それはまるで、呪いのように


静けさの満ちる部屋に、はあ、というため息が響く。
アカリがため息を吐くのはこれで何回目だろうか。数え切れないほどのため息を吐いたアカリは、きっと自分の中にある幸運はすっかり抜け落ちてすっからかんになってしまっているだろうと思った。

朝から何もする気にならない。ただ膝に置いた本の文字をぼんやりと眺め、時折ため息を吐く。昼食を食べ終わってからそれだけのことしかしていなかった。

「…………はあ」

また一つ、幸運が抜け落ちた。
アカリが着ている灰色のワンピースが、自身の心模様を映し出しているようだ。
これが恋煩いというものなのだろうか。恋とは複雑で面倒なものだと心底思う。

ぼーっと意識を彼方に飛ばすと、ヴォルデモート卿に触れられた感触が無意識に蘇る。頭、髪、瞼、頬、そして唇。
そうして無意識に思い出しては、胸の痛みを誤魔化すようにため息を吐いていた。

「……………こんなことしてちゃだめだ」

本を閉じたアカリは意を決して立ち上がる。ここにいてもため息を吐き続けるだけだ。それならば気分転換に適当に屋敷内を歩いた方がいいだろう。

そう判断し、アカリは廊下へと出る。どうやら死喰い人達はアカリのことを認知しているらしい。そのことを聞いた時は顔が青ざめたものの、わざわざ目くらまし呪文をかけずに済む、とポジティブに捉えることにした。

廊下に備えられた大きな窓の外では、しんしんと雪が降っている。一面銀世界だ。一応薔薇園には雪が降り積もらないように魔法をかけているから世話をしなくても大丈夫、なはず。

さて、どこに行こうか。

あてもなくただひたすらに廊下を歩く。廊下に敷き詰められた分厚い絨毯が、アカリの足音を吸い込んでいた。

しかし、一切足音がしないわけではなく、最小限に抑えられているだけで、人がやって来ることは音でわかる。
進行方向にある角の向こう側から、微かに足音が聞こえた。

ヒールのような細い足音。女の人か、と一応懐の杖に手を伸ばしつつ歩みを進める。角の向こう側から、黒い人影が見えてアカリは思わず足を止めた。

「…………貴女は、」
「!お前…………っ」

そこに現れたのは、豊かな黒髪を揺らす女性。…………パーティー会場で、アカリが失神させた人だ。

女性はアカリの顔を認識した途端、杖を構えた。それに反応しアカリも杖を構える。
お互い無言で睨み合っていると、苦々しげに女性が口を開いた。

「こんなところで、何をやっているんだい」
「…………お散歩ですけど」

女性ははあ?とでも言いたげに片眉を上げる。いや実際お散歩してたんだもの、仕方ない。嘘じゃないし。

「アンタみたいなちんちくりんが、本当にあのお方に囲われているのか?」
「囲われているんじゃなくて、側に置いてもらってるんです」
「同じようなものじゃないか」

アカリの返事を聞いて、女性は顔を顰める。

「…………アンタみたいな小娘が、あのお方の手元にずっと置かれるわけがない。そのうち飽きて捨てられるさ」

そう言った女性が鼻で笑い、アカリは反対に眉を寄せた。

そのうち飽きて、捨てられる。アカリは正にそのことを懸念していたからだ。

「あのお方の一番の部下はこの私。アンタはただのお人形だろう?」

悔しさと苛つきがアカリの頭を支配する。アカリは思わず唇を噛んだ。
そのドロドロとした感情に身を任せ、アカリはにっこりと笑い彼女に尋ねた。

「今お幾つなんですか?」
「はあ?」
「お幾つですか?」

アカリの質問に女性は心底意味がわからない、という様な表情を浮かべると、眉を寄せつつ口を開いた。

「23だ」
「………へえ」
「何がおかしい!」

思わずアカリがくすり、と笑いを零すと、女性はギッと目を吊り上げた。

「わたし、17なんですよ」
「だから何だって言うんだい」
「何と言いますか、貴女ってアレですよね」

くすくすと笑いながら、アカリは口元を手で覆う。にっこりとした笑みを浮かべながら、アカリは小首を傾げた。

「−−−オバサン?」

アカリが無邪気に放った爆弾は、多大なる効果をもたらした。

アカリの一言に女性は目を見開くと、わなわなと震える手で思い切り杖を振り上げる。それと同時にアカリも杖を振り盾の呪文を唱えた。

激情型であることを伺わせる彼女が死の呪文を放ったらどうしようかと一瞬考えたものの、彼女が放ったのは赤い閃光で。女性は呪文がアカリの盾に弾け散ったのを見ると鋭く舌打ちをしてすぐさま杖をもう一振りする。

「ディフィンド!」
「ッレダクト」

アカリは素早く放たれた光線を間一髪のところで粉砕し、再び杖を振る。
しかし、女性の放った光線がいち早くアカリの手に当たり、アカリの杖が宙を舞い女性の手元に収まった。
ニヤリ、と勝ち誇った笑みを浮かべた女性が大きく杖を振る。

