小説 | ナノ


▽ 電波世界の神様へ 2


それから、瞬く間に6日経った。ぼくらは毎日、アカネさんと語りあった。ぼくらはアカネさんの少し浮世離れした喋りを楽しんだし、アカネさんもぼくらのものの見方や価値観には興味を持っているようだった。

そうして、時間が少しずつぼくらの距離を埋めていく。結局力の謎は解けなかったけれど、あの潤までが、いつしかアカネさんへの警戒を解いていた。
ぼくらは確かに、同じ時間を共有していたのだ。

このまま、何事もなく一週間が終わる。皆が、そう思っていた。

けれど、アカネさんが帰ってしまう日を明日に控えた夜、ぼくらはとうとうアカネさんの秘密に気づいてしまう。



ぼくの家では、夕飯時にテレビをつける事は許されていない。だから、その日も食卓には、ぼく、お父さん、お母さんの茶碗の音だけが響いていた。
煮物に手を伸ばしながら、お母さんが言ったのだ。
「……そういえば、近くの精神病院から患者が一人逃げ出したそうよ」
その時は、まだぼくらには関係ない話だと思っていた。次の言葉を聞くまでは。
「……その患者さん、思い込みが激しい人なんですって。なんでも、自分の事神様とか言ってるらしいわよ」
……え?
思わず顔を上げる。
今、お母さんなんて言った?
「もとはラジオで有名なパーソナリティだったんだけど、なにか酷いバッシングを受けて、精神を病んでしまったんですって」
そして、次の一言が決定打になった。
「ラジオで使ってたハンドルネームは……確か、アカネとかなんとか……」
すっと、周りの気温が下がった気がした。
やっぱり、アカネさんはおかしい人だったんだ。少しの間一緒にいただけだけど、わかる。彼が精神異常者だって、ぼくはわかってたはずなのに。
ぼくの頭越しで両親が会話してる。やめてよ。アカネさんは、そんな怖い人じゃない。
二人の会話を耳から追い出したくて、周りを見回した。ノロノロとテレビのリモコンを掴む。
テレビをつけるとお母さんがなにか言いかけたけど、テレビの音量を最大にしたら何も言わなくなった。
それでも、お母さんの言葉は耳の奥にこびりついてなかなか取れなかった。


夕飯は、半分くらい残してしまった。自分の部屋に戻って、力の入らない手で電話のボタンを押す。
「あ、もしもし、カズ?」
『おう!ナオ?元気ないなー』
「うん、実はさ……」
カズに、今聞いた事を全部話した。カズはふんふん頷きながら聞いていたけど、全部聞き終わるとさすがにちょっと黙り込んだ。
『……そっ……かぁ。わかってても、やっぱ、きっついよなー』
「……うん」
視線を窓の外に移した。綺麗な星空が広がっている。真っ暗な闇の中で輝く星達の孤独を思った。
アカネさんも、そうだろうか。ラジオを通してリスナーさん達と繋がっていた彼。ある日突然その関係が壊れてしまって、彼は一人ぼっちになってしまう。そんな彼が、おかしくなってしまってからも探し続けてるもの、それはきっと、彼とリスナーの繋がりの中に隠されている。

そしてぼくは、力の正体に気づいた。


「……カズ」
『ん?』
「ぼく、力の秘密わかったかもしれない」
『え?マジで!?……あ、じゃあさ』
「……?」
『今から、皆で秘密基地行かね?』
無邪気な声でカズが言った。
『ほら、今日はこんなに星が綺麗だしさ!アカネさんの、人間界最後の夜、一緒に過ごそうぜ!』


夜の秘密基地は、昼間とは全然雰囲気が変わっていた。ひんやりしてるのに、よそよそしさは全くない。
アカネさんは、一番最初に見た時と同じように、切り株に腰掛けて星空を見ていた。傍のたき火の火が、彼の白い肌に橙の柔らかな光を投げかけている。
アカネさんは、こっちに気づくとおや、という顔をした。
「どうして、こんな時間にここに?子供だけでは危ないですよ」
「最後の夜だからな」
ぶっきらぼうに弘人。それが彼の照れ隠しだということに、アカネさんはとっくに気づいている。
「一緒に、いてくれるんですか?……嬉しいです」
「ええ。……それに、ナオが貴方に話があるって」
「話?」
アカネさんは訝しげな顔をしてこっちを見てくる。ぼくは、その視線をしっかり受け止めて言った。
「ぼくは、あなたの言う力がなんなのか、わかりました」
「……」
アカネさんは、驚かなかった。ただ、静かに促すような目をしてきた。ぼくは頷いて、アカネさんの隣、たき火を囲んで座る。
「……アカネっていうのは、ハンドルネームだったんですね」
「……」
「アカネさんについて調べました。アカネさんは、あるラジオ番組のパーソナリティだった。だけど、ある日一人のリスナーからきつい批判を受けた。多分、荒らしかなにかだったと思うんですけど、追い込まれたあなたは、創作活動を休止せざるを得なかった」
「……」
無言のままのアカネさんをちらりと見遣る。無表情の顔に、炎がゆらゆらと陰影を落としている。
「……ナオ、そういう話は、」
潤が、少し咎めるような声を出した。弘人も、やめろと言いたげに睨んでくる。カズは、そっぽを向いて星空を食い入るように見ていた。
「……続けて下さい」
しばらくして、掠れた声で呟いたのはアカネさんだった。彼は、ひどく強張った顔で、それでも瞳には真摯な光が宿っていた。
「……“僕”が人間で、何かを発信していた……?まさか……でも、……もう少しで、何か思い出せそうなんです……」
「……創作活動を止めたあなたは、何を失くしたんだろうって、そう考えたんです。きっと、それがアカネさんの探してるものだと思ったから。アカネさんが、本名じゃなくて、ハンドルネームを名乗っているのは、まだ昔に縛られてるって事なのかなって」
「………なくした、もの……」
「はい。多分それは、誰かに何かを伝えたいっていう気持ち、そのものなんじゃないですか?」
「……っ!」
アカネさんが、目を大きく見開いた。
その顔を見て、ぼくは確信する。
ああ、きっとこれが正解だ。


