▼page.1 今年に入って一体何度目だろうか。 ソファに座る稔と向い合せになるように、私は床で正座中。 本当に稔と話すときの基本スタイルが正座になりつつあるんだけど、これどうやったら撤回出来るのかな。 フローリングが地味に骨にダメージを与えて来るんだ。じわじわくる。精神的にも。 「ちょっと前から、一体なんなんだよ」 いつもより低めの声で稔が言った。俯いてるから見えないけど、きっと眉間に皺を寄せて私のつむじくらいを睨みつけていると思われる。 ちょっと前から、こんな調子で稔が怖い。ものっすごい不機嫌オーラを撒き散らしている。 まぁその原因は言わずもがな、私なんだけどね。 少し前、正確に言うなら一週間くらい前から私の態度がおかしいと。微妙に稔と距離を取る。すぐ目を逸らす。 「なに? なんか俺に隠してる事でもあんのか?」 はい、あります! その通りでございます! 絶対に言えない理由で、ここの所私は稔とまともに会話が出来ていない状態です。 だって私ほんとビックリするくらい隠し事出来ない人間なんだよ! 一瞬で嘘もバレるしさ。どんなに頑張ったって人を騙すとか出来ないんだよ。 え? 女だって偽ってるだろって? 逸れに関しては私自身も甚だ遺憾です。私演技とかしてないからね。ただ普通に男子高校生の制服着てるだけだから。 演技しようと努力したら速攻でボロでるから普通にしてなさいって姉に言われたからその通りにしたら、あら嫌だよ、三学期に突入してもこの通りここにいるっていう。 ああ悪かったね、どうせ私に女らしさが元から備わって無かったさ! 「聞いてんのか」 「あいてて! すみません、聞いてます、聞いてます」 ちょっと思考が変な所へ突っ走っちゃっただけだよ。だから頭をボールみたいに片手で掴むのやめて、痛い。 と思いつつ、スッと視線を横に逸らすと、稔の纏う気配がまた一段と重くなった気がした。 いやそりゃ稔が不審に思うのも無理ないよね。分かってる、分かってるけど。だって仕方ないじゃん! 恋心を自覚したお女子が、一週間やそこらで気持ちを落ち着かせようとして出来るものなの!? 人生の先輩方教えてください! 私経験ないもんでわっかんねぇです! とてもじゃないけど、まだ稔と普通に接するなんて出来ない。 むしろ、普通ってなに? 今まで私どうやって稔と喋ってたっけ? って悩む。 挙動不審が目立たないように、極力稔に近づきすぎないように気を付けてるだけなのよ。察して下さい。いや、察したらダメか! 「ごめん、あんまり詳しく事情を説明すると私だけじゃなく稔も組織に命狙われちゃうから話せないんだけど」 「お前いつのまにスパイになったんだ」 「ミッションインポッシブル中です」 「イーサン・ハントによろしく」 え? はんと? なに? ごめん実はミッションインポッシブルちゃんと観た事ないんだ。今度チュタヤで借りてくる。 「まぁそんなわけで」 「どんなだ」 「うん、わけ分かんないよね、ごめん。でももうちょっと待って。もう少ししたら、多分大丈夫になるから。多分」 「うわー信用ならねぇー」 自分でもどうにもなんないんだもの。いつ稔への恋心が自分に馴染んで落ち着くかなんて、分かるかい! 言わせんな恥ずかしい。 「悪いなとは私も思ってるんだよ。だから、今はあんまり稔と一緒にいない方がいいかなって……」 不信がられて。信用出来ないって思われるなら、前みたいに普通に話が出来るようになるまで距離を取った方がお互いのためだ。 「そういう事なので」 この気まずい空気が支配する空間からの脱出! 言いながら立ち上がった私はくるりと稔に背を向けた。 お風呂入ろう。あの狭いバスタブに浸かってちょっと冷静になろう。 「堂島っ!」 あんまり追求されて、ポロッと変な事口走って稔に私の気持ち気付かれたりしたら終わる。なんか色々私の中で終わってしまうような気がしたので逃げようとしたんだけど、稔が私の腕を掴んで止めた。 「っ!」 