−−−死の呪文だ。きっと、死の呪文を放ってくる。

反対呪文のない死の呪文を防ぐには、何かを身代わりにしなくてはならない。
アカリは咄嗟に大きな氷柱を思い浮かべ、ダメ元で詠唱も無しに手を翳した。

「アバタケタブラ!」
「っ、」

女性の杖から放たれた緑の光線。
その禍々しい緑はアカリの身体を貫くかと思われたが、アカリの前に瞬時に現れた大きな氷の柱に正面からぶつかり、どちらも細かく砕け散った。

「な…………っ!?」

女性は、アカリの杖無しの無言詠唱を目の当たりにし、驚愕に満ちた声を上げる。
一方アカリは自分のイメージした氷柱が実際に現れたことに対して驚き、瞳を見開いた。

体勢を整えた二人はお互い息を切らしながら睨み合う。

その痛いほどの沈黙を破ったのは、意外にも女性の方だった。

女性はチッ、と鋭く舌打ちを打ち、アカリの杖を放る。手元に戻ってきた杖を一瞥すると、アカリは顔を上げ女性の顔をジッと見つめた。

「今アンタを殺して罰を受けるのは私の方だ。あのお方の目を覚まさせてから、アンタを殺すことにするよ」
「…………負け惜しみですか?」
「言っておくけどね、アンタは私に勝てない。経験数が違うんだよ」

当然だろうという風に言いのけた女性に、アカリは口を噤む。
その通りだと、思ったからだ。

わたしが無言詠唱を、それも杖無しで出来ることを知っていればこの人は攻撃の手を緩めず呪文を放ち続けただろう。いくらヴォルデモート卿に教わっていたからといって、場数を踏んだ彼女に勝てる確率は大分低い。

口を噤み眼光を鋭くさせたアカリに向かって鼻で笑うと、女性はアカリの横を通り追い越す。
アカリは女性を追って振り返ると、あの、と声を掛けた。

「わたしはアカリ。アカリ・オトナシ。貴女は?」
「…………」

突然自己紹介をし始めたアカリを訝しげな目で見た女性は、少しの間考え込むような仕草を見せる。
自分のことをじっと見つめているアカリと目を合わせると、薄く口を開いた。

「−−−ベラトリックス・レストレンジ」

静かにそう名乗ると女性、−−−ベラトリックスはアカリに背を向けそのまま廊下の向こうへと去って行った。

姿が見えなくなるまで、アカリはその場に立ち尽くしていた。
女性が名乗ったのが、聞き覚えのありすぎる名前だったからだ。

「…………ベラトリックス、って」

あの、ベラトリックス・レストレンジだろうか。
そう考えてみると、あの豊かな黒髪やあの喋り方は確かに原作のベラトリックスそのものだった。

予期せぬ原作登場人物、しかもかなり重要な人物との出会いにアカリは唖然としてしまった。

「………あんなに性悪だとは思わなかった」

一戦交えてしまったことに謎の後悔と爽快感を覚えながら、アカリは何分ぶりかのため息を吐き自身の手を握り、再度開く。

…………無言詠唱、出来たんだ。

杖無しで魔法を行使するのは前から出来たものの、攻撃呪文以外は声に出さないと魔法を使うことが出来なかった。しかし、今回初めて氷を出現させることに成功したのだ。

てっきり頭の中で呪文を唱えることで無言詠唱を可能にさせているものだとばかり思っていたが、先程はただのイメージだけで出現させることが出来た。仕組みはどうなっているのだろうか。

ふむ、と考え込んだアカリは、自分の掌を見つめた。ぎゅ、と拳を握ると、頭の中で花を一輪イメージする。

おそるおそる拳を開いてみると、アカリの手の中には一輪の白い花が入っていた。

その花を摘み、匂いを嗅いでみる。………ちゃんと花の匂いだ。本物と見ていいだろう。

ようやく、無言詠唱をマスターできた。改めて認識すると、言い知れぬ高揚感がアカリの身体を駆け巡る。

そうだ、無言詠唱使える様になったら一度やってみたいことがあったんだ。

ドキドキと早まる鼓動を押さえつけ、アカリはその場でパチン、と指を鳴らした。

するとアカリの足元から熱風と共に紅蓮の炎がぶわりと這い出る。とぐろを巻くように絡み付く炎は、アカリの肌を赤く照らすとすぐに消え去った。

「……………すごい」

ぽつり、とそう呟くとアカリは先程までのため息をどこへやったのか、上機嫌で歩き出した。今なら外に出てお散歩、というのも楽しそうに思える。

ちょうど玄関ホールの中央階段に出た時、大きな玄関の扉が重い音を立てて開いた。
冷気と共に外から入って来たのは、ヴォルデモート卿を筆頭とする死喰い人たちの姿。

タイミングの悪さに嫌気が差し、アカリは引き返そうと一歩後ずさる。しかし、アカリは、ヴォルデモート卿達が皆ローブを赤黒く染めていることに気がついた。
異様な出で立ちにその場で愕然としていると、ヴォルデモート卿が階段で立ち尽くすアカリに気づき、声を掛ける。

