祈りは届かず


「よかった、合ってる合ってる」

街の一角、建っていた案内板に目を通し、ちゃんとお目当の住所と合っているかを確認し、アカリはほっと息を吐いた。

そして目的地への道のりを調べ、それを忘れないように覚えてから歩き出す。

ここはエディンバラ、スコットランドの首都だ。

まだ午前中のはずだが、英国内でロンドンに次ぎ観光客が多い街と言われていることに納得できるほどの人がいる。
周りを見渡せば、様々な人種の人がいるため、日本人然としたアカリが歩いていてもそう目立たない。ただ一人でいるため普通よりは少し目立ってしまうが、それも仕方のないことだ。

途中で寄ったコーヒーショップのアイスカフェラテのストローを齧りながら、ひたすら進む。

日差しが眩しい。帽子でも被ってくればよかった、と太陽に向けて手を翳す。さんさんと降り注ぐ太陽の光は、昼夜逆転生活を送るアカリの脳髄に染み渡った。

そして20分ほど歩き続け、流石に足が痛みを訴えてきた辺りで、漸く住宅街へと辿り着いた。

もう既に一仕事終えたような疲労感に苛まれながらも住宅街を横切り、とある一軒の家まで近づく。
そしてその家の窓の下に身を潜めると、目くらまし呪文をかけ、音を立てないよう慎重に窓を少しだけ開けた。そっと中を覗き込むと、そこには何人かの男と、太陽のような橙色の髪をした小さな女の子がソファに座っていた。

魔法の力で、窓の僅かな隙間から、中の会話を盗み聞く。

「パパは、どこ?」
「…………」

きょとん、と不思議そうに男たちを見る少女は、無邪気にそう問いかけた。すると忽ち男たちは口を噤み、顔色を悪くさせる。
ねえ、と催促するような高い声に追い詰められるような表情を浮かべる男たちのうち、一人が意を決して前に進み出た。

「…………いいかい」
「んー?」

男が膝をつき身を屈めると、ソファに座る少女と同じくらいの目線になる。そうして、少女の小さな手をそっと握り、男は一瞬躊躇うような表情を見せるも、少女を真っ直ぐに見つめた。

「お父さんは、お星様になったんだ」
「お星様?きらきらの?」
「そうだよ」
「パパは、きらきらになったの?すごーい!」

男の言葉に表情を輝かせ、キャッキャと手を叩いて喜んだ少女に、男は安堵からか息を吐く。

「ねえねえ、きらきらになったパパはいつ帰ってくるの?お星様のパパ、早く会いたいなあ」

しかし、少女のその言葉に、男はグッと唇を噛み締めた。無垢な瞳に見つめられ、男はしどろもどろになりながらも口を開く。

「お父さんは、もう、………帰って来ないんだ」
「え………………」

それは呟くような声だったが、少女には届いたらしい。花の咲くような笑みを浮かべていた少女の顔は、するすると表情が抜け落ちて、眉を下げる。

「パパと、もう、会えないの………?」
「………………」

無言を肯定と取ったのか、漸く状況を理解し始めた少女は、その大きな瞳に涙をためる。
うるうると、今にも溢れそうな涙を見て、男は慌てた様子でわたわたと何やら弁明し始める。

しかしとても少女には理解できないほどの難しい言葉や早口で言うものだから、少女の悲哀は加速する。ついに少女は涙を流し始めてしまい、男たちはどうしたものかと途方に暮れた表情を浮かべた。

そして、その時。どこからか放たれた赤い光線により、男たちはその場に崩れ落ちた。

唐突に倒れた男たちにびくりと身体を揺らした少女は、目の前にいた男の身体を恐る恐る揺する。しかし、何の返答もない。
突然の出来事に、少女はひっくひっくとしゃくりあげる。

「────どうしたの?」
「え…………?」

ハッと顔を上げた少女の目の前に、一人の女が姿を現した。
そこには、何もなかったはずなのに。
キラキラと、黄金の粒子を纏った女の登場に、ぽかんと呆気にとられるのも束の間、少女は再び表情を輝かせた。

「すっごーい!おねえちゃん、魔法使いなの!?」
「うん、そうだよ。わたし魔法使いなの」

にこりと笑ったアカリは、少女の手を握ってソファに座らせる。そして、先ほどの男を真似て、その前に膝をつき、少女と目を合わせた。

────ああ、やっぱり奥さん似だ。

アカリが、何故見ず知らずの少女の家に訪れたのか。
その理由は、昨日の出来事に関係する。

昨日情報を抜き出した、死喰い人に紛れていた闇祓い。彼の記憶に潜り込んだ時、彼が最も大切にしていたのが、この少女だった。

本来、『脅し』にかける時、大多数の人間はその身を傷つけてみれば、すぐに根を上げる。
しかし、中にはグリフィンドール寮のような、自己犠牲精神に溢れた者もいる。
そういう人間は、その身を傷つけるよりも、その相手の『大切な人』に関して有る事無い事言ってみればあっさりと口を割るものだ。

昨日の人は後者だった。だから、『大切な人』であるこの少女を使った。

今までも、同じような手段は何度も使った。
騎士団や闇祓いの人間はグリフィンドール寮生や、自己犠牲精神の持ち主がとても多い。
記憶に潜り込み、『大切な人』に害を為すようなことを冗談っぽく話し、脅す。

そんなこと、数えるのも億劫になるくらい繰り返してきたことだ。
しかし、どうも、この少女のことが気になった。母は既に他界、そして父も死んだ。齢4、5ほどのこの残された少女は、どうするのだろう。そんなふとした気まぐれで、アカリは少女、アニーにわざわざ会いに来ていた。

「改めましてこんにちは、アニー」
「私の名前!わかるんだ!」
「魔法使いだからね」

そう言って微笑んでやれば、少女は嬉しそうにきゃらきゃらと笑う。両親はどちらも魔法使いだが、両方ともマグル生まれだったはずだ。あまり魔法使いとしての子育てをせず、マグルらしい子育てをしたのだろう。

「おねえちゃんの名前は?」
「わたし?ふふ、秘密」

人差し指に唇を当て、そう悪戯っぽく言うだけで、少女は瞳を輝かせる。
橙色だと思ったが、それに近い茶髪のようだ。瞳も明るい茶色で、とても可愛らしい。

子供はいいな、無垢で、純粋だ。

日頃相手にしているのは闇の帝王と名高いヴォルデモート卿、何やら気味の悪い蛇姫信仰者、その他の根暗そうな死喰い人。無垢や純粋とはかけ離れすぎているメンツとしか関わらないせいか、どうにも少女の笑顔が眩しく感じる。

ポケットから取り出したハンカチで少女の頬に残る涙の跡や目の縁を拭ってやる。そしてポンッと軽い音を立てて何もない宙から棒突きキャンディを取り出すと、少女に差し出す。

「わあ、ありがとう!」
「どういたしまして」

さっそく封を破り、キャンディを口に咥える様子を見て、これに、毒が入っていたらどうするのだろうかと考えて、やめた。
だめだ、相手はまだ幼い女の子なんだから。そんな危ない思考じゃだめだ。

