二世の契り | ナノ


俺がこいつにやれるもの



俺がこいつにやれるもの。
その線を、見誤るわけにはいかなかった。

「あなたを、愛しています」

そう静かにはっきりと繰り返す沙羅の瞳は、酔ったと言いながらもその実別の生き物のような意志を秘めていた。
まるで、近頃良い腕の傀儡師がやっていると噂の心中物語。
その話に出てくる女のそれである。
ぞわりと背を這い上がる随分と久しい感覚に、俺は無意識のうちに舌を打っていた。

”二世の契り”

例年にない積雪を記録したある日のこと。俺は偶々通りかかった広場で、沙羅が食い入るように傀儡劇を見つめているのを見かけていた。

女の一途な愛が少しずつ、少しずつ。
妻子ある男を蝕んでいく。
女の愛に、男は弱い。そんな世の常なるものを見させられているような気がして肩を竦めたが、視界の端でまるで取り憑かれたかのように息を詰めて劇を観ている沙羅の視線にゴクリと生唾を飲んだ。
その視線が、劇の中で男に寄り添う女のそれに見えたからである。
不倫の末に愛する男を殺した女。

『あなたを、愛しています』

傀儡師がどこからともなく出す女の色艶増した声音が、否応なく沙羅に重なった。
同時に、そんな台詞を使っていたとしても、こいつの告白に嘘はない。
そう思い知らされた。
本当は、心のどこかで気付いていたのだ。
沙羅の視線が、時折綿菓子のように甘く柔らかくなることを。
そして時に、熟れた果実のように熱っぽくなることを。
向けられる言葉と視線が、それこそ少しずつ、少しずつ俺を蝕んでいた。

あの口付けを落とされた夜からか。
綺麗な放物線を描いて蜜柑を放った日からか。
それよりも、もっと前からか。

初めは、替えが利く。なんて言われる忍がどんな奴だか見てみたい。そういった興味が俺を沙羅に引き合わせた。
暫く観察していると、どことなくシカマルに似ているのだと悟った。
”何で成長するのか”なんてどこかの哲学書かなんかに書いてありそうなことをポツリと呟く辺りが特に。
シカマルに「娘かよ」と指摘された時は、あぁこの感情は娘を持つ父親のものなのかと、一人居間の天井をぼんやりと見上げながら思ったのである。
息子とは違い、娘だというだけでどこか放っておけなくなるのだ。
世の中の、娘を持つ父親のどこかそわそわとした空気の理由を知り苦笑する。
それでも、忍として何か大きなものを掴み取っただろうことは沙羅の顔を見れば手に取るように分かった。
だからこそ、あの雨の中で俺は沙羅を一人前の忍として扱ったのだ。
全ては親愛。
娘として、一人の忍として向き合っている。
そう思っていた。

けれど、沙羅の瞳が段々と色を増していく毎に、俺の中にある本能がそっと顔を出しつつあることにも頭の隅では気が付いていた。
親愛に微かな陰りが差し、その陰に得も言われぬ感情が芽を出したのだ。
それは、口付けと共に添えられた手で一層成長を遂げた。
卑しい、卑しい劣情である。
添えられた手の気持ち良さに、こいつはもともと俺のものだったのではないか。そんな戯言すら思考に浮かんできた。

娘でもなく、忍でもなく。
その時の俺は、確かに沙羅を”女”として感じていた。

だからこそ、酔いから醒め薄明かりに瞳を開けた時、目の前にいるのがヨシノで心底驚いた。
「随分酔っていたわね」と、いつものように二日酔いに利く味噌汁を作る背中を見つめ、どうにも二の句が継げなくなったのだ。
あの鳩尾から疼き上がる劣情を、どうやって抑え今に至るのか。
考える度にズキンと頭に痛みが走る。
そんな俺の姿を見たヨシノが、味噌汁を差し出しながらこう口にしたのだ。

「やっぱり”あの子”、良い子ね」

と。
味噌汁を持ち上げようとした手が、ギクリとゼンマイ仕掛けの時計にでもなったかのように動きを止める。
”あの子”
そう呼称されたのが誰であるかは、容易に察しが付いた。
何故なら俺が如何にもこうにも睡魔に耐えられなくなり意識を失うまで、その”あの子”といたのだから。
そして直感したのだ。
ヨシノは、”あの子”が俺に向ける視線の何たるかを察しているのだろうと。
聡い女だ。
きっと俺なんかよりもずっと女というものを知っている。
女が男に向ける視線のあれやそれぐらい、簡単に見分けが付くのだろう。
ならば、俺はどうだ。
今ヨシノの前にいる俺は、”あの子”の好意を受け取った男として映っているのだろうか。

「おい」
「なぁに?あなた」
「……」

何食わぬ顔で小首を傾げるヨシノ。
「あなた」と口にした唇は、どこまでも優しく弧を描いていた。
その姿に、胸でもやもやとしていた感情がストンと臍まで落ちる。
こめかみでズキンズキンと脈打っていた痛みがスーッと引き波のように引いていくのが分かった。
あぁ、ヨシノは聡い。
俺の揺れ燻った心すら、きっと気付いているのだろう。
そしてそれを何でもないことのように受け止め、微笑んでいるのだ。

そう。
俺はそんなヨシノだからこそ、一緒になったのだ。
聡くて、強くて、それでも傷ついた心を笑顔で取り繕ってしまうヨシノと。

「うめぇな」

味噌汁をズズズッと啜る音が、今も鼓膜に貼り付いている。

きっと、替えが利く奴と噂になり、それがシカマルに似ていると気に掛けた時から、沙羅は俺の中にそっと住み始めていたのだろう。
心は、間違いなく揺れていた。
沙羅を女として意識し、触れたいと劣情を抱いたことも真実だ。
この気持ちが親愛を越えたものだと言うのならば、そうなのだろう。

俺は、あいつを愛している。

それでも、だからこそ。

今の俺には、この線までが限界だった。
あいつを、俺の身勝手な欲望のはけ口にしてはいけない。

俺は、あいつを愛している。

けれど、

ヨシノも、シカマルも。
俺は愛しているのだ。





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