「………アカリ?何をしているんだ」
「え、あ…………」

ヴォルデモート卿に話しかけられ、アカリは漸くハッと意識を取り戻した。あまり働かない脳では上手い言い訳が通用せず、視線を彷徨わせながら言葉に詰まる。
背後の死喰い人達を置いてヴォルデモート卿は階段を上りアカリの元へとやって来た。

「あ、あの、怪我!大丈夫ですか!?」

一歩一歩、階段を上るヴォルデモート卿との距離が近づくにつれ、アカリの胸の鼓動は速くなる。
しかしその分鮮明になるローブの染みがアカリの顔から血の気を引かせた。
アカリは思わずヴォルデモート卿に駆け寄り、血に濡れたローブをそっと触る。

「これは私のではなく、返り血だ」
「じゃあ、怪我は」
「するわけがないだろう」
「……………よかった」

アカリはほっと胸を撫で下ろす。
ローブはまだ湿っていて、出血しているならば早々に止血をしなければならないところだった。

「………………」

ヴォルデモート卿は、自分の返事に安堵した様な表情を浮かべたアカリを見下ろす。ほんの少しだけ眉根を寄せた彼は、何やら考え込んでいる様だった。

「我が君、お話中失礼致します。奴等は地下牢に運び入れて宜しいでしょうか」
「………ああ、そうしておけ」
「畏まりました」

アカリがヴォルデモート卿を見上げ、彼が微妙な表情を浮かべていることに小首を傾げると、ヴォルデモート卿の背後から一人の死喰い人が頭を垂れながら声を掛けてきた。
ヴォルデモート卿が短い一言を返すと、死喰い人はそそくさと下がる。
階下では、まだ二人にチラチラと目線をやる死喰い人がいた。

「…………お出かけ、ですか?」
「勧誘に行っていた」

その死喰い人らに目をやりながらアカリが尋ねる。
ヴォルデモート卿は自室へと戻ろうと歩き出したが、数歩で止まった。
彼はその場で振り返り、背後のアカリの顔をじっと見つめる。
アカリは突然無言で見つめられ胸がとくん、と鳴ったものの動揺を悟られない様表情に気を使いながらヴォルデモート卿の赤い瞳を見つめ返した。

「…………お前も来い」
「え?」

アカリはその言葉の意味に質問する暇もなくローブを翻したヴォルデモート卿を追う。足早に歩く彼は、一体どこに向かっているのだろうか。

「あの、どこに?」
「地下牢」

地下牢、とは。そういえばさっき死喰い人が地下牢に連れて行くだの何だのって言っていたような。

「そこに誰がいるんですか?」
「騎士団のメンバーだ」

さらりとそう言い放ったヴォルデモート卿の言葉に、アカリは言葉を詰まらせた。

「……………不死鳥の騎士団、ですか」
「ああ」

ヴォルデモート卿は隣のアカリをちらりと見やり、すぐに視線を正面に戻す。アカリはそれに気づかず、唇を引き結び僅かに目を伏せぐるぐると考え込んでいた。

不死鳥の騎士団。ヴォルデモート卿率いる闇の陣営に対抗するべくダンブルドアによって結成された組織だ。
確かに今は騎士団との抗争が激化している時期ではある。これから行く地下牢で何が行われるのか想像するのは、実に容易いことだった。

二人は寒々しい地下牢へと降りると、何人もの死喰い人がその場に立っていた。ヴォルデモート卿の姿を見ると一斉に頭を下げて退く。その場にできた道の先には、何人かの男が冷たい床に転がっていた。
本来は白かったであろうシャツを真っ赤に染めるほどの量の血を流し、男たちはぜいぜいと喘いでいる。そんな彼らを見て、アカリは息を呑み、ごくりと喉を鳴らした。

「さて、まずは起きてもらわねばならないな」

ヴォルデモート卿の声が寒々しい地下牢に響く。アカリを残して男たちの方へと向かったヴォルデモート卿は、杖を振った。すると男たちの身体がびくりと跳ね、掠れた声がいくつか上がった。

「っ、こ、こは……………」
「漸くお目覚めか」

床に転がった男たちを見下ろして、ヴォルデモート卿は猫なで声を出す。こちらに背を向けているため顔は見えないが、きっと唇に薄い笑みを浮かべているのだろうとアカリは思った。

「まずは自己紹介としよう。
私はヴォルデモート卿。闇の帝王と呼ばれる者だ」

彼がその名を名乗った瞬間、ヒッというか細い悲鳴が上がった。くつくつと笑うヴォルデモート卿は、男たちの顔を見るとふと瞳を細める。

「ああ、お前たちは間違いなく騎士団の者だな………先日厄介になった」

男たちの顔を確認していた彼はある一人の男に目をやると視線を止めた。

「名は何という?」
「お前に教える名などない」

男は勇敢にもヴォルデモート卿に食ってかかった。ヴォルデモート卿の赤い瞳を見据えながら、男はきっと唇を引き結ぶ。ヴォルデモート卿はその男を一瞬無表情で見つめると、口端を吊り上げた。

「なるほどなるほど。元気のあって結構なことだ」

ヴォルデモート卿はくつくつと笑いながら男の顔から目を離す。男たちの周りをゆっくりとした足取りで周ると、彼は男たちに向かって問いかける。アカリはその猫なで声を聞いて、背筋がぞわりと震えた。

