××行き片道切符


────9月1日。

いつもよりも多めに朝食を取ったアカリは、最後に大粒の葡萄を一粒口に放ると手を合わせ、ごちそうさまでしたと頭を下げた。
綺麗に空になった皿を片付けるのは、しもべ妖精のサフィア。ちなみに普段食事を作ってくれるのも、この部屋の掃除をしてくれるのも洗濯をしてくれるのもサフィアだ。頭が上がらないとはこういうことなのだろう。

「サフィア、いつもありがとうね」
「…………どうか、なさったのですか?」
「ううん、ほら一年会えなくなるから。ちょっと寂しくなっちゃって」

微笑みを浮かべてそう言えば、サフィアの大きな耳が萎み、ぺたんと垂れる。しもべ妖精の喜怒哀楽はだいたいその大きな耳で判別できるのだ、例外はあるけども。

「この一年、毎日ありがとう。サフィアはわたしの自慢の妖精だよ」
「お嬢様…………」

感動したように、サフィアは大きな青い瞳に薄く涙の膜を張る。ギュッと瞼を閉じ、再度開くと、彼はふわりと柔らかな眼差しでアカリを見た。

「お嬢様にお会いできて、本当によかった。私は、しもべ妖精の中で一番の幸せ者です」

────あ、どうしよう。泣きそうだ。

じわりと目頭が熱くなるのを感じ、慌てて宙を仰ぐ。パタパタと手で目元を扇ぎながら、アカリはサフィアと笑い合った。

「ご支度はお済みですか?」
「うん、大丈夫」

そう言って、アカリは足元に置かれた大きな革張りのトランクを見る。
中身は何度も確認したし、忘れ物はないはずだ。もしあってもふくろう便で送ってもらおう。
時間はあるし、最終確認でもしておくべきかと思っていると、コンコンというノックの音が響いた。返事をする前に、扉が開き中へとヴォルデモート卿が入って来る。マナーは、と思うものの自分も全く同じことをしていることに気づいているため何も言わない。

「おはようございます、卿」
「ああ。今日は流石に起きれたのか」
「そりゃあもちろん」

ヴォルデモート卿は何故か定位置となっている向かい側には座らず、アカリの隣に腰を下ろす。内心不思議に思っていると、視界の隅でサフィアが深々と頭を下げているのが見えた。

「サフィア、本当にありがとう。身体には気をつけて!」
「お嬢様も、どうかお気をつけていってらっしゃいませ。このサフィア、お嬢様のお帰りをお待ちしております」

そう言って、サフィアは再び頭を下げると破裂音を残し姿をくらませた。

「随分と懐かれたものだな」
「ふふふ、なんたってサフィアはわたしの専属妖精さんですからね。有能妖精なんですよ!」
「見ていればわかる」

そのヴォルデモート卿の言葉に、珍しいものだとアカリはぱちりと瞬いた。いくら無関心だからとはいえ、屋敷しもべ妖精というのは人間よりも下等な生物だと考えている者が多い。この人も例外ではないだろう。それなのに、まさか妖精を褒めるようなことを言うなんて。

そう驚いていると、ヴォルデモート卿はすっと手を出して掌をこちらに向ける。何だろうと思い掌を見つめていると、彼はその長い指を催促するようにくいと曲げた。

「お前の指輪を寄越せ」
「指輪、って、これですか?」

胸元に下げた指輪に触れる。何故わざわざ渡さないといけないのかと疑問ではあったが、一先ず言う通りに大人しくチェーンごと指輪を手渡した。
毎日片時も外さずにいたから、無いと何だか違和感がある。どこかスースーするような気がして、つい先ほどまで指輪がぶら下がっていた胸元を擦った。

「でも、どうして指輪を外すんですか?」
「これにかけた魔法は所謂闇の魔術と呼ばれる類いのものだ。ホグワーツではすぐにバレる。置いて行け」

そう言って、ヴォルデモート卿はさっさと指輪を胸ポケットに仕舞い込んだ。
アカリが名残惜しげに指輪が仕舞われた胸ポケットを見つめていると、ヴォルデモート卿は呆れたようにため息を吐く。

「諦めろ、これを持って行かせるわけにはいかない。そんなにこれが恋しいか?」
「う………だって、それお守りみたいなものなんですもん」

しょぼん、と肩を落としたアカリを見て、ヴォルデモート卿は再度ため息を吐く。
そして、緩慢な動作で懐から何かを取り出した。

「手を」

そう言われて大人しく手を出すと、そこに何かを乗せられる。それは何の変哲もない、真っ黒な手帳。どこにでもありそうな、普通の手帳をしげしげと眺める。どこからどう見てもただの手帳だ。
これが何なのか、という疑問を目で訴えるようにしてヴォルデモート卿の瞳を見つめると、彼は懐からもう一つ、全く同じ手帳を取り出してみせた。

「この二つは対になっている。どちらかに何かを書き込めば、もう片方へとそれが伝わる魔法がかけてある。何かあればそれで連絡を取れ」
「なるほど…………」

そんな大層な魔法がかけられているとは思えないほど普通の手帳だ。革張りの表紙には何も書かれておらず、なんと裏表紙にはご丁寧にイニシャルが彫られている。流れるようなこの美しい文字は、もしかしてヴォルデモート卿がわざわざ彫ってくれたのだろうか。

「………ありがとうございます、ホグワーツではこれをお守りにしますね!」

ぎゅ、と大事そうに手帳を両手で握り締め、ヴォルデモート卿に笑いかける。そうするとヴォルデモート卿もつられたように、微かに口角を上げた。

それにしても、こんな大掛かりな魔法をわざわざ準備してくれるなんて、やはり心配をかけてしまっているのだろうか。
それもそうか、ここ数ヶ月は実際に前線で指揮を取っていたのはわたしだし、戦力の喪失にも繋がるわけだ。

