月の涙


さて、どうしようか。

わたしはどうやら廃棄されている暖炉の断面から飛び出てきたようだ。辺りを見回しても誰もいない。

「あ!羊皮紙、」

そういえばこういう時用に渡されていたんだった。
もしかしてあの人はこうなるだろうと確信でもしていたのだろうか。
そんなことを考えながら、慌ててポケットから手探りで取り出した羊皮紙を広げる。

「『Mensis lacrimarum』……」

メンシス・ラクリマルム。その一言のみしか書いていない。何の店なのだろうか。

……というか。

「店の場所知らないんだけど」

名前だけ教えてもらっても場所知らなかったらどうしようも出来ないだろう。

……………終わった。煙突飛行粉なんて持ってないし、杖もまだ買っていないから魔法も使えない。しかも一文無し。

「……と、とりあえず、そこら辺歩いてみよ」

せっかく外に出れたのだし。人を見つけられたら聞いてみればいい。うんうん。

なるべくポジティブなことを考えるようにしたアカリは薄暗い路地を移動し始めたものの。

「…………だ、誰もいない」

人の気配がない。というか、ここはどこだ。薄暗く、湿った空気が頬を撫でる。テレビで見たスラム街のような風景。本当にここどこだ。

「……!」

また不安が大きくなってきた時、角に人影を見つけた。

つい反射的に追いかけてしまい、角を曲がったところにいたのは、ボロボロのローブを纏った老婆の後ろ姿だった。

───あ、これは声かけたらダメな人だ。

本能的にそう悟り、踵を返そうと背中を向けた瞬間、ずきりと肩に鋭い痛みを感じた。

「お嬢さん、迷子かい?この婆が親御さんのところへ送って行ってあげよう」

アカリの肩に乗せられたのは、老婆の骨と皮だけの手。
肩越しに振り返ったアカリを見てニヤニヤと笑う老婆からは、危険な雰囲気しか感じないもののギリギリと肩を掴まれ、振り払うことも出来ない。

「っ結構です、離してください……!」

抵抗を試みるも、こんなガリガリの腕のどこにこんな力があるんだという程の強さで肩を掴まれていて抜け出せない。
肩の痛みに顔を顰めつつ、アカリは老婆に向き直った。

「大丈夫さ、親御さんの場所はあたしゃようく知っているからね。安心していいんだよ」

「…………いい加減に、」

離せ、と口にするはずだった。
そう、どこからか飛んできた赤い光線が老婆を貫かなければ。

赤い光線がその細い身体に吸い込まれると、がくり、と一気に力の抜けた老婆は崩れ落ちた。
アカリは突然のことに唖然としつつも光線が飛んできた方向へと目を向け、警戒心を強める。
………今のは、失神呪文?

「……………大丈夫?」

老婆の背後の物陰、光線が飛んできた方向から聞こえたのは、一人の若い男性の声だった。

「…………あ、えと、大丈夫です。ありがとうございます」

姿は影になっていてよく見えないが、きっとこの人が助けてくれたのだろう。
彼はクルクルと杖を長い指で弄びながらこちらに歩いてきた。
そして男性が陰から完全に出ると、姿が明らかになる。

…………真っ白だ。

アカリが男性の姿を見て、真っ先に抱いた感想。
新雪のように真っ白な肌、同じく透き通った白の結い上げている長い髪と、鮮やかな赤い瞳。
アルビノだろうか、とても目を引く、美しい容姿をしている。