「一つ、質問がある。不死鳥の騎士団について何か話すことはないか?」
「ない」

先ほどの男はきっぱりとそう言い切った。冷たく暗いこの場には似合わない、芯の通った力強い声だった。

「お前に話すことなど、一つもない。死んだほうがマシだ」
「そうか…………それは残念だ」

ヴォルデモート卿は全くそうは思っていない声色で言うと、背後の死喰い人に向かって声をかけた。

「ベラトリックス」
「お任せください、我が君」
「一人ずつ嬲れ」

ヴォルデモート卿がぞっとするほど冷たい声で呼んだのは、黒い髪の女、ベラトリックス。
死喰い人たちの中から現れた彼女は恭しくヴォルデモート卿に頭を下げた。

ベラトリックスが嬉々として男たちに駆け寄ると、まず一人、その場から引きずって移動させた。先ほどの男の正面に来るよう配置すると、杖を振り上げる。

「クルーシオ!」

ベラトリックスの詠唱、そして男の絶叫。光線をもろに浴びた男は、その場をのたうち回り悲鳴をあげる。何度も何度も磔の呪いをかけ続けるベラトリックスは、ニヤニヤと愉しげな笑みを浮かべていた。

「や、やめろ!やめてくれ!」

仲間が目の前でのたうち回っているのを見て我慢ができなかったのか、男が声を上げた。ヴォルデモート卿が手で制止し、ベラトリックスは呪文をかけるのを止める。男は喉が潰れたのか、掠れた音しか聞こえない。身体を大きく上下させ、酸素を求めていた。

「やめてくれ、やるなら俺にしろ!」
「何故?」
「この中のリーダーは俺だ!」
「ほう、それはいいことを聞いた」

ヴォルデモート卿は薄く笑うとベラトリックスに目線をやった。それは、鳥肌が立つほどに冷たい笑みだった。

「ならば、お前が言いたくなるまでやり続けるしかないな」

そして男の絶叫が再開された。劈く悲鳴は地下牢に木霊する。
そんな凄惨な現場を目の当たりにしたアカリは、男たちに負けないほど顔を青くさせていた。震える手で口を覆い、思わず声が出ないようにと押さえつけている。
悲鳴が満ちるこの部屋から、逃げ出したかった。
引き攣るような男の悲鳴も、愉しげに笑うベラトリックスも、冷たい目をしているヴォルデモート卿も、何もかもが恐ろしくて堪らない。
あまりの恐ろしさにアカリは思わずぎゅっと硬く瞼を閉じ、視界をシャットダウンした。

「−−−話す!全部話す、だからもう、止めてくれ!」

悲鳴のような声で、リーダーの男が叫んだ。その言葉にベラトリックスは杖を止め、ヴォルデモート卿を伺う。
ヴォルデモート卿は薄笑いを浮かべたまま、満足そうに頷きベラトリックスを下げさせた。

「それは賢明な判断だ………さて、何から話して頂こうか」

磔の呪いをかけられ続けた男は、涙や涎などの体液で顔をぐちゃぐちゃにさせ、その場に横たわっていた。ベラトリックスがその身体を足で突いたことによって、アカリは男と目が合ってしまった。
焦点の定まっていない、濁った瞳と真っ直ぐ視線がぶつかり合ったことで、アカリはぞっとした。
まるで、死体のようだ、と。生きている人間とは到底思えない程に、光のない瞳。
何故かその瞳から目が離せないでいると、下がったはずのベラトリックスがアカリの隣にするりとやって来た。

「怖いか?」
「…………………」

少しだけ面白がるような声色で問われ、アカリはやっと男の瞳から目を逸らした。冷たい石の床を見下ろし、口を噤む。

「この程度で怖いなんて、やっぱりアンタは甘っちょろいよ」
「…………怖くなんて、」
「そんなに震えているくせに」

蔑むように、そう吐き捨てたベラトリックスは正面の男たちとヴォルデモート卿を見やる。アカリはその言葉に、震えている手を握りしめた。

「アンタの所為で、もう何人も死んでる」
「…………そんなこと、ない」
「いいやあるね」

アカリが俯きながらか細い声で反論を口にすると、ベラトリックスは強い口調で否定した。
リーダーの男は、早口に何事かをヴォルデモート卿に伝えている。周りの男たちは怯えるようにただ身体を震わせていた。

「アンタは弱い。アンタの所為で幾人もの人間が死んだのに、認めようともしない。その上人を殺せもしないほど弱いアンタは、帝王に相応しくない。そんなアンタが帝王に気に入られ続けるなんて、あり得ないに決まっているじゃないか」

そのベラトリックスの言葉は、まるで鋭利な刃物のようで。冷たい刃物はぐさりとアカリの胸に突き刺さり、そのまま深く抉った。抉られた傷口からは、ドロドロとした何かが溢れ出てくる。

