二世の契り | ナノ


腐った蜜柑を踏み潰す



選択の過ちに気付くのは、いつもずっと後だ。

足をすっかり元通りに治してもらった私は、いつものように当てがわれた任務をこなしていた。
あの後、ヨシノさんは無事だったのだろうか。
シカクさんに情報は伝わったのだろうか。
そんなことを、悶々と考えながら。

「よぉ」

だからいつも通りにのんびりと私の前に現れた彼に、どこか拍子抜けしてしまった。

「シカクさん」

近付いてくる姿に、担架で運ばれて行ったヨシノさんが頭をちらつく。

「この前は、ありがとな」
「え、」

突然の言葉に目を丸くした私に話が通じていないと判断したのか、彼はヨシノのこと。シカマルから聞いて、と話し始めたのである。

「お前が知らせてくれたって言ってたからよ」
「あぁ……」

漠然とした生返事が零れる。
ちゃんと伝わっていたのか。と安堵する一方で、ふつりと湧いて出てきた良からぬ思考に絡め取られ、あなたの元へは行けませんでしたと言い訳を繰り出す気持ちの悪い感情が生まれた。
知られたくない。
至極当然のように繋がった思考回路が、「そのことですか」と平然を装った切り返しをさせようとする。
風に攫われた髪を追うようにして彼へと視線を合わせた。
しかし私が吐き出そうとした言葉は、何一つ口にされることなく鳩尾へとストンと落ちていってしまったのだ。
何故なら、

「ありがとよ」

そう目尻を下げて優しく微笑む瞳に出会ってしまったから。
見下ろされる慈しみを称えた眼差し。
まるで全てを包み込むような柔らかな日差しに似た眼差し。
目元に出来た皺が優しさを象徴するように濃さを増していた。

その瞬間。
私は自分の選択がとんでもない間違いを引き起こしていたのだと悟ったのである。
彼がこんなにも柔らかな表情でくれる”ありがとう”には、彼の愛するヨシノさんの分も含まれてしまっているだと。

もし、あの時。
痛みから生み出された悪魔の囁きに耳を傾けず、彼の元へと直接伝えに行っていれば。
足の痛みと誤魔化さずに前へと踏み出し、会いに行っていれば。
純粋に、彼からだけの”ありがとう”が受け取れたかもしれないのに。
今目の前で私に向けられている言葉には、ヨシノさんの気持ちも含まれてしまっているのだ。
シカマルくんから情報を得て、彼がヨシノさんの元へと急ぎ向かっただろうことは想像に難くない。
消毒液と真新しい白さの映える病室で、快活な笑顔が弱々しく彼を迎え入れたことだろう。
それを愛おしげに抱き締めたに違いないのだ。

ズキン、

胸をあの日の痛みが走り抜ける。
思わず足をずりと後ろに引くが、当然すっかり治されてしまった足首はツキリともしない。
誤魔化すことの出来なくなった痛みと感情が、彼の微笑みを掻き消すように心へと押し寄せてくる。
この醜いまでにドロドロとした感情に、目を反らす隙すら与えられていないようだった。
彼の微笑んだ唇の隙間から覗く少し黄ばんだ歯すらも、今の私の醜さを際立たせる白さに見えてしまう。
抵抗するように喰んだ唇の裏。
代替にもならぬ痛みにすら縋ろうとする自分の醜さに気付き、またズキン、と胸が軋む。

まるで腐った蜜柑を踏み潰したような、そんな感覚だ。

あの日、あの時。
ヨシノさんが運ばれたことをきちんと伝えに行っていれば。
この温かな笑みを素直に受け取れただろうかと思考の隅で考える。

きっと、
そんなことを考えるだけ無駄なのだ。
そう彼の笑みが告げているような気がして、またズキン、と痛みが胸を貫いた。





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