相手も私の顔がやっと見えたのか、赤い瞳を細めたと思うとにこりと笑った。

「危ないところだったね、大丈夫?」
「…………大丈夫、です」

全然肩は大丈夫じゃないんだけども。
ズキズキと痛む左肩を思わず右手でさすってしまうと、男性はちら、と一瞬アカリの肩に視線を向けた。

「その様子だと迷子だろう?どうしたの、煙突飛行に失敗した、とか?」

そう悪戯っぽく聞かれ、図星すぎて少し恥ずかしくなる。
いやでも事実だしなあ……………。

「……ご名答です、煙突飛行で失敗して連れとはぐれてしまって」
「そうか、それは大変だね」

どこか待ち合わせ場所とかは?と聞かれ、ポケットから取り出した羊皮紙を彼に差し出す。

「この、『メンシス・ラクリマルム』っていうお店に行きたいんですが、場所がわからなくて…」
「………………」

羊皮紙を広げた彼はその店名を目で追うと黙り込む。そして少しの間思案したかと思えば、持っていた杖とともに羊皮紙を仕舞いこんでしまった。

………なんで羊皮紙、

「じゃあボクがそこまで案内してあげるよ」
「………………はい!?」

どうしてそうなった!?

にこやかな笑みとともに出された提案に驚き、瞳を見開く。そんなアカリの様子を見て、彼は笑みを一層深めた。

「ここの店なら知っているし、場所がわからないんじゃあキミも困るだろう?」
「それは、そうですけど。でも、そんなにしていただかなくても……」

さっきも助けてもらったのに、店まで案内してくれるだなんて。

こういう無条件の親切を他人に申し出るというのは重度のお人好しか、それかかなり厄介な怪しい人だ。
この人は見た目は人畜無害そうだが、こんな路地にいるんだからまともな人間じゃないだろう。
かなり怪しい。

−−−それに、この人さっきから作り笑いしかしてない。笑顔を作るのに慣れてる。

「………そんなに怪しまなくてもいいよ。ボクはこの店に用があるから君はあくまでもついでだしね」
「………………」

……まあ、この人についていかなければずっとこのまま彷徨うことになるかもしれない。ここは案内してもらって、少しでも怪しい行動をしたら走って逃げればいいか。
そう考えたアカリは、警戒心を捨てずに微かな頷きで彼の提案に乗った。

「……じゃあ、お願いします」
「うん、行こうか」

笑みを浮かべたまま背を向けた彼の半歩後ろを歩く。
自分の背中を見せないため、そしていつでも逃げれるように。

「………………」
「………………」

相手もわたしも何も喋らない。
わたしは無口ってわけじゃないけど、流石に怪しい人と仲良くお喋りなんてことはできない。

そうして相手に警戒を怠らず観察しながら歩いていると彼の足が止まった。
瞬時に反応できなかったアカリは危うくぶつかりそうになり、慌てて歩みを止める。


「ここだよ」

手で示されたのは、まるで「怪しいです」と言わんばかりの外観のこじんまりとした店だった。ボロボロの看板には、掠れた文字で羊皮紙と同じ店名が書かれている。扉の木は空気に触れて変色し、腐っているような気すらする。

うわあ、と口を開けながら眺めていると彼はさっさと扉の前まで行ってしまった。
慌てて追いかけると扉を開けて中へ促してくれる。

こ、これが英国紳士的行動……!

ズレたところに感動しながら、開かれた扉から店へ一歩入る。

「ーーーようこそ、『メンシス・ラクリマルム』へ」

外観からは考えられないほど綺麗な店内に所狭しと並べられた宝石。クッションに乗せられたアクセサリーや、ゴツゴツとした岩のようなものまである。

………すごい。

まるで博物館のようだと思いながら見惚れていたアカリは、ふと男性の言葉に引っかかりを覚えた。

────「ようこそ」ってどういう意味だ?


「あの、」
「ボク、ここの店主やっているんだ」

男性を振り返り、質問するべく口を開けたアカリの言葉を遮るように、男性はにっこりと笑う。
その衝撃的な一言に、アカリは驚きに瞳を見開き、そして店主、と口の中で呟いた。

「そう、ここの店主。主に宝石の精製・加工をしているんだよ」

悪戯が成功した子供のような表情を見せた彼は、困惑した様子のアカリを置いてカウンターに向かう。

ーーーやっぱりまともな人間じゃなかった…………!!!