嗚呼、これは、今まで見て見ぬ振りをして来た、数々の罪だ−−−。

「わ、たしは、弱くない………」
「まだ言い張るのかい?認めちまいなよ」
「弱くない、弱くなんてない」
「…………強情だねえ」
「わたし、は、弱くない、だから、」

だからわたしは、ヴォルデモート卿の側にいられる。捨てられるなんて、あり得ない。

その言外に隠されたアカリの言葉を、ベラトリックスはすぐさま見抜いた。すっと細めた瞳には、苛立ちと、愉悦と、優越感が漂っている。

「−−−なるほど、確かに嘘でないようだ」

ヴォルデモート卿の言葉が響き、アカリは顔を上げる。リーダーの男は項垂れ、ヴォルデモート卿は機嫌が良さそうだ。どうやら話は終わったらしい。

「ご苦労だった。お前たちのおかげで有益な情報を手にすることができた」
「な、ならば、命だけは…………!」

周りで震えていた男の一人が、ヴォルデモート卿の言葉を耳にし必死に訴える。同調するように頷く男たちの中で、リーダーの男は唇を噛み締め俯いていた。

「命を助けて欲しい、と」
「記憶を消してくれさえすれば、誰にも言わない!だから、命だけは助けてくれ………!」
「この、身の程知らずのクソ共が!」

男たちのみっともない姿に苛ついたのか、アカリの隣でベラトリックスが吠える。何やら汚い言葉で罵倒するベラトリックスをヴォルデモート卿は手で制すと、リーダーの男が意志の強い瞳を携えてヴォルデモート卿を見上げた。

「ならば、俺を殺してくれ」
「お、おい、何を言っているんだ…………!?」
「生きて帰れないことは承知の上だ。それなら、俺を殺してくれ。他の奴は見逃してやって欲しい」

そう言って、頭を下げる。周りの男たちはふざけるなと怒りを露わにし怒鳴った。
そんな男たちを見て、ヴォルデモート卿は少しばかり考えた後、ゆっくりと頷いた。

「いいだろう」
「ほ、本当か………!?」
「ああ、犠牲を払うのならば、生かしてやる」

そう答えるヴォルデモート卿の声色には、何故か愉しげな色を含んでいて。そのことに気がつかない男は喜びを浮かべ、心の底から感謝をしていた。

「では、犠牲を払っていただこう」

ヴォルデモート卿が杖を構え、リーダーの男は顔を強張らせる。そして周りの男たちに笑いかけると、静かに瞼を下ろし、口を引き結んだ。
周りの男たちはリーダーの名を呼び、やめろ、と泣いている。
そして、ヴォルデモート卿が杖を振った。

「アバタケタブラ」
「っ−−−!」

そうして放たれた緑の光線は、リーダーの男−−−を通り過ぎ、真後ろの男を貫いた。

「え………?」
「アバタケタブラ」

襲ってくるはずの衝撃が何もなく、その代わりに後ろからドサリという音が聞こえてきた男は、真後ろを振り向いて愕然とした。その間にも、緑に貫かれまた一人崩れ落ちる。

「な、何をしているんだ!?約束が違うじゃないか!」
「とんだ馬鹿だな」

男から訴えられたヴォルデモート卿は、鼻で笑うと杖を振ってリーダーの男の周りの命を奪った。
怒りと悲しみに満ちた表情を浮かべる男は、ぶるぶると震えている。

「お前以外を助けてやる、とは一言も言っていない」
「そんな…………!」

冷淡な言葉に、男は悲鳴のような叫びを上げる。男の反応に、ヴォルデモート卿は満足気な笑みを浮かべた。

「自分だけが生き残った気分はどうだ?死なずに済んだ、と安心しただろう?」
「ふざけるな!そんなわけないだろう!」

男は怒りからか顔を赤くし吠える。当のヴォルデモート卿は涼しげに男を見下ろしていた。

「俺の命で皆が救えるならと、そう思っていたのに…………!」
「は、お綺麗なことだ」

鼻で笑ったヴォルデモート卿はつまらなそうな目で男を見る。瞳の温度が下がったことに気づいた男は、びくりと肩を揺らした。

「いいだろう、お前の望み通り殺してやる」
「我が君」

興味が失せたように軽く杖を振りかけたヴォルデモート卿に、アカリの隣にいたベラトリックスが声をかける。

「なんだ、ベラトリックス」
「そのような者、我が君の手にかけるまでもありません」
「確かにそうだな、ベラトリックスお前が−−−」
「いいえ、我が君」

ベラトリックスは静かに首を振る。
そんなベラトリックスを訝しげな目で見たヴォルデモート卿は、その言葉の続きを促した。

「−−−蛇姫様に、託されては如何でしょう」
「は………!?」
「………………」

ベラトリックスの言葉に、アカリは目を見張り次いで鋭くベラトリックスを睨む。そんな視線を物ともせずベラトリックスはヴォルデモート卿を見つめていた。

「ちょ、何を言って………」
「……………いいだろう」
「卿!?」

暫し黙り込み、何やら考えていたヴォルデモート卿はゆっくりと頷く。
アカリは信じられないとでも言いたげに瞳を見開いてヴォルデモート卿を見た。
ヴォルデモート卿が手で合図すると、死喰い人は皆退出して行った。ベラトリックスはアカリにニヤリと口を歪ませ瞳を細めると、他の死喰い人に続いて行く。
その後ろ姿を呆然と見ていたアカリは、こつりと響いた足音にハッとしヴォルデモート卿を振り向いた。

