二世の契り | ナノ


二世の契り



あれから、長い月日が経った。
時だけは、人を嘲笑うかのように過ぎて行く。

酔ったフリをして、愛していますと告げたあの日から。
もう二度と愛していますと告げられない、告げてはいけないと諭されたあの日から。
今日までをどう生きてきたのか、多くを語ることはない。
ただ、あの時の彼が私の全てを包み込むように抱き締めながら呟いた一言。
「俺は酔ってるからな」という言葉が、何を意味していたのかを気付くだけの時間は十分にあった。
念を押すように、酔っていると口にした意味。
あれは、酔ったフリをして全てを夢にしようという彼の意志表示だったのだ。
私を真綿で包むように抱き締め、時には何かに耐えるように抱きすくめるのも、そんな彼の決意の体現だったのだろう。
今も抱き締められた腕の感覚は、昨日の事のように思い出すことが出来る。
抱きすくめられ息が止まりそうになることすら、私にはこの上ない喜びと幸福でしかなかった。
このまま。私の息の根を止めたという事実が彼の中に永遠と残り続けるのならば、それも良いかもしれない。
そんなことにすら思い至っていたのだ。
それでも、彼はあの日の出来事の全てを夢にしようという。
どうして、何故。
湧いて出る気泡のようにふつふつと出てくる疑問も、優しさに裏打ちされた大きな手が頭を撫で付ける度に、川の底に沈んでいく石のように身体の中へと落ちていった。
元はと言えば、酔ったフリという引き金を引いてその意志表示をさせたのは他ならぬ私であるのだから。
「酔いましたね」
と口にした、あの瞬間から。
何もかも、全ては私から始まっていたのだ。

だからこそ、彼は物語に終止符を打った。
”二世の契り”とは違う、物語の終焉を。
愛を告げることも、この手で彼を手にかけることも私には許されなかったのである。
全ては、夢だったのだから。


「まずいな……」

そんな彼の呟きを耳が拾ったのは、第四次忍界大戦の只中。
流れた月日が運んできたのは、忍たちにとってあまりに残酷すぎる戦争という名の地獄だった。
うずまきナルトを中心にして、忍界が大海に大渦を作るがの如く忙しなく変動していく。

勿論、そんな最中ではあの日起きた夢なる出来事に、私も彼も触れようはずはない。
あまりにも何事もなかったかのように振る舞い時が過ぎていったせいか、あの日の出来事は傀儡師が演じた夢物語の一つだったのではとも思うようになっていた。
あの傀儡師も、いつの間にか照る太陽に蒸発する水分のようにその姿を消している。
まるで白昼夢だ。
ならば、抱いていた感情の全ても、同じように見る影もなく消えて無くなってはくれないだろうか。
彼を嫌いになりたいわけではない。
ただ、その姿を見ても愛しさに胸を痛めることが無いようになればいい。
ただ、瞳を閉じた時に浮かぶその姿に手を伸ばし触れたいと思わなくなればいい。
吐き気を伴うほどの醜さが、甘い砂糖菓子のようになればいい。
奈良シカクの全てに、心が愛しさで飽和しなくなればいい。
知らずに流れ出す涙など、雨の降らない池のように枯れて干上がってしまえばいい。
それだけなのだ。

「いのいち、青殿!状況確認を!」

忙しなく変わりゆく戦況を、まるで将棋を指すように大手への道筋を探り読んでいく瞳。
それはまごう事なき勝負師の目だ。
多くの忍、延いては忍界という途方もないものを背負う彼は、今どんな思いでこの場所にいるのだろう。
感知水球がぼこぼこと形を変え、圧倒的な力を軍の司令塔たる彼へ見せつけている。
私は、その後ろ姿を見守ることしか出来ない。
微々たる感知能力を持った身でも、外で何が起きているのかは察することができる。
水球とは名ばかりの円を逸脱した物体が、未知の化け物のように見えた。
それでも。
彼の背中がこの視界にある限り、私は化け物のように形を変えていく水球を見つめ続けることが出来るのだ。
大戦のために配属された場所に彼がいたことへの安堵と、胸に迫る苦しいまでの張り裂けそうな切なさが、今でも彼を愛しているのだと教えてくれているから。
奈良シカクに揺れる心が消えて無くなればいいと思いながらも、彼への感情全てが私をこの場に留めている。
本当ならば、一目散にこの場から逃げ出してしまいたい。
あっという間に多くの命が消えていくのを感知し続けることは、目の前で人が殺されるのを知りながらも見ていることしか出来ない拷問に等しかった。
けれど、彼がこの場に留まり続け忍界の未来を守り抜こうとしているから。
私は逃げ出さずにいることができる。
そこに、この場所にヨシノさんが居ないことへ勝ち誇ろうとする器の小さな醜悪的プライドが混じっていることは間違いないのだけれど。
告げることを許されない分、愛と醜さが一層気色悪い存在感を放って腹の中をぐるぐると渦巻いていた。
しかし、それも今ではどうでもいいこと。
愛が浅かろうが深かろうが、広かろうが狭かろうが、告げられぬのであれば意味がない。
嫌悪に吐き気が伴うほどの醜い嫉妬も、私だけが感じること。
彼をどう愛しているのかは、私しか知らないのだ。
たとえ沼底にこの身を埋め吐き気に襲われ気が狂いそうになったとしても、それはこの身が背負う業。
彼が打った終止符により、物語は終わったのだ。
私の役目は、今この大戦の中で彼の背中を見続けその役に立つこと。

そう、思っていた。


あまりに流れ込んで来る感知の膨大な情報量にくらりと眩暈を起こす。
一分、一秒。
その間にも前線で戦う忍たちの息の根が止まっていることが全身へと伝わり、感覚を麻痺させていく。
舌が痺れ氷のように冷たくなっていく両の手を見つめながら、ふといつの日かの兎が脳裏を掠めた。
もし。
もしもこの大戦でいつかの日の兎になるのだとしたら。
そんな極限の思考すら当たり前のように浮かんでくる。
ぐぎぎと錆びた人形が首を動かすように、彼の姿を求めた。

もし、この大戦でいつかの日の兎になるのだとしたら。
私は、彼のこの背を見て逝きたい。
魂に刻まれているのはただ一人奈良シカクしかいなかったのだと、そう証明するために。

そんなことを考えていた罰だろうか。

「ここか……」

と、誰よりも冷静な声がこの場にいる全ての人間の未来を予言した。
本部が、この場所が、狙われている。
全員がごくりと全てを察したように息を飲んだ。
瞬く間に走る死に直面した緊張と恐怖の糸が、静寂を伴ってこの場を縛り上げていく。
しかし、そんな中で私は指先に温かな血が通い出すのを感じたのである。
氷のように冷たい指先に、仄かな熱が泡を弾くように灯っていく。
そして現状を把握した脳で、一人”良かった”と安堵したのだ。

まだ、物語は終わってなどいない。


地響きが木霊する。
少しずつ、確実にそれは近付いてきていた。
地面が海のように波打つのを感じながら、三途の川が現世まで溢れ出して来たかのような錯覚を起こす。
それでも、私の心は今までに無いほど喜びに声を上げていた。
酸素の少なくなった胸がぎゅっと締め付けられ、あの夢のような時が色鮮やかに蘇る。
歓喜に、心が躍った。

あぁ、やっぱり。
私の望んでいた結末は、コレなのだ。
やっと、この時が来た。

己の思考が、心が、狂っているとは思わない。
ただ、告げることを許されなかった心が時を経て変化しただけ。
いや、本当は変化すらもしていない。
彼に告げられず、彼を手にかけることも出来なかった。
ならば。
出せる答えなど、元よりたった一つしか存在していなかったのだ。

私は、死に歓喜している。
彼と共に逝けることを、望外の喜びのように感じているのだ。

溢れ出る笑みが迫り来る空気圧に押し潰されていく。
遠くで聞こえる獣の咆哮。

「シカクさんっ!!!」

ありったけの声を喉が破れるまで張り上げる。
全てが、本当の意味で終わるのだ。

私の心全てを、表現出来る日が来たのだ。
愛しさも、醜さも、切なさも苦しさも欲望も、何もかも。

結局は、死をもってしか私の心は体現出来はしなかったのだ。

これで、全てが終わる。


ねぇ。
私は、シカクさんを私だけのものにしたかったのです。
ヨシノさんがあなたに微笑みかける度に、私の心は羽をもがれる蝶のように苦痛に耐えていたのです。
シカマルくんが私に声をかける度に、あなたそっくりの姿にヨシノさんの面影があることが憎らしくなっていたのです。

ねぇ。
私は、シカクさんの中を私だけで満たして欲しかったのです。


空気が、全てを押し潰していく。
霞む視界で捉えたのは、やはり彼の背中だけだった。

来世、彼は誰と契りを結ぶのだろう。

それは、きっと。


真っ直ぐと綺麗な放物線を描いて落ちてくる隕石のようなそれを、誰もが絶望し見つめていたことを、私たちは知る由も無い。
ただ、最期の瞬間まで。

私は、奈良シカクだけのことを想い続けていた。





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