「あれも……キツネ?」

 七海の言に反応するかのように、ふさりと尾が揺れる。それがまるで人語を解しているみたいだった。

「大っきい……」

 ライオンや狼ほどはありそうな立派な体格をした狐に、興奮気味に勇人に振った七海は表情を凍らせた。

「どういう事だ」

 勇人は掠れた低い声を絞り出す。歯を食いしばって唸った。
 その怒気に全身が総毛立つ。以前七海に向けられたものなど比較にならない。
 地面に縫いとめられたのではと思うほど指の先も動かせない七海を尻目に、勇人は彼女の絡んでいた手を振りほどき一歩踏み出す。

「どうして、ここへ、来た?」

 ゆっくり言葉を区切るその声からも抑えられない苛立ちが孕んでいた。

 狐は勇人を静かに見下ろしていたのだが、反応を示さぬままふいと七海に顔を向ける。視線がかち合った瞬間に分かってしまったこの狐の異質さ。
 
 言葉を理解したような動きを見せる、本来ならばこのような住宅地に出没するはずのない動物。立派すぎるその体躯は、七海がテレビなどで見て想像していた大きさを遥かに超える。
 本当にこれはただの獣と言えるのか。

 時が止まっているのではないかと思わせるこの色褪せた空間と同化した狐の体を覆う毛もまた灰だと思っていた。だが実際には無垢だった。穢れを知らぬ白。高貴ささえも醸し出す。

 狐は前触れも無く静かに身を翻した。途端に七海は足の力が抜けてその場にへたり込む。時間にすれば数秒も満たないにも拘わらず、体力が削ぎ取られ脂汗が滲み出た。視界が霞む。

「おい!」

 勇人の呼び止める声には反応せず、狐は建物の反対側へと消えていった。舌打ち一つで諦めた勇人は七海の傍に膝をつく。

「中てられたな……」

 掌で七海の目を覆う。瞼に当たる温かさに安堵すると、七海は体の力を抜いて意識を手放した。

 寄りかかってきた七海の顔の青白さが一際浮き立った。それは彼女の血の気が引いたわけではなく、その色の光が差したからだ。勇人の背後で車が通り過ぎる音がし、ドップラー効果で消えてゆく。コンビニエンスストアから出てきた人が倒れている七海を見て小さく悲鳴を上げた。

 分厚く空に敷き詰められていたどす黒い雲は散り散りに切れ、月が顔を出している。
 気がつけば勇人達の周りをウロついていた二匹の狐も消えていた。
 振り仰いだ先にある、端が欠けた月に手を重ねる。

「お前は何がしたかったんだ……、俺はどうすればいい」

 勇人の問いに答えられるのは一体誰なのだろう。




end

'10.6.12~7.3



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