「アニー。お父さんの話だけどね」

危険思考を振り払うように、少女へと話しかける。なるべく穏やかに、優しく、を心がけたが、少女は途端に全身を固くさせた。

「パパ………もう会えないの………?ママも、いなくなっちゃったのに…………………」

ふるふると瞼を震わせ、少女は大きな瞳に涙をためる。
ああクソ、闇祓いの無能め、余計なことを。この子がいなかったら磔の刑に処するところだった。
周りに倒れ伏している闇祓いたちを心の中で盛大に罵倒し、アカリは慌てつつもにっこりと笑みを浮かべる。

そして少女の小さな手を包むように握り、宥めるようにしてその手を撫でた。
すると少女はだんだんと落ち着いて来たのか、今にも零れ落ちそうだった涙は薄くなり、やがて泣きやんだ。

「あのね、アニー。お父さんはお星様になって、アニーにはもう会えないの。でも、アニーはひとりじゃないんだよ」
「…………?」

ゆっくりとそう話しかけるが、少女は理解できなかったようだ。こてん、と首を傾げる様子が愛らしい。

「お父さんには、もう会えないけど。それでも、お父さんはいつでもアニーのそばにいる。もちろん、お母さんもね」
「ほんと………?今も?パパとママ、いるの?」
「いるよ」

アカリがパチン、と指を鳴らしてみればその音を皮切りに、少女の頭上から黄金の粒子がキラキラと舞い降りてくる。

「わあ!」
「ほらね、お父さんとお母さんが、そばにいる証拠。2人はいつでもアニーのことを見守ってる。だから、寂しくないよ」
「……………うん!会えないのは悲しいけど、でもパパとママが、いつでも一緒なら、わたしはもう泣かない!」

ごしごしと自身の目元を拭い、ふにゃりとした笑みを浮かべた少女を見て、アカリは眩しそうに目を細めた。

「おねえちゃんは、何でそんなことを知ってるの?どうしてわたしに会いに来てくれたの?パパとママのおともだち?」
「うーん………お友達というか…………敵というか…………………」
「え?」
「ううん、何でもない。そう、お父さんのお友達なんだよ」

そっかあ、と完全に信じ込んだ少女。本当のことなんて言えるわけがない。

ちら、と壁にかかっている時計に目をやり、ここへ来てからどれほどの時間が経ったのかを確認する。15分ほどというところか。
かなり強めにかけたけど、そろそろ意識を戻してしまうかもしれない。

少女の名前を呼びかけて、その大きな瞳を掌で覆う。おねえちゃん?と不思議そうに問いかけられるも、少女はされるがままだ。

「アニー、よく聞いて。これから先一人で生きていくには、この世界はとても冷たい。
でも、それでもね、きっとアニーを助けてくれる人がいる。愛してくれる人がいるから。
前を向いて、胸を張って、真っ直ぐに進むんだよ。絶対に後ろを振り返っちゃだめ。闇に、引き摺り込まれてしまうから」

トン、とホルダーから抜き出した杖先を少女の胸元に触れさせる。

呪文のように、祈りのようにそう囁きかければ、意味を全ては理解していないだろう少女は、こくりと頷いた。

「大丈夫。この世界は冷たいけど、でもちょっとだけ、ぬくもりは残ってるから。
君はまだ小さいから、よくわからないかもしれないけど。それでも、一生懸命毎日を生きていれば、きっとわたしの言葉がわかる日がくるよ」
「おねえちゃん……………」
「うん?」

不安になってしまったのか、少女の柔らかく、小さな手が杖を握るアカリの手首を掴む。

「おねえちゃんには、また会える?」
「…………………」
「おねえちゃん」
「…………君が、そう望むなら。次に会う時は、君が魔法使いになったその時だ」
「わたし、魔法使いになれるの?」
「なれるよ。だって、魔法使いの子供なんだから」

少女の体内からは、微弱ではあるが魔力の気配を感じることができた。この子はきっと、将来ホグワーツに通い、魔法使いになるだろう。
もう、この少女に会うことは決してない。だけど、時には優しい嘘も必要だ。

「アニー、息を吸って、吐いて。そう、ゆっくり」

アカリの言葉通りに、少女は息を深く吸い、吐く。深呼吸を繰り返し、やがて脈拍が穏やかになったその時。
アカリが何事かを呟けば、少女の胸元に触れていた杖先が、暖かな光を帯び始めた。

「おねえ、ちゃん………?」
「アニー。君が決して、闇に呑まれることがないように。光の道を、ずっと歩いていられるように。わたしは、そう祈ってるから」

杖を胸元から、少女の額へと移動させる。すると少女の額から、何かが杖へと吸収されていく。
少女の口調が、ゆっくりとした、とろけそうなものに変わる。瞳は覆ってしまったからわからないけど、きっと瞼を閉じているのだろう。

「アニー、今は眠ろう。大丈夫、いつでもお父さんとお母さんがそばにいるから」
「うん……………」

瞳を覆っていた手を退かして小さな身体をソファの上に横たわらせてやり、その柔らかな細い髪を撫でる。
少女は素直に瞼をおろし、自身の髪に触れるアカリの手をきゅっと握った。

「おねえちゃん、ありがとう」

そう言って笑った少女の口からは、やがて穏やかな寝息が漏れ出す。
アカリはただ、その様子を眺めていた。

「ありがとう、か」

そんな言葉をもらう資格は、本来ないんだけど。まあでも、ありがたくもらっておこう。

自身の手首を緩く掴む少女の手を外し、再度その髪を撫でる。毛先がくるくるとカールした巻き毛は、どうやら父親に似たらしい。
そして身を屈めると、額の髪をそっと退かし、露わになった額へと唇を落とした。

「………君に、たくさんの幸福が訪れますように」

祈りににも似たそれは、いつだったか、星の加護を受ける彼女のまじないを真似たものだ。
そっと顔を離し、薄い水色のブランケットをかけてやると、部屋の中を一瞥する。

少女の記憶は消した。男たちのは、面倒だしいいか。

時計を見やると、ああ時間がかなり経っている。そろそろお暇するとしよう。

眠る少女と倒れた男たちをそのままに、アカリは窓際へと寄る。
そして自分の痕跡を消すように杖を一振りし、窓から外へと飛び降りた。

杖を仕舞い、さっさと駅の方まで戻ってせっかくだから観光でもして帰ろうかと、家に背を向ける。
そして一歩、踏み出そうとした、その時。

「もし、そこのお嬢さん」

背後から、声がかけられた。

少し低いそれは、恐らくは老人のもの。
とても穏やかで、柔らかな、優しい声。

だというのに、その声を聞いた瞬間、アカリの身体に悪寒にも似た震えが走った。

敵意や殺意を受けられたわけでも、物理的に何かを仕掛けられたわけでもない。

言うならば、直感。アカリの勘が、今すぐにこの場から逃げ出せと、頭の中で警笛を鳴らしている。

振り返ってはいけない。すぐに姿くらましをして、逃げるべきだ。
そう頭ではわかっている。だけど、無言の圧力が、それを許してはくれなかった。

こくりと無意識に喉を鳴らし、ゆっくり後ろを振り向く。杖はいつでも出せるように、腰のホルダーへと手をかけたまま。

そうして、背後の気配へと、視線を向ける。
そこに立っていたのは、やはり一人の老人。
豊かな白い髭を蓄えて、この辺りのマグルとは考えられない、美しいエメラルドグリーンのローブを着た、お爺さん。