それとは別に、ほんの少しでも寂しく思ってくれたのなら、わたしとしてはとても嬉しいんだけど。……………まあ望み薄だということは自分でよくわかっている。

「卿、わたしがいなくてもちゃんとご飯食べて適度に寝てくださいね?」
「…………わかっている」
「あ、嘘だ。今の嘘ですよね絶対。サフィアに監視させますよ!」

げ、とでも言いたげな顔をしたヴォルデモート卿が可笑しくて、アカリは笑った。
サフィアには、一日最低一食は食べさせて、徹夜は連続でさせないよう監視させよう。それが一番いい。

一年間この人の隣にはいられないんだと、自分で決めたことなのに何だか寂しくなってしまって、思わずヴォルデモート卿の裾をきゅっと握る。滑らかな手触りの黒いローブ。これも、しばらく見ることがないんだ。顔を俯かせ、アカリはぐっと唇を噛んだ。

「………………卿、わたしがいなくて寂しいって、ちょっとくらいは思ってくださいね」

何故だかぽろりと、言うはずのなかったことを零してしまった。
慌てて、なんちゃって、と誤魔化そうと顔を上げる。しかしアカリがヴォルデモート卿の顔を見るよりも早く、頭に手が置かれた。
そのまま乱雑に頭を撫でられ、わわ、と声が漏れる。

「…………まあ、お前がいなくなって、退屈ではあるだろうな」

呆れたような声色のヴォルデモート卿を、ボサボサの髪のままぽかんとしたアカリは見上げる。
彼は口角を上げ、確かに笑っていた。

その笑みを見て、アカリは衝動的に彼の身体に抱き着く。ぎゅ、と力一杯彼を抱き締めて、深呼吸をした。
仄かに香る薔薇は、彼が未だプレゼントした香水を使ってくれている証拠だ。
薔薇の香りを胸いっぱいに吸い込んで、ヴォルデモート卿の胸に擦り寄る。
すると気まぐれでも起こしたのか、彼の手が後頭部と腰に回った。
細長い指が梳くようにして髪に触れる。少しくすぐったくて微かに身をよじると腰に回された手が悪戯をするように、脇腹をくすぐった。

「ちょ、卿!それはだめ!」
「何のことだ?」
「ちょっと!」

ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた彼の腕をガッと鷲掴む。そして鋭く睨み付けると、ヴォルデモート卿は笑みを零し、アカリの機嫌をあやすようにそっと額へ唇を落とした。

「…………こんなんで絆されませんからね」
「ふむ、それは困ったな。ああならば、唇に口付けても?」
「…………………な、なんで聞くんですか!?」
「言っただろう、これからは予告してやろうと」
「う、……………ど、どうぞ」

そう言えばそんなことも言っていたがまさか本当に聞くとは。
どうにも恥ずかしくて顔に熱が集まるのがわかる。小さな声で了承の意を口にすると、ヴォルデモート卿は再び笑みを零し、アカリの顎を掬いとった。

そしていつもよりもゆっくりと、唇が重なる。
何故こういう時に限って、優しい口付けをするんだ、この男は。不覚にも涙が出そうになるほど、優しくて甘い。どうせ何もかも計算づくなのだろう。そんなことはわかっている。

唇が離れ、アカリはもう一度ヴォルデモート卿の背中に腕を回し、ぎゅっと抱き締めた。そして深く深く息を吸うと、ぱっと身体を離す。

「それじゃあ、卿」
「ああ。死なぬ程度に探りを入れて来い」

トランクを手にして、真正面からヴォルデモート卿を見る。しっかりとその姿を目に焼き付けて、アカリは最後に満面の笑みを浮かべた。

「────行ってきます!」

耳元で破裂音がして、アカリは瞼を閉じる。地面がひっくり返ったような感覚の後、ざわざわと人々の足音や声が耳に入り、そっと瞼を開いた。

そこは、既にホームの一角だった。立ち入り禁止と書かれた扉の前、陰になって人に見つかることはないだろう場所に無事姿現しできたらしい。

「…………よし、行こう」

アカリら気合いを入れるべく、その場で両頬をパンッと叩いた。そしてそろりと足を踏み出して、歩みを進める。活気溢れるホームを進み、『9』と大きな札が下がっているところで足を止めた。
3/4線なのだからあの柱なんだとは思うが、生憎と確証が持てない。勢いよく突っ込んで、壁に激突なんてしょうもないことをしたくはない。さてさてどうしようか。

「………ねえきみ、どうかしたの?」
「へっ」

札を見上げたまま立ち止まっていると突然後ろから声をかけられた。びくりと大袈裟に肩を揺らし、慌てて後ろを振り返る。そこにいたのは、カートに大荷物を乗せた、眼鏡の男。くしゃくしゃの髪は癖毛なのか寝癖なのか、判別がつかない。アカリがぱちくりと瞬いていると、彼は不審そうな表情を浮かべた。

「きみ、ホグワーツだろう?通らないのかい?」
「…………通り方がわからなくて、今まさに困ってたところ」
「わからない?もしかして新入生とか?流石にそんな小さくは見えないけど」
「………………ええと」

さてどう説明したものか、と曖昧な返事をすれば、彼はホームの時計を見て、やばいと声をあげた。そして何を思ったのか、突然アカリの片手を取り、ぐいっと引っ張る。

「わっ、なに!?」
「いいから、早く!もう出発してしまうよ!」

アカリの手を引いたまま、勢いよく彼はカートを押して走ら出した。そして柱へと猛スピードで突っ込み、アカリは激突する瞬間、襲い来る衝撃に備えてぎゅっと瞼を閉じた。

自分の手を引く彼のスピードが落ちるが、まだ衝撃はやって来ない。足が止まり、ようやく恐る恐る目を開けると、そこはさきほどと瓜二つのホーム。しかし、さらに増えた人でごった返していた。
そして、アカリの目線の先。一際目を惹くのは、ホームに停車している蒸気機関車。

