二世の契り | ナノ


歓喜が遠い



何が起こったのか。
その異変に気付いた時には、既に木ノ葉の中心部は壊滅的な被害を受けていた。

里のあちこちで煙や火柱が上がっている。
私がそれを目にしたのは、木ノ葉病院の地下まで届けるよう依頼された資料を渡しに来た後のことだった。
ドン、という地響きに何事かと薄暗い階段を駆け上がる。
地上に出て目にしたのは、建物が抉り、薙ぎ倒されている見るも無残な光景だった。
何なの……
そう思うよりも早く、視界を逃げ惑う人々の向こうから巨大なムカデが迫り来る姿を捉える。
火薬の爆ぜた鈍い香りが漂っていた。
奇襲。
その二文字を頭が過ぎる。

「逃げろ!」

木ノ葉の忍たちが声を上げていた。
あっという間に怪我人たちが木ノ葉病院へと吸い込まれていくのを目に首筋が冷えていく。
頭の隅で克服したと思い、大人しくしていた黒蛇がチロチロと舌を出しては引っ込めはじめた。
しゅるりと恐怖への回路を辿るように脳内を這っていく。
いけない。これに飲まれては。
ぎゅっと瞳を閉じ、首を振る。
爆音に悲鳴。 血生臭い戦地の環境に突如として置かれた思考は、掻き集められるだけの冷静さを持ち寄り、一つ深い息を吐かせた。
そっと開けた視界には、建物から多くの人々が飛び出して来る。
怪我人が山のように病院へと押しかける姿に、この場所が潰されては、そう直感的に危険を悟った。

それに、此処にはヨシノさんがいる。

見上げた病院のどこにいるかも知れない彼の愛するヨシノさん。
あの日からズキン、と痛んでは落ち着きを繰り返す胸も、この惨状を目の当たりにしては感じ入る隙も無かった。
逃げ惑う人々の間をすり抜け、避難所への誘導に走る。
病院は一つの砦だ。
ここを潰される訳にはいかない。
忍としての知識が、冷静さが、私をそう促す。

ドォォォン!

「?!」

しかし、そんな知識を嘲笑うかのような地響きと爆音。
そして全てを薙ぎ払うがの如く吹き付けた突風が、私の頭から知識と冷静という名の理性を吹き飛ばしていってしまった。

残ったのは、焦りと恐怖と、本能。
黒蛇が、まるで枷から解き放たれたように背骨と後頭部の間をしゅるりゆらりと這い回る。

悲鳴を上げて逃げ惑う人々の声が、思考から冷静さを奪っていく。
守らなければと背にしていた病院の影が思考の外へと吹き飛んでいった。
気付いた時には、爆音のした里中心部へと足が駆けていた。

シカクさん……

そう、何処にいるかも知れない彼の姿を探して。
後で思えばこの時の私は、ヨシノさんの安全よりも自分の身の安全よりも、ただただシカクさんの安否だけを考え駆けていた。
人々の恐怖が伝染でもしたかのような不安が、足を早馬の如く前へと進めていく。
膝が外れそうな程の速度に、肺が酸素を取り込むことを忘れている。
シカクさんが病院に運ばれたと聞いた時の何倍もの焦りが、鳩尾をぐるぐると渦巻いていた。


「これは……」

溢れた声が砂埃に攫われた先で見たものは、常識や予想なんてものが通じない光景だった。
まるで隕石でも落ちてきたかのようにポッカリと空いた穴。
もしかしたら本当に奇襲をかけてきた奴らが隕石でも召喚したのではないかという妄想が頭を過ぎった時、視界に見知った人物を捉えた。
肩甲骨周りがざわざわとする。

「シカマルくん!」

急いで駆け寄れば、彼はこちらを見上げて「無事だったんですか」と告げた。
そんな彼に、私はどきどきと胸を打つ鼓動をそのままに、浅い呼吸を繰り返す乾いた口で矢継ぎ早に捲し立てた。

「シカクさんは、彼は無事ですか?!」

と。
それを聞いたシカマルくんは目を見開いたが、シカクさんの無事を教えてくれると「沙羅さんも、」と現状を説明し始めた。
どうやら奇襲の線は間違いないようで、相手は最近噂になっていた黒地に赤雲の装束を纏った暁であること。そして、今暁の頭が里近辺に潜伏しているだろうからと感知タイプの忍を中心に探しているのだという。
勿論その指揮をシカクさんが取っているということも教えてくれた。