あ、と、思わず声が出た。

だって、そんな、この人は。

「こんにちは、お嬢さん」
「………こ、んにちは」

にこりと微笑みかけられて、ぎこちない笑みを浮かべながら挨拶をする。
その間も、頭の中では疑問が駆け巡っていた。

「今はお暇かな?もしよければ、この老骨とお茶でもいかがじゃろう」

穏やかで、人が安心するような笑み。それでも、薄い水色の瞳は笑っていない。
疑問形のはずなのに、それは有無を言わせない圧力を孕んでいた。声が出せず、諦めたようにこくりと頷けば、機嫌が良さそうに、その老人は瞳を細めた。

「改めまして、儂はアルバス・ダンブルドア。ホグワーツ、と言う魔法学校の校長をやっておる」

ああ、やっぱり。

予想はしていたけど、当たって欲しくなくて、考えないようにしていたのに。

目の前にいるこの老人こそが、アルバス・ダンブルドア。聖人君子の如く慈愛に満ちた振る舞いでハリー・ポッターを導き、そして、ヴォルデモート卿に恐れられたただ一人の魔法使い。

「…………ナンパ、ですか?校長先生ともあろうお方が」
「おお、そうなんじゃ。この辺りを散歩していたらの、美しい女性が一人で立っておられたから、つい話しかけてしもうた」

精一杯の皮肉を物ともせず、老人───ダンブルドアは朗らかに笑う。
だめだ、勝てない。調子を崩すくらいは、と思ったけど、それも無理だと悟る。

「それで、お茶はいかがかな?」
「…………喜んで、ご一緒させていただきます」

完全に諦めたアカリは、にこりと笑みを浮かべ、そう答える。

こうなってしまったからには仕方ない。問題は、どれだけダンブルドアに悟られないようにするか、だ。

では行こうかの、と背を向けたダンブルドアを追う。こんな無防備に背中を向けて、襲い掛かるとは思わないのか。………思わないのだろうな。現に、そんな無謀なことをしようとは思わない。

少しの反抗から、ダンブルドアの隣に並ぶ。ちらりと視線を投げかけられたような気がするけど、無視した。

***

「………どうぞ、ミルクティーです」
「おお、すまんの」

場所は変わって、ここへ着た時にカフェラテを買ったコーヒーショップなう、だ。
マグルのお店での買い方がわからないと言うから、ダンブルドアの分も注文してお金を払ってやる。そして席に座らせたダンブルドアの元への戻った、のはいいんだけど。

「………あの、そのローブはちょっと、目立つと言うか」
「そうじゃな。しかしこんな老いぼれのことなぞ、誰も気にはせんよ」

いやめっちゃ見られてますけど。

店内にいる客はみな、チラチラとこちらを伺うように視線を向けてくる。
それもそうだろう、なんて言ったって鮮やかなエメラルドグリーンのローブを着た、たっぷりの白髭を蓄えた老人だ。目立たないわけがない。わたしはちゃんとマグルの服装なのに。

なんと言ったものか、と考えあぐねていると。ダンブルドアが物陰で優雅に杖を一振りし、何やら魔法をかける。するとその途端に客はこちらに見向きもせず、それぞれの話に夢中になり始めた。

「これで良いじゃろう」

にこにこと笑うダンブルドアに、アカリははあ、としか言えなかった。
いくつか魔法を重ねたのは感じ取れるが、一体何の魔法をかけたのかはわからない。
けど、防音呪文は絶対にかけているだろうと考え、内緒話をするようなひそひそという音量から、普通の話し声に戻す。

「……………それで、あの、何かわたしにご用が?」
「ん?おお、そうじゃったそうじゃった」

忘れておったよ、という言葉は真実なのだろうか。………………だめだ、わからない。

ヴォルデモート卿は全てを拒否するような、何もかもを跳ね除ける雰囲気を纏い、踏み入ることがとても難しい。
しかし、目の前のダンブルドアという人間は、自然体であるが故に、奥へと踏み込む隙がない。

全くどっちもどっちじゃないかと悪態を吐き、手の中のティーラテに口を付ける。
さっきはコーヒーだったからと紅茶を頼んだが、普通に美味しい。ふわふわのフォームミルクと、芳ばしいベルガモットの香りが堪らない。

「お嬢さん、お名前はなんというのかね?」
「…………アニーです」

咄嗟に本名を言うわけにもいないという自衛本能のままに、思いついた名前を口にする。
アニーごめん、と未だ眠っているだろう少女に謝罪する。

「アニー、とな。失礼じゃが、生まれはどちらかな?チャイニーズかね?」
「いいえ、日本人です」
「おおそうか、それは失礼した。何しろ我が校にチャイニーズは何人かおるが、ジャパニーズはおらぬのでな」

そうですか、と適当に相槌を打てば、ダンブルドアは何やら満足そうだ。

「年はいくつかな?見た所、10代半ば辺りと見受けるが」
「17です」
「なんと!そうかそうか、14、15ほどかと思っておった。ジャパニーズが若々しく見えるというのは本当じゃったな」

14って…………、え、ほんとに?

欧州の人と比べると、日本人が幼く見えるというのは知っていたが、正直そこまでとは。
ええ、と内心ショックを受けていると、ダンブルドアは謝罪を口にした。大丈夫ですと首を振れば、優しいのうと微笑む。

「アニーは魔法使いなのじゃろう?学校はどこに通っておったのかな?」
「通ってません、独学です」
「そうかそうか、偉いのう」
「いえ、別に」
「それでは今は何を?」
「……………家の、手伝いを」

その質問に、ほんの少し間を空けて、そう答える。ああだめだ、もっと自然に答えないと。それでも、やはり考える時間は必要で。
ふむ、と頷いたダンブルドアに、疑われませんように祈ることしかできなかった。

「ところで、今世間を騒がせている闇の帝王について、君はどう思っているかな?」
「え、…………名前を言ってはいけないあの人、ですか?」

唐突に話題が変わり、アカリは思わず肩が揺れるのを必死に抑え込めた。
そして平常心平常心、と心の中で唱えつつ、そう尋ねる。

「とても、残酷な人だと思いますけど」
「そうじゃな。彼は人を虐殺し、マグルを根絶やしにしようとしておる。そして、その闇の帝王には、側近がいることを知っておるかね」
「…………いえ、知りません」