「アカリ、来い」
「……………卿、」
「アカリ」

その場から動けずにいたアカリは、ヴォルデモート卿に静かに名を呼ばれ、漸く足を動かす。
ゆっくりとした動作でヴォルデモート卿の元まで行くと、その場から男を見下ろした。

「君が、蛇姫……?まだ子供じゃないか!」
「……………わたしのこと、知っているの?」
「…………………………」

思わず、というように呟かれた言葉に、アカリはびくりと反応した。
男は少しの間黙り込み、口を開く。

「蛇姫、と呼ばれる女が闇の帝王の側にいる。我々の間では有名な話だ」
「…………………」

有名、と。そう言われアカリは眉をひそめた。そんなアカリの様子を知らず、男は訴えかけるようにしてアカリに話しかける。

「ここは君みたいな子供がいるべきところじゃない。騎士団に助けを求めれば、きっと−−−!」
「アカリ」

その男の言葉を遮るように、ヴォルデモート卿はアカリの名を呼ぶ。アカリはその声に反応し、彼の顔を見上げた。

「杖を」

そう言われ、アカリはゆっくりとした動作で上着のポケットから杖を取り出す。ほんの少し、手が震えているのに気がついた。

「…………………アカリちゃん」

アカリが杖を取り出した時、男は助けを求めるようにアカリの名を呼んだ。
突然名を呼ばれ、アカリはびくりと肩を震わせる。そんなアカリを見て、男は悲痛に顔を歪めた。

「アカリちゃん、君はこんなことをしてはいけない!人の命を殺めるなんて、とても罪が重いことだ!」
「………………」

その真摯な声に、アカリの手は震えを増す。ヴォルデモート卿は無言のままアカリを見下ろしていた。

「杖を下ろすんだ、アカリちゃん」
「アカリ」

再び、ヴォルデモート卿に名を呼ばれた。その穏やかで静かな声に、アカリは彼を見上げる。ヴォルデモート卿はアカリと目が合うと、その赤い瞳を細めた。

「呪文は、わかるだろう」
「………………っ」

静かな声に促され、アカリは杖先を男に向ける。男は眉を下げ、懇願するようにアカリを見つめていた。その目から逃げるように俯いたアカリは、ここから逃げ出したくて仕方がなかった。先ほど感じた恐怖とは比べ物にならない。
わたしは今、人の命を奪おうとしている。この手で、人を、殺そうとしているんだ。

「アカリちゃん、やはり君はこんなこと向いていない」
「…………………」
「今ならまだ間に合う。騎士団に助けを求め、もう一度やり直そう。大丈夫、君の居場所は外にもあるんだ」
「……………い」
「え?」

男の言葉に、アカリはぴくりと微かに反応し、声を発した。小さなその声は、男には届かず思わず聞き返す。アカリは顔を上げると、男を真っ直ぐに見下ろした。

「貴方には、わからない」
「アカリちゃん………?」
「わたしの居場所は、………わたしの存在理由は、ここにあるの」
「アカリ」
「−−−アバタケタブラ」

アカリの瞳に映った色に、男は困惑の声を上げる。
微かな笑みを含んだヴォルデモート卿の声に促され、アカリは静かに呪いを口ずさんだ。

杖先から放たれた禍々しい緑は、男の胸を貫く。びくり、と一度身体を痙攣させると、男はそのまま後ろに倒れこんだ。

耳が痛くなるほどの沈黙が地下牢を支配する。その中で、アカリは足元に転がっている男をぼんやりと見ていた。

−−−殺してしまった。わたしが、この手で、命を奪った。
今目の前にあるこの男は、もう死んでいて。ほんの少し前までわたしの名前を呼んでいたのに。 もう、足元に転がっているこれは、死体なんだ。

「アカリ」

男を見つめながら、ぐるぐると頭の中で言葉を吐き出していると、ヴォルデモート卿に名を呼ばれる。それにぴくりとも反応せず、ただ前を見ていると、ふいにカタカタと小刻みに震えている腕を取られた。

アカリの手首を緩く掴むと、ヴォルデモート卿は背後の扉へと足を進める。アカリは手を引かれる力に従い、足を動かした。
地下牢を出ると、そこにはずらりと並ぶ死喰い人の姿が。ヴォルデモート卿は一言、「片付けろ」とだけ言うとアカリの手を引いたままその場を離れる。

アカリは俯き気味に赤い絨毯を目で追っていた。彼に掴まれている手首が、じんじんと熱く疼く。
ベラトリックスとすれ違った瞬間、彼女が悔しそうに顔を歪めたのを、アカリは知らない。

どれくらい歩いたのだろう。
ぼんやりと絨毯を見つめながら歩いていると、漸く前のヴォルデモート卿が足を止め、扉を開けた。大人しくついて行くと、そこは彼の自室らしい。黒い革張りのソファに腰を下ろしたヴォルデモート卿の隣に同じように座る。

