星の導き、揺れる天秤


「うーん………」

唸り声をあげたアカリは、ベッドの中で微かに身動ぎをする。
外から鳥のさえずりが聞こえてきて、漸くアカリは瞼を開けた。

薄目を開け、ぼんやりと床を見つめゆっくりと起き上がる。
うつ伏せで寝ていたせいだろう、身体のあちこちが痛い。

大きく伸びをすれば、パキッと骨が鳴る。はあ、と息を吐いて腕を下ろした。
疲れからか、どうにもすっきりしない。枕を背に立て、そこに身を預ける。毛布を引き寄せて足を抱え込むと、少しだけ暖かくなった。
その格好のまま、昨日のことを思い出してみる。

昨日は、初めてドレスを着て、初めてちゃんと化粧をして、初めてあんなパーティーに出た。
初めてだらけの一日だったけど、その中でも一番印象に残っているのは、やっぱり。

ヴォルデモート卿との、キスだろう。
初めてのキスは、想像してたものとは全然違って。熱くて、苦しくて。ただただ頭が真っ白になった。

手の甲を、唇に押し当てる。何も感じない。唇ではないからだろうか。あの柔らかさも、熱も、何も無い。

顔が熱くなるのと同時に、心臓がうるさくなる。心臓だけ、別の生き物になったみたいだ。

体内で響く鼓動を耳に、きゅっと胸元を掴む。
ああ、苦しい。苦しくて苦しくてたまらない。でも、嫌じゃない。

でも、どうしてこんなに苦しいのだろう。
キスをされたからだろうか。それとも。

相手が、ヴォルデモート卿だから?


……………まさか。

そんな馬鹿らしい考えを振り払い、手の甲に唇を寄せ、瞼を閉じたままさらに身体を縮こませる。
そうすると、全身が心臓になったように、鼓動がより一層響いた。

***

サフィアが食事を持ってきたことにより、アカリは漸くベッドから抜け出した。

昨日アカリが放ってしまった靴とドレスはクローゼットに仕舞われ、チョーカーはきちんと箱に入った状態でドレッサーの上に置かれている。
ふとドレッサーを見てみると、そこにはチェーンが通った指輪が置いてある。

あ、と声を上げて胸元を触ると、普段そこにあるはずのものが、ない。
指輪を拾い上げ、首に下げる。
そうか、昨日チョーカーをしていたから外されたんだ。
いつもの定位置に指輪が来ると、どこか安心感を覚えた。

そして書庫へと向かうべく、アカリは身なりを整え頭から魔法をかける。目くらまし呪文だ。

頭から冷たい何かに覆われるのを感じ、廊下へと出たアカリは分厚い絨毯が敷かれた廊下を進む。
しばらく歩いたところで、向こうから人が近づいてくるのがわかった。
すかさず壁にぴっとりと張り付き、息を潜めてその人物を伺う。
はっきりと見えてきたその人物は、相も変わらず真っ黒なローブに身を包んだヴォルデモート卿だった。

その姿を目に入れた瞬間、安堵と緊張がアカリの心臓を支配する。相反する二つの感情に内心首を傾げながらも術を解き、ヴォルデモート卿の前に姿を現した。

「卿、おはようございます」
「私はもう昼だと認識していたのだが、まだ寝ていたのか?」
「疲れてたんです」

仕方ないでしょ、と微かにムッと唇を尖らせたアカリに呆れたような目を向けたヴォルデモート卿は、ふと何かに気づいたかのように目を止めると、アカリへすっと手を伸ばした。
突然伸ばされた手に、アカリは反射的に身を竦める。
その手はアカリの頭に触れ、右耳の上あたりを何度か指先で撫でると、ふ、と馬鹿にしたような声が聞こえてきた。