冷や汗が、背筋を伝う。

なんだ、何が言いたい。こんな回りくどい言い方で、一体何を聞き出したいというんだ。

「闇の帝王には、『蛇姫』と呼ばれる側近がおるのじゃよ。彼女は帝王の命を遂行し、死喰い人を従え、巧みに魔法を操る」
「…………それだけ聞くと、姫というより女王様っぽいですけどね」
「確かにそうじゃのう」

声をあげて朗らかに笑うダンブルドアとは対照的に、アカリの顔は仄かに青ざめていた。それに気づいているのかわざと無視しているのか、ダンブルドアはさらに話し続ける。

「儂はのう、彼女は、ただ闇に囚われているだけではないかと思っておるのじゃ。闇の帝王に囚われ、その言葉だけを信じ行動する、お人形のようじゃと」
「……………何が、言いたいんですか」

低い声で、アカリがそう呟く。そろそろ我慢ができなかった。何が言いたいんだ、この老人は。煌めく水色の瞳が、スッと細められる。怖い。怖い。怖い。

「老いぼれは話が長くなっていかんのう。回りくどいのはやめて、簡潔に言うとしよう」
「……………………」

紙コップを持つ手が、震える。緊迫感と恐怖に押し潰されそうになるのを必死に耐える。
目を逸らさず、正面から見据えること。
それだけでもと、精一杯努力すればダンブルドアは柔らかな笑顔を見せた。

「アニー、君が、『蛇姫』なのじゃろう?」

まるで、首筋に氷のナイフを突き立てられたようだ、とアカリは思った。
背筋に冷たい何かが流れ、唇が震える。

何かを答えなくては、でもなんて?違いますと言っても、この人は絶対に信じないだろう。だって、ダンブルドアともあろう人が、確信を持たずにこんな問いを投げかけたりはしない。ということは、絶対的な証拠が、あるということで。

「実はな、ここにこんなものを用意しておるのじゃ」

どうしよう、とアカリが思考を総動員させていると、ふいにダンブルドアは懐へと手を差し入れた。
なんだ、真実薬か何かかと身構えるアカリの前に差し出されたのは、一枚の羊皮紙。
その羊皮紙の一番上、太字で書かれた文に目を通して、アカリは驚きのあまり瞳を見開いた。

「これは、ホグワーツ魔法魔術学校の転入許可証。これを君に差し上げようと思っておるのじゃが、どうかね?」
「……………………は、」

固まった思考が、再度動き出す。
それはどこからどう見ても、転入許可証、という文だ。エメラルドグリーンのインクに彩られ、美しい飾り文字のそれは、説明文や規約、そして一番下に、名前を記入する欄があった。

「今すぐに返事を出せ、とは言わんよ。じっくり考えて欲しい」
「な、なんで、」
「もしも転入を決めてくれたのであれば、こちらの記入通りの道具とサインを書き入れたその許可証を持ち、9月1日にキングクロス駅9と3/4番ホームから出発するホグワーツ特急に乗って欲しい」

アカリの疑問には答えず、ダンブルドアはもう一枚封筒を取り出すと、転入許可証の横に置いた。

「そうじゃのう、君は5年生に転入させるとしよう。独学で学んだというのなら、5年生からでも何ら支障はあるまいて」
「ま、待ってください!」

思わずそうアカリが叫ぶと、何故か店内の客が一斉にこちらを振り返る。

何故だ。魔法がかけられているはずなのに、どうして。

「アニー、これは老人の世迷言だと思って聞いて欲しいのじゃが」

投げかけられた柔らかい言葉にアカリはハッと意識を戻し、ダンブルドアの目を見る。

「君は成人してはいるが、まだ子供じゃ。手を汚さずとも、君の居場所は他にある。それを知って欲しいのじゃよ」

その言葉に、アカリは頭がカッとなるのを感じた。衝動のままに呪いをかけてやろうとする右手をすんでのところで抑え込み、顔を俯かせると一度深く息を吐く。

「……………わたし、は、」
「よい、言葉にせずともわかる」

…………嘘吐き、何もわかっていないくせに。

「儂はのう、アニー。君がどうか、普通の少女として生きられるようにと、祈っておるのじゃよ」

顔を俯かせ黙り込むアカリに向けて、ダンブルドアは優しく瞳を細める。アカリが今、どんな表情を浮かべているのかを知らずに。

「儂はここでお暇するとしよう。9月1日、ホグワーツで待っとるよ」
「え、ちょっ………!」

完全に別れの言葉となっているその声に慌てて顔を上げても、そこにはもうダンブルドアはいなかった。

残っているのは、テーブルの上に置かれた転入許可証と、一枚の封筒、そしてガリオン金貨が数枚。

アカリは暫し呆然として、やがて大きな溜息を吐きながらテーブルに突っ伏した。

***

「────卿!」

バンッと凄い音を立てて重厚な扉を開ける。
ダンブルドアと別れて、時間かけながら色々と考えた。そしてその結果を伝えるべく、屋敷に戻り、ヴォルデモート卿の部屋に突撃したところだ。

「なんだ、騒々しい。出掛けたのではなかったのか?」
「卿、お話があります」

普段通りにお仕事をしていたらしい彼はデスクに向かっていて、突然やってきたアカリへと顔を上げる。
そしていつにも増して真剣な表情でそう言いだしたアカリの顔を眺め、只事ではないと判断したヴォルデモート卿は手にしていた書類を置き、正面からアカリを見据える。

「何があった」
「……………実は」

そこで言葉を止め、グッと押し黙る。
何と言えばいいのだろう。何と言えば、彼は怒らないだろうか。ちらりと真正面の顔を伺ってみれば、訝しげにこちらを見ている。

「なんだ」
「────ダンブルドアに、会いました」

どうせなら短く簡潔に、と思ってそう言えば、彼は一瞬驚愕したように、緋色の瞳を見開いた。そして瞬時に高級そうな椅子から勢いよく立ち上がると、アカリへと歩み寄り、ガッと両頬を鷲掴んだ。

「ダンブルドアに会っただと!?何をされた!!!」
「んぶっ」
「言え、呪いか!?魔力でも封じられたか!?」
「お、落ち着いて、」

何やら鬼のような形相で迫るヴォルデモート卿に驚きつつも宥めようと語りかける。
しかし彼は気が動転しているのか、両頬を鷲掴んだまま何やらぶつぶつと怪しげな呪文を呟き始めた。

「っ、卿!」

何か変なことでもされたらやばい、と判断したアカリは、とりあえず意識をこっちに向けなくてはと、思わずヴォルデモート卿の両頬を彼がしているように鷲掴む。

「………………」
「………………」

パシン、という音が響き、2人はお互いの頬を掴んだまま見つめ合った。
黙り込んだことで、2人の間に痛いほどの静寂が訪れる。

「…………落ち着きました?」
「…………ああ」

するりとアカリの頬から手を離し、ヴォルデモート卿はソファへと腰を下ろす。
次いでその隣に座ると、アカリは彼にホグワーツの転入許可証を差し出した。

「これを貰いました」
「……………転入許可証、だと?」

転入許可証を受け取ったヴォルデモート卿は訝しげにそれを見やり、取り出した杖先でなぞる。そしてまたもや何かを呟き始めた。

恐らくは、呪いや魔法がかけられていないかチェックをしているのだろう。わたしも自分で徹底的に検査したけど、やはり彼にやってもらった方が確実だ。

ヴォルデモート卿が転入許可証と格闘している間、アカリはコツコツと指先でテーブルを叩き、ティーセットの用意を頼む。
瞬時に現れた2人分のセットに手を伸ばし、手慣れた様子で準備を進めた。
ティーカップを温めたお湯を捨て、茶葉を時間ぴったりに蒸らすと、カップへと注ぎ入れる。

