小説 | ナノ


▽ 彼の道行き


菫が初めて命令に背いた。それは撤退作戦中のこと。重傷を負い、自力で歩けなくなった隊員が出た。苦慮の末、彼を置いていくよう命じた私に、菫はこう言ったのだ。
『イヤです!置いていけません!』
何を馬鹿なことを、と思った。彼を連れていく危険性を説いたが、菫は頑として首を縦には振らなかった。結局、隊長の茶戸が菫に賛成の意を示し、部隊は司令塔の菖に逆らう形で、件の隊員、山岸を連れ帰ってきた。なんとか無事帰りついたからいいものの、普通なら、懲戒処分ものだろう。
だから、彼が帰ってきたら、叱り飛ばそうと思っていた。勝手な行動をして、沢山の兵を危険に晒した。幸い死者は出なかったものの、想定以上の負傷者が出た。
それなのに、消毒液の香りをまとって眠りにつく彼の顔を見た瞬間、口をついて出たのは全く逆の言葉だった。
「よく、生きて帰ってきてくれました」
「頑張ったよ、そいつは。俺だって諦めて逃げちまいそうなところを、最後まで山岸背負って踏ん張った。命の恩人だ」
菫をここまで運んできた茶戸が、壁に寄りかかったまま言う。
「命令違反を、あまり責めてやるなよ、司令官様。確かに言い出したのはこいつだが、俺達全員それに乗ったんだ。同罪だろ?」
へらりと笑う茶戸を少し睨んで、私は務めて厳しい声を出す。
「ええ、勿論。貴方達も後でしっかり罰を受けていただきます」
「…お手柔らかに頼むぜ」
茶化すような態度を崩さない彼の顔を見ながら、ふと思う。
彼も、仲間の消耗を憂い、なるべく危険を回避する性格だったはずだ。その上、必要に迫られれば多少の犠牲は切り捨てる、バランス感覚も持ちあわせている。それなのに何故、今回菫に加担するような真似をしたのか。
そして菫は、どうして今日、私の命令に背いたのか。今まで1度も反抗の意思を見せることのなかった彼が。
そう呟くと、茶戸は、自らも傷だらけの顔で笑って言った。
「なぜって、それがこいつの信じる正義だったからだろ」
その言葉は、不思議と強い力で胸を打った。
今でも私は、自分の判断が間違っていたとは思ってない。あの状況で、これ以上被害を出さないためには、山岸を置いていくことが最良だった。それは黒軍の勝利のため、ひいてはこの国を守る正義のためだ。
「だけど、こいつはそうは思わなかった。皆で笑って帰るために最後まで足掻くことが、こいつにとっての正義だった。それだけのことじゃねぇの?」
私は言葉に迷って、包帯だらけの小さな顔を見下ろす。それは私の信じるものとは違っていたが、なんだかとても、胸のすくような爽やかな心持ちだった。
「がむしゃらで、後先のことなんて何も考えてない、だけどとても気持ちいい考えだろ。だから俺も、こいつを信じてみようと思ったんだ」
穏やかな声で言う茶戸を見ていると、胸にこみ上げてくるものがあった。
ああ、そうか。これもまた、正義の一つのあり方なのか。
もしかしたら、正義に決まった形などなくて、人それぞれ、人生の中で掴み取っていくものなのかもしれない。各々の信じるものがぶつかりあい、傷つくことがあったとしても。己にとっての最善を探し続ける強さが、人には確かにあったのだ。この菫や、茶戸のように。
私は今まで、自分が思う正義こそが正しいと信じ、それを周囲の人々にも徹底させてきた。
しかし、自分が思う正義を他人に押し付けることが、果たして人を導くことだと言えるのか。否。彼らには、彼らが重んじる正義がある。それらを束ね、勝利を掴むことこそが、我ら司令塔の本懐。
それを、まさか貴方に教わる日が来るなんて。
安らかに眠る菫の髪を払い除け、私は小さく苦笑する。
ずっと、自分が追い求める正義に則って、彼に道を示すことが役目だと思っていた。けれど、彼の中には、その道行きで掴み取った彼だけの正義が、すでに育ち始めていたのだ。手のかかる部下だと思っていた菫が、いつの間にか、一人の戦士として自分の足で立っていた。それがどんなに誇らしいか。
「きっと、貴方はまだ気づいていないのでしょうね」
初めて反抗を示した菫の、負けん気の強そうな顔を思い出す。そして、これまで共に戦い抜いてきた仲間たちの姿も。
皆、私を信じて付いてきてくれていた。彼らが重んじる正義もまた、この両肩にかかっているのだと自覚する。けれどそれは潰れるような重みではなく、むしろ逆、自らを奮い立たせるもので。
「私と、貴方達が信じる正義のため、これからも共に戦ってくれますか」
背後で、茶戸がふっと笑う気配がした。それは、「当たり前だろ」とでもいうような、柔らかい笑み。
菫の手を額に当てて、思う。
ああ、彼らの仲間であることは、この上ない幸いだった。
そして誓う。今度こそ、我らに勝利を。皆の正義の先にある、輝かしい未来を信じて。

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