「寝癖がついている」
「えっ」

アカリが思わず閉じていた瞼を開けると、ヴォルデモート卿は手を離す。

「あ…………」

そのまま何を言うでもなく、ヴォルデモート卿はアカリの横を通り過ぎる。
ヴォルデモート卿の手が離れた瞬間、アカリはついその手を引き止めてしまいそうになった。

………寂しい。行かないで。もっと、触れて欲しいのに。

ヴォルデモート卿の後ろ姿を見つめながら無意識にそんなことを心の中で呟くと、アカリはハッと息を呑み、意識を取り戻した。

…………何を考えているんだ。
寂しい、だなんて、思うはずがないのに。

自分で自分がわからなくなっていく。
昨日から、無意識のうちに心の中でわけのわからないことを呟いていることが何回かあったような気がする。
はあ、と息を吐くと、アカリは踵を返す。書庫まで行く気が、すっかり失せてしまっていたからだ。

***

今日も今日とて、雪が降っている。
曇が空を覆い、太陽をすっかり隠してしまっていた。
しんしんと降り積もる雪のおかげでホワイトクリスマスになったのだけど、そろそろ太陽が恋しい。

アカリはベッドに座り込み頭を窓に預けぼんやりと空を見上げながら、暇だなあ、と呟いた。

どこかへ行こうにもこの雪だし、今は歩きたくない。
かと言って、この部屋には何も無いし。

ぼんやりと考え込みながら、毛布をいじっていると、パチン、という軽い破裂音が部屋に響く。
サフィアだろうか、と顔を動かすと、そこには豊かな金髪を揺らす女性が立っていた。

「クローディアさん!?」
「ハーイ、アカリ。元気してた?」

にこやかに笑うその人は、ヒールを鳴らしながらソファに座る。
慌ててベッドから降り、同じようにソファに座ると、クローディアはアカリに向かって微笑んだ。

「これ、お土産。有名なチーズタルトよ」
「あ、どうも………」

手渡された紙袋を受け取り、テーブルの上に置く。
そして勢いよく振り返ると、クローディアに詰め寄った。

「って、なんでクローディアさんここに………!?」
「あら、いけない?」
「いけないというか、ここには死喰い人以外入れないはずじゃ………」
「あら、私を誰だと思っているの?」

ふふ、と笑みを零す彼女ならば、確かに無理矢理入り込むくらい難しくはないだろう。
それを察すると、アカリは苦笑を浮かべた。

トン、と指先でテーブルを叩くと、再び軽い破裂音がしてサフィアが姿を現す。ティーセットをトレイに乗せたサフィアは、クローディアを見て瞳を大きく開いた。

「サフィア、このことは内緒にしてね」

サフィアはアカリの言葉にこくりと頷くと、テーブルにトレイを乗せ、頭を下げると姿をくらませる。
さっそく紅茶の準備をしていると、クローディアが感心したように口を開いた。