……良かった。

そう口から溢れた言葉は本心以外の何ものでもなかった。
胸に当てた手がとくん、とくん、と正常な鼓動を取り戻していくのを感じる。
這い回っていた黒蛇がぴくんと動きを止めたのが分かった。
乾いた口内から少しずつ唾液が喉奥に伝う。
沙羅さんも、という言葉に私は迷いなく首を縦に振った。
暁の頭を見つけるという名目で力強く地を蹴った足はその実、ただ一人の元へと向かっていた。

鮮やかなオレンジの影の元へと。


けれど、シカクさんの姿を捉えるよりも前に、頭上を数多の閃光が流星のように里の方角へと流れていった。
そのどこか神秘的な光景を目に、全てが終わったのかもしれない。と予想するのは想像に難くなかった。
何故なら木々をざわめかせていた風が急に凪、鳥の囀りが耳をついたからだ。
シカクさんがよく言っていた。
自然に耳を傾けろ、と。自然は色々なことを教えてくれる。
人の争いも、俺たちには見えない目で見続けている。
だから人が争えば木々は騒ぐし、静かに穏やかであれば鳥たちの囁き声すら聞こえるのだと。
それが、今は何となく分かるような気がした。
全身で濃緑の静寂を受け止めた私は、踵を返し木ノ葉へと舞い戻った。


シカクさん!

その姿を見留めた私の前には、数え切れないほどの人の山が今回の戦闘において英雄的活躍をしたナルトくんを賞賛するために集っていた。
割れんばかりの歓声に、声はあっという間に掻き消されていく。

シカクさん、無事ですか。
怪我はしていませんか。

「シカクさ……

やっと会える。
その一心で近付こうとした一歩が、ゴロゴロと散らばった建物の破片に引っかかった。
がくん、と足を取られ膝が折れる。
この時、私ははじめて自分が緊張に肩が怒っていたことに気付いた。
片膝をついたまま、すとんと肩から力が抜けていく。
ふわりと戦闘から解放された時のような安堵感が胸にじわりと沁みてきた。
と同時に、一刻も早く会いたい気持ちが視線をシカクさんへと彼に注がせた。
すると、そんな安堵感に満たされている私とは違い、何故か視線の先にいるシカクさんは辺りが一通り落ち着くのを確認するとあっという間に地を蹴り私の横をすり抜けて行ってしまったのだ。
勿論、私に気付かぬまま。

火薬の鈍い香りが、たった今までこの里で起きていたことを思い出させるように人々の間を吹き抜けていく。
シカクさんの姿を追うように、風に誘われるように背後を振り返る。
もう見えない背中がこの壊滅的な木ノ葉の何処に向かったのかなど、一目瞭然だった。
視界の遥か先。
そこには、辛うじて崩れずにある木ノ葉病院。
私が理性と冷静さを失い離れてしまった場所。
シカクさんだけを求めて、見捨て走り出してしまった彼の愛するヨシノさんのいる病院があった。

そう。
シカクさんは、彼の一番愛する人の元へと向かったのだ。

私が一番に見捨ててしまった、ヨシノさんの元へと。

ぽたりぽたりと、降るはずのない雨が手の甲に落ちていく。
ナルトくんの凱旋に里が割れんばかりの歓声で包まれた瞬間、弾かれるようにして雨粒が質量を増した。
それが己の涙であると理解した時には、口元が引きちぎられるように張り詰め、肺から出ていった空気が嗚咽で吸い込めなくなっていた。
ひゅっひゅっとか細い呼吸音が辛うじて私を生かしている。
とめどなく溢れる涙にありったけの空気を吐き出すと、酸欠を起こしたのかぐらりと視界が揺れた。
ついていた片膝もずるりと落ち込み、蹲るようにしてついた掌がじゃりと小石に食い込んでいく。

ヨシノさんを見捨ててしまった罪悪感と、シカクさんが真っ先に彼女の元へと行ってしまったことに対する嫉妬。
そのあまりに醜い感情の渦に、私はただひたすら唇を噛み締めて耐えることしか出来なかった。

歓喜する人々の声が、とても遠い。





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