▼災難誕生日



 結婚なんて独りで生きていく度量があるならしなくて良い。とは母の言葉。

 テレビを観ながらの夕食時、突然切り出された話題に七海はきょとんとしながらも、いつになく真剣に見つめてくる母、美弥子の言葉に耳を傾けた。

 素敵な人と出会ってめでたくゴールインするのは別として、周りがしてるからとかそんな馬鹿らしい理由で焦る必要なんてないし、無理矢理に結婚してその後の人生めちゃくちゃになったら元も子もない。
 
 ああなるほどと思った。
 だが、なら何故お見合いをしてまで美弥子は結婚に至ったのかという疑問は浮かぶ。

「寂しかったからよ」

 あっさりと返ってきた答え。
 独身を貫いて、老いさらばえてゆく自分を想像すればあまりに虚しかったから。

「なにより経済的に女一人じゃ難しいしね。野垂れ死ぬなんて勘弁じゃない?」

 愛はどうした。結婚式場で交わしたはずの愛は最後まで彼女の口から出てくる事はなかった。

 だが父が不憫だと感じたのはどうやら七海だけだったらしく、父である明良はビール片手に穏やかに笑っていた。

「まぁだから何が言いたいのかって話だけどね、お母さんはあんたが結婚しようがしまいが、幸せだったらどっちに転んでもいいの」

 そう言って微笑んだ彼女は、無条件で我が子を愛し幸せを願う正しく母親の顔をしていた。
 だから七海は迂闊にもこの会話を年頃の娘と母親の距離を詰める美談として捉えてしまったのだ。

 近頃の親子は会話というコミュニケーションが足りないから擦れ違い、子は非行に走る。日常会話でいい、話し合え。お互いの思っていることを口に出して言え。

 そんなありきたりなコメンテーターの言葉が頭を過ぎる。
 我が家には全く関係のないことだと。


  *


「盛大に騙されたっ! こんの嘘つきオカンがー!!」

 八畳の和室に七海の声が響く。
 黒塗りされた重厚感のあるテーブルを叩けば、隅々まで綺麗に拭かれていただけに七海の指紋がくっきりとついてしまった。

 だがそれを気にしている余裕はない。

「騙してませんー、ちゃんと美味しいもの食べさせてあげるから一緒に出掛けようって言いましたー」

 拗ねた子どものように間延びした口調に七海の苛立ちは増す。

「食事しながらお見合いなんて聞いてない!」

 聞く耳持たないと、美弥子は横を向いてしまった。それが三人の子を持った親のすることか。七海は拳を握り締めた。

 思えば出掛ける前に「カチッとした場所に行くから、ビシッとした服装でね」などとよく分からない注文をつけられた時に引っかかりを感じはしたのだが、街の方へ出て少し高級なレストランにでも行くのかとすぐに流してしまった。

 そしてどこへ行くのか知らされないまま電車もバスも使わずとことこと歩き続け、見知った住宅地を抜けたその先、山の麓にある大豪邸に辿り着いた。

 老舗の旅館だと言われても違和感のない立派すぎる構えだが暦とした個人の宅。この辺で知らない人はいない、超がつくお金持ちの榊家だった。
 こんな所へ来てどうするのだろうと思いきや、何の躊躇いもなく美弥子はチャイムを榊と達筆に書かれた表札の下にあるチャイムを鳴らしてしまったのだ。
 
 
 まさかこの人、いい歳してピンポンダッシュする気じゃあるまいな、と冷や汗が伝った。
 体勢はいつでも逃げ出せる状態にしたまま母親を凝視する。

 だが「藤岡です」とイヤホン越しに答えるとすんなり門を開けてくれて、家政婦らしき女性が穏やかな笑みを浮かべながら「ここでお待ちください」と客間まで通してくれたのだった。

 ごくごく一般的な建売に住み、父親がサラリーマンで母親がパートタイマーという日本社会において中の中の生活を送ってる七海には無縁の、古くも美しい日本家屋と庭園をまるで見学にでも来たかのように目に焼き付けながら進んでいく。
 


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