パチッと音を立てて、火が爆ぜた。
ぼくは口をつぐみ、他の皆も無言でたき火の火を見つめていた。
「……星の光は、実は凄く昔のものである事が知られています」
沈黙を破ったのはアカネさんだった。彼は、神様のアカネさんにも、精神異常者のアカネさんでもない、まっさらに漂白された瞳で炎を見つめながら言葉を紡ぐ。
「弱い光の星は寿命が長く、強い光の星は早く燃え尽きる。星は、自分の命を燃やして、僕らになにかを伝えようとする。だから、星空を見るとこんなにも胸が締め付けられるのかもしれませんね。命をかけて伝えられるメッセージだから。それには何がこめられているんだろう。祝福?祈り?それとも……」
目をつむり、アカネさんはゆっくり首を振った。
「……昔から、そんなことを考えるのが好きでした。きっと、僕らも星と同じなんでしょう。誰かに何かを伝えるために生きている。例え命を削ってでも、例え…心を潰してでも」
「……」
「私は神です。だから、直也くんの言ってることはよくわかりません。だけど、そうか、何かを伝えようとする気持ちが私を生んだんですね……」
呟くアカネさんの頬を、つ…っと涙が伝った。
「思い出しました。誰かに何かを伝えようとするときの……あの、不安と緊張と、喜びを……」


ぼくは黙って空を仰ぐ。
ぼくも持っている。伝えなきゃいけない、でも、伝えなければならないこと。ぼくの、小さな秘密。
伝えたくないと思っていた。でも、伝えることは幸せだと、今気づいた。
伝えることは、相手がいないと、出来ないんだ。
ぼくは口を開く。

「──…」

パチッと、また火が爆ぜた。
それはまるで、ぼくの、アカネさんの、皆の泣き笑いのようだった。


いつ眠ってしまったのかはわからない。
目を覚ましたら、たき火はとっくに燃え尽きていて。
アカネさんの姿も、どこにもなかった。


あれからもう5年たって、ぼくらは高校2年生になった。
久しぶりに、ぼくはこの町の土を踏む。
『ぼく、今年の冬、遠い県に引っ越すんだ』
最後の夜、皆に打ち明けたぼくの秘密。驚いて、それから皆でちょっと泣いて。
離れ離れになってしまったら、ぼくらのつながりは薄くなってしまうかな、なんて思ったけど、全然そんなことなかった。中学になって、皆携帯を買い与えられたからだ。
夏休みの今日、この町に帰ってくることも、ぼくはメールで全員に知らせた。皆、あの空き地でぼくを待っている。
もちろん、皆の中にアカネさんは含まれていない。それどころか、アカネさんがあの後どうなったのか知っている人もいない。風の噂で、病院の患者が帰ってきたという話を聞いたけど、確かめる術もない。
それに、アカネさんはあの夜、星空に溶けていったのだといった方がよっぽどしっくりくる。
だって、ぼくらが知ってるアカネさんは、ラジオの司会者でもましてや精神異常者でもなくて。
電波世界の神様だったのだから。


秘密基地では、皆もう集まってきていた。カズ、弘人、潤。5年前とは全然違っていて驚いた。カズなんか、ぼくの身長抜かしてるんだ。もうびっくり。
今日、ぼくらはあの夜と同じように、思い出話でもしながらたき火を囲んで一夜を過ごす。
でもその前に、しなければならない事があった。
「やっぱさ、この番組がいいと思うんだよ」
「そうだね、僕もそう思う」
弘人と潤が、なにやら書類を引っ張り出して相談を始める。紙に書いてあるのは、どれもリスナーからの投稿を受け付けているラジオ番組だ。
ぼくらは今日、初めてラジオに投稿して、アカネさんと同じ発信者になる。
それを、いったいどれだけの人が受け取ってくれるかはわからないけれど。
「なあなあ、ナオ!書き出しどうする?」
「うーん、そうだなぁ……」
少し考えて、ぼくはそっとハガキの上に言葉を置いていった。


『電波世界の神様へ』

『ぼくらの声は届いてますか──…?』

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