二世の契り | ナノ


今更のように気付くこと



頬に走った痛みの熱に慣れ始めた頃。
その理由は、ふとした瞬間。
予期せぬ所で目の前に現れるのだ。

曇天に迎えられる任務は良いこともあれば悪いこともある。
突き刺すほどの太陽が雲に隠れている間は、クナイや刀に反射する光が鈍くて助かる。
しかしシカクさんたち影を操る奈良一族には実によろしくないようで、彼は任務前になるとよく天気を気に掛けていた。
おかげで彼のいない任務でも空を仰いでしまうほど、それは私の癖にもなりつつあった。
同じように空にお伺いを立てても、今日は機嫌を直そうという気もなければこれ以上悪くなろうという気もないらしい。
どんよりとした空気が漂う中、私は大名の姫を護衛する任に当たっていた。
途中何度か休憩にと足を休めれば、籠から出てきた姫は大きく伸びと深呼吸を繰り返した。
どうやら窮屈な場所が苦手らしく、しまいには自らの足で歩くと言い出す始末。
さすがにそれは護衛を根本から見直さなくてはならなくなるから止めて欲しいと隊長であるカカシさんが言えば、姫はしぶしぶといった具合に籠へと引き返した。
しかし大人しく戻るだけではなかった姫は休憩を回数多く取ることと、休憩中は籠から出られるようにと交渉してきた。
カカシさんは苦笑を浮かべたが、結局は姫の望みが受け入れられ、今こうして二度目の休憩を取っている。

「あ、兎!」

小さな茂みからぴょこりと顔を出した雪のように白い兎。
ヒクヒクとさせた鼻は、携帯していた食料を齧った臭いを嗅ぎつけたものだろうか。
誰よりも早く兎を見つけた姫は、それを可愛い可愛いと撫で回す。
兎もされるがまま大人しく姫の腕に抱かれていた。
普段なら目にも止めないような動物を大切そうに抱えた姫と、抱えられた兎。
なんとも微笑ましい光景に笑みが零れた。

「姫、そろそろ参ります」

カカシさんが声をかけると、姫は名残惜しそうに兎から手を離した。
ばいばいと小さく手を振る姿に反応しているのか、真白の雪だるまに見えてきた兎はちらりとこちらを振り返る。
護衛の最後尾を担当していた私は、兎が幾度となく振り返る姿を最後まで見続けていた。


「お疲れさん」

その言葉をカカシさんからいただけたのは、護衛を終え木ノ葉に帰還する最中。姫が白兎を愛でに愛でて撫でくりまわしていた休憩所付近でのことだった。

「いえ」

小岩に腰を下ろし一つ息を吐く。
濃緑に囲まれた場所では吸う空気が青々しかった。
すると、その青々しさに紛れて微かに鈍く鼻を吐く香りが鼻腔を刺激した。
忍お馴染みのそれである。

「カカシさん」
「……血の臭いだネ」

隣に腰掛けたカカシさんも直ぐに気付いたのか、マスク越しに鼻を効かせている。
すんすんと香りを辿るように腰を浮かした私は、小さな茂みが連なる場所からその臭いが一層強くなってることを感じ茂みへとそっと手を差し入れた。
小枝が手先から手首を容赦なく擦っていく。
血の臭いが段々と濃さを増す毎に、とくり、とくり、と鼓動が大きくなった。

嫌な予感がしている。

血の臭い。
でもそれは戦場で感じるほどのものでもなく、人一人が闇討ちにでもあったような臭いや気配でもない。
もっと小さくて、まるで自然界の掟にでも従ったみたいな臭いがした。

嫌な予感が増していく。

茂みを掻き分けその正体が目の前に提示された時、私の胸をどきりと脈が打ち、背をぞわりと駆け上がる寒気が一点を凝視させた。

土に吸い込まれていく小さな血の水たまり。
そこからずるずると引き摺られたように伸びる掠れた血痕。
先には、白かったであろう兎が湿り気を帯びた土を刷り込まれたように黒ずみ、ぐったりと横たわっていた。

あの白兎である。

小さな動物に突如として訪れた死に、私は閉口せざるを得なかった。
白兎に死を齎したもの。
それが何であるかは、鋭い気配を感じ直ぐに悟ることができた。
近くを、蟠を巻いた蛇がちろちろと舌を出しては引っ込め、その粘着質な視線を一身に兎へと注いでいたからだ。

白兎は蛇に食われたのだ。
この世界の理通りに。
反撃する術を持っていなかったがために。
守ってくれるものがいなかったために。

瞬きを忘れて見続けている私の前で、蛇は尚も兎を食らい続けている。
体を縮めバネのように伸びて肉へと食らいつく。
その瞬間、私は墨色の鱗を持つ蛇が雪を纏ったような兎を仕留める瞬間を想像してしまった。
残酷な世界だ。
自然界の理と名付けて殺られてしまう弱い存在。
守ってくれるものがいない兎は己の身を自分自身で守っていかなくてはいけないのだ。

それこそ。殺られる前に、殺らなくては。

「!」

頬を、バチンと強い刺激が走った気がした。
指先がびりびりと麻痺する感覚に血の気が引いていく。

殺られる前に、殺らなくては。

殺されてしまう。

そんな当たり前のことを、私は今の今まで忘れていたのだ。
慣れ始めていた頬の痛みが膿んだみたいに再びじくじくと熱を発し始める。

殺さないで。

と発した自分の声とゲンマの声が、耳に木霊した。

お前、忍に向いてねぇわ。

その言葉の意味を、頬を走る痛みの意味を。
私は今、理解した。

蛇は、もう兎を食らい尽くしている。





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