二世の契り | ナノ


救いを求めて



寒い。

喉の渇きと鈍痛に覚醒を促される。
今日の任務は、と慌てて這い起きた頭にズキンと金槌で殴られたような痛みが走った。
当然の如く二日酔いである。
散々飲み明かした挙句にブラックアウトした私はどうにかして居酒屋からの離脱に成功したらしく、自宅のベッドで目覚めることが出来ていた。
並々ならぬ帰省本能故か、はたまた昨夜予期せず居酒屋で一緒になった御仁のおかげか。
それは定かではないが、とりあえず自宅にいるという事実と、今日は任務が入っていないという気付きに胸を撫で下ろしたのである。
とはいえ身体の芯が氷のように冷たくなり、鳴り止まぬ鈍痛にぼふりと再びベッドへ倒れ込むはめになった。
扉一枚、廊下を数歩歩いた先にあるシンクがとても遠くに感じる。
喉が張り付くように乾いていた。
水が欲しい。
本能が訴えても、それに勝る鈍痛と寒気にずりずりと毛布を引き上げすっぽりと頭まで覆い被さる。
風邪でも引いた時のような悪寒が身体を襲う。
その理由に、私は気が付いていた。

今更のように抱いた恐怖を消化する覚悟を、持っていないのだと。

だからお酒に手を伸ばしてまやかしの消化を手に入れようとした。
もっとも、何故か現れたゲンマの存在に消化する意志すら持っていかれたなどとは口が裂けても言えない。
私は恐怖を手懐ける術を知らないのだ。
知らずにここまで来てしまったのだ。
本当に、今更のような感覚に呆れを通り越してから笑いが込み上げる。
それすら頭痛に響くのだから、もうどうしようもない。

あの日から、手に残る肉と骨を貫く感覚が何度となく呼び起こされる。
身体の芯が急速に冷え込み、鼻がつんと刺激を受ける。
この寒さと恐怖から解放されたい。
逃げではなく、きちんと自身の中で消化し手懐ける術を手に入れたい。
守られるように被っていた布団からそろりと顔を出す。
重い瞼が鈍く瞬きを繰り返す先で、瞳はカーテンの隙間から漏れる柔らかな日差しに目を留めていた。
ちらりちらりと埃が輝く様は、それすらも輝かせることが出来るのかという日差しへの羨望に似た気持ちを芽生えさせた。
光の先に、救いがあるような気がしたのだ。

四肢へ信号を送り、ずるりと重い身体を携えた私は光に手を伸ばすように、外へと足を踏み出したのである。

「こんなとこで何やってんだ」

日差しすら頭痛に響くことを忘れていた私は、一人昼間の青空と太陽に似つかわしくない表情で木ノ葉をそぞろ歩いていた。
そんな不健康よろしい背中に久しい声が掛かる。
その声に振り向けば、何故かこの人が手を伸ばした先の光に見えて仕方がなかった。
頭一つ分高い顔を見上げた先にある背後の太陽が、視界に眩い光を運んできたからだろうか。

「シカクさん」

弱ったメンタルに掛けられた唯一の言葉に、私は二日酔いの何とも情けない顔を晒すことになった。

「おいおい、なんつー顔してんだよ」
「いや、これには深い訳がありまして」

深い訳なんてこれっぽっちもないはずのただの二日酔いである。
その裏に今更忍の世界に恐怖しました、なんて事実があったとしても、それを目の前の階級も人生経験も格段に上である御仁に言えようはずはなかった。
視線をあらぬ方向へと泳がせる私に、彼は「お前なぁ」と呆れに似た溜息を吐き、「ちょっと付き合えや」と顎で近くの甘味屋を指したのである。
向きを変え、歩き出す背を追うことしか私には出来なかった。

「とりあえず食え」

席に着いて早々。
彼は出てきた緑茶を冷ましもせず口に付け、団子の注文へと声を上げていた。
よほど私の顔色が酷かったらしい。
目の前に並べられた三色団子に胡麻団子。みたらし団子によもぎ団子。団子という団子があれよあれよと勢揃いしていく。

「私の顔、そんなに酷いですか……」

と苦笑紛れに呟けば、彼は「まぁな」と返し出てきた団子を咀嚼しては緑茶を啜っていく。
時々入る団子の感想に胃がくるりと鳴った。
そういえば何も食べていなかったと思い出した私は、甘い香りの誘惑に負けそろりと手を伸ばす。
美味しい。
もっちりとした弾力と仄かな甘さが口内に広がっていった。
その幸せな感覚にほろりと頬が落ちる。

「美味いか」
「はい」

幸福感に満たされたまま微笑めば、彼もそうかそうかと笑んでまた一本と団子へ手を伸ばした。
食べながら彼はぽつりぽつりと言葉を零していく。
最近の空は機嫌が良いとか、任務後一番に呑む酒は焼酎よりビールが良いとか。
実はこの店の名物は団子の他にも汁粉やあんみつがイケるとか。
本当は食べ物を恵んでくれるぐらいには酷い顔をしていた理由を知りたいはずなのに、彼は何でもない話をゆったりゆらりと語り続けていた。
面白い返答も出来ない私の相槌を目尻の皺を濃くして受け入れてくれたのである。
まるで日差しのような暖かさの笑みだった。
久しぶりに感じる穏やかな時間の流れに、頭をかち割らんばかりの頭痛などすっかり忘れている。
頭痛以外のことを考えられなかった頭が少しずつ思考を始めていた。
目の前にいる彼のことを。団子のことを。
そして、私が何故此処にいるのかを。
緑茶を覗き込んでも映らないはずの自分の顔が見えた気がした。
とても情けないのない、忍らしからぬ顔が。

「どうした」

急に沈黙した私に掛けられた言葉に視線を上げる。
彼のきょとんとした瞳に、ふと言葉を溢していた。

「怖く、ないんですか」

と。
何の脈絡もない突如として発せられた言葉。
彼にしてみたら「何が」と主語の抜けた素っ頓狂な話であることは間違いない。
案の定閉口している姿に今更のようなやってしまった感が過る。
忍は皆、あの恐怖を背負っているのだ。と言われた気がした思考が、ならばそれとどう向き合っているのかを聞きたがったための言葉。
それを説明も無しに怖くないのかと聞いたところで、相手からしてみたらちんぷんかんぷんなことこの上ない。

「あの、すいません。何でもないので、」

忘れて下さい。
そう言おうとした息は、言葉になることなく口からすーっと漏れていってしまった。
彼が目の前で口角の上がった口元に手を当てくすりと笑み、こう言ったからだ。

「まぁ、例えば任務を失敗したりしてよ、給料に響いてヨシノにどやされるのは怖ぇな」
「へ?」

気の抜けた声を落とした私の前で、彼は残り少ない緑茶をぐいっと飲み干し立ち上がってしまった。
ちょっと待って下さいと立ち上がろうとした私を、机に小銭を割り増し分置くことで止める。

「俺はこれから任務だから行くわ。付き合わせて悪かったな。ちゃんと食っていけよ」

にやりとした彼は椅子に留められた私の頭をぽんぽんと撫でつけ、背を向けてしまった。
何も言えない私は兎に角ごちそうさまとだけは言おうとその背に声をかける。

「あの」

ぴたりと止まった足はゆっくりとこちらを振り返った。
ごちそうさまでした。
そう言葉にしようとした息に、またしても彼の言葉が被る。
どうやら今日は人の話に耳を傾けろ、という日らしい。
それは案外当たっていたようで、去り際の彼の言葉を、私はとかく大切なものだと直感した。

「守りたいものがあったら、お前は怖さなんて忘れるだろうよ」

その一言を。





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