たったそれだけなのに。 手首に稔の手の熱が伝わってきただけで動揺して、私は思わずそれを勢いよく振りほどいてしまった。 咄嗟に振り返って見えたのは、振りほどかれたまま止まった手と、目を見開いて呆然としている稔。 「あ、ごめ」 「なぁ、俺何かしたか?」 私の謝罪に被せるように稔が少し早口で訊いてきた。 稔は何もしていない。稔が悪いんじゃない。私は力いっぱい首を振った。 「平良だったら話すんだろ……」 「依澄?」 何故このタイミングで依澄が出て来たか? そういや前にも依澄がどうとか言ってたような気がするけど、あれいつで何の話だったっけ? 「あいつが良くて俺がダメな理由ってなんだよ、条件はそんな変わんないだろ」 …………え? 条件? ど、どうしよう。稔が激オコなんだけど、全然何にプンプンしてるのか解かんない……! 依澄が良くて稔がダメな理由? そんなの私が教えて欲しいわ! なんすか、その謎かけ。ごめん、見た目も中身もただの高校生だし、じっちゃんの名にもかけられないからトリック暴けないよ! 何時まで経っても答えられない私に稔は焦れたのか、もう一度強く腕を掴むと強い力で引っ張った。 体勢を崩した私は小さい悲鳴を上げて、稔の足元に倒れ込んだ。 「俺の事避けて平良んとこ行くんだろ。結局いっつもあいつだ」 何かあると依澄の所に行く癖がある事を言っているんだろうか。 夜に私があの子の部屋に遊びに行くのはもう当然のようになっていたし、相手は何と言っても依澄だし。 でも稔はあんまり良い顔しなかった。 「依澄は、だって」 「だって、なに」 怖い、稔がめっちゃ怖い! 床に座ってる私を容赦なく上から睨んでくる。 「稔、落ち着こう。何か話が変」 「慌てて逃げようとしたのは堂島だろうが」 稔は激怒した。 いやもう、ホントどうしてこの人こんなブチ切れしてるんですか。うん、私のせいか。私が挙動不審なせいだね。 でもさっきからちょっと話が変な方向にズレて来てる気がするんですけど!? 稔って怒れば怒る程声が低くなって静かに畳みかけてくるタイプなのか……。 わーって怒鳴られるのも怖いけど、これはこれでとても恐ろしい。終わりが見えない。 ていうか、稔がこんな風になるの初めて見る気がする。私初めて稔を本気で怒らせたって事、だよね。 「嫌か?」 振りほどけないくらいの強い力で掴まれている腕を持ち上げられた。 嫌なわけじゃない。また私は首を振る。 だけど稔は眉間に皺を寄せて険しい表情のまま。 今までも何度も稔に怒られる事はあった。でもそれは出来の悪い妹を叱るようなもので。こんな風に冷たく睨まれた事は無かった。 「ごめん、稔……」 「は? 何に対して謝ってんだ」 ビクッと反射的に身体が跳ねた。 温度が無いみたいな声に、まるで拒絶されたような気がした。 「……っ」 ここで泣くのは、なんだか卑怯な気がして、必死で歯を噛み締めて耐えた。だけどそれはいつまでも持ってはくれなくて、ついに溢れて頬へと零れ落ちる。 一滴落ちてしまうと、そこから次々と流れて止まらない。 私の態度がおかしかったせいで稔を怒らせてしまったのに、私が泣くのは間違ってる。そう分かっているのに、どうしても涙が止められない。 「どうじま」 どうしよう、稔が悪いわけじゃないのに、きっと稔は泣かせたって自分を悪者にしてしまう。 急に泣き出した私に戸惑って、さっきまで稔が纏っていた怒りがしぼんでいる。 腕を掴んでいた力も緩んだ。 「堂島、ごめん」 ああ、ほら。稔は謝らなくていいのに。 声に出せないから、一生懸命首を振って訴えたけど、稔は罪悪感たっぷりな顔で。 涙を拭きとろうとしたのか、稔は私の頬に手を添えようとして、途中で動きを止めた。 「悪い、頭冷やしてくる」 宙で止めた手で自分の髪をクシャリとかき混ぜた稔は、そのまま私の方を見ないで立ち上がり部屋を出て行ってしまった。 結局、そのまま稔は一晩戻って来なかった。 前 | 次 戻 |