「これが、ホグワーツ特急…………」

深紅の車体は曇り一つなく光り輝いていて、煙突からは鈍色の煙が噴き出し上空に漂っている。
思わずほう、と感嘆の溜息を吐くと、すっかり存在を忘れていた隣の眼鏡男(と呼ぶことにした)が驚いたように眼鏡の向こうの榛色の瞳を見開いて、こちらを凝視していた。

「…………驚いたな。きみ、本当にここへ初めて来たのかい?」
「だからそう言ったと思うけど」
「いや全く面白くない冗談かと。じゃあ本当に新入生?とても11歳には見えないけれど」
「違うよ、日本人だけどちゃんとじゅうな、…………15歳。実は今年からホグワーツに転入することになって」
「ホグワーツに転入だって!?」

アカリの言葉を遮り素っ頓狂な声をあげた眼鏡男はますます瞳を見開いて、そして何故か腹を抱えて爆笑し始めた。

───この眼鏡男もしや変人か………?

ドン引きしたアカリが不審そうな目で腹を抱え、地面に蹲りそうなほど大爆笑している眼鏡男を見ていると、やがて彼はひいひい言いながら復活した。

「ああ、笑った笑った!こんなに笑ったのは休暇中に間違えて笑い茸を食べてしまった時以来だ!」
「それ随分と最近じゃない?」

そんなことないさとアカリのツッコミを躱すと、眼鏡男は瞳に滲む涙を指で擦り取り、にっかりと笑った。
そしてスッとアカリの前へ右手を差し出して来る。

「…………なに?」
「握手だよ、握手!新人君に、このぼくがホグワーツのいろはを鞭撻してしんぜよう!」
「結構です」
「そう言わずに、ほら!」

わっと声を上げる暇もなく、無理矢理手を握られて上下にブンブンと振られる。
満面の笑みを浮かべた眼鏡男はその手を離すことなく、カートから荷物を出し汽車へと向かい始めた。

「あ、ちょっと!」
「もう10分前だ、さっさと乗り込まないと」

人の話を聞く気もない眼鏡男の勢いに飲まれ、アカリは文句を言おうとして、押し黙った。
随分と強引だけど、面白いからいいか。ふと緩んだ口元をそのままに、アカリは眼鏡男に手を引かれ歩みを進める。

汽車の中へ、眼鏡男の後に続いて足を乗せた瞬間、出発を知らせる汽笛が甲高く鳴った。慌てて中へ入り、後ろを振り返る。ホームにはコンパートメントにいる子供へと声をかけ、手を振る家族が大勢立っていた。
そして再び笛が鳴り、目の前がドアで遮られる。

「どうかした?」
「………ううん、何でも」

ふるふると首を横に振り、車両に入る。どうやらここは後ろから3つほどの車両のようだ。

「コンパートメント、空いてる?もう大方埋まってそうだけど」
「大丈夫さ、ぼくの親友が先に取っておいてくれるはずだ」
「そう、さっきはどうもありがとう。じゃあわたしはこれで」
「は?おいおい、どこに行く気だい?」

一応は助けてもらったわけだし、とちゃんとお礼を口にして、アカリはくるりと踵を返す。しかし眼鏡男は再度素っ頓狂な声をあげ、がっちりとアカリの手首を掴んだ。

「どこって、わたしはコンパートメントを探しに。もう空いてないだろうけど、どこかに入れてもらおうと思って」
「いやだから、どうしてそんなことをわざわざ?」
「は?廊下で過ごせって?」
「違う!」

思わず何を言っているんだと睨みつければ、眼鏡男は呆れたように溜息を吐いた。そしてやれやれと、大袈裟に肩をすくめてみせる。多少イラっと来たアカリはじゃあ何なんだと眉間に皺を寄せた。

「だから、ぼくらのコンパートメントに来ればいいだろう?」
「…………え、でも」
「でももだってもないさ。さっき言っただろ?君にホグワーツのいろはを教えやるって。そもそももう友達じゃないか!」
「と、もだち……………」

ぽかん、と呆気にとられたアカリの手首を掴んだまま、眼鏡男はニヤリと笑って歩き出す。
一層大きな汽笛が鳴り、汽車がゆっくりと滑り出した。最後尾へと向かって歩き、次の車両へと移ろうと扉の向こうへと歩みを進める。

そして最後尾の車両まで向かい、歩きながら窓の外をぼんやり眺めていると突然眼鏡男が立ち止まり、前をよく見ていなかったアカリは思い切り眼鏡男の背中に顔から突っ込んだ。

「いったた………」
「大丈夫かい?ほら、ついたよ」

突っ込んだ衝撃で痛む鼻を摩るアカリの目の前で、眼鏡男は近くにあったコンパートメントの扉を勢いよく開いた。

「久方ぶりだな、パッドフット!」
「遅いじゃねえかプロングス!」

中にいたのは、黒髪の綺麗な顔立ちをした少年。プロングスと呼ばれた眼鏡男と二人して熱い抱擁を交わし、何やら楽しげに話し始めた。

いやまて、──────パッドフットと、プロングス?

聞き覚えのある、いやありすぎるその名に、アカリは凍りつく。

まさかまさかまさか、とその三文字が頭を支配して、瞬きすらできない。
そんなアカリを、眼鏡男と話していた少年が初めて目を向け、不審そうに眉を寄せた。

「なんだお前。プロングス、お前が連れて来たのか?」
「ん?ああ、そうだよ」
「へえ、珍しいな、お前が女連れてくるなんて。おい、お前どこのりょ、う────」

そこまで言いかけて、アカリをジロジロと眺めていた少年は突如カッと瞳を見開いた。

「お、お前…………あの時の!!!」
「え?」

少年は眼鏡男をそっちのけにアカリを指差し、そう叫んだ。
指差された当の本人はきょとんと不思議そうに少年の顔を見る。
とても背の高い彼は、やはり綺麗な顔をしていた。薄いグレーの瞳はどこか色気すら感じさせる。

そのグレーの瞳を認識した途端、アカリの脳裏に何かが浮かび、同時に既視感を覚える。

どこかで、見たことの、あるような………?