「どうだった」

ヴォルデモート卿のその一言が部屋に落ち、沈黙が満ちる。
その質問の意図は、わかっているつもりだ。ぐるぐると頭の中で考えながら、アカリは薄く口を開いた。

「今まで、『死』なんて身近に経験したことがなくて」

ぽつり、と呟くその言葉を、ヴォルデモート卿は無言のまま受け止めてくれている。そのことに安堵しつつ、アカリは言葉の先を紡ぐ。

「小説やテレビでの中の『死』は恐ろしいもので、わたしも酷く恐れていたんです」

でも、と続けるアカリの顔は、感情が抜け落ちたような無表情で。抑揚のない声も相まって、まるで人形のようだった。

「さっき、あの人を、………殺して。
ただただ怖かった。目の前にわたしの名を呼び懇願している人がいるのも、その人を殺そうと凶器を向けている事も、わたしが彼を殺そうとしている事実も、全部怖かった。

でも、あの人がわたしに他にも居場所はあるんだと、まだやり直せるんだと言った時に、その恐怖が全部掻き消えたんです」

アカリはそこで言葉を止め、ぎゅ、と手を強く握りしめる。
カタカタと震える手は、どれだけ強く握っても止まらない。

「ただ、杖を向けて呪文を口ずさむだけであっという間に『死』を迎えた。現実味も、自覚も、まだ全然ないし、まだぼんやりしているけど。
あの時一番強く感じたのは恐怖でも怒りでもなくて。

ただ、『人が死ぬのって存外呆気ないな』って、そう思ったんです」

そう言い終えたアカリは、自分の手を見つめる。強く握りすぎて関節が白く浮き出た拳は、それでも尚震えていた。

そして、暫しの沈黙。肌に重い空気が突き刺さり痛みを伴った時、アカリの隣のヴォルデモート卿がク、と微かな笑い声をあげた。

「呆気ない、か。
やはり、お前は面白い………!」

ヴォルデモート卿はそう心底愉快そうな声を上げる。
アカリはそんな彼を見上げると、彼の赤い瞳と目が合った。

「前々から変な女だとは思っていたが、相当だな。人を殺しておいて呆気ない、だなんて言う者は早々いないぞ」

くつくつと喉の奥で笑うヴォルデモート卿は、片手で口元を覆った。

「アカリ」
「は、い」
「よくやった」

そう穏やかな声色で言うと、ヴォルデモート卿は優美な笑みを浮かべた。その笑みを目の当たりにして、アカリは思わず目を丸くさせる。

「……………卿」
「なんだ」
「わ、たし」

アカリはふと視線を落とし、拳を再度握る。ギリ、と強く力を込められたそれは爪が食い込み、血が滲むほどだった。

「……………わたし、ここにいていいですか」
「……………………」
「わたし、他の居場所なんていらない。貴方の、隣にいたい……………!」

心の底からの懇願を、アカリは振り絞った。苦しげに歪んだ表情も、微かに震える声も、血が滴るほど握りしめた拳も。全て、アカリの想いから成るものだった。

「…………アカリ」

静かに名を呼ばれ、アカリはびくりと震える。

何を言われるのだろう。お前なんていらないと、言われるのだろうか。ここに、居場所なんてないと。

悪い予想ばかりが頭を駆け巡る。恐怖のあまり、アカリはギュッと目を瞑る。出来ることなら、耳にも蓋をしてしまいたい。

「私がいつ、お前を捨てるなどと言った?」
「…………………………え?」

長い長い、沈黙の末にアカリは素っ頓狂な声を上げた。予想していたものとは違う、アカリの求めていた答えが聞こえ、一瞬アカリは耳を疑う。
ぽかん、と口を開け呆然としているアカリを見ると、ヴォルデモート卿は微かに笑った。

そして、彼はアカリの手を取る。
強く握りすぎて血が滴っているそれを目に留めると、仕方がないとでも言いたげに溜息を吐き拳を開かせた。
次いでアカリの手を口元へ持っていくと、唇がその傷口に触れる。
ギョッとしたアカリが反射的に手を引っ込めようとするのを視線だけで制し、ヴォルデモート卿は傷口に口付けると、そのまま舌を這わせた。

生温い舌が、傷ついて敏感になった傷口を這う。びくりと身体を震わせたアカリはパニックになりながらもどうにかして手を離してもらおうと力を込めるが、何故だかとても神聖な儀式を見ているような錯覚に陥り、動きを止めた。
伏し目がちの瞳やちろりと見え隠れする赤い舌が、妙に艶かしい。漸くヴォルデモート卿が口を離す頃には、アカリの顔は真っ赤に染まっていた。

「………どうした?」
「へ、や、あの、」

ク、と喉の奥で低く笑われ、アカリはハッと意識を取り戻す。あたふたと視線を彷徨わせるアカリの名を、ヴォルデモート卿は静かに呼ぶ。

「…………アカリ」
「卿、」

深紅の瞳から目が離せない。口元を歪ませたヴォルデモート卿は、身震いするほどに美しい笑みを浮かべる。
ヴォルデモート卿はその笑みに目を奪われ、ほう、と惚けているアカリの手首を突然強く引っ張った。