「ヴォルデモート卿からキミのことは聞いてるよ」
「っえ!?」


奥へと向かう彼からあっけらかんと放たれたヴォルデモート卿という単語に、驚きで飛び上がる。心臓が、口から出てきてしまいそうなほどだ。

な、なんで卿のこと知ってるんだこの人……。


アカリは驚きながらも扉の向こうに消えた彼の後を追い、慌てて奥に向かう。
押し開いた扉の向こう側は仕事場のようで、よくわからない器具や中途半端に削られた宝石が乱雑に並べられていた。

「はい、こっち座って」
「え、あ、はい」

男性に勧められるがまま、部屋に置かれていたソファに腰を下ろす。
部屋中に置いてある見たことのない器具やキラキラと光を反射している宝石が興味深く、部屋の中をキョロキョロと見回しているとふわり、と芳ばしい香りが鼻をくすぐった。

「どうぞ。そんなに気になる?」
「見たことのないものがたくさんあるので……。ありがとうございます」

香りの出処は、いつの間にか現れたティーポットから注がれる紅茶だった。
礼を言いつつ、渡されたティーカップを受け取る。
この香りはフレーバーティーかな、と卿とのお茶会ですっかり詳しくなった紅茶の知識を思い出しながら一口啜り、ホッと息をついた。

「ほら、」

アカリがカップをソーサーに置いたのを確認し、彼は自分の近くにあった山のように積み上げられていた宝石を両手で掬って渡してくる。

「え、わっ」

思わず両手で受け取るも彼と手の大きさが違うせいか量が多く、宝石は手からころころと溢れ膝に落ちてしまう。高級なものだろうそれを床に落とすまいと膝に力を入れ、きゅっと閉じた。

「それはボクが作ってすぐのやつなんだ。
ちょっとだけ光を反射しやすくしてはいるけど」
「はあ…………え、宝石作ってるんですか?」
「ここにあるのは全部ね。一応錬金術嗜んでるから」
「れ、錬金術…………」

両手の宝石を膝に置き、山の中から一つの赤い石を取り上げる。
照明に透かしてみると宝石は光を反射して仄かに輝き、中を覗き込むと向こう側に見える部屋がぐにゃりと歪んでいた。

「その中で気に入ったのあればあげるよ」
「はい!?」

あまりにも軽い申し出に、過剰な反応を返したアカリは思わず赤い石を膝の上にころんと取り落としてしまう。

こんな高級そうな宝石をいとも簡単に人にあげるか普通……?

「いや、こんなのいただけないです」

丁重にお断りし、へらりと笑ってみせる。
無料より怖いものはない、とよく言うじゃないか。じっとアカリを見つめていた彼は、ふっと表情を緩めると軽く肩を竦めた。

「……そう。無理矢理渡してもあれだしね、わかったよ」
 
彼はヒョイ、と膝の上に置かれた山を抱えて元あった場所に戻す。そして再び腰を下ろした男性に、アカリは意を決して声をかけた。

「……………あの、ヴォルデモート卿って、なんで」
「ああ、ボクは彼と知り合いなんだよ。聞いてないかな?」

いや聞いてない。というか、あの人と知り合いってことは、この人、かなり危ないんじゃ…………?

「あれ、そうなの?まだ話してないのかな。
ボク、イルバート・イグニアっていうんだけど」
「……………え?」

イルバート・イグニア。
聞き覚えのありすぎるその名前は。

────七つの大罪の一人では、なかったか。
しかもこの人が、わたしを召喚するための術を教えた人………?