「────あ!ホグズミードの角でぶつかった生意気なやつ!」
「は、生意気ってオレかよ!?」
「え、もしかしてきみがシリウスの絆創膏の女神様?」
「ジェームズ!!!!!」
「女神?は?なに、────ちょっと待った、今シリウスとジェームズって言った?」

脳裏を横切ったのは、去年の冬、ルシウスに会いにホグズミードへ行った時のこと。角でぶつかってしまい、絆創膏をあげた少年。
その時の少年の顔と、目の前の彼の顔が一致して、アカリは思わず叫んだ。

そして聞き捨てならない単語が耳に入り、スッと真顔になったアカリは低い声色でそう聞き返す。

「言ったけど……?」
「まさか、いやまさかとは思うんだけど。シリウス・ブラックと、ジェームズ・ポッターだったりしない、よね?」
「いやそのまさかだよ」
「え────」

このくしゃくしゃ頭の眼鏡男がジェームズ・ポッターで、こっちの生意気なイケメンが、シリウス・ブラック。

────────嘘、でしょ?

原作でも超重要人物な二人の突然の判明に、アカリは完全に動揺しきっていた。

「ええと、君、大丈夫?」
「……………だいじょばない」

顔を真っ青にさせ、突然黙り込んだアカリの顔を心配そうに眼鏡男、────ジェームズが覗き込む。
とりあえず荷物を置こうかと、彼のその一言が不自然な沈黙を破った。

ジェームズが荷物を荷台に上げてくれて、三人はそれぞれ席に腰を下ろした。

「改めて、ぼくはジェームズ・ポッター。それでこっちがシリウス・ブラック。きみは知っていたみたいだけどね」
「まあ、オレらの家は良くも悪くも有名だからな」

ケ、と吐き捨てるようにそう言った黒髪のイケメン、────シリウスは窓枠に頬杖をついた。彼はそっぽを向きながら、横目でちらりとアカリを見る。

「で?きみの名前は?」
「は?お前ここまで来たのに名前知らなかったのか?」
「色々あったからね、聞き忘れていたんだよ」
「…………アカリ。アカリ・オトナシ」

ぼそりとそう呟いて、アカリは真正面のジェームズを見る。言われて見ると確かにハリーに似てる。映画のイメージしかないけど、もじゃもじゃ頭とか眼鏡とか、だいぶ。

次いで横のシリウスに目線を移すと、彼と目があったが、何故か慌てて目を逸らされた。
シリウスも、似てる。誰にって、彼の父親、オリオン・ブラックに。オリオンさんには何度か会っているけど、髪や瞳の色、そして横顔がそっくりだ。

ああ、でもまさかこの眼鏡が、あのジェームズ・ポッターだったなんて。初っ端から予定が狂った。

悪戯仕掛け人が今の時期、ホグワーツに通っていることはわかっていた。原作キャラに会える、と少し期待もしたのは認めよう。
しかし、わたしがホグワーツに来た真の目的はスパイ活動をすることだ。スパイは地味に、目立たずにいなければならない。
彼らに関われば、きっと何か厄介ごとに巻き込まれるだろう。残念ではあるけれど、遠くからこっそり眺めていればいいかと、そう思っていたのに。

それなのに────まさか本人とがっつり関わってしまうだなんて!
……………ああ、今すぐにでも、出ていくべきだろうか。それとも。

じっと彼らを交互に見つめ、アカリは考える。不思議そうにこちらを見るジェームズと、横目で見てくるシリウス。

「…………わたし、ここにいてもいい?」
「もちろんだ、アカリ!きみもいいだろう、シリウス?」
「……………静かにしてろよ」
「……………うん、ありがとう」

ごめんなさい、ヴォルデモート卿。
わたしはやっぱり、自分の欲には勝てなかったようです。

「それにしても、なんでジェームズはこいつを連れて来たんだ?そもそもお前ホグワーツ生だったのか?」
「ああそれは、」
「ふっふっふ、聞いて驚けシリウス!なんとアカリは…………」

アカリの言葉を遮り、ジェームズはバッと席に足を乗せ、立ち上がる。そしてたっぷりと間を開けて、高らかに声をあげた。

「────ホグワーツ初の転入生だったのだ!」
「な、なんだってーーー!?」

ノリいいな、と素直に感心していると、ジェームズは満足そうに頷き、座り直した。シリウスは驚きに瞳を見開いて、再びジロジロとアカリを眺める。

「転入生なんて初めて聞いたぞ、理由は?」
「わたし日本にいたんだけど、家の都合でイギリスに引っ越すことになって。日本の魔法学校じゃあ不便だからホグワーツに転入しようと思って校長先生に掛け合ったらお許しが出たの」

ペラペラとごく自然に嘘を吐く。必ずこの類の質問はされるとわかっていたから、あらかじめ設定を作っておいたのだ。
へえ、と頷く二人はすんなり信じてくれたようだ。

「お前ジャパニーズか。日本にも魔法学校ってあるんだな」
「うん、マホウトコロって言うんだけど。でもやっぱり日本とイギリスじゃあ勝手が違うだろうし、色々心配」
「大丈夫大丈夫、悪戯仕掛け人たるこのぼくが色々教えてあげるよ!」
「それが一番不安なんだけどなあ。………ん、悪戯仕掛け人?」

とりあえず、とそこを一応質問しておく。『わたし』は知っているけど、何も知らない『転入生』として、その聞き覚えのない単語に反応しないと不自然だろう。
やはりわざとそう言っていたらしく、ジェームズはニヤリと不敵に笑った。