「今のは、ここの屋敷しもべでしょう?仲がいいのね」
「数少ない話し相手ですから」

そう言って笑うと、アカリは紅茶を注いだカップをクローディアに差し出す。
クローディアはチーズタルトを袋から出し、皿を出現させるとその上に乗せた。

そうしてティータイムが始まり、チーズタルトを頬張る。濃厚なチーズの香りが鼻に抜け、サクサクとしたタルトの食感と相まってとても美味しい。

笑みを浮かべながら食べ進めるアカリを見て、クローディアは紅茶を一口飲むとカップをソーサーに置いた。

「ドレスは気に入ってくれたかしら?」
「はい、とても綺麗でした。ありがとうございます」

ならよかった、と笑うクローディアに、アカリは少しの疑問を投げつける。

「どうしてわたしにドレスを?」
「あら、私は星詠みだって言ったでしょう?未来のことを少しだけ覗き見したの」

すごい、とアカリが素直に感心したように言うと、クローディアは紫紺の瞳を微かに伏せた。

「………まあ、実際に『見た』のは私ではないけれどね」
「はい?」
「ふふ、何でもない」

小さな呟きがよく聞こえず聞き返すと、クローディアはそう言って首を振った。

「ああ、貴女のドレス姿見てみたかったわ」

それと、ドレスが贈られてきた時の彼の顔もね、と付け加えたクローディアは悪戯っぽく笑う。
そのおどけた言葉にアカリもつられてくすくすと笑い声を上げた。

「彼へのプレゼント、ちゃんと渡せた?」
「はい、頑張りました」
「そう。どんな反応だった?」

そう言われ、一昨日のことを思い出してみる。
………そういえば、羞恥心に負けプレゼントを押し付けるとすぐに逃げ出してしまったんだっけ。

そのことを伝えると、クローディアは一瞬ぽかん、と動きを止め、すぐに噴き出した。

「ふ、ふふ、逃げたって……!」
「……………そんなに笑わなくても」

口元を手で覆い、くすくすと笑い声を漏らしているクローディアを恨みがましそうに見たアカリは恥ずかしさを隠すようにティーカップに口をつける。

「だって、香水を贈るなんて大胆なことしてるのに、逃げるとは思わなかったんだもの」
「え?」

未だに口元を手で覆っているクローディアの一言に、アカリは思わず聞き返した。

「あの、大胆って、なんですか?」
「え?」

今度はクローディアが聞き返す番だった。二人揃って不思議そうな表情を浮かべていると、クローディアが再び勢いよく噴き出す。

「貴女、意味もわからずに贈ったの?香水を?」
「……………?」

またしても笑い続けるクローディアに、意味がわからないというように顔をしかめる。アカリの顔を見たクローディアは無理矢理笑みを抑えると、意地悪そうな表情を浮かべた。

「異性に香水を贈るのにはね、『恋人になりたい』って意味があるの」
「…………………はっ!?」

フランスでは独占したいって意味にもなるわね、と言いのけたクローディアに、アカリは素っ頓狂な声を上げる。
クローディアの言葉の意味を理解すると、アカリはぶわりと顔を真っ赤に染めた。

「そ、そんなの、知りません………!」
「あらそうだったの?確信犯だと思ってたわ」

アカリの赤い顔を見て、クローディアはにやり、と口角を上げる。
気恥ずかしさに苛まれ、アカリはクローディアから目を逸らした。

恋人になりたい、って、そんな。そんなこと、知らないし。

………………待てよ。卿はそのことを知っているのか?
わたしが意味を知らずに贈ったとしても、彼がもしも贈り物の意味を知っていたとしたら。

想像を膨らませていたアカリの顔色は赤から一気に青へと変わった。

ど、どうしよう。あの人は知識が豊富すぎるから、知っていたとしてもおかしくはない。だとしたら、わたしが恋人になりたい、という意味も込みで贈ったと勘違いされてたり………?

…………だから、キスされたのかな。
ちょっとした、遊びのつもりで。

そこまで考えると突然アカリの胸がズキズキと痛みだした。
ああ、またこの痛みだ。何度か経験した、原因のわからない痛み。
思わず胸に手をやり、ぎゅっと手で押さえつける。
その様子をじっと見つめていたクローディアが、ややあって口を開いた。

「ねえ、アカリ」
「はい?」

胸に置いていた手を離し、クローディアの方を向く。
するとクローディアは先程までと一転し、真剣な表情を浮かべていた。

「アカリは、彼のことをどう思っているの?」
「…………え?」

どう、とは。
質問の意図がわからず、アカリは微かに眉を寄せる。クローディアはそんなアカリの様子を何も言わずにじっと見つめている。
意図を測りかねるものの、何か答えを求められている、とだけはわかる。アカリは考えあぐねながらも口を開いた。

