイフだった。
未登録は困惑を隠さない。
あくまで護身用だとエンヴィーは笑う。

受け取ると、重量以上の重みが手の中に篭る気がした。
使う筈のない刃物を握り締めて。
冷え切った空を仰げば、銀色の月が、小さく凍える様に輝いていた。




付近は店らしい店もなく静まり返っていたが、立ち並ぶ集合住宅には、確かに人々の暮らす気配があった。
二人は路地を少し奥まで進み、一軒のアパートの手前で、まずは身を潜める。

エンヴィーは二階の一室から出て来た男を早々に羽交い絞めにし、脇道の暗がりへ引き摺り込んだ。
突きつけられたナイフと、その瞳の色に男は息を呑む。

「騒いだら殺すよ?あんた、確かあの男の仲間だよね。石は何処?」



その時だった。
僅かな物音が聞こえ、未登録は顔を上げる。
二つの人影が、アパートの二階の廊下を移動していた。
ナイフを握っていたせいか、未登録は一般人との遭遇にいつも以上に身構えた。

影は素早く階段を降り、アパートの敷地から出て行く。
前を行く人物の印象が写真で見たそれと重なり、未登録ははっとした。


「未登録!」

少し遠い彼の声が、制止なのかその逆の合図なのか判別もつかない内に走り出していた。

狭い路地の奥へ消えようとする影を追い駆ける。





知らない道、暗い夜闇、一人。

それでも走り出す様な事が出来たのは、二つの影の一つが、とても小さかったからかもしれない。



辿った狭い道の先で。
走りながら振り返ったのは、7、8歳の小さな少年だった。

未登録に気づいた男が、逃げるぞと声を掛ける。子供の細い足が縺れ、躓きかける。
距離が縮まる。

体勢を直し、男に続いて角を曲がろうとする少年。

未登録は夢中でその腕を掴んだ。


無断で他人の綺麗なものに触れた様な、奇妙な感覚がした。


「離せ!離せよっ!」

混乱と恐怖に満ちた幼い声。
怖くて堪らないのに、めちゃくちゃに暴れる腕を逃がしてはいけないと本能が言う。

次の瞬間には、異変に気づいて舞い戻った父親らしき男と対峙していた。
それは写真で見た研究者その人だった。

未登録は、驚愕に見開かれたその目を見上げる。
互いに瞬きもしない。


「…石を渡して」

「や、やめろ!」

「早く渡して!」

柔らかく小さな腕が、自分の腕の下で震えている。
その温度が触れ合う度、未登録は小さな少年の目を覗き見た。

赤く上気した繊細な子供の頬は、あまりに幼かった。

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