「そう、我らホグワーツに旋風を巻き起こす者。その名も悪戯仕掛け人!」
「オレらと、あと二人いるんだけどな」
「ふうん……………」

そう言えば、その二人はどこに行ったのだろう。そんなことを、ちょうど思った時だった。

「ごめん、遅くなって。何やら転入生が来たらしいって、今────」

ガラリと、コンパートメントの扉が音を立てて開いた。そこに立っていたのは、既に制服を着たひょろりとした少年。彼はコンパートメントの中に一人、親友ではない見慣れぬ人間がいるのに気がつき、言葉を止める。
その瞳に警戒の色が滲むよりも前に、ジェームズがパッと少年の前に躍り出た。

「アカリ、紹介しよう、我らが友のリーマス・ルーピン。悪戯仕掛け人の一人にして、なんとグリフィンドールの監督生様だ!」
「んでリーマス、こっちアカリ・オトナシ。お前の言う転入生だとよ」
「えっ、アカリ!?」

何故か外野二人に紹介され、少年にぺこりと軽く頭を下げる。どうやら警戒心は薄くなったようだ。ほっと胸を撫で下ろすのと同時に、甲高い声が少年の後ろから響いた。
少年に隠れて見えなかったが、まだいたらしい。ではこちらがピーター・ペティグリューかなと思えば、ひょこりと顔を出したのは約一ヶ月前に見たことのある小柄な少年。

「ピーター………?」
「わあ、久しぶり!やっと会えたね!」
「おい待てピーター、こいつと知り合いなのか?」
「う、うん。7月に、本屋で助けてもらって…………」
「なんだい、またカツアゲされていたのか?全く鈍臭いなあきみは!」
「あはは、ごめんね…………」

へらりと笑うピーターを見て、なるほどとアカリは一人で納得していた。
この短い間でも、この四人の関係性は大体わかった。ただ単に仲がいいだけと見せかけて、何やら面倒な匂いがする。

「とりあえず座りたまえよ。監督生様々はさぞお疲れだろうしね!」
「やめてくれよ、ジェームズ。……えっと、隣、いいかな?」
「あ、うん。ごめんね勝手にお邪魔して」
「ううん、いいんだ。どうせジェームズが無理矢理連れて来たんだろう?」
「おいおい酷いな、下手な言いがかりはよしてくれよ」
「すごい、大体当たってる」
「アカリ!」

冗談だって、と笑えばリーマスはくすくすと笑った。想像していたよりも優しくて、儚げで、どこか危うい雰囲気を漂わせている少年だ。彼のローブの胸元には、確かにピカピカに光る真新しいピンバッチが付けられていた。

「えっと、改めてアカリです。日本から来ました。二人とも仲良くしてくれると嬉しいな」
「うん、よろしくね…………!」
「もちろんだよ。彼らが言った通り、僕は一応グリフィンドールの監督生だから、何か困ったら手を貸せると思う」
「ありがとう。………グリフィンドールって、四つある寮のうちの一つ、だよね?」

そう質問すれば、四人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
そして辿々しくピーターが喋り出す。

「アカリの言う通り、ホグワーツには寮が四つあるんだ。えっと、一つはハッフルパフ、心優しく勤勉で真っ直ぐな者が集う寮って言われてるみたい。カナリアイエローと黒がシンボルカラーの穴熊寮、だよ」
「ハッフルパフの次は、レイブンクローかな。機知と叡智に優れた者が集う寮と言われる、その通り真面目で勤勉な人が多い寮だよ。シンボルカラーは青と銅、鷲寮とも言われる」
「そんで、スリザリン。こいつは最悪な寮だ。以上」
「し、シリウス!」

ピーターがそう嗜めて、シリウスは鼻を鳴らした。アカリが続きをせがむようにじっと彼を見ていたら、シリウスはうっと声を詰まらせ、渋々というように言葉を続けた。

「………スリザリンは狡猾な者が集う寮で、緑と銀のシンボルカラー、別名蛇寮。狡猾ってか、根暗な卑屈野郎ばっかだぜ。最低最悪の寮だって覚えとけ、絶対ここには入るなよ」
「こら、シリウス」

嗜めるようにシリウスの名を呼び、リーマスがアカリに軽く謝罪をした。アカリは苦笑を漏らして、最後にジェームズに目を向ける。
目が合うと待ってましたとでも言うかのようにジェームズはニヤリと笑い、どこか得意げに話し始めた。

「そして最後に残るは、我らがグリフィンドール!勇敢な者が集う寮と言われる、真紅と金の獅子寮さ!間違いなく最高の寮だよ!」
「僕らは全員グリフィンドール生なんだ」
「へえ………………」

神妙に頷き、脳裏に四つの寮のシンボルを思い浮かべる。数時間後には自分もどこかの寮へ組み分けされているのかと思うと、なんだか変な感じだ。

「組み分けの仕方は?テストでもするの?」
「いいや。ホグワーツには四人の創立者がいて、彼らが力を吹き込んだ組み分け帽子によって選別されるんだ。ただ被るだけで勝手に喋り出して選んでくれるよ」
「アカリもきっとグリフィンドール生さ、絶対!」
「いやいや、まだわからないよ?スリザリンになるかもしれない」
「それはないね!アカリはスリザリンって感じがしないし」
「うん、あんまりスリザリンっぽくはないよね。あってもレイブンクローとか………?」

そうかなあと言って、アカリは笑う。何になるにしても、それは組み分け帽子が決めることだ。
窓の向こうを見てみれば、もう辺りは真っ暗だ。

「ん、もうこんな時間か。アカリ、制服は持ってる?そろそろ着替えた方がいい」
「ああ、確かにね。それじゃあぼくらは適当にそこら辺にいるから、着替え終わったら呼んで」
「ごめん、ありがとう」

ぞろぞろとわざわざ出て行ってくれた彼らの優しさに感謝しつつ、ブラインドを下げて鍵をかける。そしてトランクから制服一式を取り出すとさっそく着替え始めた。

白シャツに黒スカート、黒ネクタイ、そして黒いローブ。
タイツのまま革靴を履いて、くるりとその場で回ってみる。制服なんて随分久しぶりだ。わたし現役女子高生のはずなのにな。

そう思いつつ片付け、魔法でトランクを荷台へと押し上げる。ブラインドを上げ鍵を外すと顔だけ廊下に出し、彼らの姿を探す。

いない。どこへ行ったんだろう。
待っていてもいいけど、わざわざ外に出してしまったんだし、こちらから探しに行くべきか。

そう考えて、アカリはコンパートメントから出て歩き始める。
隣の車両へと移り、ドアを開ける。そして突然、ジェームズの声が耳に入った。

「────これはこれは、我らが愛しのスニベリーじゃないか!」

………………スニベリーって、なんだっけ?