「………………何も、ないな」

そうして2人分の紅茶の準備が終わったのと同時に、ヴォルデモート卿がそう呟き、転入許可証をアカリへと放る。
ひらりと宙を舞う転入許可証を慌ててキャッチすれば、彼はアカリが淹れた紅茶に口を付けるところだった。

「それで?ダンブルドアはなんと?」
「それが………いやなんか、普通にホグワーツへ転入しないかって」

全部を話すのはちょっとな、と判断し、アカリはところどころを掻い摘んで説明した。
アニーの家に行ったことは言わずに、ただ買い物をしていたらダンブルドアに話しかけられて、半ば強制的にお茶をする羽目になった、と。

「……………ふむ」

顎に手をやり、考え込み始めたヴォルデモート卿を横目に、アカリは自身のティーカップに口を付ける。
そして息を吐くと、アカリは身体ごとヴォルデモートへ向き直った。

「卿。わたし、ホグワーツに転入しようと思います」

ス、と細められた瞳が、急激に温度を下げる。決して逸らさずその絶対零度の瞳を見つめながら、ゆっくりと口を開き、言葉を続けた。

「ダンブルドアは、『蛇姫』は闇の帝王に洗脳されたお人形だと言っていました。それは100%の本心からではなく、こちらを試す意味も兼ねてはいるでしょうけど、それでもダンブルドアはそう言っていたんです。ということは、少なくとも『蛇姫』を断罪しようとは思っていない」

そこまで言って区切れば、ヴォルデモート卿は視線だけで続けるように促した。それをしっかりと受け取り、言葉を続ける。

「昨日、死喰い人に紛れたスパイの話はしましたよね。そこで考えたんですけど、こちらもスパイを送り込むべきじゃないですか?これはダンブルドアの懐に潜り込む、これまでにないチャンスだとは、思いませんか」

ヴォルデモート卿の瞳は、冷たいままだ。それでも負けじと見返して、じっと黙る。どれほどの時間が経ったのだろう。痛いほどの沈黙が満ちた時、ふとその瞳が緩まった。

「────罠かもしれない。いや、むしろ罠であると考えた方が早いだろう。確かにあの爺は聖人君子然としているが、やる事はやる。捕らえられ、拷問を受けることもあるかもしれない。それでも行くと言うか」
「…………もちろん。言ったじゃないですか、わたしはわたしのために、そして貴方のために罪を犯すんだって。拷問なんて、今更そんなの怖くないですよ」

ニヤリと不敵に笑って見せれば、ヴォルデモート卿は呆れたように瞳を伏せた。
勝った、と思ったのも束の間、目線を上げ再度アカリの瞳を見つめたヴォルデモート卿に呼びかけられる。

「ならば、私が言う事は何もない。精々死なぬよう気をつけておけ」
「わかりました、頑張ります!」

………これで、晴れてホグワーツ行きの許可が下りた。

正直に言おう。

スパイが云々、ダンブルドアが云々と言ったが、わたしは『ホグワーツに通いたい』と言う気持ちが最も強かった。
だって、作中で一番重要な場所と言えば、ホグワーツだ。そこに通うことができるなんて、まるで夢のよう。もちろん仕事はちゃんとこなす。だけど、少しくらいは楽しんでもいいだろう。

上機嫌で転入許可証とはまた別の封筒を手に取り、中身を出す。
そこには、新学期に必要になる諸々の道具の説明書きが載っていた。

「教科書に、制服、鍋やら秤に、杖は持ってるし、まあダイアゴン横丁に行けばいいんですよね。そうと決まれば、さっそく明日買いに行ってきます」
「……………………私も行こう」

うきうきとリストに目を通していれば、何だが都合のいい幻聴が聞こえてきた。
幻聴だということはわかっていても、思わず顔を上げて聞き返してしまう。するとムッとした表情を浮かべたヴォルデモート卿がこちらを見ていた。

「何だ、私が行っては何か都合が悪いのか?」
「え、本気ですか?夏休み中のダイアゴン横丁ですよ?人いっぱいいますよ?」
「別に構わん」

ふん、と鼻を鳴らしてティーカップを呷るヴォルデモート卿の顔をまじまじと見つめる。

何だ、どうしたと言うのだ。人混みが嫌いなこの人が、わざわざ暑い中大賑わいのダイアゴン横丁までついてきてくれる?

思わず訝しげな目線を向けてしまうと、ヴォルデモート卿は空のティーカップをずいと差し出してくる。
ティーポットからカップへと琥珀色の液体を注いでやれば、また一口それを啜った。

…………どんな考えがあってそんなことを言い出したのかは知らないけど、まあいい。

「それってデートですか?」
「ハ、健気なことを言ったと思えば相変わらずおめでたい頭をしているな」
「ひどい」

誰が何と言おうと、デートだということにしておこう。そういえば、去年の今頃にもヴォルデモート卿とダイアゴン横丁に行った記憶がある。
毒吐くヴォルデモート卿にムッとしたその時、ちらりと視界の端に時計が映る。この部屋へと来てから随分と時間が経ってしまった。これ以上ここにいては仕事の邪魔になるだろうと考え、口を開く。

「そろそろわたしは部屋に戻ります。何かわたしにできる仕事はありますか?」
「特には無いな」
「そうですか、それじゃあ卿はお仕事頑張ってくださいね」

にっこりと笑ってほんの少しの皮肉を混ぜてやれば、その途端に緋色の瞳を細めて鋭く睨まれた。
怖い怖いと思いつつ、ティーセットはそのままに部屋を出る。

廊下に出て、まず目に入ったカーテンが開いたままの、窓の向こうを見やる。
外は既に陽が落ちかけていて、空は一面が夕焼け、黄金色だ。

そう言えば、あの女の子の髪の色に似ているなと、もう名前も忘れた少女の姿を思い、アカリは自室へと踵を翻した。

***

「……………暑いですね」
「夏だからな」

そして翌日。屋敷から姿くらましをして、辿り着いたのはノクターン横丁。ヴォルデモート卿の用事をささっと済ませてから、ダイアゴン横丁へと向かう。

じわじわと皮膚を刺激する日光がとても暑い。
魔法で熱を遮断し、涼しくさせることもできるけど、太陽の下を歩くなんて普段では何か用事がないとできないことだ。せっかくだから数ヶ月分の日光を浴びておこうと考えて、暑さを我慢している。

