1:予感










冷え切った壁に体重を預け、未登録は息を吐いた。


やはり歩くにはまだ早いらしい。

呼吸に痛みを預けて顔を上げると、彼女を包む闇の中に、何処までも続くかのような長い廊下が真っ直ぐ浮かび上がっていた。



部屋を出た時よりは、闇に目が慣れてきていた。





…懐かしい。

昔も、こうして一人此処を歩いた事がある。

いつの間にかこの冷たい底なしの沼のような廊下に親しみを持っている自分がいた。



「…そうだよね」

十二歳から此処にいるのだ。
ある程度の懐かしさや愛着を感じても不思議はないかもしれない。





あれから三年。

未登録は彼等と共に此処に暮らした。
尤も、多くの時間と記憶は闇と血で塗り潰されていて、日常生活を送っている自覚があったのは本当にごく最近の事だ。



具体的に言うなら、
エドとアルに再会してからだった。





じわりと心が沈む。

だけど落ち込む資格はない。
薄情にも自分には、自分と繋がる人達を思いやる心もありはしないのだ。





…もうやめよう。




未登録は再び歩き始めた。

凍えるほど寒いのに汗が滲んでくる。
包帯を巻かれた胴体が只管に重く感じられた。

思えば自分の身体はいつもぼろぼろだ。
めちゃくちゃな毎日に付き合わされ、翻弄され、ろくな目に遭っていない。
自分を守れない自分が情けないような、そして守りたい自分すらもう何処にも居ない気がして、未登録は少し可笑しかった。



壁を使い、左腕を杖にして身体を前に前にと運んでいく。


その時、なんの前触れもなく目の前を何かが横切った。
腕だった。

とん。と、手の平が未登録の行く手を塞ぐ様に壁に押し当てられる。

驚いて振り向くと、エンヴィーが静かな目でこちらを見下ろしていた。



「何処行くの」

低くはっきりとした声が、至近距離で伝わってくる。
自室から起き出して少し経つが、今更ながらに目が冴える。

一瞬、闇に混在した烏羽玉の中に余裕の無い色彩が宿っていた気がした。
だけど次に見た時にはもう、微かな光に透き通る瞳の何処にもそんな色は見つからなかった。



「の、喉が渇いて…」

未登録は漸くそう絞り出した。
掠れた自分の声が自覚していなかった分の緊張を掘り起こす。

張り詰めた空気の冷たさに背中の筋肉が強張っていた。

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