でもはっきりと勇人はあの時受け入れてもらえたのだと実感できた。責任を押し付けただけでは飽き足らず、存在そのものを受け取らせた。

 行こうと伸ばされた手を掴めば、もう独りじゃなくなると思えた。
 だというのに、こうも脆弱では困る。

「七海は俺のものになればいい」

 そうしたら何もかも総て打ち明けて、勇人に残された少ない時間、出来る限り七海を守るから。
 七海は拘束力のなくなった手を引いた。すると勇人が途端に捨てられた子犬みたいに瞳を潤ませるものだから盛大に溜め息を吐いた。
 
「あんたそんなキャラじゃないでしょうよ」

 無意識にやっているのだろうから性質が悪くて仕方がない。もう少し年齢が上の女性ならば母性本能を擽られるかもしれないが、七海からすれば手の掛かる弟もしくはペットに近い。仕方ないなぁと放っておけない。
 末っ子の七海には慣れのないくすぐったい感覚だ。悪くない。

「じゃあ交換条件」

 七海はよれたままの勇人の前髪を整えながら、にっと笑った。

「勇人が隠してる事全部話してくれたらね」

 それは勇人の思いと前後する。どちらが先かというだけなのだけれど、勇人にはちょっとばかり難関だった。





 物音がして勇人は目を覚ました。シャワーを浴びるからと浴室に入った七海にリビングにいるように言われて大人しくソファに座っていたが、いつの間にかうとうとしていた。

 無意識のうちに寝そべっていて、どうやら本格的に寝ようとしていたようだ。
電気を点けなくとも周囲を視認することは可能だが、部屋の中は夜が明けきらぬ薄暗さを未だ保っている。
 
 リビングのソファに寝転んでいた勇人は上体だけを起こして目を凝らす。カチャリと戸棚が開く音がもう一度して、リビングと繋がっているキッチンの方からしたのだと分かった。

 今度こそ起き上がって覗き込むと、冷蔵庫から一線の光が漏れているのに気付いた。勿論、その前に立っている人物にも。
 昌也が冷蔵庫の扉に手を掛けたまま、中を物色している。そして何も取り出さず静かに閉じた。
 はぁ、と吐き出された溜め息が一番大きく響いた気がする。

 どうして昌也の背中から苛立ちが見て取れるのか理由は解っているし、その原因の一端に自分も関与していると自覚しているからなかなか声が掛けられないでいる。

 迷い、手を上げたり下げたりを何度か繰り返しているうち、昌也が振り返った。
 その据わっている目に頬が引きつる。

「何食った」
「は?」

 お早うもなく、勇人が背後に立っている事を不思議がるでもなく端的に発せられた言葉が質問だとワンテンポ遅れて気付いた。削られているが、多分晩ご飯の事を言っているのだろうと。

「え、と。しゃぶしゃぶ」
「ポン酢」
「いや胡麻ダレ……」
「白か」
「はぁ」

 果たしてこれは会話が成立しているのか。何につけてしゃぶしゃぶを食べたのかという話なのだろうが、何故そんな方向へずれたのか。

「だからか」

 だからがどこに掛かっているのか分からない。
 一人納得して頷く昌也だが、勇人は謎が深まるばかりだ。昌也という人物の人となりが一切見えてこない。それきり黙り込んだ昌也に早くも二人きりでいる事に限界が近づいてきている。
 誰か間に入って通訳をしてくれないだろうか。

 勇人のそんな切実な願いが叶ったのか、リビングのドアが開いた。

 Tシャツにハーフパンツという格好で、首にはタオルを巻きつけた七海だ。部屋の明かりをつけて二人に気付いた七海は、勇人の切迫した視線に気付きもせずヘラヘラと笑って「おはよー」とこちらへやってきた。

 腕組みをして七海を迎えた昌也にきょとんとしている。何故に不機嫌さを顕にした昌也を前にこんなにも平然としていられるのか。
 
「昨日は豪勢な晩ご飯だったそうで」

 嫌味ったらしい昌也に、漸く悟った七海は、はっと息を飲む。



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