「ああ、その様子だと聞いてたんだね。よかったよかった」

彼、イルバート・イグニアは口を開け唖然としてしまったアカリを一瞥し、ふ、と笑うとポットから紅茶を注ぎ足し、杖を一振りするとクッキーの並べられた皿をテーブルの上へと出した。

「で、何か聞きたいことがあると思ったんだけど。どうぞ?」

一枚のチョコチップクッキーを半分に割りながら、彼はアカリに問う。

聞きたいこと?ありすぎて困るくらいだ。


「貴方がわたしを呼び出した術を教えたって聞いたんですけど」
「うん、そうだよ。アレクの依頼でね」

アレク、というのは十中八九同じ七つの大罪の一人、アレクシス・アドヴァースのことだろう。

「……………異世界から人を呼び出す、なんて術どうやって」
「キミも知っているだろう、ボクは七つの大罪の一人だ。これだけで説明は事足りると思うけど」

いや足りないよ説明してよそれだけじゃわからない………。
不満気な表情を浮かべていたのだろうか、彼は少し苦笑気味に手に持つクッキーを口の中に放った。

「うーん、まあ術の説明の代わりと言ってはなんだけど、キミの話でもしようか」

カチャ、とソーサーにカップを置く音が静かな部屋に響く。

────わたしの、こと?


「正確に言えばキミがこちらに来たことによって生じた代償について、かな。
キミは自分が失った代償をどこまで把握できてる?」
「………あちらの世界での人生くらいしか」
「まあそうだよね」

彼が口に出した『代償』という言葉は、何故か不思議な響きを持っていた。
とくとく、と流れる心臓の音が何故か大きく耳元で聞こえる。

「キミは確かに一つの人生を失った。でもそれだけじゃ世界を渡り、魔力を得た代償にはなり得ない」

彼の紡ぐ言葉はまるで魔法のようにわたしの胸の内に入ってくる。

まあそうだろうな、とは思った。わたしの人生なんて大それた代物じゃないし、何か他のものもあるのだろうと。

「キミは、自分の『時』も犠牲にしたんだ」
「……………時?」


彼の言葉を反芻し、同じ言葉をぽつりと呟く。

時、って。

「簡単に言えば、年をとらないってことかな。それだけじゃない、怪我も、病気も。
身体はもう二度と成長しない」

長い足を優雅に組み替えた彼は赤い瞳をゆるりと細め、アカリを射抜く。

「ーーーキミはね、世界だけじゃなく、時間をも失ったんだ」

そう口にした彼の、穏やかな笑みは、ぞっとするほど美しかった。

「…………そう、ですか」
「あれ、結構冷静だね」

それ、卿にも言われた気がする。
こちらを見つめてくる彼の赤い瞳を見返しながら、ぐるぐると思考を巡らせ、口を開く。

「…………あちらの世界での人生を失ってしまったならこちらの世界でまた一から生きればいいし、時間を失ったとしても永遠の10代でいられると喜べばいいじゃないですか。
五体不満足になるよりよっぽどいいです」

そう、まだ取り返せる。奪われたものの代わりを見つければいいだけの話だ。

楽観的とも言えるアカリの言葉を聞いた彼は目を見開くと、そのまま固まってしまった。

何故に。

「……………………ふ、」

一切動きを止めた彼を不審に思いながら見つめていると、彼は突然固まっていた表情を歪ませ、勢いよく吹き出した。

「っふ、くく、あっはははは!!」
「………えーと」

アカリは突然吹き出した彼に冷たい視線を送る。
かなり真剣に考えたつもりなんですけど。笑う要素どこだよ失礼な。

不機嫌そうなアカリとは裏腹に、笑いすぎで瞳に浮かんだ涙を拭った彼はようやく笑いをおさめた。

「はー、こんなに笑ったのは久しぶりだよ」
「………それはなによりです」
「君、やっぱり面白いね」

流石だよ、なんて。声色は完全に面白がっている。
………くっそう初対面の女の子に向かって爆笑するか普通………!!

思わずジト目で睨んでしまった時、お店の方からチリン、という微かな鈴の音が聞こえた。

「待ち人来たり、かな」

イグニアがぼそりとそう呟いた瞬間、扉がけたたましい音と共に勢いよく開かれた。
そこにいたのは、数十分前に別れたヴォルデモート卿。彼の姿を目にしたアカリは思わず立ち上がり、ほっと息をついた。

「卿、」
「いらっしゃい、ヴォルデモート卿」

いつにもまして仏頂面の卿は、ツカツカと2人の方へ向かってくると懐からパンパンに膨らんだ袋をテーブルへと置いた。ジャラ、と響いた音の大きさから落としたと言った方が適切かもしれない。

……お金かな?でもなんでこんなにたくさん、

「わっ、」
「それは術代だ。邪魔をした」

ヴォルデモート卿はアカリの腕を思いきり引き上げると背中を向け言い捨て、早足で歩き出す。
その勢いによりつんのめりかけたアカリは慌てて彼の腕にしがみついた。

「え、ちょ、卿、」

流石にお礼を言わないと、とアカリが後ろを振り向くと、ソファに座ったままの彼は不思議な笑みを湛えこちらを向いていた。
そして瞳を細め、薄い唇で笑み、彼はアカリへと視線を投げかける。

「『また』ね、ーーーアカリちゃん」

その言葉に、アカリが目を見開いた瞬間、目の前で音を立てて扉がしまった。


***


「………で?お前は失敗するなと言った直後に案の定失敗するという阿呆なことをしでかしたわけだが?」
「………返す言葉もございません」

アカリは薄暗い路地を歩きながら、隣から降ってくる言葉のナイフを受け止めていた。

いやだってまさかフルーパウダーがあんなに舞い上がるだなんて思わなかったんだ。確か作中のハリーも咳き込んでノクターン横丁に来ていた気がする。

「………まあいい。それより、あの男に何か吹き込まれていないだろうな」
「え、いや特には。……イグニアさんってかなり変な人ですね」
「あの男は人をからかうのを好む。タチが悪い、気に入られないようにしておけ。あいつが『本当に』笑ったら気に入られた証拠だ」
「えっ」
「………おい、まさか」
「思いっきり爆笑してました」

それに、最後も。あれは作り笑いではないのだろう。勘ではあるが、きっと間違いないはずだ。

……ああ、そういえば。

「ねえ卿」
「……なんだ」

何故こうも面倒なことを、と頭が痛そうにため息をつく卿に問いかける。

「卿、わたしのことをイグニアさんに何か話しました?」
「いや、術を教わった日以来会ったのは今日だけだ」

……じゃあ、なんでわたしの名前を?
卿が話していないなら、何故。確かに、最後アカリと口にしていた。
頭上へ浮き出た疑問に、首をひねる。

「まあいい、さっさと終わらせて帰るぞ」
「あっ、はい!」

大股で歩いていってしまった卿を追いかけながら、アカリはモヤモヤを頭の隅に仕舞い込んだ。

***

ここはノクターン横丁だそうだ。
煙突飛行に失敗したかと思われたが、わたしの持つ強力な魔力が軌道修正し出口を無事ノクターン横丁にある廃棄された暖炉に繋げた、らしい。

元々杖はノクターン横丁にある店で買うつもりだったらしいが、どうしてもオリバンダーの店で買いたいとごね、卿は着いていかないことを条件にわたしが勝利した。

だって、せっかくなら登場人物たちと同じ店で買いたいじゃないか。
そんな邪な考えを持ってもいいと思う。

すぐ戻るというアカリの言葉に訝しげな目を向けた卿と別れ、ノクターン横丁を出る。
薄暗かった路地から一気に日が差し、眩しさに一瞬強く目を瞑り、ゆっくりと瞼を押し上げる。

目を開いた先は、大勢の人で賑やかな、活気付いたダイアゴン横丁だった。

「う、わ……」

久しぶりにこんなに大勢の人を見た。
太陽を浴びたのも久しぶりだ。

「暑い……….」

ジリジリと照りつける太陽に、アカリはそう零す。
屋敷の中は空調管理がされていたし、ノクターン横丁は日陰の道で涼しかったから暑さを忘れていた。

さっさと買ってさっさと帰ろう。卿を待たせている。

アカリは気合いを入れると卿に教えてもらった、オリバンダーの店の方向に向かって一歩を踏み出した。

***


ーーーカラン、とドアベルを鳴らしながら建て付きの悪い扉を開く。
十数分歩いた先に「オリバンダーの杖店」と書かれたボロボロの看板を見つけたアカリは早速とドアノブを握っていた。

扉を開け、室内のひんやりとした空気が頬を撫でる。
あ、涼しい。そう思った瞬間。

「こんにちは」
「っ、」

どこからか、至近距離で声がした。
不意打ちだったとはいえ反射的にびくりと反応してしまった。恥ずかしい。

「こ、こんにちは」
「はい、こんにちは。杖の修理かな?」
「あ、いえ、杖を買いに来たんです。わたし持ってなくて」
「………杖を持っていない?」

この年で、杖を持っていないのは変だとあからさまに訝しげられるも、慌てることなくあらかじめ考えておいた言い訳を口にする。

「実はわたし、スクイブで。やっと魔力の反応が出て買いに来たんです」
「それはそれは、申し訳ないことをした。ささ、こちらへどうぞ」

アカリの淀みない嘘をすっかり信じたらしいオリバンダーはアカリを店の奥へと促す。

「杖腕はどちらかな?」
「右です」

オリバンダーの声に反応し、すっ飛んできた大小さまざまな巻き尺がアカリの周りを動き回り、至る所を測りだした。

邪魔をしないようにジッとしていたが、睫毛の長さを測ろうと目と鼻の先に飛んできた時、咄嗟に手で払いのけようとしたものの、オリバンダーの「もうよい」の一言でメジャーが全てどこかへ飛んで行ってしまった。

「ふむ、では取って来ましょう」

オリバンダーはズラッと並ぶ杖の棚に向かい、時には梯子を使いながら5つの箱を取り出す。そしてそれら全てをカウンターへ置くと、蓋を開け中の杖が明らかになった。

「ではまずこちらから。
サクラ、一角獣のたてがみ。24.5センチ、頑固」

手で指し示された、一番左の杖を恐る恐る手に取ってみる。うーん、特に何も感じない。
これじゃないのかな、と思いながらも軽く振ってみると後ろから突如バリンッ、という凄まじい音が響いた。

驚きながらも反射的に振り返ると、真後ろの窓ガラスが粉々になって割れていた。

え、あれわたしがやったの。

サッと血の気が引いたアカリは腫れ物を触るかのように杖をすぐさま箱の中に戻す。

気を取り直して次の杖を手渡されるも、指先が触れた瞬間に取り上げられた。

3本目も同じような物で、4本目となった。

「黒檀、バジリスクの牙。26センチ。しなやか」

バジリスクの牙?この店の杖芯は一角獣のたてがみ、ドラゴンの心臓の琴線、不死鳥の羽根しか取り扱っていないはずでは。

ヴォルデモート卿から渡された本に書いてあった文章を思い出し首をひねりながらも、手に取った瞬間。

「あ………」

指先から、杖の触れている所から、何か熱いものが流れてくる感覚。
これが、もしかして。

オリバンダーさんを思わず見ると、彼は何か厳しい表情をしながら、頷いた。

………何故そんな表情を?
不可解な彼の様子に困惑したものの軽く頷き返し、杖を振ってみる。

−−−すると。

ぶわり、と杖先からエメラルド色の炎が渦を巻いて放たれる。
それはすぐに形を作り、巨大な蛇が姿を現した。
アカリに絡みつくようにとぐろを巻き、目と鼻の先に頭部をもたげる。
エメラルドの炎は確かに肌に触れているはずなのに、全く熱くはない。むしろ心地よさを感じる。
そして蛇はシュル、と舌を出すと、僅かに口を開いた。

『ーーー刮目せよ、賽は投げられた』
「…………え」

そんな声が、聞こえた気がした。
驚きに目を見開くも、どこからか勢いよく風が舞い込み、思わず瞼を閉じる。
風を感じなくなり瞼を開くとそこにいたはずの大蛇は煙のように分散し、消えてしまった。

「…………………」
「…………………」

それからしばらくは、アカリもオリバンダー氏も、無言だった。

「…………この店では、普段バジリスクの牙という芯は使っていません」

アカリの手に握られた杖を見つめながら、彼は呟く。それは独白のようでも、アカリに語りかけているようでもあった。

「あれは、990年頃、先々代が店番をしていた時のことです。
杖の管理をしていた時、入ったきた長いロープをすっぽりと被った方、おそらく女性でしょう。彼女がバジリスクの牙とお金の入った袋と羊皮紙を先々代に渡した後すぐに姿くらましたと、そう聞いております」
「………羊皮紙には、なんて?」

「『これを芯にして杖を作って欲しい。材質は任せます。数は二つ、時が来るまで預かっていてください』、と」
「二つ?」
「はい。一つは今、貴女に選ばれました。もう一つはまだ私の手元にあります。………実は、貴女に出した杖のうち、五本目がもう一つのバジリスクの杖なのですよ」

この人の目には、狂いはない。候補を幾つか出し、その中に必ず相棒となる杖が入っているという。

わたしは、どちらにせよバジリスクの杖に選ばれていたのか。

「二つの芯を使った杖同士のことを、兄弟杖と言うのを、知ってますかな?
このもう一つの杖を手にした者とは、特別な縁で繋がることでしょう」
「縁…………」

きゅ、と手にした杖を握る。
わたしの周りには、不思議な縁ばかりだ。偶然と偶然が重なり合って、今のわたしがいる。

「お代は結構ですよ」
「え、でも」
「芯の提供者からお代はもう頂いていますからね」
「………ありがとう、ございます」

もうこれ以上ここにいてもしょうがないか。
そう判断して古びたドアを開く。外に一歩踏み出そうとした時、声をかけられた。

「ああ、そうだ。
お嬢さん、お名前を教えていただけますかな」
「…………アカリ・オトナシです。」
「アカリ・オトナシさん、……いい名前だ」

穏やかで優しいその言葉に頬を緩ませると、今度こそアカリは外に出た。

***

「ーーーやっぱり暑い」

オリバンダーの店を出て、待ち合わせ場所であるノクターン横丁の入り口に向かう。
太陽の陽射しを直で浴びている上に大勢の人でごった返しているからものすごい暑さだ。

アカリは無事に今度こそ迷うことなくノクターン横丁の入り口にたどり着く。

ああ、日陰はとても涼しい。

ふう、と人混みで詰まった息を吐き出し薄暗い路地を歩き出した。

ノクターン横丁は、ダイアゴン横丁と比べて小道や角が多い。しかも、先ほどから地面に伏せて動かない人やみすぼらしい格好で何事かをブツブツと呟き続ける人などをよく見かける。

ーーー本当にスラム街みたいだな。

多少気味悪く思いながらも早足で歩みを進める。
早足というよりは既に走っているのに近い速度で角を曲がった。

ーーー感じたことのない気味の悪さや、卿を待たせていることに対して焦燥感でもあったのか。
角を曲がったすぐ傍にいた人影に気づけなかった。

「うわっ」
「っ、」

ドンッ、と誰かに勢いよくぶつかり、尻餅をついてしまった。
い、痛い。走ってたからか、反動でかなりお尻を強打してしまった。


「あ、ごめんなさい」

座り込んだまま、強打した痛みに涙目になりながらも顔をあげ謝罪する。
ぶつかった相手は、どこかのお貴族様のような上質なシャツやベストをきっちりと着た、ブロンドの髪の青年だった。

