小説 | ナノ


▽ キミのとなり


図書館は、好き。 図書館業務は、嫌い。


「シオギ、今日の放課後、図書館業務を手伝ってくれないかな」
昼休み、ケータイが震えたので見てみたら 、受信フォルダにそんなメールが入っていた 。送り主の欄には、シオリ、とだけ書かれている。
「……」
なんとなく、なーんだ、という気分になった。友達からのメールかと思った。といっても、メールのやり取りをするような友達は2、 3人しかいないのだけど。それ以外のメールはみんな、兄か編集者のものだ。
それにしても、とまじまじと文面を見やる 。兄が図書館業務を頼んでくるなんて珍しい 。図書館業務と言えばカウンター当番。つまりある意味接客業。そして接客業は、僕がもっとも苦手とする分野だ。それを知らない兄ではないだろうに、よっぽど人手不足なんだ ろうか?
少し考えてから、「掃除終わってから行く 」とだけ打って返信ボタンを押す。正直わざわざ自分の苦手分野をやりに行くのは気が滅 入ったが仕方がない。 それに、部活をサボれば放課後ずっとアイ ツと顔をつき合わせなくても済む、という計算もあった。


自分の愚かさを痛感したのは、図書館のカウンターを見たときだ。
「栞木さん、待ってましたよ」 穏やかに微笑む兄──の隣で黒い笑みを浮かべるのは、今日はもう会わなくて済むと思っていたアイツ。
神木望。クラスメートで同じ文芸部でもある彼女に、どうやらぼくは嫌われているらしい。あからさまな嫌がらせとかは今のところないけれど、何度か嫌みのようなものを言われたことがあった。
今日は部活に来る日のはずだけど──だから部活に来たくなかったんだ──と、そこまで考えて、彼女も兄に呼び出されたんだろうと思い立つ。人手が足りないなら、当然他の図書委員にも声をかけるだろう。考えてみれば当たり前のことだ。
「栞木さん、今日はよろしくお願いします! 」
にこ、と表向きは明るい笑みを浮かべて望が手を取ってくる。目だけはぜんぜん笑っていなかったけど、兄は気づかなかったよう で、「神木さんは、栞木さんと同じクラスでしたよね。よかったら色々教えて上げて下さい」と言って書庫に戻ってしまった。こうい う時、兄は非常に鈍い。
「じゃあ栞木さん、まずはカウンター当番から教えますね」 やっぱり目だけは笑っていない望に引っ張られて、カウンターへと歩き出す。
どうやら、今日は厄日のようだった。


あれは多分、小学校最後の冬。 正月毎年家に遊びに来ていた親戚の長男( 5歳)が、ぼくを指差して言った。
「わあ、仮面ヤイバーのおにいちゃんだ!」 「仮面……え?」 「仮面ヤイバーのおにいちゃん!」
もちろん、ぼくはれっきとした女である。
その後も彼はしばらくぼくを仮面ヤイバーと 呼び続け、結果ぼくのあだ名はヤイバーにな ってしまったのだが、それはまあいい。ここ で言いたいのは、ぼくがパッと見男に見える 容姿をしているということだ。その原因は兄曰くこの吊り目で、角度によっては強く睨ま れているように見えるらしかった。
そのせいでクラスメートから怯えられたり、 ガラの悪い連中に絡まれたりしたぼくだけど 、今日この時ほど自分の顔を恨んだことはな い。
なぜか?理由は簡単。客(生徒)が逃げるか らだ。
「……べつに怒ってるわけじゃないのに」
男と間違われないようにと肩まで伸ばした髪を、指で弄りながら呟く。これが地顔なんだ 。まあ、望みたいににこにこしてるわけでも ないけど。
「栞木さん、笑顔笑顔!みんな怖がってますよー」
「わかってるよ……」
わかってることを、あえて口に出さなくてもいいのに。
少しは笑った方がいいのかな、と思うけど、 楽しくもないのに笑うなんて無理だ。特に隣にこいつがいる時は。
「……汐里さんに変わってもらいますか?汐里さん、すっごく、忙しそうですけど、妹さんの頼みなら聞いてくれるかも」
すっごく、の部分を強調しながら聞いてくる望。悔しいけど、それしかないのかもしれな い。
「……シオリ、ごめんカウンター無理」
書庫を振り返りつつ言えば、ちょっと困ったような笑顔で兄が出てきて。 「わかりました。じゃあ、栞木さんは本の整理をお願い出来ますか?」 そう他人行儀な口調で言った。
「……」
「あと、学校ではちゃんと名字で呼ばないと 」
「やっぱり止めとく」と言いかけたら、急に シオリが兄の顔に戻るから、ぼくは何も言え なくなってしまう。
自分で言うのもなんだけど、兄は基本的にぼくに甘い。