隣をちらりと見れば、この炎天下の中、流石にローブこそ着ていないが何とも暑苦しい黒で全身を覆うヴォルデモート卿は涼しげな顔をして歩いていた。
魔法を使っているとはいえとても暑苦しい。正直、屋敷で一目見た時に着替えさせようかと思った。

彼から目線を外し、ポケットから羊皮紙を一枚取り出す。そこに書いてあるリストは、何度も読み返したせいで既に覚えてしまった。その時、どこからかざわざわと、人の喧騒が耳に入ってきた。
顔を上げれば、今歩いている路地の先に、何人もの人が行き交っているのがが見える。

「わあ、すごい人混み」

思わずそう呟いて、路地を出る。やはり人が多い。大丈夫かなと、隣を伺うようにして見上げると、彼はいかにも不機嫌ですというように眉間にバッチリ皺を寄せていた。

「あの、卿?大丈夫ですか?」
「構うな、喋るのも億劫だ」

それなら来なければよかったのに、とは言わない。なんだかんだ二人で出かけられて嬉しいし。

むっつりと黙り込んだヴォルデモート卿はそのままに、意を決して、人の波へと踏み入れる。
はぐれないように、とヴォルデモート卿の裾をしっかりと掴み、彼の耳に届くよう声を大きめにして話しかけた。

「最初は制服からでいいですか?」

返答はなく、ただ頷くだけ。喋るのも億劫、というのは本当らしい。
ヴォルデモート卿が前を歩き、その後ろに続く。彼は長身だから、人混みをすいすいと掻き分けて進んでいく。すれ違う人が皆、ヴォルデモート卿の整った顔に目を奪われたように振り返り、ひそひそと囁き合っているのが見えた。

ヴォルデモート卿曰く、「堂々としていればわからないものだ。そもそも私の顔を見たことがある者は皆既に死んでいる」とのことだが、やはり少し心配になる。
あと正直面白くない、というのも本音だ。

見たくなる気持ちもわかるけど!確かにかっこいいけど!この人世間を騒がせてるヴォルデモート卿だから!!!

そんなことをぶつぶつと心の中でぼやいていれば、あっという間にお店まで到着した。
マダムマルキンの洋装店、という看板がかけられている扉を潜る。カラン、と来客を知らせるベルが鳴れば、店内にいた一人の魔女がこちらを振り返った。

「いらっしゃい、お嬢さんはホグワーツかしら?」
「そうです、転入することになったので制服を一式お願いしたいのですが」
「まあ、転入?そんなお客さん初めてだわ。大丈夫、ここで全部揃いますからね」

頑なに喋ろうとしないヴォルデモート卿に代わり、全身ターコイズ色のマダム・マルキンに返答する。
マダムはアカリへと話しかけながらもチラチラとヴォルデモート卿の方を何度も盗み見ていた。当然本人もその視線に気づいているだろうに、彼は完全に無視しそっぽを向いている。

「それじゃあお嬢さんは奥へ。お連れ様は、ソファにお座りになって下さいまし」
「…………ああ、そうするとしよう」

ヴォルデモート卿が声に出したのはそんな一言だけだったが、マダムは頬を紅色に染め、うっとりとした目で彼を見る。
人誑しにもほどがあるだろうと思いつつ、マダムに連れられ奥へと向かい並べられていた踏段の上に乗る。

テキパキと頭から長いローブを着せられ、ピンで留められながらぼんやりと店内を眺めた。
するとどこからか大小様々な巻尺が飛んで来て、アカリの身長や胴回り、胸囲、足のサイズなどを測っていく。オリバンダーの店のようだとは思ったが、あの時とは違い巻尺達は迅速に必要な場所だけを測り、用が済むとまたどこかへとすっ飛んでいった。

それから何分か経ち仮縫いの時点までローブを仕上げてもらい、その他に制服のシャツ、スカートの夏用冬用を何点か、そして革靴と無地の黒いネクタイ等を揃えてもらうと、8月の上旬にマルフォイ邸まで届けてもらうようお願いした。
屋敷まで荷物を届けさせるわけにはいかないし、ルシウスかアブラクサスさんには後で言って取っておいてもらおう。
アカリはマダムに巾着袋から代金を払い、出口の方へと歩み寄る。

「卿、お待たせしました」

ソファに座り、どこから取り出したのかは不明の分厚い本を読んでいたヴォルデモート卿に話しかける。彼はパタンと本を閉じ、手を離した瞬間にそれを消すと、さっさと店の外へ出てしまう。マダムにお礼を口にしてから慌てて彼を追うようにして外へ出れば、ヴォルデモート卿は既に遠くの方まで歩いて行ってしまっていた。

「ちょ、卿!速いですって!」
「往来で卿などと口にするな」
「う、………ごめんなさい」

小走りに走り寄り、抗議の声をあげれば、そう鋭い指摘を受ける。確かにそうだと思ったアカリは素直に謝罪をして、次に行くところを考え始める。

「ここからだと、書店が近いですかね」
「ならば鍋と秤は私が行こう。お前は教科書を選んでいろ」
「え、いいんですか?」
「より効率を良くするべきだ、さっさと買ってさっさと帰るぞ」

不機嫌そうなヴォルデモート卿はそうとだけ言って、あっという間に人混みの向こうへと消えて行った。
リストはわたしが持っているのに買う物がわかるのだろうかと一瞬思ったが、あの人のことだから一瞬目を通しただけで覚えてしまったのだろう。

気を取り直して、書店へと足先を向ける。
雑多な人混みは歩くのだけでも億劫だ。周りは主婦らしい魔女と学生と思われる子供が多いものの、皆一様に背が高い。
今ちょうどすれ違った幼い顔立ちの子が、明らかにわたしよりも背が高くて少しヘコむ。人種の違いなのだから仕方ないとは思うけど、割り切れないのが本音だ。

人の波をかき分けて、お目当のフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店へと漸く辿り着いた。
額に張り付いた前髪を払い、ハンカチで汗を拭く。やっと一息つけたが、書店の中もすごい人だ。

この人混みの中で目的の本を探し当てるのは難しいだろう。さてどうしたものかと賑わう店内を眺めていると、一人の店員と目が合った。
彼は服をヨレヨレにさせ、げっそりとした顔をしている。なるほど、この人の量に滅入っているのは店側も同じか。

「こんにちは、ホグワーツですか?」
「そうです。教科書を買いに来たんですけど、お願いできますか?」
「ええ、大丈夫ですよ。何年生ですか?」
「5年生です、お願いします」

一つ頷き、店員は人混みの中へと戻って行った。あの様子だと、帰ってくるまでに相当時間がかかりそうだ。

そう判断したアカリは中央部に比べて人の少ない二階へと移動する。
どうやらここには学術書などの専門的な書物が多く置かれているらしい。ずらりと壁一面に並んだ本棚から一冊取り出し、ペラペラと流し読みしてみる。これは毒を持つ植物や動物に関するもののようだ。怪しい色合いのキノコや、一見可愛らしい猫のような動物などが持つ毒の特徴や、その毒を使った魔法薬の作り方まで載っている。

