勇人が手を振り下ろすと、二匹の狐は身を翻して避けた。そもそも当てるのが目的だったのではなく距離を取るためなので、それ以上は仕掛けない。

「おおいやだ、これが流行の家庭内暴力かね!」
「ただの暴力だと思います」

 大袈裟に狐達を守るように腕で囲い、勇人を非難する白狐に、七海はついいつもの癖でツッコミを返した。神と狐と勇人と七海。誰一人として家族ではない。

「最近の若者はすぐにキレるというのは本当のようだね。そんな君達に残す言葉がある」
「どうしよう、この人のキャラが掴みきれない」

 所詮人間如きが把握できなくて当然なのかもしれないが、彼の一挙一動に右へ左へと一々全力疾走させられるのは骨が折れる。
 七海のさり気ない、けれどこれ以上はないほどの思いの丈を勇人は潔く無視した。

「……かりそめという字は、仮に初めると書く」

 凛々しい表情の稲荷に、勇人と七海は反応しきれなかった。

「まぁ何が言いたいのかと言うとね。その場凌ぎでのやっつけ仕事では長続きしないって事さ」

 補足したにも拘らずぽかんとしたままの二人に、豊かな白髪を掻いた。
 お布施も無しに神に行動を起こさせるなどいい度胸だ。
 自分の説明が抽象的過ぎるという事実には目を瞑る。
 
「お前が必死に繋ぎとめている一つの魂。今は大人しいが近いうちに暴れ出す。狂おしいほどの願いは成就せん。結果は分かるな」

 未だ七海は四割以下しか理解出来ないでいるが、勇人にはこれで十分だった。目を背け、白狐の言う通り仮初の平穏に浸っていられる時間はごく僅かだ。こうしている間も虎視眈々と総てを食らい尽くして表へ出てこようとあいつは狙っているのかもしれない。
 
 険しさの増した勇人の表情を見て、白狐は試すように言葉を紡ぐ。

「よく頑張ったとここでお前を消してしまうが優しさかもしれん」

 咄嗟に勇人の前に出ようとした七海を、しげしげと見やった。
 七海は勇人が何をし、どうなっていくのかを知らない。いたずらに延命すればするほど苦しみが増すのだと知らない。

「だが私は元来薄情な性質でね。何百年とそれを放置していたのがいい証拠さ。今回も傍観に徹しさせてもらうよ」

 長い指がするりと勇人を指す。

「今日のところは帰ろうかと思ったが、そうさな。もう少しばかりその娘に私の分まで働いてもらうことにしよう」

 勇人に向かっていた指は彼の隣をすり抜けて七海の眼前で止まった。額を軽く突かれた瞬間息が詰り、そのまま七海はベッドの上に崩れ落ちた。

 噛み付かんばかりに威嚇してくる勇人の迫力に、二匹の狐は白狐の後ろに隠れた。

「怒る事ではあるまい、お前と娘の意見の折衷案だ」
「昔からお前の話は回りくどくて解り辛いんだよ、ジジイ」
「阿呆な息子の頭を動かして、少しでも利口になるようにと苦心した結果だよ」

 暴言を吐くもあしらわれて終わる。舌打ちとともに埒の明かない会話を早々に打ち切った勇人は七海の顔を覗き込んだ。そこに苦悶を見出せない事に安堵する。
 
「さあ正念場だ。その人の子はお前達のどちらの望みを叶えるだろうね」

 高みの見学と洒落込もう。白狐は金目を細めた。

「私にここまでさせたのだから、満足な結果を残せ」

 勇人の前に手を翳す。頭に針を刺されたような痛みを感じた途端、落ちるように意識が無くなった。


end

'10.10.20~'11.1.9




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