突然の力に抗うこともできず、引き寄せられるがまま、ヴォルデモート卿の身体に崩れ落ちる。一瞬香る濃厚な薔薇の芳香にくらりと頭が揺らめく。瞬きをしながら手をつき、顔を上げるとこちらを覗き込むヴォルデモート卿と目が合った。
想像以上に近い距離にあったその瞳に驚く間も無く、ヴォルデモート卿はゆるりと瞳を細める。
深紅の瞳の奥深く、ドロリとした熱を感じ取ったアカリはその熱に絡め取られたように身体を固くさせた。
瞳に薄く涙の膜を張り、頬を紅潮させたアカリを見て、ヴォルデモート卿は笑みを浮かべたまま手をゆっくりと持ち上げアカリの顔に触れる。

「アカリ」

再度名を呼ばれ、アカリは睫毛を震わせる。そんなアカリの頬をするりと撫でると、ヴォルデモート卿は瞼に触れた。
冷たい指先で促され、そっと瞼を閉じる。
視覚が遮断され、アカリは自身の体内で鳴り響く鼓動がより一層煩く聞こえた。心臓が肉を突き破って飛び出てきそうだ。

ギシ、というソファが軋む音がして、薔薇の香りが一層濃くなる。
するりと首裏に手が回されたのを感じたアカリは、力が込められ引き寄せられるほんの少し前に、薄く口を開いた。

「…………すきです」

その祈りのような小さな呟きは、果たして彼に届いたのだろうか。
一瞬の間を置いて、アカリは唇に柔らかい感触と熱を感じる。
それはアカリの呟きを飲み込んでしまおうとするかのように深い、深いキス。

彼に聞こえているかもしれない、と心配になるほどに煩い鼓動。掌や頬、唇に疼く熱。そして、彼から香る薔薇の匂い。
何もかもが麻薬のように脳髄に染み込んで、ドロドロと溶けてしまいそうだった。

「ん、っ………」

唇が離れた瞬間、アカリは酸素を求めて口を開く。しかしまともに息を吸う暇もなく、強引に再度口付けられる。
噛み付くように唇が触れたかと思えば、何か生暖かいモノがぬるりと口の中に入って来た。

蛇のように滑り込む彼の舌が口内を蹂躙し、奥で縮こまっていたアカリの舌を絡め取る。

その初めての感覚に、ぞくりと背筋が粟立った。身体の奥からせり上がってくる何かを耐え忍ぶように、アカリはヴォルデモート卿の胸元のシャツを掴む。

目を閉じていることで聴覚が研ぎ澄まされ、水音や息遣い、そして思わず出てしまう自分の声が嫌でも聞こえてくる。それがとても恥ずかしいのだけれど、どうしようもできない。

びくびくと身体を跳ねさせるアカリを目を開けて見ていたヴォルデモート卿は、赤い瞳を細めるとさらに奥深くへと潜り込むように、口付けたままアカリの身体を押し倒す。

とさり、と後頭部がソファに倒れる。
ちゅ、というリップ音を残し、ヴォルデモート卿は僅かに顔を離した。
アカリは息を乱しながら、目と鼻の先にある端正な顔を見上げる。
ヴォルデモート卿は自分とは違い顔色一つ変えていない。悔しい、と思うものの、今は息を整えるのに精一杯だ。
視界いっぱいに広がる彼の顔。その中でも目を惹く、緋色の瞳を細めると、彼は少しだけ笑みを浮かべた。

その笑みに思わずアカリが目を見開くのと同時に、再度口付けられる。
胸元のボタンに手が掛けられたのを感じて、アカリはそっと瞼を閉じた。

…………つい数十分前に感じたあの恐怖は、どこにもない。この手で人を殺したというのに、あの言い知れぬ恐ろしさはどこかへと行ってしまった。自分の薄情さに、自嘲の笑みが込み上げてくる。

わたしは、もう目を逸らさない。
わたしのために何人もの人間が犠牲になった。そして、わたし自身の手で一人の人間の命を奪った。
これは全て現実で、同時にわたしがこの世界に存在することを証明する『証』でもある。

……………わたしは、闇の帝王を愛してしまった。
誰よりも冷徹で、孤独で、不器用な優しさを持つ彼を、愛してしまった。
愛を知らない彼に、この想いは届くのだろうか。確率が低すぎることはわかっている。それでも、自制できないものなのだと身をもって知った。

彼の側にいたい。それがわたしの願いで、望むもの。
わたしはわたしの望みのために、出来うることを何でもしよう。覚悟は、もう出来た。
この世界に楯突くことになろうとも、それでいい。わたしは、彼と共にいたい。それだけだ。

心の奥深く、誰も知らない誓いを仕舞い込み鍵を掛ける。この扉を開け放つことは、きっとない。
薔薇の匂いに包まれたアカリは、誓いを胸に、ヴォルデモート卿の背中にそっと手を伸ばす。
ぎゅ、と抱き着けば、彼の動きがほんの一瞬止まった。

…………好き。

心の中で、ぽつりとそう呟く。誰にも届かないその呟きは、ヴォルデモート卿の熱に取り込まれ、じわりと溶けた。

prev next

[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -