二世の契り | ナノ


うさぎの足音



彼は気付いていた。
私の悩みを。
そう結論付けることは意外にも簡単で、彼の言葉を思い出せば合点がいった。
怖くないのかと聞いた前提に、忍として、という言葉が入ることを彼は悟っていたのだ。
何故分かったのかなど凡人の脳をした私には分かるわけもないので、考えることを早々に放棄したことは言うまでもない。
ただ彼が忍をしていて怖くないのか、と聞かれたことに対して、

「守りたいものがあったら、お前は怖さなんて忘れるだろうよ」

という答えをくれたことだけは確かだった。
不思議で物好きな彼だが、あの甘味屋での姿は私にとって暖かな日差しそのものだったことは間違いない。
私にとって、守りたいもの。
それが分かったならば、あの氷のように冷たい寒気と黒蛇に睨まれ竦んだだろう白兎の恐怖を忘れることが出来るということだろう。
そして、

殺さないで

なんて甘い言葉を吐かない、彼のような聡明で強い忍になれるかもしれないということだろう。

私にとって守りたいもの。
それはいったい、何なのだろうか。


「シカクさんが怪我?」
「あぁ」
「誰に殺られたのヨ」

唐突に聞こえてきた会話の内容に、足が地面に張り付いた。
自分の名が呼ばれたわけでもないのにこうして足が止まったのは、守りたいものは何か考えてみるんだなというシカクさんの言葉を思い出していたからか。

「それが俺もまだよく知らなくてな。何せあのシカクさんが血塗れだったらしい。どちらにせよ、相手は手練れだろうな」

血塗れ。
どくり、と鼓動が一つ大きく脈を打つ。
こめかみの血管がどくどくと速度を上げた。

「あの!シカクさんは!」

思わず会話の中に飛び込めば、話をしていたカカシさんとガイさんは目を丸くして此方を振り返り、シカクさんが木ノ葉病院へと運ばれたことを教えてくれた。
お礼の言葉もそこそこに脱兎の如く地を蹴る。
あのシカクさんが。
背中を嫌な汗が伝い、思い出したくもない感覚が脊髄を這う。
夕暮れに向かう木ノ葉の里を前へ前へと駆け抜けた。
闇が端から里を侵食していく様を視界に、不安が胸に押し寄せる。
血塗れのシカクさんを想像しまいと努力してみても、闇が里を飲み込むのを目の当たりに心細くなったのか現実はそう上手いこといかなかった。
逸る気持ちを落ち着かせるように浅い息を繰り返す。
どうか無事でいて欲しい。
この時の私は、それだけを考えていた。


ガラガラと乱暴に病室の扉を開ける。
木ノ葉病院に着いてからシカクさんの病室は何処かと受付の女性に尋ねると、ちょっと待って下さいねと柔和な笑みを返された。
その落ち着いた対応に早くしてほしいという自分勝手な苛立ちが湧く。
何故こんなにも焦っているのかを、この時の私は理解することが出来なかった。
ただ早くシカクさんの無事をこの目で確かめなくてはと思っていたのだ。

受付で部屋番号を聞いた私は、走らないで下さーいと間延びした女性の声を後方にすっかりと走り出していた。
マナーをおざなりにするほど焦り動揺していたことに気付いたのは、シカクさんがベッドの上でケロリとしているのを見留めたからである。
おまけに蜜柑を美味しそうに頬張っていた。
急に開いた扉に肩をびくんとさせたシカクさんは、相手が私だということが分かると何てことないように「どうした」と口にした。

その姿に腰からすとん、と芯が抜ける感覚に陥る。
生きてた。
なんて当たり前のことを脳が受け止めると、今度こそへたりと膝を折っていた。
するとその姿に慌てたのか、シカクさんがパタパタとスリッパを鳴らして近付いて来る。
くたりと首を折った私の視界に、病院の使い慣らされたスリッパが入り込んできた。

「兎…みたいに……」
「兎?」

ふわりと煙草の葉の香りが鼻をつく。
血塗れと聞いて、あの白兎が否応なく頭を過ぎった。
しかし、肌が逆立ち不安に押し潰されそうだった心が、慣れた香りに解かれていく。

シカクさんが、生きている。

その事実に兎が兎がとぽろぽろ言葉を零していたものがまるで具現化したように私の膝へと零れ落ちてきたのである。
頬を伝うことなくぽたりぽたりと締めきれなかった水道から流れ落ちる水のような涙。
ひくっと鼻を啜れば、シカクさんは「兎に角落ち着け」と筋張った手で私の背を摩ったのである。
その手の大きさと温かさに、またじわりと視界が滲んでいくのを感じた。

シカクさんが、生きている。

今の私にとって、それが何よりも大切なことだった。





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