最後まで流し読みをして棚に戻し、また新しいものを手に取る。
そんな調子でいつの間にか身についていた速読スキルを駆使し、何冊もの書物を手に取り続ける。どんどん壁を伝って移動し、気がついたら随分と奥まで来てしまっていた。

手に取った書物を戻そうとしたその時、突然ドン、という鈍い衝撃音が聞こえ、驚いて書物を取り落す。慌てて床に持ちてしまった書物を拾い上げ、今のはなんだと耳を澄ましてみると、どうやら音の発生源はここよりも更に奥の方らしい。

そろりと奥へと近づいていくと、微かに何人かの話し声、そして啜り泣くような声が聞こえて来た。本棚からほんの少しだけ顔を出し、奥を覗き込む。

そこには、床に蹲る少年を取り囲むようにして4人の青年が立っていた。
彼らは何やら下品な笑い声をあげながら、しきりに蹲っている少年を足蹴にしたり、杖をちらつかせている。それに応じて、少年は身体をびくびくと震わせ啜り泣いていた。

「おい、金出せっつってんだろ?」
「も、もうないよお…………っ」
「嘘吐いてんじゃねえ!」
「ガリオン金貨2枚でか?もっとマシな嘘吐けよ」
「本当だよ、もう持ってない…………!」

一人の青年の手には、金貨が2枚。彼等が声を荒げ少年の脇腹を蹴り上げると、少年はひっくひっくとしゃくりあげる。

アカリはそんな様子を物陰から伺い、さてどうするべきかと頭を悩ませる。正義感溢れる人物ならばここで乱入し止めるべきなのだろう。
しかし、生憎わたしはそんな善い人間ではない。正直面倒だし見捨てるという選択肢が一番だと思う。

だけど。頭の中で、そうすべきでない、ともう一人の自分が囁いた。あの少年を助けろと、そう囁く。
何故だかはわからない。でも、どうしてだかその声に従うべきだと、当たり前のように受け入れている自分がいる。

「アクシオ、財布」
「あっ!」
「んだよ持ってんじゃねえか!」
「やめてよ、それ新学期に必要なものを買うためのお金なのに…………!」
「ああ?お前みたいな出来損ないは新学期の準備なんかしてもしなくても同じだろうが」
「つか学校なんか行かなくていいんじゃね?意味ねえだろ」
「ハ、確かに」

杖を片手にゲラゲラと笑いながら、ボロボロの巾着袋をひっくり返す。中から数枚の金貨を取り出し、青年は巾着袋を床へ捨てた。
少年は精一杯の抵抗を試みるも、彼よりも背の高い男数人に敵うはずもなく、敢え無く床へ倒れ臥す。

「お前最近調子乗ってるよなあ、ちょっと人気者と仲がいいからって自分まで人気者気取りか?」
「勘違いも大概にしろよ」
「あいつらもよくやるぜ、こんな奴とお友達なんて吐き気がする」
「…………っ」

その言葉にぴくりと反応した少年は、青年を力強く睨みつける。
その視線が気に入らなかったのか、青年は杖を構えると、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら周りの仲間に問いかけた。

「なあ、俺許されざる呪文ってやつ、使ってみたかったんだよなあ」
「は?正気かよ、バレたらやべえぞ」
「バレねえって。店員は下で大忙し、こんな奥まで来る物好きは俺らに口出しできる度胸もねえだろ」
「確かに………」
「まあ、バレることはねえか…………」
「そんじゃやるぜ」

得意げな表情を浮かべた青年は深く息を吐く。そして杖を振り上げ、呪文を口にしようとした。

しかしその瞬間アカリは素早く指先で宙に円を描き、そこへふう、と息を吹きかける。すると吹きかけた円から色とりどりの小鳥が飛び立ち、青年達へと真っ直ぐに向かった。

「ぎゃあ!?」
「くそっ、なんだこれ………!」
「鳥!?一体どこから、いってえ!」

何羽もの小鳥に全身を鋭い嘴で突かれ、青年達は悲鳴をあげる。手で振り払おうとしても小鳥は纏わり付いて離れない。鋭い痛みに耐え切れず、やがて青年達は助けを求めるように逃げ去っていった。

「…………大丈夫?」
「あ………………」

そっと本棚の陰から出て行くと、未だ座り込んだままの少年はぽかん、と口を開けたまま唖然とした表情を浮かべていた。

「今のは、きみが………?」
「うん、そうだよ。ごめんね、もう少し早く入れたらよかったんだけど」

ちょっと怖くて、と僅かに顔を伏せる。そしてハッと息を呑むと、アカリは少年の傍らに膝をついた。もちろん全て演技だ。

「怪我してる」
「え、あ………………」
「これ、使って?」

ポケットから真っ白なハンカチを取り出し、少年の顔に当てる。彼の顔はあちこちが青くなったり赤く腫れたりしていて、見ていてとても痛々しい。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いてやると、アカリは次いでバッグの中から小瓶を一つ取り出した。

「これ、打撲によく効く軟膏だから。塗ったらすぐによくなる」
「あ、ありがとう」

蓋を取って少年の手に握らせる。こういうものは他人が塗るのではなく自分で塗った方がいい。少年は恐る恐る指を入れ、深緑の軟膏を少し取ると、おもむろに顔へ塗り始めた。深緑のずっしりとした軟膏は塗るとすぐに肌に染み込んで消える。

この軟膏は、昔戦闘で無茶をして顔に大痣を拵えた時にヴォルデモート卿に作ってもらったものだ。どうやら自作のオリジナルレシピらしい。なかなかの刺激臭ではあるが、薬を塗るとすぐさま溶けるように肌に染み込み短時間で痣が消える優れものだ。

軟膏を塗る少年を横目に、あたりに散らばった少年のであろう持ち物や、本棚から落ちてしまった本を拾う。
少年も手伝おうと慌てて立ち上がったが、アカリは薬を塗るのが先だと座らせた。

「あの、これ。ありがとう」
「それ、あげるよ。たぶんすぐに効いて痣とかは無くなると思うけど、万が一残ってたらまた塗って」
「い、いいの?でもこれ、すごく高そうだし…………」
「大丈夫大丈夫、家で作ったやつだから」
「ええっ!?」

笑いながらひらひらと手を振って見せれば、少年は大袈裟ではと思うほどに驚いた。

「自分でこんな薬、作れるの?」
「え?あー、うん。多少はね」
「すごい…………」

まあいいかと笑顔で嘘を吐いた。それが嘘だとは露知らず、ほう、と感嘆のため息を吐き、少年は手の中のガラスの小瓶を眺める。そしてハッと何かに気づいたように顔をあげると、アカリへと視線を移した。