どこかで聞いたことのある名前だと思ったアカリは視線の先に四人がいるのを確認した。
ジェームズとシリウスがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、猫撫で声で誰かと話している。
この先に誰かいるのだろうか。彼らの背中が壁になり全く見えない。
ひょい、と頭だけ横に出して前を見てみると、そこには既にホグワーツの制服に身を包んだ同い年くらいと見受けられる少年が立っていた。
男にしては長い黒髪から覗くこれまた真っ黒な瞳は鈍い色を宿し、ギロリとこちらを睨みつけている。

「……………」
「おいおい無視かい?悲しいなあ、ぼくとお前の仲じゃあないか!」
「………ねえ、どうしたの?その子友達?」

少年がくるりと踵を返し、来た道を戻ろうとして、ジェームズが声を張り上げた。
その挑発しているような、煽るような物言いに思わずアカリが口を挟む。

「アカリ、制服よく似合ってるよ」
「本当?ありがとう、っていやそうじゃなくて、何してるの?」
「あー、ええと…………」

歯切れ悪くもごもごと何かを言いかけたリーマスに不審そうな目を向けて、ジェームズ、と再度声をかけた。
しかしジェームズは完全にそれを無視し、尚も言葉を続けようとする。

「どこへ行く気?ママのところへ帰るのかい?それとも、あの子のところかな?」
「男のくせに、女に守られているなんて情けねえな!」
「………………ッ!」

足早にその場から離れようとしていた少年が、シリウスとジェームズの言葉でぴたりと立ち止まった。
そして勢いよく振り返ると、そのままいつの間に取り出したのか杖先をこちらに向ける。

「下がって!」
「はあ!?」

ジェームズはアカリを押し退け、懐から杖を取り出すと少年の杖先から飛び出した光線を即座に弾く。
突然始まった戦闘に目を白黒させたアカリは、シリウスの放った光線が少年の頬を掠め、その傷からぷくりと血の玉が浮き出るのを見て我に返った。

「ちょっと、何してるの………!?」
「アカリ、危ないから下がって。僕らは先に戻っていようか」

嗜めるように肩をぽんと叩かれ、アカリは瞬時に理解した。

────そうだった、悪戯仕掛け人は度のすぎたいじめっ子だ。しかもこの様子だと、リーマスとピーターは二人を止めようと本気では思っていないのだろう。

ああもう、とため息を吐いたアカリは渋々杖を取り出し、リーマスの言葉を無視してくるりと杖先で三人の上空に円を描き、呪文を唱える。

するとその瞬間、描いた円からドバッと大量の水が流れ出て、三人と降りかかる。まるで滝のような水量を頭から被り、その場には濡れ鼠が三匹出来上がった。

突然のことに動きを止めた三人を見て、やれやれとアカリは杖でシリウスの後頭部を叩き、ジェームズに膝かっくんを仕掛けた。
がくりと膝が下がり、その場に尻餅をついたジェームズには目もくれず、アカリはその向かいに立ち呆然とした少年へと歩み寄る。

「手荒な真似をしてごめんね、今乾かすから」
「…………っ、僕に触るな!」

びしょびしょになった少年を乾かそうとアカリが杖先を彼の頭に向けた瞬間、ハッと我に返った少年はアカリの杖を振り払い、その眼前に杖先を突きつけた。

「……………ごめん、攻撃する気はなかったんだ。ただ乾かそうと思って」
「嘘を吐くな、お前もどうせあいつの仲間なんだろう?いいからそこを退け」

眼光鋭く睨みつけてくる少年はまるで気が立った猫のようだ。敵意はないという意味を込めてホールドアップしていたアカリはポケットに手を突っ込み、ハンカチを取り出す。その仕草に何をされるのかと警戒を強めた少年に苦笑を浮かべ、ハンカチを差し出した。

「これ、よかったら使って。あ、特に魔法とかはかけてない普通のハンカチだから」
「…………必要ない。こんなの魔法ですぐどうにかなる」

ハンカチからふい、と目線を外し、少年はそのまま背中を向けて行ってしまった。もちろんジェームズとシリウスをきっちり睨みつけて。

アカリは受け取ってもらえなかったハンカチを仕舞い、転がっていた杖を拾って後ろを振り返る。
するとその場に座り込んだジェームズが不満そうに唇を尖らせ、じっとりとした目つきでこちらを見ていた。

「…………なに?」
「何じゃないよ、まったく。せっかくスニベリーで遊べると思ったのに!」
「趣味悪………いいから立ちなよ、ほら」

依然として座ったままのジェームズに手を貸すと、ジェームズは素直にアカリの手を掴み、立ち上がった。そして杖先で自身の頭をぽんと叩くと、一瞬にして全身がからりと乾く。

「なんであいつを庇ったりしたんだよ」
「どう考えても喧嘩をふっかけた二人が悪いし、怪我までさせてたでしょ。彼は悪くないよ」

どこかシリウスが拗ねたような口調でそう言うが、アカリはキッパリと正論を口にした。
というか、と言葉を続け、眉を寄せたまま二人を見る。

「なんで突然あんなことし始めたの?びっくりしたんだけど」
「なんでって、スニベリーのやつとばったり会ったからさ」
「……………え、それだけ?」
「?ああ」

信じられない。目が合ったから喧嘩をふっかけるなんて、どこのチンピラだよ。

絶句して思わず口を噤んでしまうと、まあまあとリーマスが間に割って入ってきた。

「とりあえずコンパートメントに戻ろう。アカリ、さっきの魔法はすごかったよ」
「え?あ、あー、ありがとう………」

そうだった。ちゃんと杖を使ってよかった、詠唱もしたし疑われることもないはずだ。
四人に続いてコンパートメントに戻り、そういえば彼らはリーマス以外誰も制服に着替えていないことに気づく。

