小説 | ナノ


▽ 回想死因1


ツクリテとして沢山の絵を、漫画を書いてきた俺だけど、ニジゲンを生んだことはこれまでたった一度しかない。しかしその一度が非常に厄介で、理不尽で、はた迷惑な奴だったんだから、俺は相当運が悪いんだと思う。前世はワルだったに違いない。そして恐らく、今世でも。
ツクリテは、"ボツ"を恐れては生きていくことすら出来ないのだから。
「ネコー!おーい!どこにいるんだよー!」
そんなわけで今日も俺は、出てくるはずのないニジゲンを呼びながら海岸沿いを散策していた。ネコ――人の死に、特に没による死に惹かれて寄っていく不吉な黒猫が、俺が生み出してしまったニジゲンの正体だ。名前はまだない。これから先もつける気は無い。ただの野良猫のつもりで描いたものに、作者の俺が名前をつけるのは無粋というものだろう。
だというのに、創務省はどうしても、この猫を俺の飼い猫ということにしておきたいらしい。なんせ人死にを予知する猫だ。動向を把握しておけば、それだけ没に対する初動の動きが早くなる。そのために、普段は好きにうろうろさせつつも、GPS付きの首輪でしっかり居場所を確認している。そして、急な移動が始まれば即座に事態に備えるのだ。最も、被害者がゼロで済んだことは、これまで1度もないのだけれど……。
そしてそんな厄介な現場に、保護者として偵察にいけと言うのがいつもの上の言い分だった。こっちが何度野良猫だと説明しても聞きやしない。本当、必要な時はとことん無粋になれる連中だった。
「今回は海か……たしかになんだか嫌な感じだ」
海ってやつは往々にして人を不安にさせるけど、今回は特に酷かった。澄んでいるのに見通せない、青暗いその波間の合間に何かが息を潜めているような。そんな想像をしてしまい、俺はぶるりと体を震わせる。全く、ネコが海に向かったとか知らなければ、呑気に観光気分に浸れたかもしれないというのに。なんせ今は、毒ガスが発生したという嘘の情報が流れてるせいで周りに人影はほとんど居ない。警備のために来た創務の人が、ちらほら立っているだけだ。壮大な海を独り占め。つまりそれだけ、今回はヤバいってことらしい。
あの猫、"大量の死者が出る場所"には特にご執心だからな。すごい勢いでこちらに駆けてきてでもしたんだろう。つくづく不吉な猫だった。
「早く見つけて、ついでに相手の姿だけでも拝んでおきたいんだけどな」
「とはいえ、海の中に潜まれてでもしたらアウトだよね」
と、意識の外から返答があって俺は僅かに瞑目した。そうだった、今回も、アノンに助っ人を頼んだんだった。すっかり忘れていた……というと、まるで俺が失礼なやつみたいだけど、ひとつ言わせてもらうならこいつはこういうエガキナ持ちなのである。つまり、他の人に認識されにくい、意識に上がりにくいエガキナ。一見不便に見える力だが、本人は割と気に入っているようだった。一緒に行動してる俺は、こうやって驚かされることが度々あるけれど、それだって全く意に介していない。
「あ、うん……確かに、海の中じゃ俺たちの攻撃は通らないしな」
「こんなに広々としてると、誤射の心配はしなくて済むことだけが幸い」
無表情で分かりにくいが、これはこいつなりのジョークである。たとえ人が密集していようと、誤射の心配があるならアノンは撃たないだろう。
「ネコは水が嫌いなんじゃない?それなら、海より海岸沿いを探した方がいいと思うけど」
「岩場に隠れられたらお手上げだよな、それって」
そう軽口を叩きあっていると、視界の片隅に、ふら、と揺れる人影が映った。思わずばっと振り返り、それが創務の制服を着ているのに気づいて胸を撫で下ろす。驚かせないでくれよ、立ちくらみか?しかし、それにしては少し様子がおかしいような……。
「って、おいおい、なんで海に向かってるんだよ?そっちは危険って話になってるだろが」
俺は慌てて人影をおって走り出した。アノンもすかさず後に続く。よく見れば、件の創務は虚ろな目で何かをブツブツ呟いている。明らかに異常な状態だった。もしかしたら、これが今回の没の能力なのかもしれない。
「止まれって!おい!」
