二世の契り | ナノ


分かっているはずのこと



シカクさんを送った後の夜道は、まるで使われなくなった獣道のように冷たく静まり返っていた。
底冷えするような外気に空を見上げれば、やはり雪か雨でも降るのか厚い雲が低く世界を覆っている。
二足の靴がばらばらに音を立てるのを、何とはなしに耳が拾っていく。
奈良家を後にしてから一向に口を開かないゲンマの背中を、ぼんやりと見つめながら歩いていた。

「やめとけ」

だからだろうか。
閑静な路地に溶け込むようにして呟かれた言葉に、直ぐさま反応することが出来なかった。
ゲンマに倣うようにしてぴたりと足を止める。
小さな街灯の下。
闇との境界線に立ったゲンマは、ゆるりとこちらを振り返った。
千本が人工的な明かりを受けちらりと光る。
淡白な瞳が私を視界に入れると、再び気怠げな口元が諭すように開かれた。

「やめとけ」

と。

「分かってる」

その言葉を受け止めた私は、ゲンマが何を言わんとしているのかを察した。
そして条件反射のように、するりと言葉を紡いでいく。

分かっている。
シカクさんを好きになっても仕方のないことは。
彼にはヨシノさんという一つになれる存在がいるのだ。
私では、心を安らげる場所にはなれない。
彼の帰る場所にはなれないのだ。
そして、シカクさんが何をおいても駆け付けたくなるような女にはなれない。
私が望むよりも前に、彼にはその場所が、そんな女性が既にいるのだから。

そんな当たり前のことには、とうの昔に気付いていた。
シカクさんが私を班に入れるようになった、その時から。
任務が終われば飯が待ってると頭を掻いて去る後ろ姿を、もう数え切れないほど見つめ続けてきたのだ。
暁が襲来した時も、私には目もくれない背中を見つめ続けていたのだ。

だから、嫌という程理解している。
いくら彼の頬に感じた気持ち良さと、触れた唇の愛しさに目頭が熱くなったとしても。

「分かってる」

再度自分に言い聞かせるように呟いた言葉は、案の定闇夜に飲まれて煙のように消えていった。
あまりに儚いその姿に、漠然とした不安が過る。
そんな不安を見透かしたかのように、向かい合っていたゲンマが盛大な溜息を漏らした。
私から視線を外しくるりと向きを変えてしまうと、背中越しに呆れたような口振りで、

「分かってねーよ、お前は」

そう言い放ったのだ。

「分かって……

反論しようとした勢いが滲む視界に遮られる。

雨か。
雪か。

しかし見上げた曇天には星が一つも見えないだけで、雨や雪などは見る影もない。

それならば……

悟るよりも早く、ゲンマの何度目かの溜息と共に、「やっぱり分かってねーよ」そう全てを語るような声音が降ってきた。
滲んで歪む世界が霞んでいく。
頬を氷のような冷たさで涙が伝っていった。

分かっている。
私は分かっているのだ。

立ち尽くした私を残して、ゲンマの背中は闇に溶けて消えてしまっていた。

どれ程の間そうしていたかは分からない。
けれど、止めどなく流れ落ちる涙が凍り、歪む視界にも分かるほどにちらりちらりと真白の雪が降り出すまでは、私はその場を動けずにいた。

涙が、降り始めた雪のように落ちては気持ちごと溶けてしまえばいいのに。
そんなことを思いながら。





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