カウンターよりも整理の方がまだ楽かなと思ったら、案外そういうわけでもなくて。渡された本を所定の棚に戻しているだけなのに、 気がつけばうっすら汗をかいていた。
なんでも長期休み明けということで、返却される本の数がいつもより多いのだという。なるほど、人手が足りなくなるわけだ。
「……ふぅ」 「栞木さん、お疲れ様」
一区切りついてカウンターに戻ったぼくに、 望が水筒からお茶を注いでくれる。恐る恐る 口をつけると、麦茶に砂糖を混ぜたようなえ ぐい味がした……ということも特になくて、どうやらほんとうにただの労いらしい。
「初めての図書館業務はどうでした?」
「疲れた」 そっぽをむいたままそれだけ返すと、くすっと笑った気配がした。
「……でも、まあ面白いとこもあるけど」
「そうですか?」
「この人こんな本読むんだ、とか、色々発見もあったし」
「へええ」
なんて話をしていると、近頃冷戦状態だった こいつのこともちょっとだけ身近に感じたりして。知らず知らずのうちに、口元がゆるん でいた。
「栞木さんって、一応笑えるんですね!」
「これでも人間だから」
澄ました声で答えてやると、望も珍しく剣の ない笑みを返してくれる。
そんな風に一瞬でも和やかな空気が漂ったからだろうか。「ちょっといいですか……?」とぼくに声がかけられた。
「……!?」
慌てて振り向くと少女は怯えた顔でちょっと 飛び上がり、それでもおずおずと本を差し出して来た。
「あの、返却です」
「……あ、はい」
差し出された本の山を受け取って、まだ慣れない手つきで返却手続きをしていく。
「……!」
思わず手が止まってしまったのは、山の中によく見慣れた本が混ざっていたからだ。
淡い朱色が塗られた表紙。金色の文字で紅葉 とだけ書かれているタイトル欄。
紛れも無く、ぼくが書いた本だった。
「あ、それ水鏡霧火の新作ですね!」 横から身を乗り出した望が言う。「好きなんですか?キリカ」 「仕事中なんだから、そういう話題振るのは… …」 「えー?いいじゃないですかぁ。他にお客さんもいないんですし。……で、どうでした?キリカ」
そこで、少女は困った顔をする。
「うーん……騒がれてるほど、面白くなかったです。まあ、私に合わないだけかもしれない けど」
面白くない。その言葉に、ぼくは手の中の本を見下ろしてそっと息をついた。面白くない 。そう言われることは珍しくない。読んだ人 全員が面白いと感じる本なんて、世界中のどこを探してもないわけで。
「でもやっぱり、面と向かって言われるのはな……」
「?栞木さんどうかしましたか?」
「……べつに。これ本棚に返して来る」
そう言って抱えた本は、なんだか妙にずしりと重かった。


図書館の本は、図書番号によって大まかに区分され、さらに著者名順に並んでいる。それはこの学校の図書室でも例外ではなく、兄の 手によって神経質なまでに見やすく整理されていた。
「913.6のサは……」
本の背表紙をなぞりながら探していると、背後に足音がたった。
「……邪魔」
「あ、ごめんなさ……」 言いかけて言葉を飲み込む。後ろに立ってい たのは、同じクラスの灰原だ。
「……灰原?なにやってんの?」 「お前には関係ない」 冷たくひらべったい声で、灰原はそう返して くる。それは確かにそうなんだけど、もっとべつの言い方はないのか。むっとして睨むと 、数十倍冷たい視線に射抜かれて少したじろ ぐ。
「どいて」
その有無を言わない言葉に身をひいたとき、 灰原の抱える本に気づいた。
……そういえば、こいつも図書委員だったっけ 。
テキパキと本を棚に戻していく姿に、さっきの苛立ちも忘れて見入ってしまう。彼の仕事は堂に入っていて、ちょっと格好いいとか思 ってしまった。
持っていた本を全て棚に戻し終えて、彼は再びこちらを見た。眉をひそめる。
「まだいたの?」
「いたよ」
「仕事遅すぎるんじゃない?」
……前言撤回。やっぱりこいつ、ただの根暗だ 。
失望とか怒りでぐるぐるする思考を必死に整えていると、灰原はじろじろこっちを見、小さなため息をついた。そのまま立ち去ろうと するので、慌てて袖をひく。
「待って」
「放せよ」
「その前に、……早く棚に戻すコツ、教えてくれない?」
「……はぁ?」
「まだ慣れてないんだよ。今だってサ行探してたのに、君に声かけられて、どこ見てたのか忘れちゃったし」
責任とって、と言外に漂わせると、灰原はきつい目でこっちを睨んだ後で意外にも答えてくれた。
「サ行は、お前から見て左側奥から2つめの棚の3段目」
即答具合を見るに、どうやらある程度記憶しているらしい。
「ありがと。次、ノは?」
「少しは自分で探せよ」
「聞いた方が早い」
「……右側1番手前の2段目」
仏頂面のまま、それでも割合素直に答えてくれる灰原。多分、こんな灰原クラスの誰も見たことないだろうなぁ、なんて考えると、少 しだけ楽しくなってくる。
手の中の本はどんどんなくなって、最後に紅葉だけが残った。
「灰原、ミは?」
「……」
さっきまでなら瞬時に答えがかえってきたのに、今回だけ妙に間があいた。
「……灰原?」
「それ、紅葉?キリカの?」
「そうだけど……もしかして、君も読んだこと あるの?キリカ」
「ああ」
「そうなんだ……」
俯くと、鮮やかな朱色が目に焼き付く。水鏡霧火作、紅葉。養子であると知って自分を見失った少年が、もう一度自分を探し出そうと する青春ミステリー。
「……でもさ、キリカって、あんまり好きじゃないって人多くない?」 気がつくと、そんな乾いた声が唇からこぼれ 出ていた。
さっきの少女だけじゃない。仕事用で使ってるメルアドにも、『あんな駄作が世に出るなんて恥ずかしいと思わないのですか!』なん てメールが届いたりする。そういうメールを見ると、自分の中の何か大事なものが、こぼれ落ちていくような気分になる。
面白くないと思ってる人は読まなければいい だけの話。そんな言葉に一々傷ついていたら作家なんてやってられない。理屈ではわかっ ている。けど、そういうのは理屈じゃないんだ。

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