肩を掴んでガクンガクンと揺さぶると、急にその人はボロボロと涙を流し始めるので俺は正直ドン引きした。大の大人がボロ泣きしているのはとてつもなく気まずい。「どうしたんだよ、なんかあった?」と少し声のトーンを緩めれば、男性はゆらりと右手を上げて虚空を指さしてこういった。
「妻が……妻が呼んでるんだ」
「はぁ?……いや、何も見えないし聞こえないけど」
念の為アノンを振り返るが、彼女もまた小さく首を横にふった。その静かな目は、今もじっと海に注がれている。
幻覚だ、とピンと来た。この人はきっと、今、俺とは違う何かを海に見ている。
「そっちには海しかないし、誰もいない。そもそも、一般人は全員退避させたはずだろうが、」
「わかってる。それに、妻は死んだんだ……没に殺されて……こんなところにいるはずがない!でも、でも、ああ、そこで笑ってる……私を呼んでる、私もそちらに行きたい、行かせてくれ。手を、離してくれ……!」
掴んだ手がもげそうなほど強く振り払われて、俺は思わずカチンと来た。海に向かおうとするそいつの肩を掴んで、力の限り頬を張り飛ばす。
「いい加減にしてよ。あんたの大事な人なら、危険な場所にあんたを呼んだりしないでしょ!そんなこともわからないの?」
「それでも!それでも私はあの頃に戻りたいんだ。たとえあれが妻じゃなかったとしても、それでも……!」
悲痛な叫びだった。俺はぐ、と息を詰める。
「お前、まさか、幻覚だとわかってて、それでもそんなに行きたいのか」
「完全に末期症状だね」
これはまずい。ここまで深く人の心を揺さぶる没なんて、今の今まで見た事がない。だって、まやかしなんだぞ?このままだと死ぬんだぞ?わかっていて、それでも惹かれるなんてどうかしてる――ううん、そこまで人をぶっ壊してしまう力を、没が持っているとでもいうのだろうか。
それだけ敵は手強く、それ故の緊急避難措置なんだ。今更その事実が落ちてきて、俺は思わず呻いた。胸が冷える。氷を丸呑みにしたみたいに。
その一瞬の動揺を、多分"アレ"は狙っていたんだろう。
「……ッ!周っ!」
急に胴に腕が巻きついた。アノンだ。彼女は険しい顔のまま、ぐいと俺の体を自分の方へ引き寄せる。驚愕に思わず放した創務の男が、ここぞとばかりに海へと走る。その足を、腕を、無数の生じろい手が絡めとるのを、俺は確かに見た。
「な、なんだよあれ……」
人ではありえない長さ、そして生白さ。それでもそれは確かに、人の腕の形をしていた。それが海面から無数に伸びて、創務の男を深い海へと引きずり込んでいく。男はだらりと脱力して、その腕に身を任せているようだった。
おぞましい、以外の感想が見当たらない。こんなに最悪な状況の中、心底安心しきったような、赤子のような、あの顔はなんだ。くらりと目眩がするほどに、それは鮮烈に目にやきついた。無数の腕にまとわりつかれたまま、男がついに水面に姿を消すまで、ついぞ俺はその場を動けなかった。
それだけあの瞬間に、あの笑顔に、囚われてしまっていた。あの後すぐに追いかければ、もしかしたら助けられたかもしれないのに。
けれど、アノンは静かに首を振った。いつもの無表情には、一雫の動揺すらも滲んでいない。
「どの道、ぼくらが止めてもあの量の触手に絡み取られれば命はないよ」
「でも……でも、俺のマキナなら、」
「確かに君のマキナは撤退戦に適しているけどね。当の救助者に抵抗されても、それでも救い出す自信はある?」
「……」
目の前で人が死んだ。あっさりと。アノンの言う通りだ。きっと俺が何をしようと、彼はあそこで死ぬしか無かった。敵を知るのが、何もかもが遅すぎたのだ。
「最っ悪の予想が当たったな」
苛立ちを言葉にして吐き出せば、呼応するようにそれはゆらりと海面から身を起こす。
2本の大きな触手と、手招く無数の腕。その下には、それらを有する巨大な影が、青黒い海の底に寝そべっている。
それが、今夏最大の危機と後に謳われることになる没、母なる金字塔との、ファーストコンタクトだった。

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