「制服に着替えるよね?わたし外に出てるから」
「それもそうか。アカリ、ぼくらの生着替えを見学していってもいいんだよ?」
「遠慮しておきます」

ウインクをキメてみせたジェームズに冷たい目線を向けるとぴしゃりと扉を閉めて、アカリは中から聞こえる賑やかな話し声に耳を傾ける。

────さっきの少年は、セブルス・スネイプだろう。未来の魔法薬学教授、そして原作の中でも最重要といっても過言ではないほどのキーパーソン。スニベリーと呼ばれていたし、間違いはないはずだ。

立て続けに主要人物に会うなあ、と思いながらぼんやりと天井の木目を眺めていると、突然アナウンスが車内に響き渡った。

「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いて行ってください」

そのアナウンスが二回繰り返され、汽車がゆっくりと速度を落とし始めた。どうやら到着らしい。
完全に止まるのと同時に、コンパートメントの扉がガラリと開く。

「お待たせ。荷物は置いておくけど、すぐ必要になるものは持って行った方がいいと思うよ。何か取り出す?」
「…………ううん、大丈夫。もうちゃんと持ってるから」

アカリはローブの胸ポケットをそっと抑える。そこに確かに手帳があるのを確かめて、そう言った。

「それじゃあ行こうか」
「うん」

揃いの赤色のネクタイを締めた四人に着いて行く。
廊下は我先に降りようとする人でいっぱいだ。満員電車に乗っているような気分のまま、手を引かれてはぐれることなく外へ出た。

そこは小さな、プラットホームだった。
空はもう真っ暗で、星が瞬いている。夜の冷気に触れて、思わずぶるりと身体を震わせる。
やがて、ホームでわいわい騒いでいる生徒たちの頭上にゆらゆらとランプが近づいてきた。

「イッチ年生!イッチ年生はこっちだ!」

大きな大きな人間が、ずらりと揃った生徒の頭の向こうからそう叫んでいる。────ハグリッドだ。

「………ねえ、わたしもあっちに行くべきだと思う?」
「うーん、どうなんだろう。聞いてみようか」

ジェームズに問いかけると、彼はそう言った途端ハグリッド!と大声で叫んだ。巨体がくるりとこちらを振り返り、ジェームズ達の姿を目に入れると彼はにっこりと笑った。

「ジェームズ!どうかしたんか?」
「彼女、ホグワーツの転入生なんだ。先生から何か聞いてない?」
「おお、おお、聞いとるさ!そうかお前さんが転入生か!」
「初めまして、よろしくお願いします」
「おう、おれはルビウス・ハグリッド。先生方から、お前さんを連れてくるよう言われちょる。こっちだ!」

そう言ってハグリッドはくるりと振り返り、一年生を集めるべく声を張り上げる。
隣のリーマスが、にこりとアカリに微笑んだ。

「ここでほんの少しのお別れだね」
「……………グリフィンドールの席で待っててやっても、いいぜ」
「シリウスの言う通り!我らがグリフィンドールで待ってるよ!最高のホグワーツ生活を約束しよう!」
「それじゃあね、アカリ」
「またあとで!」
「うん、みんなありがとう!」

四人に手を振って、アカリはハグリッドの元へ向かう。彼らの言葉が胸に残り、胸がぽかぽかと暖かくなる。

しかしそれも束の間、周りにいる小さい子たちがどう見ても新入生とは思えないアカリを不躾にもじろじろと見てひそひそと内緒話をし始めたことによりアカリは急速にテンションが降下して行くのを感じた。

ハグリッドを先頭に城へと向かう中、アカリはじっと耐えていた。好奇の目に晒されるのは、正直慣れてる。大丈夫大丈夫。

「みんな、ホグワーツが見えたぞ!」
「わ、あ……………」

ハグリッドの声に顔を上げると、狭い道が急に開き、大きな黒い湖のほとりに出たところだった。向こう岸に高い山がそびえ、その天辺に壮大な城が見える。大小様々な塔が立ち並び、キラキラと輝く窓が星空に浮かび上がっていた。

その幻想的な風景に、アカリは周りの一年生の歓声にかき消されるほどの小さな感嘆の声をあげる。

それはとても、とても美しい景色だった。

「四人ずつボートに乗って!」

その掛け声と共に、一年生は皆我先にと岸辺に繋がったボートに乗り始める。アカリはその様子を眺め、一番最後のボートに一人で乗り込んだ。

ぼっちは辛いけど、至近距離でじろじろみられるのよりはマシだろう。

そう結論付けて、アカリはハグリッドの合図で一斉に動き出したボートにゆらゆらと揺られながら城を見上げた。周りを見れば、みんな同じように城を見上げている。

そうして蔦のカーテンをくぐったり暗いトンネルを抜けたりして、船着き場に到着した。全員が下船したのを確認し、ハグリッドは進み始める。一年生はハグリッドの持つランプの光に導かれて、岩の道を登り、草むらの城影の中に辿り着いた。石段を登った先の巨大な樫の木の扉の前に集まり、ハグリッドは扉を三度、拳で叩いた。

すぐさま扉がパッと開くと、中から背の高い魔女が現れる。

「マグゴナガル教授、イッチ年生の皆さんです」
「ハグリッド、ご苦労様。ここからは私が預かりましょう」

ハグリッドの言葉に厳格な顔つきをした魔女はそう言うと扉を大きく開け放った。
玄関ホールは広く、松明の炎に照らされた石壁は頭上高くまで続いていた。壮大な大理石の階段が正面から上へと続いている。