「お世話になっているなあと、」
「違う!」

食い気味で一喝され、アカリは思わず、え、と声を漏らした。

「そうじゃない、そうじゃないのよ。
……………アカリ」
「は、はい?」

地を這うような低い声で、クローディアはアカリの名を呼ぶ。困惑しつつも返事をすると、クローディアはアカリの目を見つめた。

「アカリ、貴女は−−−ヴォルデモート卿のことを、好きなのでしょう?」
「……………………………は?」

何を、言い出すかと思えば。好き?好き、って、なに。
突然の問いに、アカリは驚きのあまり口を開けて静止した。その様子を見たクローディアは思い切り顔を顰める。

「…………なるほど、自覚がないのね。厄介だわ」
「いやあの、好きってどういう、」
「恋愛的な意味に決まってるじゃない」
「れ、」

んあい。とは。
動揺からひくりと顔を引き攣らせ、アカリは言葉に詰まる。その顔が少しだけ赤くなっているのを見逃さなずクローディアは何かを考え込み始めた。
アカリは動揺を隠すように、カップを煽り紅茶を飲み干す。ティーポットを持ち上げ、静かに紅茶を注いだ。

「……………致し方ないわね」

熱い紅茶を啜り、ほっと息をつく。
するとクローディアがポットやタルトを端に退かせ、中央にスペースを作る。何をしているのか、とその様子を見ているとクローディアはおもむろに左腕を持ち上げた。

「《出でよ、黄道十二宮が一つ−−−『天秤宮』》」

クローディアが詠唱を口ずさむと、腕輪がそれに反応したかのように発光する。するとクローディアの掌から黄金の魔法陣が展開し、いつしかそこには一台の天秤が出現した。

「さて、始めましょうか」
「いやいやいやいや」

ちょっと待ってください、とアカリは慌てて彼女を制止する。当のクローディアはきょとんと瞳を瞬かせた。

「始めるって何ですか?どうして天秤…………?」
「ああ、説明がまだだったわね」

ぽん、と手を打つとクローディアは天秤をテーブルに置いた。シャラリと音を立てるその天秤は、黄金で出来ているようだ。

「この天秤はね、二択で答えられる問いに答えをくれるものなのよ」
「…………え、すごい」

それが本当ならば、とても便利だろう。小さいことから、未来についてを知ったりなど大きなことにも使えるのだから。

「そうね、でも万能じゃないの。絶対にYESかNOの二択じゃないといけないし、何より月に一度の新月の日にしか使えないのよ」
「やっぱりそうなんですか」

月に一度、か。なるほど、確かに制約がないと最強になってしまうし。

「今日は運のいいことに新月。ちょうどいいわ」
「どうして新月に限定されるんですか?」
「月がないと、星が綺麗に見えるでしょう?」

アカリはなるほど、と納得して頷いた。確かに理にかなっている。

「それじゃあ始めましょう。
アカリ、手を」

何だか流されたような気もするが、言われた通りに手を差し出す。
クローディアはその手を取り天秤の天辺に置くように言う。
素直に手を置くと、そこからひんやりとした感触を感じる。続きを促すように、クローディアを仰いだ。

「私の詠唱に続けて。それから、自分の名を名乗って質問するのよ」
「…………はい」

未だ納得がいかない様子のアカリを一瞥し、クローディアはおもむろに口を開くと、詠唱を始めた。

「《我、世の理を迷える者なり。我が問いに応え、導きを与えよ》」

一言一句、間違えないよう注意しながら復唱する。
そこで言葉を区切り口ごもっていると、クローディアに目で促される。
アカリは覚悟を決め、渋々口を開いた。

「《我、アカリは問う。
わたしは、ヴォルデモート卿のことが、…………………好き?》」

たっぷりと間をあけた先の言葉に、恥ずかしさを覚える。羞恥心による居心地の悪さにそわそわしていると、天秤が仄かに発光した。
驚いて手を離しそうになるもクローディアから離さないでと一喝され慌てて天辺を握る。
黄金の輝きを放つ天秤のその光が双方の受け皿に触れ、ゆっくりとした動作で傾く。
そして沈んだのは、右の受け皿。

「右は陽、正なる言の葉を表すもの」

アカリはクローディアを仰ぎ見る。彼女はアカリと目が合うと、静かに優しく微笑んだ。

「YES、ということよ」
「…………っ」

ひゅ、と息が止まった。

YES。わたしは、ヴォルデモート卿のことが、好き、なの?
じゃあ、あの人に対するモヤモヤや胸の痛みも、全部−−−?