「さっきの鳥も、魔法だよね?もうあんな魔法も使えるの?」
「そうだね、魔法を使うのは得意だから」

へええ、と頷いた少年の瞳は、どこかキラキラと輝いていた。なんだろう、と内心首を傾げていると、背後からこつこつと靴音が近づいてきた。

まだ床に散らばった本は全ては片付けられていない。今のままでは何かがあったことは一目瞭然だ。これはまずいと考え、アカリは杖を軽く一振りする。

すると本達は意志を持ったかのようにひとりでに動き始め、自ら本棚に収まって行く。その間僅か3秒、靴音がすぐそこで止まる瞬間、最後の一冊が本棚に収まった。

「ああいたいた、探しましたよ」
「あ、ごめんなさい」

そこに立っていたのは複数の書物を腕に抱えた店員。先ほど見た時よりもシャツがよれている。

「はい、これ5年生の教科書ね」
「ありがとうございます」

ベルベットの巾着袋の中から金貨を数枚取り出し、店員に渡す。教科書を受け取ると結構重い。これを持たせたままあちこち探させていたのかと思うと申し訳なさが募る。
それじゃあと、金貨を受け取った店員は今来た道を戻っていった。

「……………ねえ、きみホグワーツの5年生なの?」

あ、この子いるの忘れていた。
検知不能拡大呪文など様々な魔法をかけているバッグの中に教科書を全て仕舞い込みながら、アカリはううんと言い訳を考えていた。そして正直に言っても支障はないだろうという結論に至り、アカリは少年へと振り返る。

「うん、そうだよ。実は今年転入するの」
「ええっ、転入!?ぼくそんなの初めて聞いたよ!」

あはは、と少し照れ臭そうに言えば、少年はとても驚いてくれた。
実はぼくも5年生なんだと言う少年は、小柄ではあるが確かに同じ年ぐらいに見える。

「そうなの?じゃあ新学期からは仲良くしてくれると嬉しいな」
「もちろん!あ、でも…………」

笑顔で頷いたと思えば、少年は語尾を萎ませて顔を伏せる。

「ぼく、こんなだし頭悪いし運動神経もないし、一緒にいてもつまらないかも…………」
「そんなことない」

ぽつぽつとそう呟いた彼の言葉に、アカリは即座に否定する。
え、と驚いたように顔を上げた少年の目を真っ直ぐに見て、アカリはもう一度そんなことないと口にした。

「わたしは少なくとも、今話してて楽しかったよ」

だからそんなこと言わないでと言えば、少年は唖然とした表情を浮かべ、一転して瞳に涙を浮かべ始めた。

「えっ、どうしたの?大丈夫!?」
「う、ううん………っ!その、嬉しくて、」

ごめんねと言いながら少年は小さな瞳を擦る。見兼ねてアカリはポケットから先ほどのハンカチを取り出すと少年へ差し出した。ありがとうと一言断ってから少年はハンカチを受け取る。

「…………あ、ごめんなさい、わたしもう行かないと」

ハッと我に返って、気づく。本屋に入ってからどれほどの時間が経っただろう。ヴォルデモート卿はもう買い物を終わらせていそうだ。

「あ、あの!きみ、名前は!?」
「え?」
「えっと、あ!ぼくはピーター!」

アカリが立ち上がると、焦ったように顔を赤くさせ、少年はそう問いかける。
そんな彼を見下ろして、アカリはふと笑顔を浮かべた。

「わたしはアカリ。アカリ・オトナシ。よろしくね、ピーター」
「うん、また新学期に、アカリ!」

手をひらりと振り、アカリは踵を返す。そして一階へと降りてみれば、外の柱に寄りかかって立つヴォルデモート卿を見つけ、すぐに駆け寄った。

「ごめんなさい、待ちました?」
「全くだ、教科書を買うぐらいで何故こんなにも時間がかかる?」
「あはは、店がすごい混んでて………」

一目見ればわかるほど機嫌が悪いヴォルデモート卿は苛々とした雰囲気を隠そうともせずに背中を向ける。置いていかれそうになったアカリは慌ててその背を追いかけ走り寄った。

「箒は別にいらないですよね。あ、梟!梟欲しいです!」
「梟なんぞ飼ってどうする」
「お手紙書いて送りますよ、もちろん」
「阿保か、ホグワーツから手紙を送っては屋敷の場所がバレるだろう」
「あ、確かに………。じゃあ猫かなあ」
「そんなものを飼ったところで戻った時にどうする気だ?」
「ちゃんとお世話しますよ!」
「どうだかな、昼まで寝て夜になれば外へ出るお前が猫に構う時間があるとは思えんが」

ハン、と鼻で笑われアカリは押し黙る。悔しいが、その通りだ。
でもペット欲しい。使い魔的なのが欲しい。猫や梟を肩に乗せて闊歩してみたい!!!

「諦めろ」
「うう…………」

スッパリとそう言われ、アカリは肩を落とす。まあわかってはいた。ペットを飼うなんてこの人が許してくれないだろう。そもそもこの人にはナギニがいるわけだし。

そう考えると、もう買うものはない。頭上を振り仰げば、いつの間にやら日が暮れて西の空はもう真っ赤に燃え盛るような色に染まっている。

もう帰るのか、寂しいなと思いながら歩いていると、道の中央で何やら人が集まっているのが見える。
何だろうと興味を惹かれると、その中心にいた青年と目が合った。

「お嬢さん、号外だよ!ほら持ってきな!」
「え、わ、ありがとうございます」

何かをアカリへ手渡すと、青年は号外号外と声を上げながら去っていった。手に残ったのは、どうやら日刊予言者新聞らしい。
歩きながら広げて見れば、見開きいっぱいにでかでかと一つの見出しが載っている。


────闇の帝王、マグルの村を襲う!
村人総勢20000人を惨殺。抵抗できない無力なマグルを標的とした卑劣な手口に魔法省は改善策を検討すると解答。大臣は記者団に対し────


「わあ、一昨日のことがもう載ってるんですね。魔法省ってこういうの口止めしたがってませんでしたっけ」
「人の口に戸は立てられない。一人の内緒話から噂は広がり、こうして記事になるというのが世の理だ」

それにしても、と記事をよく読んでみる。
ヴォルデモート卿のことが多くを占めているが、どうやら『蛇姫』についても書かれているようだ。闇の帝王を籠絡した魔性の女だとか、巧みに闇の魔法を操る悪の魔女だとか言いたい放題だ。

「すっかりわたしも有名人ですね」
「ここ最近は前線に出ずっぱりだったからな。聞いたぞ、どうやらお前を信奉する者まで出てきているらしいじゃないか」

ニヤ、と意地悪な笑みを浮かべたヴォルデモート卿とは反対にアカリは顔を顰める。

「…………正直気味悪いですよ、半年前はアンチがあんなに多かったのに」
「よかったな、駒は多いに限るだろう」
「まあ、それはそうなんですけど」

物騒な会話をしつつ、アカリは貰った新聞をぐしゃりと丸め、掌の上で燃やす。消し炭になったそれをぽいと捨てれば、ヴォルデモート卿の片腕が腰に回った。
何も言わず、アカリも彼の腰へと腕を回す。

胸元に埋めた鼻先が濃厚な薔薇の香りを感じたのと同時に、ぐるりと世界が暗転した。

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