「……これは失礼」

薄いグレーの瞳が一瞬でアカリの全身を確認した後、手を差し伸べてくれた。
わあ、これが値踏みされる視線ってやつか。いい気分はしない。

そうは思いながらも唇で笑みを形作り、大人しく彼の手を借り立ち上がる。

「すみません、少し急いでいて」
「いいえ、こちらこそ前を見ていなかったもので。
……ところで、こんなところで何か用事でも?見たところ一人の様だけれど」

にこり、と綺麗な笑みを浮かべた青年はあくまでも不自然じゃないようにわたしに問いかける。………イグニアさんに似てるけど、それよりは不完全な笑み。

「…………それが、迷ってこんなところに来てしまって。
ダイアゴン横丁には初めて来たんです、マグル生まれなので」

マグル、という言葉を強調しいかにも困ってますという表情を作る。

ーーーわたしの予想だと、この青年は多分、

「…………マグル、だと?」

アカリの言葉を聞いた瞬間、彼は顔を顰めた。触れていた手を払われ、不機嫌そうな表情で舌打ちを一つ。

…………なんてわかりやすい。

「身なりからしてどこかの貴族かと思ったが、とんだ無駄骨だったな」

彼は眉間に皺を寄せながら、軽蔑の色を隠さずにアカリを睨む。その鋭い眼光は、汚らしいものを見るかのようだ。

「え、と」

アカリはびくりと肩を震わせ、困惑気に視線を揺らす。
さてさて、怯えているフリは、上手くいっているかな?

「私は聖28純血の一つ、マルフォイ家の者だ。貴様のような『穢れた血』風情が関わっていい存在ではない」

わたしの予想通りであれば、彼の名前はルシウス・マルフォイ。マルフォイ家の長男だろう。
恐らくわたしと同じか少し年上くらいだろうか。
侮辱と軽蔑を湛えた瞳で見下ろされ、思わず表情が無に戻ってしまった。
危ない危ないちゃんと作っていないと。

「えっと、その、ごめんなさい」
「ここは貴様のような『穢れた血』が彷徨いていい場所ではない。命が惜しければさっさと立ち去ることだ」

そう言い捨てると、ルシウス・マルフォイは踵を返し去ってしまった。

「………怖いなあ」

嵐のように現れ、嵐のように去っていった。

それにしても若かったな。いくつくらいだろうか。
まだ、死喰い人にはなっていないのかな。きっとまた会えるだろう、彼が死喰い人の一員となった時に。

「………あ、卿!」

そうだ卿を待たせていたんだ。
やばい、かなりの時間が経っている。不機嫌になっているに違いないだろう。
ハッとし慌てて駆け出そうとするも、突然後ろから襟元を掴まれ足が止まった。

「ぐえっ」
「色気の欠片もない鳴き声だな」

首が締まりかけ呻き声が喉から出てしまった。生理的な涙を拭うと、襟元を掴んでいる手の持ち主、ヴォルデモート卿を振り返る。

「ちょ、いくらなんでも酷くないですかねえ!?」
「人をどれだけ待たせたと思っている?お前は1時間を1分と感じる体内時計でも持っているのか?」
「うっ」

……確かにそれはこちらの過失だ。かなり時間がかかってしまっただろうから。

ごめんなさい、と頭を下げるとだからお前に謝罪されたところで何もならないだろう、と呆れたような口調。

人が!素直に!謝っているのに!

「まあいい、帰るぞ」
「うえっちょ、」

ヴォルデモート卿は納得がいかずムスッとしてるアカリの腕をいきなり引っ張り、ローブを翻す。
心の準備も何も出来ず、へその裏側から引っ張られるような不快感と、肩で感じる卿の腕の感触に瞼を瞑る。
そして、視界は暗転した。

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