「さて、じゃあ私はこれでお暇させていただくわ」
「えっ」

パチン、と指を鳴らし天秤を消し去るとクローディアは立ち上がる。
これだけ引っ掻き回しておいて、帰るなんて。
そんな非難がましいアカリの目を受けてもクローディアは微塵も気にしていないようだった。

「アカリ、あとは貴女と彼の問題よ。私はほんの少し、背中を押しただけ」

う、とアカリは言葉に詰まる。確かにそうだ。彼女に何かを求めるのは間違っているのだろう。でも、だからと言ってこのまま放置はいただけない。
尚も納得しきれていないのが伝わったのか、クローディアは苦笑を漏らした。

「貴女はこれからたくさん悩み、考えるでしょう。そしてその先に、どんな行動を取るのか。それは私にもわからないわ。星詠みの力や、未来を見通す眼を持っていたとしてもね」

元より未来なんて不確かなものに過ぎないわ、と語るクローディアの言葉には不思議と説得感のあるものだった。
クローディアはにこりと微笑み、アカリの髪をそっと撫でる。

「アカリ、貴女がこれからどんな行動をしようとそれは貴女の勝手だけれど。
どうか、悔いのない選択をすることを願うわ」

腰を屈め、アカリの頭の天辺に唇を落とすとクローディアは再び笑みを浮かべ、姿をくらませた。

誰もいなくなった部屋に静寂が訪れ、アカリは天秤のあった場所をじっと見つめる。

わたしは、ヴォルデモート卿のことが、好き。

天秤の示した答えはアカリの心を揺らすものだったけれど、不思議とすんなり受け入れることができた。
どこか、無意識のうちに自分でも感じ取っていたのかもしれない。
自分の胸を燻るこの感情の名前は、『恋』なのだと。

「……………どうすればいいんだろう」

恋だとわかったからといって、何をすればいいのかわからない。
何か行動を起こすべきなのだろうか。
いや、そもそもわたしが彼に恋をしたとしても、特に変わることはない。

だって、わたしが恋をしたヴォルデモート卿は、−−−愛を知らないのだから。

愛を知らず、そんなものはくだらない幻想だと、彼は言う。
そんな彼に、何ができるというのか。
想いを伝える?無理に決まっている。そんなことをしたところで軽蔑したかのような目で見られる様がありありと思い浮かぶ。

はあ、とため息を一つ吐きソファに横たわる。クッションに顔をうずめると、ふわりと花の匂いが鼻をくすぐった。

クローディアの香水だろうか。その匂いは心を安心させる作用でもあるのか落ち着かなかった心が落ち着いていくのがわかる。そのまま目を閉じ、迫り来る深い闇に身を任せる。
意識が完全に落ちる瞬間、アカリはふとあることを思い出した。

…………ああ、この包み込むような花の匂いは、ジャスミンの香りだ。

***

「……………ん」

何かが頭に触れたような気がして意識が浮上する。
ゆるゆると瞼を押し上げれば、視界の隅には黒い何かと見覚えのないティーカップ、そして本。寝起きのせいで回らない頭が億劫に感じたその時、頭上から微かに声が聞こえた。