先生に従って一年生は石畳のホールを横切っていった。入口の右手の方から、何百人ものざわめきが聞こえる。おそらく、全校生徒がそこに集まっているのだろう。

先生はホールの脇にある小さな部屋に一年生を案内し、皆その窮屈な部屋に詰め込まれた。

「ホグワーツ入学おめでとう」

先生が一言挨拶をすれば、不安そうにひそひそと喋っていた一年生はぴたりと口を閉じる。そして皆一様に先生を見上げ、次の言葉を待った。

「新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。寮の組分けはとても大事な儀式です。ホグワーツにいる間、寮生が学校でのみなさんの家族のようなものです。教室で寮生と一緒に勉強し、寝るのも寮、自由時間は寮の談話室で過ごすことになります」

そこで先生は言葉を止め、ぐるりと見渡した。一年生はすっかり黙り込み、先生を食い入るように見ている。

「寮は四つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンです。それぞれ輝かしい歴史があって、偉大な魔女や魔法使いが卒業しました。
ホグワーツにいる間、皆さんの良い行いに対しては、自分の属する寮に得点が与えられますし、反対に規則を違反した時は寮の減点になります。学年末には、最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が授与されます。どの寮に入るのしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りあるよう望みます。
まもなく全校生徒、職員の前で組分けの儀式が始まります。待っている間、出来るだけ身なりを整えておきなさい」

先生は最後にそう締めくくると、部屋を出ていった。パタン、と扉が閉まったと同時に、一年生は一斉にひそひそと話し始める。

皆寮や組分けについて話しているようだ。
やれどこの寮がいいとか、組分けの儀式はとても痛いらしいだとか。

そんなひそひそ声をBGMに、アカリは自分よりも小さい一年生の頭を眺めていた。
金、赤、銀、茶、黒、色とりどり。アジア人はいないのだろうかと、じっと一人一人見ていると、再び扉が開いた。

「さあ、行きますよ。そこの貴女、貴女は少々ここでお待ちなさい」
「はい」

そこの貴女、と言われたアカリは大人しく返事をした。またしても、不躾な視線が刺さる。
しかし先生に連れられて一年生がいなくなると、今度は沈黙がその場を支配した。

少しして、組分けが始まったのか歓声が聞こえ、沈黙し、また、歓声が聞こえるようになる。
一人になった途端、何故か今更になって緊張が舞い戻ってきた。

ドクドクと心臓が早鐘を打つ。胸が痛い。お腹も痛くなってきた。
はあ、と息を深く吐く。瞼を閉じて、心臓の鼓動をどうにか落ち着かせようとギュッと胸を抑えつける。

「────久しぶりじゃの、アニー」
「っ!?」

すると突然声をかけられ、アカリは飛び上がった。
瞼を開くと、目の前には、銀のローブを身にまとった、ダンブルドアが立っている。

「お、久しぶりです、校長先生」
「ダンブルドア、でよい。先生もいらぬよ」
「………では、そのように。ダンブルドア」

にこにこと嬉しそうなダンブルドアに、アカリは曖昧に微笑む。
そして懐から転入許可証を取り出し、ダンブルドアに差し出した。

「おお、持って来てくれたのじゃな。どれどれ────ほう、君の名前はアカリというのか」
「ごめんなさい、あの時は咄嗟に嘘を吐いてしまって」
「よいよい、わかっておるよ。
ところで、アカリ。何故ホグワーツへ来てくれたのかね?きっと君にとって、これは大いにリスクのある行為じゃろう」

スッと、ダンブルドアは瞳を細める。
その水色は穏やかで、柔らかで、そしてとても鋭い。
その瞳を真っ直ぐに見返して、アカリはふわりと今度こそ綺麗に微笑む。

「貴方の言う、わたしの『居場所』を探しに。
我が君は、ちょっとしたわがままなら聞いてくれるんですよ。わたし、これでもあの人の右腕ですから」
「ほっほっほ、そうかそうか。君はきっと来てくれると思っておったよ」

にこにことお互い笑い合う。アカリは内心、冷や汗をかいていた。
本当に、この人はわたしが来ることを確信していたのだろう。
リーマスが最初にコンパートメントへ入ってきた時、転入生が来るらしい、と言っていたし噂にもなっている。きっと噂を流したのはダンブルドアに違いない。

その時、一際大きな歓声が聞こえて、静かになった。

「どうやら、新入生の組分けが終わったようじゃ。そろそろ儂らも移動するとしよう」

ダンブルドアに着いて行き、玄関ホールへと向かう。そしてそびえ立つ大きな扉を前に、ダンブルドアは歩みを止めた。

「儂は先に行こう。名前を呼んだら、入って来るのじゃ」
「わかりました」
「アカリ、ようこそホグワーツへ。君を心から歓迎しよう」

パチリと綺麗にウインクを一つ残し、ダンブルドアは二重扉を開き大広間へと入っていった。
ギイイ、と重厚な音を立てて、扉が閉まる。

「────新入生の皆、入学おめでとう!
さて、例年通りなら、歓迎会を始めるところなのじゃが、今年はちと特別での。なんと、我がホグワーツに、転入生が来ておる」

その言葉に、ざわめきが大きくなった。
しかしすぐ静かになり、恐らくはダンブルドアが諌めたのだろうということがわかる。

「彼女は五年生に転入する。日本から来た、我らの友となる魔法使いじゃ。それではお呼びしよう────アカリ、入っておいで」

ダンブルドアがそう言うと、目の前の扉が嫌にゆっくりと開く。なんて憎い演出だ、まったく余計なことをしてくれる。

そう思いながら、アカリは瞼を閉じて息を大きく吸い込んだ。
そしてパッと瞼を開き、目の前を見据え、吸った息を吐き出す。

凛とした眼差しを正面のダンブルドアに向けて、そのまま広間へと、一歩踏み出した。

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