「起きたのか」
「へ、卿………!?」

その声の主に気が付き、ガバリと身を起こす。隣には、優雅に足を組み読書に精を出すヴォルデモート卿の姿があった。

「また寝ていたのか?睡眠障害でも患っているのではないのか」
「……………そ、んなことない、です」

呆れたようなその表情を見て、何故だか胸が締め付けられるように痛んだ。
それと同時にクローディアとの会話を思い出し、遅れて羞恥心がやって来る。たまらずふい、と視線を外し座り直す。
視界の端でヴォルデモート卿が杖を振るのが見えた。

ふわりと浮いたティーカップがアカリのもとへとやって来る。彼は何も言わないけれど、きっとヴォルデモート卿が用意してくれたのだろう。
痛みが胸を支配するのを感じながら、カップを手に取る。一口啜ると、口の中にアールグレイの香りが広がった。

「誰か来たのか」
「え、と。………クローディアさんです」

正直に言っていいものか悩んだが、特にやましいことはしていないのだから素直に言ってもいいだろう。それた相手はクローディアだ。
そう判断したアカリの返事に、ヴォルデモート卿は鋭い舌打ちを一つ残す。

「あの年増め、のこのこやって来て何の用件だ」
「……………………えーっと」

咄嗟に上手い言い訳が出て来ず、思わず口篭る。本当のことなんて言えるわけがない。
彼女の魔法の天秤で、貴方に恋をしていることがわかりました、なんて。

つい思い出してしまい、一気に顔が熱くなる。

この部屋には、彼とわたしの二人しかいなくて。
わたしのすぐ隣には、彼がいて。
ほんの少し指を伸ばせば届いてしまいそうなほど近い距離にヴォルデモート卿がいるということに今更意識をしてしまう。
その顔の赤さを振り払うように頭を振るアカリの様子を見て、ヴォルデモート卿は怪訝そうな表情を浮かべた。

「何をしてる?」
「え!?いや、あの、……眠気が、取れなくて」

咄嗟に口をついて出た言い訳は酷いものだった。信じてもらえたとしても、本当に睡眠障害を患っているようではないか。
酷い自己嫌悪に陥っているアカリを余所に、ヴォルデモート卿は再び呆れたような顔をしたと思えば、ぽん、と彼のすぐ横にあるクッションを叩いた。アカリがついさっきまで枕にしていたクッションだ。
へ、と気の抜けた声を出したアカリにヴォルデモート卿はため息を一つ吐く。

「眠いのなら寝ろ、疲れているんだろう」

そうしてまたクッションを叩いた。
これは、あのクッションを使って寝ろ、と?

まさかの誘いに、アカリは漸く引いた熱が再び顔に集まるのを感じる。

顔を見られたくない、その一心で勢いよくクッションに倒れこんだ。

息を潜めるように浅く呼吸をしていると、するりと何かが頭に触れて思わず肩を強張らせる。
ヴォルデモート卿の細い指が、アカリの髪を梳いていた。
それを認識すると、顔がより一層熱くなる。
どくんどくんと体内で煩いくらいに鳴り響く心臓の音が彼に聞こえてしまわないか不安で、たまらずクッションに顔をうずめた。

尚も猫の毛でも梳いているかのように、その細い指はアカリの髪に触れる。
髪に神経は通っていないはずなのに、何故か触れられたところが熱くて、溶けてしまいそうだ、とアカリは思った。

アカリの心の奥で、何かが騒いでいる。今すぐここから出たい、本能のままに溢れ出てしまいたい。そんな叫びを押し込める。

………けれど、少しだけ、ほんの少しだけなら、許されるだろうか。

そうっとヴォルデモート卿のローブの裾を手繰り寄せ、小さく摘む。
たったそれだけなのに、酷く満たされたような気がした。

緩慢な指の動きに、彼の裾の手触りに、きゅっと胸が締め付けられて痛む。これが恋というのならば、なんて酷く辛い感情なのだろう。

−−−嗚呼、どうか、彼には気づかれませんように。

そう祈りながら、薔薇の香りに包まれたアカリは、そっと瞼を閉じた。


prev next

[back]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -